覚めない夢



それは現実と変わらぬもの



終わることの無い夢



だからその中での出来事は現実



いつまでも続く夢



だからそれは永遠



夢のような現実が、永遠に続く――



それこそが約束の地



あの人と約束した、永遠の世界










■第1話「行住坐臥」










 日は落ちて既に夜と言っても良い時間だろうか。
 にも関わらず、街の中心から少し外れた場所にあるこの高校の中は、未だ大勢の生徒達が忙しげに動き回っている。
 普通ならば、とうに下校時刻を過ぎて無人であろう校舎からは、夜闇の中へ幾つもの光が走り、騒々しい音を周囲にまき散らしている。
 ある者は積み荷を満載した大八車を引き、ある者は教室の窓からロープで重たげな荷物を引き上げている。
 力の限りの大声でもって、かけ声をかけながら荷物の搬入を指揮している者もいる。
 校門で看板を作る者。
 校庭で屋台を組み立てる者。
 上に下に、右に左に、忙しなく生徒達が走り回る。
 それらは制服姿やジャージ姿の者が多いが、何やら得体の知れないコスチュームを着ている者、かぶり物や着ぐるみを着けた者も少なくない。
 校庭で、廊下で、教室で、いたる場所で同じ様な大騒ぎが起きている。
 その様を一言で表現するならば……そうだな”混沌”と言う表現がぴったりだろう。

『学園祭実行委員会より通達。各クラス・サークルの代表者は至急、生徒会室まで来て下さい』
 近隣住民の迷惑など無視した大音量で校内放送が流れる。
『廊下での台車を使用した荷物の運搬は制限速度を遵守して下さい。自転車バイク等の使用は禁止します!』
 生徒会か実行委員会の女生徒だろうか、そんな悲鳴にも似た放送が流れるが、抑止効果は無いようで、自転車のまま廊下に乗り込んで運搬を行っている者の姿をちらほら見かける。
『中央階段は上り専用です。下る場合は他の階段へと回って下さーいっ!』
 先程から何度もそんなアナウンスが流れているが、既に中央校舎の階段は、色々な物を持った人波で溢れかえっている。
 その様は人間の渋滞と言っていいだろう。
『生徒諸君へこちら風紀委員会! 学園祭当日までコスチュームの着用は禁止するっ!』
 校内に設けられたスピーカーから聞こえる神経質そうな男の声は、周囲の喧噪に負けないようほとんど怒鳴り声だ。
 とはいえ、それを遵守している者は皆無に等しい。
 事実、俺の目の前を行き交う生徒達は、既に各々の出し物に合わせた衣装を着用している。
 それは恐らくそれぞれの出し物の宣伝を兼ねているのだろう。
 頭に斧を生やした者、X星人の格好をした者、猫の縫いぐるみを頭に乗せた女生徒の姿も見える。
 プリンとイチゴの着ぐるみ(?)を着て練り歩く者も居る。
 お前等のクラスは一体何をやるんだ?――そんなツッコミを入れたくなる衝動を抑えながら廊下を進むと、突如後方から”ガラガラガラ!”という音が近づいて来た。
「どいたどいたどいたぁ〜〜っ!」
 そんな声に振り向くと、巨大な信楽焼の狸を乗せた台車が、廊下の向こうから凄い勢いで突っ込んでくる。
「うおっと!」
 慌てて壁の方へ待避した俺の真横を、巨大な狸の置物が通り過ぎて行く。
「前方のバルタン星人どけぇぇぇぇぇぇっ!」
 台車を押していた男子生徒が大声を張り上げるが、間に合わなかったのだろう。
 廊下の突き当たりでバルタン星人のコスプレをした生徒を、慌てて回避しようと進路を無理矢理変更した台車は、そのままの勢いで横の教室の壁に激突。
 多くの生徒達が見つめる中、積み荷の信楽焼の狸が、”ゴトリ”と重そうな音を立てて台車からずれ落ちた。
「あ〜あ」
 俺はそんな光景を溜息交じりで眺めると、ジュースの入ったビニール袋を持ち直して再び歩き始めた。
 度を超えたお祭り騒ぎ……俺の周囲の光景はまさにそれだった。

