照りつける陽光が、日本のそれとは比較にならない程強烈な場所。
 白い砂浜に風に揺れる椰子の葉、そして目の前にパノラマで広がるエメラルドグリーンに塗られた広大なラグーン。
 日本から遙か南に位置する、このちっぽけな島は、まるで天国の様に美しい。
 だが、それも黒ずくめの暑苦しい格好をしたガードや、迷彩服を着込んだ戦闘要員が居なければの話だろう。
 もっとも、私の立場からすれば、それは致し方がない事であるから、私がその事について文句を言う事は出来ない。
 むしろ、私のような男に付き合い、そして命を落とす可能性の高い彼等には、幾ら謝っても足りない。
 そう……恐らく私は近い将来命を落とす事になるだろう。
 周囲には常に屈強なガードが控え、この島唯一の建物周囲には、二四時間体制で警備の者達が警戒を行っているにも関わらず、その予想はまず間違いなく現実のものとなるはずだ。
 あともう少しだった。
 あと僅か数ヶ月の間、誤魔化せておければ良かった。
 そうすれば、保存期間の終わりを迎えたあれは無価値となり、創造者が既にこの世を去った今、何人たりともあれを復活させる事が出来なくなる。
 それで悪夢は終わるはずだった。
 だが、事態が変わった。
 未だにあれがこの世に残っていると信じて疑わない者達が痺れを切らし、形振り構わない行動に出ようとしている。
 あれの隠し場所を知っている者は、この世で唯一人、私だけだ。
 自害をする事で、その存在を闇に葬る事が可能なのであれば、すぐにでも私は自らの命を絶つだろう。
 その覚悟は十分にある。
 だが、理理だけは……あの子だけは、守らなければならない。
 その為に、私は自害するわけにはいかないのだ。
 もしもそうすれば、奴等は間違いなく、理理を最後の希望としてターゲットにするだろう。
 彼女が”何も知らない”という事実を、奴等は知らないのだから。
 父親としては失格だった私も、せめて最期くらいはらしく在りたい。あの子を守るために、自分のやれる事をしてやりたい。
 だからこそ、私は見栄も外聞もかなぐり捨てエマノンにも泣きついた。権力者の特権だと言われても構わない。もてる財力を注いで、あの子の日常を守るための手段を講じた。
 最後にあの子と話をしたのは……確か、進級を控えた春休みだったか? 会話もろくに出来ないとは、何とも駄目な父親だったな。
 駄目と言えば、私は夫としてもそうだった。
 仕事にあけくれ、あいつの事を何一つ判ってやれなかった。
 そして、それこそが事の元凶ではなかったのか?
 ははは、全く酷い男じゃないか。
 戦争に荷担し、大量殺戮兵器や非人道兵器の製造を続け、挙げ句あいつの狂気にも気付かず、娘までも巻き込んでしまった。
 指輪を見つめる。
 肌身離さず付けているそれには、マイクロチップが仕込まれている。
 あいつが私に残したものだ。
 あいつを狂わしたものが、私の理理への執着だというならばと思い、こうして捨てずに身につけてきた。
 私からあいつに対する、せめてもの手向けのつもりでもあった。
 たが、もはやそれも限界だ。
 例え家族であっても、個人と人類全体を同じ天秤に掛ける事は、許されるものではない。
「済まない理理。済まなかったな……今日子」
 無意識に謝罪の事ばが口に出ていた。
 願わくば、再び親子揃って無事に顔を合わせたいものだが、それは恐らく叶わぬ願いだろう。
 つい先程、私の警護をしているガード達が慌ただしく動き始めた。
 強力なジャミングがどうの、何かが近づいてくるだの叫びながら戦闘の準備をしている。
 どうやら迎えが来たようだ。
 ならば、哀れなガード達を道連れに、私は最期の足掻きをする事にしよう。精々上手く達振る舞って、奴等の関心を惹き付けるんだ。
 そして、諦めさせる。
 この世に、もうあれは存在しないのだと。
 爆音、銃声、悲鳴、怒号、それらが一斉に押し寄せ、私の五感を揺さぶった。
 もうすぐだ。
 もうすぐ、お前に会いに行く。
