物事に対する充足感と、それを失った時の虚脱感の度合いは比例して大きくなるものだが――私は今、改めてそれを実感している。
 いや、私が心の中でそう感じ取っているだけではなく、それは目で確認出来てしまう程の落差となって、現実の世界に存在していると言っていい。
 街を行き交う人々の姿――
 駅前に存在する諸々の建築物――
 ターミナルを進むバスや車――
 そして街を包む空気を含めて、目に映るあらゆるものの中に、それは容易に見て取れる。
 春が間近に迫り、日に日に上がってゆく気温が街に残った雪を溶かしているにもかかわらず、目に映る風景は三ヶ月前にも増して、北国が本来持つ独特の物悲しい静けさと寒々しさに満ちたものに映っている。
 そのあまりの落差に、あの騒動は夢だったのでは無いか? ――ふと、そんな事を思ってしまったが、そう思うのは、何も私に限った事ではないだろう。
 街全体に漂う空気には、それほどまでに明確な虚脱感が漂っているのだ。
 だがあの熱気に包まれていた七日間は紛れもなく現実に起きた事であり、例え物理的な痕跡は無くとも、あの騒動に関わった全ての人々の記憶に刻み込まれているはずだ。
 そして商店を営む者達などは、今年の年末を迎えて昨年の売上とを比較した時に、嫌でも思い出す事になるだろう。
 些細な事から始り、街中を巻き込んだ狂乱絵巻。
 人々を病的にまで熱狂させた美の闘争。
 三ヶ月前、この街で荒れ狂った騒動の結末と、その後の街の様子を取材する為、私――巳間晴香は、再びこの北の地を訪れた。










■Beautiful 7days #9(最終回)











 目的地へ続く道には未だ雪が残っており、とかく雪とは馴染みのない生活を送ってきた私は、一歩一歩慎重に歩かざるを得ない。
 無論、街の住人達はこの程度の残雪で足を鈍らせる事もないから、平然と私を追い越してゆく。
 履き慣れたブーツではあるが、この路面状況ではあまり役には立ってくれず、購入時の値段を考えると少々腹立たしくも思ってしまった。
 ふと周囲を見回してみると、低くたれ込めた厚い雲の影響もあってか、どこまでもモノトーンに満ちた景色が広がっており、その寂しげな雰囲気は改めて自分が北国に居る事を実感させる。
 前回訪れた時は今以上に積雪も多かったはずだが、そんな事を思う暇も無い程の熱気に包まれていたのだから、当時の熱狂ぶりが伺い知れよう。
 しかし今現在、目に映る街並みは何処までも平凡であり、私を追い越して行く人々の会話に耳を澄ませても、その中にかつてこの街を熱狂の渦へ巻き込んだコンテストの話題は一切無く、今日の晩ご飯がどうの、昨日のテレビがこうのといった、ごく普通のありふれた世間話が聞こえるだけだった。
 駅前の中心地から住宅地へと向かう途中にある商店街に差し掛かっても、その状況に変化は見られなかった。
 ある意味、以前は騒ぎの中心でもあった商店街だが、今では実に穏やかなものだ。
 装飾品にしても、ごく普通に「○○感謝フェア」なる横断幕が掲げられているだけで、その告知ポスターにしても、写植文字が踊るだけの実に質素な物だった。
 そんな商店街の雰囲気に居心地の悪さを感じてしまうのは、私があの狂乱の雰囲気しか知らないからなのだろうか。
 だが、今目の前に広がる光景こそが、この街本来の姿なのだ。
 足下に残った雪に注意しつつ商店街を進むと、とある乾物屋が目に付いた。
 あの騒動の最中、親友のスポンサーとなり、彼女の写真を宣伝やポスターに用いた勇気ある店だったが、今やその軒先には当時の面影すら残っていない。
 買い物客や学校帰りの学生達でささやかに賑わう商店街を更に進み、程なくして最初の目的地である喫茶店――百花屋へと辿り着いた。
 シックな色合いと、煉瓦造りの壁が醸し出す落ち着いた雰囲気が人気の喫茶店だ。
 この店を訪れた理由は、あの騒ぎの中心人物達と会う約束を取り付けた為だ。
 これまであらゆる取材を断っていたという彼等だが、ミス学園の候補となった女生徒達に対する直接取材を行わない事を条件に、やっと取材の申し入れを受け入れてくれた。
 彼等が取材の申し入れを受けたのは、三ヶ月と言う月日が流れて世間の感心が薄れて来たという事も大きいが、私が郁未の親友だという事も大きく関与しているだろう。
 全く、持つべき物は良き友人である。感謝感謝。
 心中で親友にささやかな礼を述べつつその扉をくぐると、カランコロンとドアベルが鳴り、気が付いたウェイトレスが近づいて来た。
 待ち合わせている者が居る事を告げて店内を見回すと、すぐに取材対象の少年達の姿を見つける事が出来た。
 郁未から彼等の性格を聞いて少々危惧していたが、どうやら約束の時間は守ってくれたらしい。
 私は軽く手を挙げ、会釈してきた彼等のテーブルへと向かい、その対面の椅子へと腰を下ろす。
 お久しぶり。元気そうね――簡単な挨拶と、ウエイトレスへコーヒーの注文を済ませると、私はさっそく鞄からテレコと手帳を取り出し、彼等の話を聞くことにした。