 そう、学校は明日から始まる学園祭に向けて最終的な準備の真っ最中だった。



 混沌とした校内を乗り越えて俺――相沢祐一は、差し入れを持って中央校舎の二階にある自分の教室である二年四組に戻った。
「いやぁ〜、何というか……相変わらず凄い状況だったぞ」
 驚き三分呆れ七分といった感じで俺は感想を漏らす。
「何言ってるの、当日はこんな物じゃ済まないわよ」
 教室の片隅で、裁縫をしていた女生徒――美坂香里がその手を休めずに答える。
「そうなのか?」
「ええ」
 俺の呆れた返事にも淡々と答える彼女は、何かと問題の多いこのクラスの委員長であり、俺達の仲間内では良識のある数少ない人間の一人である。
 見た目が少々ケバい――否、高校生らしくない事を度外視すればかなりの美人であるが、一度怒らせると手が付けられない程怒り狂うので扱いには注意が必要だ。
「なるほど、この学校の学園祭が凄まじいのはよく判ったが、何で此処までムキになるかな? はいよ買ってきたぞ」
 そう言いながら、怪しい装飾が施された自分の教室の適当な机に、買ってきたジュースを置く。
「おおっ相沢、悪いな」
「おつかれだよっ祐一」
 と、北川と名雪が作業の手を休めてこちらへやって来た。
 北川は脳天にアンテナというか、触覚の様に押っ立てた髪の毛が特徴的な一年の時からの同級生だ。
 良い奴には違いないのだが、そんなプラス部分を、後先考えない性格と調子の良さが相殺してしまっている、愛すべき馬鹿だ。
 名雪の方は、俺の従姉妹であり幼なじみで同居人――正確には俺が居候だが――だ。
 とにかく寝起きが悪く、一日の平均睡眠時間が十二時間という、高校生とは思えぬ眠り姫で、現に少し眠そうな顔をしている。
 ぱっと見は悪くいないのだが、その天然ボケっぷりに唖然とさせられる事が多い。
 そんな二人に「はいよ」とジュースを手渡しながら、俺は改めて教室の中を見回す。
 普段授業で使用している机や椅子は殆ど撤去されており、代わって可愛らしいテーブルと椅子が幾つか設置してある。
 また、教壇のある辺りには机を重ねて作ったカウンターが有り、壁際にはベニヤ板で作られた棚が並んでいる。
 この棚には色々な飲み物や、食べ物の品目を書いたプレートが列べられる予定だそうだ。
 棚の奥、教室の壁はカーテン……というか、ジャーマングレーの布で装飾されて、俺にはよく判らないが怪しげな軍装品が飾られている。
 そして、ひときわ異彩を放っている巨大な物体が教室の中央に鎮座している。
「判ってないな相沢、『無意味なことを一生懸命やる』こそが、この学校の基本方針だぞ」
 その物体の上に乗って天井の装飾を行っていた男子生徒――住井護が俺の呟きに答えるが、その姿は実に楽しげだ。
 奴は”退屈な日常を楽しく演出するプロデューサー”を自称しており、授業中の暇つぶしや、妙なイベントを考えさせたら校内で右に出る者は居ない。
 確かに奴のおかげで、このクラスに居る人間は退屈とは程遠い学校生活を送る事が出来るが、その分面倒事に巻き込まれとばっちり受ける事も多い。
 そんな住井の事を知ってか、香里が「それは貴方と折原君だけでしょ?」――と、冷静に切り返し、隣に居た名雪と北川が二人が揃って「うんうん」と頷いている。
「そうか……それは心外だな〜」
 自覚はあるのだろう、住井は別に堪えるわけでもなく、笑顔のまま両手を広げオーバーなリアクションで答えた。
「でもさ、こんなんで本当に客は来るかな?」
 そう言ったのは木槌を片手に壁の装飾を行っている男子生徒だ。
「何だ沢口、まだそんな事言ってるのか?」
「南だ!」
 顔を真っ赤にして住井に抗議の声を上げている男子生徒は南義明。
 良識のある人間故に、住井や折原の格好の玩具にされている悲しき男だ。
「安心しろ沢口。俺と折原で考えた企画だぞ、間違いなく客はわんさか来るって」
「だから誰が沢口だ? オレの名前はみ・な・み。頼むからちゃんと本名で呼んでくれ」
 奴が何故”沢口”と呼ばれているのかは謎だが、どうやら住井達が彼に付けたあだ名らしい。
 如何なる理由があったのか判らないが、実にあだ名らしからぬ名前で紛らわしい限りだ。
 しかし住井や折原が余りにも普段から自然に呼んでいる為、俺ですら不思議と南の名前が沢口なのでは? と思えてしまう程にクラスには浸透している。
「それからさ、やっぱ長森さんの提案通りの喫茶店にした方が良かったんじゃないか?」
 南の言葉通り、当初クラスの出し物は無難に普通の喫茶店だった。
「ば〜か。そんなありきたりの企画で、群雄入り乱れるこの学園祭で目立つ事など無理だ。それにこの店の開店資金をかき集めるのに、クラス全員のカンパを募ったんだぞ。今更変更なんて出来ないって」