 お前に会ったら、今度はちゃんと抱きしめて、そして謝らなければいかんな。
 だから……今日子よ。
 もう、私と理理を許しておくれ。
 そう必死に念じながら、私は指輪を外し、その中に隠されたチップを飲み込んだ。






■ N o e l /l e o N #12






 結局、その日も何事もなく終わり、ノエルは理理と共に帰路につく。
 雪野は今日の放課後もピアノのレッスンらしく、その姿は見えない。
「ねぇノエル?」
 背中に夕陽を受けて進む道中、理理がふと隣のノエルに声をかける。
 基本的に、ノエルから理理へ話しかけたり話題を振ることが無いので、二人の会話は大抵この一言から始まる。
「何?」
「ノエルは甘いもの好き?」
 表情を改めて何を尋ねて来るのかと思えば、相変わらず食い物関連だった事で、ノエルは呆れた様に少し溜め息を付く。
「……別に」
「そうなの? 何か特別に好きな甘い物とか、好きな食べ物とか、好きな飲み物とか、好きなお菓子とか無いの?」
 細かく尋ねるところを考えると、どうやら理理の頭の中で、食物は色々細かくカテゴライズされているらしい。
 何を下らない事を尋ねているんだ――と、思わず素っ気ない返答を口にしかけたノエルだったが、自分に向けられている理理の笑顔と、手を伝わる彼女の温もりが、その答を押しとどめさせた。
「……ないわ」
「そっか。つまりは何でも食べられるって事ね?」
「ええ」
「ふむふむ……判ったわ。それじゃノエルは私の趣味でも構わないのね?」
「え?」
 なに? 何の話しをしているの? ――思わず聞き返した。
「まぁまぁ気にしない気にしない。あ、そうだ……ねぇノエル。私これからちょっと出かけてくるから、先に部屋へ帰ってもらえるかしら?」
「えっ?」
 流石に驚いた。
 いや、そりゃ幾らルームメイトとは言え、四六時中くっついているのは不自然だし、理理が一人で出かけようとする事態もあるだろう。
 だがそれは出来る限り避けてもらう必要がある。
 警護任務など就いたことのないノエルは、正直に言って尾行や追跡が得意では無い。かつて、追跡任務に就いた時、大ヘマをやらかして上層部にしこたま怒鳴られた事だってある。
「それなら私も一緒に……」
「だ〜めっ」
 ノエルの言葉は、理理の人差し指で塞がれてしまった。
「ちょっと……」
 待って――と続くはずだったノエルの言葉は、イヤホンを通じて伝わった兄の声で塞がれた。
『ノエル、非常事態だ。エンダーからの呼び出しを受けた。僕は今から支部へ戻る。バックアップは二班を残すから、何か有ればそっちへ連絡を入れるんだ。良いね?』
 え? ――ノエルが意識を通信に傾けた隙に、理理はノエルの手を解いて、駆け足で彼女の元から離れた。
「あっ」
「それじゃねノエル。ちゃ〜んといい子で待ってるんだよっ。そうしたら何か良い事あるかもしれなくてよ?」
 一度立ち止まり振り向くと、両手を口に当てて大きな声を上げる。
 最後に手を振ると、彼女はそのまま通用門目がけて小走りに去っていってしまった。
「ああ、もぅっ!」
 突発的な理理の行動と兄からの連絡を同時に受け、ノエルは一瞬躊躇したが、すぐに事態を整理しすると、理理の姿を追って走り始めた。
 理理の脚はさして早いものではない。 ノエルはすぐに追いついたが、不慣れな尾行は、彼女の心を苛つかせる。
 あれは何時だったか――ノエルが思い出したのは、今から数年前。都市部へ潜伏したターゲットを始末するべく、統合政府統治領となっているローマへと潜入した時、彼女は尾行中に、親切心から声をかけてきた無関係な住民を、敵と誤認して殺害してしまったのだ。
 以後、彼女にその類の任務が言い渡される事はなかった。
 声をかけ、相手が嫌がっても隣に立つべきだろうか? そう思いもしたが、秘匿性が重要な任務において、それは躊躇われる。
 仕方なくノエルは理理に気付かれぬ様、出来る限りの注意を払って彼女の後をつける。