 

§





■実行委員会最高議長・住井護の話。
「どうもどうも。ご無沙汰しております巳間さん。相変わらずお美しいですね……って、当たり前のお世辞は要らない? そりゃ、ごもっともですね。あはははは。
 いやぁ〜、あれからもう三ヶ月も経つんですね。
 三年生も卒業して、俺達ももうすぐ春休みですよ。春休みってのは短いですけど、宿題が無いのが良いっすよね? ……っと、今ですか? 別に何も変わってませんよ。
 以前のまんま。何事もなく、平穏無事な毎日です。
 流石に俺もあれでパワーを大量に消費したんで暫く休止状態ですが、三年になっても、また色々な企画で授業中の暇な時間を演出してやりたいと思ってますっ!
 受験? まぁなんつーか、学歴社会に対する挑戦って言いますか? 俺は予備校に通ったりとか、模試を受けたりとか、特別な試験勉強とかそういうのはしない主義なんです。
 そんな事はともかくとして、何を話せば良いんですか? あのコンテストの結果は、巳間さんも知っての通りで、それ以上の事は有りませんよ。
 次の週からは、学校も普段通りの授業に戻りましたし……あ、校長だけは、一月の中頃まで入院しっぱなしでしたけど、今はもう元気ですし、変わった事は何もないですね。
 変わった事と言えば、相沢の奴が先輩達と……って、なぁ折原、これって喋っても良いのか? 駄目? あ、そう。
 んじゃ、長森さんとお前の事は? ……冗談だよ。言うわけないだろ? ……ったく。そんなに気遣うんなら、普段からもっと大事に扱えっての……って、何でもねぇよ、独りモンの些細な独り言だ。え? 栞ちゃんは関係ないって。あれはたまたま一緒になっただけだっての。んだと? そんなに言うなら、お前も絵のモデルになって見ろ! ……っと、巳間さん今のは気にしないで下さいね。あはははは。
 えっと、それじゃ……何事も無かったかの様に街が落ち着いた理由ですか?
 大した理由は無いんじゃないですかね。エリマキトカゲブームとか、たまごっちブームとか、バンドブームとか、他のブームとかと変わらないですよ。熱しやすく冷めやすいっていう、大衆心理が働いただけじゃないですかね。
 俺にとっては、元々が体育のマラソンが嫌で”週末の体育をどうやって潰すか”を考えて始めた企画に過ぎなかったわけですし……それで、我ながら上手く行ったもんだ〜と、思ってましたが、翌週平常授業に戻った時、結局マラソンはやらされたわけで、権力には勝てないんだって思い知らされました。なぁ折原?
 でもまぁ、あれだけおっきな祭りが出来た事には、満足してますよ。ええ。
 色々と各方面にコネクションも出来たし、進学しなくても就職にはありつけそうですしね……あ、だから試験勉強しなくて済んでる……とか、そういう事じゃ無いですよ。ええ。本当ですとも、この目を見て下さいっ。この美しくも澄んだ目をしている男が嘘を付くと思いますか?
 え? 俺の進路の事なんかどうでも良いから他の人の話? そーですねぇ……皆、元通りの生活に戻りましたよ。
 結局あの祭りで何かが変わったとすれば、某バカップルの絆が強くなった事と……何だよ、別にお前等の事じゃないぞ折原。それともバカップルだと言う自覚が有るのか? あ〜はいはい判ってる判ってる。アンタ等は幼なじみな、特別仲の良い〜お さ な じ み 。けっ。
 あ、済みません。何の話でしたっけ? ああ、そうそうアレの後に変わった事の話ですよね?
 え〜と、そうですね……アイツ等の話以外だと……うーん、やっぱり先程も言ったとおり、特別何かが変わったってことは無いっすね。
 いたって平穏。彼女達の願いでCMタイアップの話も、KTVさんとの話し合いで無効にしましたし、まぁ街全体を使った学園祭だった……って事で良いんじゃないですかね」