 そう説明する住井は心底楽しげだ。
 今、俺達が教室を改装して作り上げている物もまた喫茶店には違いないのだが、それは住井曰く”射的喫茶”なる怪しげな店だ。
 何でも、射的で得た飲み物や食い物を飲み食いさせるシステムらしい。
 「食」と「遊」の融合と言えば聞こえは良いが、そのシステムが目指す本当の目論見は、「飲みたい物、食いたい物をゲットするまで何度もチャレンジするから儲かる」という処にある。
 しかし、わざわざこんな面倒な事に金をかける人間がいるのか? という疑問も浮かぶが、住井の言葉を借りるなら「抜かりはない」という事になっている。
 香里が先程から裁縫していたのはこの店の衣装であるが、女子用のそれはいわゆるメイド服という物で、着用予定の面子を考慮すれば、確かに客寄せの材料とはなるだろう。
 ただ、男子生徒は軍服――俺はよく知らないが昔のドイツ軍の物らしい――というのは、如何な物だろうか?
 客観的に考えて、メイド服と軍服の組み合わせというのは、明らかにマニア丸出しのキ○ガイじみた物だと思うし、内装にしても明らかに彼等の――特に住井の趣味が具現化した物であって、其処に他者の感性が入り込む隙間は無い。
 やはり、住井と折原の感性はどこか理解しがたい。
「はぁ〜、ホントこのクラスの馬鹿二人には困るわよね」
 まるで俺の心の声に同意をした様に、脚立の上で電飾の飾り付けを行っていた女生徒が、その手を止めて呟いた。
 彼女の名は七瀬留美。
 二年生に進級してすぐ転入してきた転校生だ。
 当初はその見かけに男子生徒達から人気を得ていたが、折原によってその粗暴な本性が徐々に露呈し、現在では折原の相方としてクラスのお笑い担当にまで成り下がっている。
 無論、彼女にとってそれは本意ではなく、何とかして比類無き乙女としての立場を回復せんと、日夜鍛錬を積んでいる(らしい)。
「まぁまぁ。決まったことを今更何言ったってどうしようもないだろ?」
 北川の言葉に七瀬は「そうだけどさ……よっと」と呟きながら脚立から降りる。
「ね、相沢が前に居た学校の学園祭はどうだったの?」
 俺が差し出すジュースを受け取りながら七瀬が尋ねてくる。
「俺んとこ? いや〜普通だな。少なくともこんな大騒ぎはしなかったぞ。七瀬んところは?」
「あたしの学校も、まぁ身内だけで盛り上がってる〜って感じだったかしら」
 転校生である俺と七瀬にとって、この学校における近頃の異常とも言える大騒ぎは、驚き以外の何物でもなかった。
 驚きという言葉で、ふとある人物の事が思い浮かんだ。
「そう言えば折原は何処に行ったんだ?」
 俺が余ったジュースを手に、教室を見回して皆に問いかける。
「さっき、長森さんが探しに行ったから。その内戻ると思うよ」
 南が呆れた口調で答える。
「ったくもぉ……また瑞佳に迷惑かけてるんだから」
 七瀬が心底呆れたように呟くのが聞こえた。
「折原は行方不明か……」
 先程から名前が出ているこの男子生徒は、このクラスの問題児――というか校内で一の変わり者であり、目の前にいる住井と二人して”校内変人の双璧”と呼ばれている。
 更に詳細に伝えるならば「企画の住井」「運営の折原」と役割がしっかりと別れており、住井が考えたイベントを折原が実行するというのが彼等の行動原則だ。
 ま、何にせよ、二人は妙な事や下らない事、どうでも良い事を一生懸命・真面目に行い、それを生き甲斐に感じているらしく、結果として周囲の人間を自分の起こす騒動に巻き込む事になる。
 俺も知り合ってまだ一年に満たないのだが、既に何度も奴等の言動には驚かされた。
 住井の場合は百パーセント確信犯なのだが、もう一人の折原はより問題だったりする。
 それは天性の問題児とでも言うべきか――つまり、折原本人の意思とは関係なく、問題を大きくしてしまうのだ。
 そしてそれは、彼が姿を唐突に消した時がもっとも危なく、戻ってくる時には何らかの騒動を一緒に持ち帰ってくる――その事を、俺はこの一年に満たない付き合いの中で学習した。
 当然クラスの他の生徒達も、同様の意見を抱いているから、”折原の姿が見えない=これから何かが起こる”という公式が成り立っている。
「……ったく」
 これから近い未来に起こりうる騒動を想像して軽く溜め息を付くと、俺は改めて教室の中を見渡した。
 幼なじみで従姉妹の名雪。
 クラス委員長の香里。
 俺と同じ転校生の七瀬。
 馬鹿でお調子者の北川。
 変人の片割れ住井。
 何故か沢口と呼ばれる南。
 後この場には居ないが、問題児の折原とそのお目付役の長森。
 皆、俺にとっては掛け替えのない級友であり、よき友人達だ。
 そして今の俺にとって最も大事な存在は、恐らくもうすぐこの教室に現れるだろう。