 アーデルハイドには外来用の正門以外に、学生達が街へ繰り出す為の通用門が存在する。
 寮と校舎のほぼ中間にある小道を進み、守衛所を抜ければ学園都市の裏手に出る事が出来るのだ。
 ノエルの視界に、まるでスキップをするかの様に進む理理の後ろ姿げ見える。
 人の苦労も知らないで――そんな文句が頭に浮かんだが、それは憤慨というよりも呆れに近いものだった。
 植木に身を隠しつつ理理の後をつけて行くノエルの姿は、如何にも怪しいものであったが、同じ道を進む生徒の姿が疎らだった事は彼女にとって幸運だった。
 やがて理理が守衛所に辿り着くと、彼女は学生証を守衛に提示し、外出記録用の帳簿だろうか? 手渡された帳票にペンを走らせる。
 暫くして、書き終えた帳票を人の良さそうな守衛へ差し出すと、理理は通用門をくぐり学園都市へと繰り出して行った。
 ノエルは咄嗟に植え込みを掻き分け奥へ進むと、アーデルハイドと外界を分け隔てている、中世の城壁を思わせる仰々しい壁を駆け上がる。
 高さ約五メートル、ご丁寧にその頂きに有刺鉄線まで備えた垂直の壁を、彼女は僅かな助走をつけただけで綺麗に駆け上がり、その頂上部分は見事な背面宙返りで飛び越え、アーデルハイドの外へと抜け出した。
 猫の様なしなやかな動きで音なく着地すると、同時にノエルは理理の姿を求めて走り出した。

 沈み行く夕陽を受け、辺り一面が茜色に染められた欧州風の町並みの中を、理理は彼女にしては早歩きで進んでいる。
 その背後、十数メートルを置いてノエルが続く。
 夕食を控えた街はそれなりに人通りも多く、各商店も買い物客で賑わっている。
 アーデルハイドの制服を着た女生徒の数も僅かに見られるので、制服姿のノエルも街の中で浮いている事はない。
 ただ、躾が行き届いているアーデルハイドの生徒達は出会う都度「ごきげんよう」と、いつもの挨拶を行う。
 尾行を行っているノエルにとって、それは避けたい事態である。
 故に彼女は理理だけでなく、アーデルハイドの女生徒全員の目を避けて進む事を強いられる事となった。
 だが、どれだけノエルが気を使っても、理理の方はお構いなしにずんずんと進んで行くものだから、不測の事態は起こってしまうものだ。
「あっ」
 ノエルの口から、僅かに驚きの声が洩れる。
 角を折れた理理を追って進んだノエルの目の前に、同じ制服を着た小柄な少女が居たのだ。
 思わず口ごもるノエルに対して、目の前の少女は微かに微笑み「吉川様、ごきげんよう」と挨拶をした。
「ごきげんよう」
 自分の迂闊さを呪いながらも、ノエルも努めて平然と挨拶をして返した。
 世間話もせずに切り上げる事が出来たのは、何かと関心を引いているノエルにとってラッキーだった。
 相手も特に大きな声を出す事もなく、そのまま素通りしてくれたので、前を進む理理の気を惹く事もなかった。
 僅かに安堵の溜め息を付いた直後、ノエルは不意に疑問を感じた。
「今の子……」
 名前を呼ばれた事に関しては、何かと関心を集めてしまった事で、既に知れ渡っている可能性があり無視しても構わない。
 ノエルが疑問に思った事は別の事だ。
 理理を尾行していたノエルが彼女と出会ったにも関わらず、理理は彼女と挨拶を交わしていない。
 あの理理の事であるから、挨拶をすればその声は尾行しているノエルの耳に嫌でも届く。
 だが、それが無かったという事は、彼女は一体何処から来たのか? ノエルは咄嗟に振り向き、先の少女の姿を探すが、すでにその姿は周囲の景色に溶け込んだ様に見あたらなかった。
 慌てて顔を思い出そうとしたが、小柄で眼鏡をかけていて、セミロングの髪の毛をしていた程度しか思い出せない。
「もしかして……あの子」
 確信めいたノエルが呟くと同時に、耳の通信機から少女の声が聞こえてきた。
『D1よりレオン……貴女、本当に尾行下手ね』
 D1からの相変わらず淡々とした口調による通信、しかもかなり不躾な内容に、ノエルは苛立った。