 ――そう言えば、グッズ販売などで一部の者にかなりの利益をもたらしたという噂については?
「利益は……まぁ出ましたよ。でも結局それらは全部、募金にあてられてしまいましたんで、オレ達の手元には殆ど残ってません……あ、マスターどもども」

 ――丁度、百花屋の店長が現れたので、ついでに話を伺ってみた。
 ■喫茶店の店長の話
「いやぁ……凄かったですね。ほら、うちはあの学校からも近いし、元々利用される生徒さんも多かったですからね、期間中は物見目的で来るお客様も多くて、終日ほぼ満席状態でした。ええ、当然創業以来最大の売上を記録しましたよ。
 今はもう元通りって感じですかね。だからあの騒ぎで得はしたけど、損をしたって感じは全く無いですね。これはこの商店街の店ならどこも似たような見解だと思いますよ。
 あ、ほら彼処に色紙が飾ってありますよね? 当時はアレを飾っておいただけで、羨ましがられたものですけどね……今じゃ誰も目を留める事は有りませんよ。だってそうでしょ? 芸能人でもない普通の学生さんですよ?
 え? 別に他意は有りませんよ。 素直にそう思うだけです。それじゃ何であれを残しているのかですか? それは、自分達に対する戒めの様なものです。
 大の大人が馬鹿やって、大騒ぎして……あ、いらっしゃいませ。
 お客様がいらしたので失礼します。それでは、ごゆっくりどうぞ」

■実行委員・折原浩平の話
 ――君は、たしか本選の競技内容を考えたという事だったわよね?
「ええ、そうです。コイツ(隣に座る住井護を指さしながら)の依頼でオレが色々と考えました。
 コイツの部屋に呼ばれて、そこで初めて依頼されたんですけど、その時にスポンサーが沢山付いた事を知らされて……いやぁびっくりしましたよ。まさかそんな予算があるとは思ってもいなかったですから……え? 予算ですか? それはノーコメントって事で。いやいや、着服なんてしてないっすよ。予算は許す限り全てイベントに回しました。
 ただですねぇ……時間が無かったんですよ。
 せっかく予算的には余裕があったんですから、もっと凝ったものを考えたかったんですけどね……ああ、勿体ない勿体ない。
 でもまぁ、時間的な制約がある中では頑張ったと思いますよ。実際、当時は大いに盛り上がりましたし。
 巳間さんも結構楽しんでましたよね?」
 ――競技内容はすんなり決まったのか? また予定通り運営できたのか?
「『美』とか『知』、それから『乙女』はすんなり決まりました。
 『徳』に関しては、最初色んなシーンの映像を見てもらって、フリップ式のクイズでどう対応するかを答えてもらう予定でしたが、面白みに欠けるんでああなりました。
 後は、何と言っても『力』が大変でしたね。
 最初は地元のローカルプロレス団体に頼んで、地雷爆破デスマッチとか、電流有刺鉄線デスマッチとかやろうと考えたんですけどね……ああ、勿論地雷とか有刺鉄線って言っても偽物ですよ? でも止めました。流石に危険だから……うるさいぞ住井! 別に瑞佳を気遣った訳じゃねーって。げふんげふん。……っと、それでですね、何かで勝負をするにしても、総当たり戦では時間がかかりすぎてしまいますし、なにより同じゲームばかり見せられては観客が飽きてしまいます。そこでバトルロイヤル形式にしよう……って話になって、最終的にああいう形になったんですよ。
 でも……突発企画の悲しさか、想定外のハプニングに対する対策が甘かったですね。
 『美』『知』『徳』部門は概ね予想通りだったんですけど、『力』部門は企画側からすれば失敗でしたね。
 まさか彼処まで乱戦になるとは思ってもいませんでしたから……、一応は軟着陸出来ましたが、下手をすればあの時点でイベントは台無しになったかもしれません。本当に無事に終わってホッとしましたよ。
 でも本当に良かったのは、何も変わらなかった事ですかね……え? いや、言葉通りですよ。
 やっぱり何気ない日常ってのが、一番大切なものなんじゃないですかね。まぁオレ達がバカやるのも、日常の一コマではありますけど。あはははは」

 私は小休止とばかりに手帳を置き、カップを口に運びながら考える。
 目の前の二人、そして店長の話の節々に、気になる部分があった。
 それは、意図的に皆がコンテストを忘れようとしているのでは? という疑念だ。
 そう考えれば、あれだけの騒ぎを起こしておきながら、現在の街や商店街、そして住民達のの雰囲気も頷ける。
 それに何より、表彰式の時点で既に妙な雰囲気が立ちこめていた。
 ではその原因は何故だろうか。
 私は瞼を降ろし、しばし当時を思い出してみる。
 あの騒ぎの直中を――




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