 俺がこの街で生活するようになって、もう随分経った。
 幼少の頃、長期休みの度に訪れていた親戚の住む北の街。
 一年生の三学期に転入してきた俺は、この街で、この学校で、様々な人で出会い、かつて自分が過ごした時の風景と、今の風景とを比べられる程には街に馴染んできた。
 しかし実は俺の記憶には、ぽっかりと穴が開いている部分がある。
 それは六年前の冬の記憶。
 無論六年前の記憶を全て覚えているか? と人に尋ねれば、当然ほとんどの人の答えは『否』だろう。
 しかし人生を左右する様な劇的な出来事を、人はおいそれと忘れるはずがない。
 俺が言っている記憶の欠落とは、まさにその忘れるはずのない重要な部分だと思われる。
 六年前の冬、確かに俺はこの街に居て、そして今と同じように名雪の家に厄介になっていた。
 だがその時を境に、それまで毎年訪れていたこの北国の親戚の家へ行く事はなくなったのだ。
 その理由は判らなかったが、俺の両親は『行きたくない』と言う俺を、無理矢理連れていく事も無く、ただ俺を見る目に”哀れみ”や”悲しみ”が含まれて居る事が気になっていた。
 何かがあったはずだ。
 だが、俺は自分に何が有ったのか覚えていないのだ。
 そんな俺が今頃になってこの街に来たのは、両親の海外転勤と、俺自身その記憶の欠落が何気なく気になり始めたからだ。
 俺が水瀬家に厄介になる事を伝えた時、俺の両親は驚くよりも、まるで俺がそう言うのが当然だったかのように快く承諾した。
 そう、俺の両親、そして名雪の母親である秋子さんは、当然六年前、俺に何が起きたのかを知っている。
 だがそれは”俺自身が思い出さなければ意味のない物”という事で教えてはくれない。そう俺に言うからには、当然記憶を戻すには、色々な意味で”それなりの覚悟”が必要なのだろう。
 そしてその懸念は正しかった。
 俺は失われた過去の一部を思いだす代わりに、文字通り死ぬ思いまでした。
 しかしそんな困難も乗り越え、俺はこうして無事二年生に進級し、以前よりも随分と騒がしいクラスメイトの所為もあって、充実した学園生活を送っている。
 今ではこの街に来たことを”良かった”とさえ思えているが、俺がこの街から遠ざかっていた直接の記憶は、未だ霧の彼方である。