 慌てて振り向き、周囲を観察するような無様は避けたが、自覚が在る分何も言い返せない自分が腹立たしかった。
 なるほど、そう確信してみれば、先程の少女の顔には見覚えがある。
 クラスメイトの中でも、とりわけ目立たない存在故に、ノエルが”あたり”をつけていた女生徒だった。
 普段は髪の毛を二つに縛っていたはずだし、眼鏡もしていなかった。
 簡単な変装ではあるが、さりげない分、自然に見える。
 確か名前は――川瀬ユキとかいう名前だったはずだ。
「D1。急に姿を見せたのは何故? 緊急事態と関係があるの?」
 ノエルは理理の姿を追いつつも、無線で話しかける。
『ええ。恐らく』
 肯定ではあるが、確定ではない返答。
 彼女もまた、全てを知らされているわけではないのだろう。
 いつの間にか車道を挟んで反対側の歩道に、先程見かけた同級生――D1の姿があった。
 ウインドウショッピングに興じている様なごく自然な姿で理理との距離を保っている。
 資料では十九歳となっていたが、その事実を知るノエルにでさえ、とてもそうは見えない。むしろ自分より幼く見えた。
 二人の尾行を受けている理理は、その事実に気付かないまま、やがて目的地に辿り着いたらしく、小さな商店の中へと入っていった。




§





 慣れない尾行任務から解放され、理理よりも一足先に部屋に戻ったノエルは、何食わぬ顔でルームメイトの帰りを出迎えた。
「偉いよノエル。ちゃ〜んと部屋で大人しく待ってくれてたのね」
 理理は嬉しそうに言うと、ベッドに腰掛けていたノエルの頭に手を載せ、そして母親の様に優しく撫でた。
「そんなノエルには、きっと後で良いことが起こるわよ。うふふ」
 そう言い残して浴室へと消えた理理の背中を、ノエルは呆れと疲れの入り交じった表情で見送った。
 人の苦労も知らないで、暢気なものね――内心でそう思いながら、ノエルはベッドに身体を預けた。
 天井を見つめるノエルの耳に、浴室からシャワーの音と理理の鼻歌が聞こえてくる。
「ふぅ」
 胸元のリボンを緩め、ブラウスのボタンを一つ外し、小さく溜め息を付く。
 私、疲れているの?――ノエルは思わず自問する。
 そして、砂漠や密林での長期任務すらこなした事のある自分が、畑違いとは言え、数日でたかが少女一人の護衛に疲労を覚えるなど、有ってはならない事だ――とも思った。
 だが、彼女が精神の不安定さを自覚しているのは紛れもない事実である。
 浴室から聞こえる音に注意を向けつつ、ノエルは自身の確認に意識を割り当てる。
 理理の突拍子もない言動に、兄が受けたと言うエンダーからの緊急の呼び出し、先の外出先で出会った非番の刑事、そしてD1の存在等々……ノエルを悩ませる要因は多い。
 ただ理理に関しては「ターゲットに大して秘密裏に」という大前提が有る以上仕方がないと言えるし、エンダーからの呼び出しに関しても、兄が呼び出されている以上今回の任務に関係している事は間違いない。であるならば、近い内に兄から連絡は入るはずだ。
 松井という刑事や所轄への対応は、バックアップの工作が行われているだろうから、取り敢えず無視しても構わないレベルだろう。
 先日から理理との一次接触をしている時に感じる奇妙な安心感は、取り敢えず今現在の問題とは無関係だと思われるので除外できる。
 であるならば……アイツの所為だ――ノエルは、キュッと手を握って脳裏にある少女の顔を思い浮かべる。
 川瀬ユキ――それがノエルに先駆けアーデルハイドに潜入しているエマノンのガードの名前だ。

 天崎理理が中等部の卒業を控えた頃、身代金を目的とした理理の誘拐未遂事件が起きた。
 その事件そのものは優秀なアーデルハイドの警備体制と警察の手によって未然に防ぐ事が出来たのだが、天崎製薬の持つ秘匿情報の危険性を再認識した新世界管理機構が、エマノンに対して理理に独自のガードを付けるよう指示し、彼女と同世代に見える数少ない工作員――ユキに白羽の矢が立ったのだ。