「さて、もう少ししたらあたしは失礼させてもらうわ。演劇部の方の準備もあるから」
 飲み終わったジュースの空き缶を手で弄びながら香里が言う。
「はい、ご苦労さん」
「香里お疲れだよ」
 住井と名雪が笑顔で答える。
「あ、み、美坂? 無理はするな、身体壊すなよな。何ならオレが演劇部の部室まで……」
 北川が妙に気を使うのは、彼女に気があるからだろうが――
「ありがとう。でも遠慮するわ」
 香里の方が北川をどう思っているかは見ての通りだ。
 これだけ明確に軽くあしらわれているにも関わらず、全くめげない北川の精神は図太いと誉めるべきなのだろうか?
 ま、そんな事はともかくとして、香里が抜けるとなると作業が厳しくなるのが辛いところだ。
 改めて教室内を見回してみる。
 何とか喫茶店としての体裁を整えてきたとは言え、装飾はまだ半分も終わっていない。
「しっかし、この模擬店は完成するのかよ?」
「大丈夫だろ。もう少しだから何とかなるさ」
 思わず呟いた俺の言葉に対する住井の答えは、随分と楽観的に思える。
 だが企画者として作業工程は頭に有るんだろう――今はそう信じるしかない。
「しかし、こう人手不足じゃ話にならないよ。そもそも責任者に責任感がないから……」
 南がジュースを飲み干し、空き缶を潰しながら文句を言っていると、タイミング良く教室の扉が開き援軍が到着した。
「あはは〜っ、祐一さん皆さんこんばんは〜。佐祐理達が手伝いにきましたよ?」
 突然、俺達の教室に独特の笑い声と共に入ってきた女生徒に、俺は精一杯の笑顔で顔を向ける。
「よぉ佐祐理さん」
 最初に入ってきた女生徒に呼び掛けると、その背後から、ぶっきらぼうな言葉と共に、もう一人の女生徒がそっと姿を現した。
「……祐一、私も居る」
「よっ舞、お疲れさん」
「……ん」
 これ以上ない程に明るい女生徒が倉田佐由理。
 反対に無口で表情に起伏の乏しい女生徒が川澄舞。
 いつも笑顔の佐祐理さんはともかく、極度に口数と表情を変える事が少ない舞も、今のお祭り的な雰囲気は”嫌じゃない”らしい。
 この二人は俺達の先輩、つまり三年生だが、故有って俺達の出し物に付き合ってくれている。
 たまに自分たちのクラスにも顔を出しに行っている様だが、基本的には俺達の教室に入り浸っているのが現状だ。
 この二人こそ、今の俺にとって最も大切な存在だったりする。


 俺が彼女達と出会ったのは、俺が越して少し経った時の事だった。
 それは、とある日の深夜。
 闇の校舎の中で、俺と舞は出会った。
 正確には”出会い”では無く”再会”だったわけだが、その後舞を通じて、その親友である佐祐理さんとも出会い、紆余曲折を経て今の関係に至っている。
 今の関係ってどんなだ? という質問には、残念ながらお答えしかねるが、ま、とにかくそう言う関係だ。


「……」
 俺と視線が重なると、舞は少し照れたのか、顔を赤くして俯いてしまう。
 ちなみに舞の手には普段から長い包みが握られている。
 中身は日本刀――雪風というそれなりの業物らしい――であり、勿論鞘に収められている状態だが刃は本物だ。
「しかし舞も佐祐理さんも、良いのか?」
「……?」
「何がですか?」
 俺の問いかけに、二人は首を傾げる。
「いや、だからさ、こうして俺達のクラスに入り浸ってる事がだよ」
「はぇ〜、祐一さんは佐祐理達が邪魔なんですか?」
 佐祐理さんが不思議そうな表情を浮かべて逆に尋ねてくる。
「いや、そんな事は無い。むしろ人手不足が解消できて大歓迎だ」
「ならそれで良いじゃないですか。ねぇ舞」
 にっこりという表現がピッタリな笑顔を見せる佐祐理さんの横で、舞が無表情ながらも頷いて同意を現す。
「……約束」
 舞が短く言う。
「ん?」
「……祐一と約束した。手伝うって」
 舞はそう言って横に立つと、俺の袖を手でそっと掴み、見つめてくる。
 その目はまるで「忘れたの?」と訴えている様にも見えて、舞の本質を垣間見せる。
 彼女は”約束”を非常に重要視する傾向がある。
 それは彼女と俺を繋ぐものが、他ならぬ”約束”である事が多分に影響しているのだろう。
「ははは、そうだったな」
 俺は安心させる様に舞に微笑んで答えた。
 本当は頭を撫でたり、抱きしめてやりたいところだが、生憎俺は衆人環視の元でそんな事が出来るほど、強靱な精神を持ち合わせてはいない。
「……うん」
 それでも、俺の気持ちは察してくれたのか、舞は頷き袖から手を離した。
「はぇー、やっと形になってきましたねー」
「ええ、これも倉田先輩のおかげですよ。感謝感謝、大感謝ですっ!」
 佐祐理さんが教室内を見回しながら感想を漏らすと、教室中央の物体の上から住井が大げさな程に礼を述べる。
「いいえ〜大した事してませんよー」
「いやいや、こんな素晴らしい物を貸していただけたのですから、そりゃもうバッチ・グーです」
 そう言って住井が心底嬉しそうな表情と共に、親指をグッと突き出して佐祐理さんに向ける。
 佐祐理さんも「あはは」と笑いながら同じポーズをして返す。
 付き合いのいい人だなぁ、ほんと。
「この内装にこの展示品! そして更に校内の綺麗所である、水瀬さん、長森さん、美坂さん、七瀬さん、それに倉田先輩と川澄先輩が、あの衣装を着て店にでれば、俺達の勝利は間違いなしだ!」
 住井が腕を振るわせながら力説する。
 その迫力につられる様に、北川と南の二人が「おおっ」と声を上げて拍手を送っている。
 まぁ、内装云々に関しては完全に奴の趣味が一人歩きしているだけだと思うが、衣装に関しては俺も概ね同意出来る。
「あたしは着ないわよ」
 香里の素っ気ない返事に北川が「何故だ美坂〜っ!」と騒ぎながら涙を流している。
 彼女命の北川にとって、それは何とも残酷な宣言だ。
「だって、当日は演劇部の公演で忙しくて、こっちの手伝いほとんど出来ないわよ」
 そりゃもっともな意見だ。
 こうして、前日なのにクラスの手伝いをしてくれているだけでも有り難むべきなのだろう。
「あははーっ、佐祐理はがんばりますよー!」
「私も……佐祐理と祐一の為にがんばる」
 おお、何と嬉しいお言葉。
「わたしだって、がんばるおー」
 名雪さん? ひょとして寝てますね?
「あたしは……恥ずかしいけど……ま、皆が頼むんだったら、仕方ないものね。うん」
 さも仕方なさそうに言っている七瀬だが、実のところ可愛らしい服が着られる事を密かに楽しみにしているのがバレバレだ。
 ちなみに折原と住井は、里村――物静かなクラスメイトでかなりの美少女である――にも参加を要請したが、「嫌です」と一秒で断られたとの事だ。
「美坂さんと里村さんが不参加なのは残念だが、それでも我々には十分過ぎる攻撃力が残っている!」
 住井がレオパルドの上で、突如として演説を始める。