 当時のユキの実年齢は十八だったが、見た目にはかなり若く――幼くと言った方が適切だろう――、制服を着せれば高校一年生と言っても十分通用する容姿だった。
 中学卒業後に政府関係者だった父親の命令で諜報組織に入り、その後三年間の基礎訓練を経て要人警護や情報収集のための能力を磨いた訳だが……元々のその素質が有ったのか、それとも当時の女性教官に憧れを抱いてしまった影響なのか、工作員として任務に就いた時には女が好きな女――つまり一般で言うところのレズビアンになっていた。
 おまけに任務で英国へと渡った時に、共に任に当たった向こう側の工作員が彼女以上にその気のある者だった事が、彼女の性癖を決定付けてしまった。
 大幅にパワーアップして帰国した彼女によって倒錯の世界へ誘われた同僚――被害者の数が片手ではカウント出来なくなった時、若い女性の工作員を欲していたエマノンへ属する事となった。
 表向きは新世界管理機構への出向という形だが、ようは厄介払いだ。
 そんな彼女であるから、任務が名高いアーデルハイド女学園への潜入捜査と聞いた時、口の端を微かに歪めつつ二つ返事で応じた。
 上司であるエンダーは多少の不安は感じたものの、彼女のプロ意識の強さを信じて任務を正式に命じた。
 アーデルハイド女学園高等部への新入学生として潜入し、密かに天崎理理の身辺警護を務める事となったユキ。
 かくして一年前の春、狼は野に放たれたわけだが、エンダーが危惧していた様な事態は起こらず、彼女は黙々と任務をこなしていた。
 すくなくとも毎日の定時報告と、二週間に一度の口頭報告――肉親の面会という形で行われている――では何も問題は語られていないし、連絡員からも特に問題は報告されていない。
 ユキが任に就いてからの一年と二ヶ月の間、誘拐目的や明確な殺意を持って理理に近づく者はなく、精々が街へ出かけた時のナンパ男や痴漢などが数度有ったに留まっている。(尚、彼等はユキの手によって事前に排除――無力化――されている)
 結局、彼女もプロではあるから、ターゲットの重要性は十分認識しているだろうし、常に任務を念頭においているのだろう――そうエンダーは好意的に解釈した。
 実際、エスカレーター式に進学する者が大半を占める中、高等部から中途入学を果たした彼女は、何かと注目を浴びる存在となるはずだが、無口で冷淡な態度を取る――素がそうなのであるが――事で特に親しい友人を作る事なく、目立たない生徒として空気に溶け込んでいる。
 もっとも、極希に理理を含めて他の生徒に対するセクハラ紛いな行為に及ぶ事もあるのだが、エキセントリックな言動で誤魔化す事で、そういった行為すら彼女を不思議な近寄りがたい存在とさせるに一役買っているのだから、何とも計算深い性格だ。
 だが、それは誉められても然るべきものでもある。
 閉鎖的な女子校という環境で育った世間知らずな少女達が群れるアーデルハイドへ潜入したユキの立場は、日本の池に放たれたブラックバスの様なものであり、その様な環境にいながら、時折目に付いた少女にセクハラ紛いなちょっかいをかける程度で済ませている現状は、彼女のプロ意識を現していると言っても良かったのだから。
 ただしターゲットの理理が、ユキの好みにピタリ当てはまっていたらどうだったかは判らない。
 彼女の趣味が、天真爛漫な少女よりも、どこか儚げで押しの弱そうな少女を好む傾向にあったのは、実に幸運な事だった。

 以上の様な事実を、ノエルが知っている訳ではないが、彼女の存在は、どの様な危険な任務も独力で乗り切ってきたノエルを苛つかせるには十分だった。
 先程の件に関してもそうだ。
 理理を尾行した先で起きたちょっとした事件。
 商店から出てきた理理に、三人の男が近づいた。
 天下のお嬢様学校――アーデルハイドの女生徒に近づこうとした、所謂ナンパ目的の男達だったが、そうとは知らないノエルは、気配を消して背後から近づき、彼等が理理に声をかける直前に口を押さえて首を軽く絞めた。
 本来ならば喉を掻っ切るか、首をあらん方向へとねじ曲げ、直ぐさま次のターゲットへと移るところだが、流石に今回の任務でそういった行動は拙い。
 だからノエルは騒がれないよう口を押さえて、そのまま路地へと連れ込む事にしたわけだが……理理のすぐ背後で、彼女に気付かれる事なく全員を生かしたまま即時無力化するのは、いかなノエルと言えども無理な話だった。
 いや、本当の能力を使えば無理ではないが、それはこのような事態で使うべき力ではない。
「だ、誰だテメー!」
 ノエルの奇襲を受け驚いた男の仲間が叫ぶ。
「ん?」
 突如背後で起きた叫び声に、理理も何事かと振り向き、あわや彼女の目が大立ち回りを演じているノエルの姿を捕らえそうになる。
 だが、その直前――
「そこの貴方、危ないですわよ。早くこちらへ」
 ユキが何食わぬ顔で通りかかった女生徒を演じ、理理を現場から遠ざけた。
「え、何?」
「喧嘩ですって。早く帰られた方がよろしくてよ?」
 ユキが理理の注意を逸らしたのは僅かな時間であったが、その合間にノエルは残った男を路地へと連れ込む事が出来た。
 理理が礼を述べてから立ち去ると、ユキは呆れた表情を浮かべてから、ノエルに一言『馬鹿』と、無遠慮な通信を入れた。

「ふぅ」
 もう一度小さく溜め息を付く。
 確かに自分の行動は、秘密裏の警護任務という特性を考えれば相応しくなかっただろう。
 それはノエルも自覚しているし、彼女が今こうして精神的な疲労を感じている原因の一つでもある。
 理理にこそ見つからなかったものの、先のノエルの大立ち回りが周囲に居た別の通行人の目に止まったのは隠しようの無い事実だ。
 ”あの”アーデルハイドの生徒が、複数の男と乱闘をしている――という事態は、見た者が警察へ通報するに十分過ぎる光景だろう。
 ノエルにとって運が良かったのは、その日所用でその町を訪れていた松井という名の刑事が、その場で仲介に入った事で、所轄の警察が直接介入する事が無かった事だろう。
 彼は騒然とする通行人に身分を明かし、騒ぎが大きくならない様その場をうまく取り繕った。
 なお、松井の連絡を受けナンパ男達を回収しに来た警察車両は、裕樹の配下であるバックアップチームの偽装車であり、彼等は一部の記憶を消されて適当な場所へ放置された。
 とにかく、任務遂行を第一に考える。D1に関しては、いざという時以外は無視しても良いだろう。
 今回の任務では、自分に兄とそのチームがバックアップに付いており、それだけでも十分なはずだ。
 そして彼女自身もそう思っているに違いない。最低限の連携が取れるよう準備をしておくだけで構わない――ノエルは、D1の事をそう結論付けた。
『こちらスタンフィールド……レオン良いか?』
 イヤホンから唐突に聞こえてきたのは兄の声。
「何?」
 声にもならない程小さな呟きを、チョーカーのマイクが拾い裕樹へと伝える。
『クライアント……つまりV1の父親に付けていた護衛チームとの連絡が途絶えた。恐らく全滅だろうな』
 理理の父親が、護衛の者達と共に殺害されたという裕樹の報告にも、ノエルは眉一つ動かさない。
 例え理理に何かしらの感情を抱き始めたとは言え、会ったことも無い彼女の父親までカバー出来る程、ノエルの感情は成長していない。
『……近い内に来るぞ』
 一呼吸置いてからそう告げた裕樹の声は、何処か楽しげなニュアンスを含んでいた。
 そんな兄の言葉にも動じず、ノエルはただ一言――
「了解」
 ――とだけ呟いた。



※言い訳
 こうして改めて読んでみると、成るほど、原作ファンから酷評されるのも頷ける。
 自分なりの解釈を必至にしているところなんかは、自分の事ながら思わず失笑を誘う。
 でもこれ書いてる時、気合入ってたんだよなぁ……もう、続きを書こうって意欲は無いですけど、自慰的作品なだけに作者自身は気分が良かったです。

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