「この面子にせがまれて耐えられる男子は、恐らくその趣味や性癖が普通である限り絶無のはずだ。つまりどれだけ射的の設定を激ムズにしても、文句言う者は居ない。我々の勝利は疑う余地も無いっ!」
 高らかに宣言する住井の影が一瞬悪魔のそれに見えた。
「あの……倉田先輩一つ良いですか?」
 住井が一人で盛り上がっている合間に、香里が遠慮がちに佐祐理さんに声をかける。
「はい何でしょうか?」
「前から聞いてみたかったんですけれど……あれは一体どのようにして手に入れたんですか?」
 香里が教室の中央に鎮座している物体を指さしながら尋ねる。
「あ、あれですか? えーとですね、佐祐理がお父様にお願いしました。佐祐理にはよく判りませんけど、外国から流れてきた中古品で……確かマッコイ商会とか言う処で手に入れたそうです」
「は、はぁ……」
 佐祐理さんの答えに驚く……というより呆れる香里。
 まぁそれが一般的な反応だろう。
 俺だって、倉田家の寄越したスタッフ達により教室によって運び込まれた得体の知れないパーツが組み立てられ、今の形へと完成した時は驚くというより呆れたものだ。
 なお、これは余談だが、佐祐理さんの実家は超が十個ほど付く金持ちだ。
 いけ好かない生徒会長や、クラスメイトの中崎の家も相当な金持ちらしいが、双方を併せても佐祐理さんの家には遠く及ばないだろう。
 以前お邪魔させて貰った時、自分の抱いていた金持ちの概念を、ことごとく撃ち破る程に凄まじい家だったのだから。
「ところで! 本来は部外者であるはずの倉田先輩と川澄先輩ですら、こうして毎度毎度手伝いに来ているというのに、肝心なウチの責任者は何処に行ったのよ!」
 七瀬が大声を上げて怒りを露わにするが、そんな様子を佐祐理さんは動じることなく「あははー」と笑いながら眺めている。
「本当に何処に行ったんだアイツ?」
「住井は知らないの?」
 北川と南の問いかけに、住井は首を振って「知らん」と答えるだけだ。
「そういえば、探しに行った瑞佳も戻らなわね?」
「もしかして廊下や階段で人波に潰されてるんじゃないか?」
 香里の言葉に、俺は先程の校内の混沌とした状況を思い出しながら答える。
「さーて、明日の開店を控えてやらなきゃならない事は一杯あるんだ。おしゃべりはこの位にしてさっさと……」
 住井が”パンパン”と手を叩きながら作業を促した時、突然教室の扉が勢いよく開かれた。
 一瞬、折原が戻ってきたのかと思ったが、入って来た人物は俺が校内で最も嫌いな者だった。
「なんだ、君達はまだゴチャゴチャやってるのか? 全く……このクラスの店は一体何時になったら完成するんだ?」
 袖に「生徒会」と書かれた腕章を付けた神経質そうな男子生徒は、教室に入るなり開口一番そう文句を言った。
 教室中の全員がそんな声に反応し、入ってきた男子生徒の姿を見つめる。
「ちっ、久瀬か」
 俺の呟きに、久瀬は如何にも不機嫌そうに顔をしかめる。
 この男こそが、いけ好かない生徒会長であり、俺にとっては天敵とも言える存在だ。
 はっきり言って大嫌いな存在なので、奴に関してはあまり多くを語りたくない。
 俺がそんな事を考えている間にも、久瀬は教室の中程に入り、辺りを見回しながらあれこれ文句を言っている。
 このクラスには奴の天敵が多い。それ故に、ちょっとした事にでも文句を言いたくなるのだろう。
 久瀬はひとしきりああだこうだと叫んでから、教室の中央付近に移動して、声を更に大にして――
「折原は何処だ! 責任者前へ出ろ!」
 ――と叫び、同時に足で床を思い切り踏み込んだ。
 その衝撃が原因だろうか? 教室の中央にある物体が、ギシギシと音を立てて床に沈み込んだ。
「生徒会長殿、無用な衝撃は避けて下さい。このレオパルドは空重量で約四〇トン! 貴方の軽率な行動で床が抜けても責任は持ちませんよ?」
 言葉こそ丁寧だが、住井の発言は明らかに久瀬を小馬鹿にした様な口調である。
 そして住井が乗っている物体――教室の中央に鎮座していた怪しげな物体とは、彼の言うとおり、まごうかたなき戦車だった。
 佐祐理さんが持ち込んだ以上、無論本物である。

 レオパルド1A4――俺は詳しく知らないがそういう名称らしい。
 マニアな住井が言うところには『東西に分割していた頃の西側ドイツ軍の主力戦車だったレオパルド1シリーズの最終型』という事だ。
 他にも色々と教えられたが、俺にはさっぱり意味不明の単語が続いていたので覚えていない。

「おい、展示品だか何だか知らないが、僕は戦車の持ち込みなんて許可した覚えはないぞ!」
 久瀬がレオパルドに近付きながら住井へ向かって勢い良く吠えるが――
「あのー久瀬さん? 持ち込んだのは佐祐理ですよー」
「は?」
 思わぬ人物からの返答に、すっかり間抜け面になった。
 かなり面白い顔だ。
「な、何で倉田さんが?」
「それは祐一さんに頼まれたからです」
 にっこりと微笑んで答える佐祐理さん。
 そして対照的に、親の敵でも見る様な表情で俺の方を勢い良く向く久瀬。
「あーいーざーわー。貴様か……貴様が妙な事を頼んだのだな?」
 久瀬がゾンビのようにフラフラとした足取りで俺の方へやってくる。
「ふむ……」
 俺は思い出す。
 疲労で記憶が混乱しているのか、はっきりとは思い出せないが、確か住井達との打ち合わせの中で、男性のユニフォームを軍服にしようという事になって……それから折原が『教室の真ん中に「戦車」とか置いたら雰囲気良いかもな』と言い、後で俺が『佐祐理さんなら戦車でも調達出来るんじゃない?』と冗談で佐祐理さんに頼んでみた様な気がするのは確かだ。
「いや、別に俺が……って言うより、そもそもの言い出しっぺは折原だ」
「折原だと?」
 ”折原”という名前に久瀬のこめかみがピクッと動く。

 久瀬は、俺と折原と住井を恨んでいる。そりゃもうテッテ的に。
 と言うのも、以前、俺と久瀬は佐祐理さんと舞に関する事で対立し、その時の事が原因で、当時の有能な役員だった――奴にとっては密かな想い人でもあった――佐祐理さんを、生徒会より脱退させてしまったからだ。
 折原と住井に関しては言うまでもない。
 常日頃から校内で騒動を起こす上に、事あるごとに生徒会主催のイベントをぶち壊すからだ。
 それだけではない。
 二人が何か怪しいイベントを起こす度、邪魔者になるであろう久瀬をロッカー等に閉じこめる事などは日常茶飯事である。
 しかも二人は、いつも証拠を残さないらしく、処罰する事が出来ないらしい。
 そういう事を踏まえれば、折原と住井が恨まれるのは無理ないだろう。
 たが俺への執着に関して言えば、完全に久瀬の私怨だと思う。

「久瀬さん、佐祐理が好きでしている事なんですから、放っておいて下さい」
 俺と久瀬の間に割って入った佐祐理さんがトドメの一言。
 もっとも本人にそのつもりはないのだろうが、久瀬にとってはかなりダメージが大きい様だ。
「く、倉田さん……ど、どうして」
 佐祐理さんの言葉に、久瀬は歩みを停めて明らかに狼狽する。
「という訳ですからー、会長殿はさっさと他のクラスの見回りにでも行って下さーい」
 その姿を見て笑いながら、住井が佐祐理さんの口調を真似て言い放つ。
「ええぃやかましーっ!!」
 流石に頭にきたのだろう。
 普段のクールな久瀬らしからぬ大声に、レオパルドが再びギシギシと音を立てて床にめり込む。
 おいおい大丈夫か? この教室の真下って確か……。
「あ〜ぁ」
 俺が階下の心配をしていると、名雪が緊張感の無いおっとりとした声を上げる。
「本当に大丈夫かしら?」
 香里も何処か他人事の様な口振りで、少し沈んだレオパルドを眺めている。
 それだけなのか? 北国の人間は感情が大らかなのだろうか? それとも俺が心配性なのか? この場に居ると少し自分の感性に疑問を抱いてしまう。
「……ったく、どうやって持ち込んだんだ?」
 久瀬はそう愚痴をこぼすと、形勢悪しと悟ったのか、回れ右して教室の扉へと進んだ。
 皆が黙って見送っている中、久瀬が教室の扉に手を伸ばしかけたところで、突如教室内に男の声が響き渡った。
『う〜ん、もう止めてくれ〜』
 静まっていた教室内に響き渡った声の主を、この場に居る者は全員知っている。
 その声の主の姿を求めて、皆が一斉に周囲を見回し始めた。
「僕の神経を坂撫でるこの声は……」
 教室の扉に手をかけていた久瀬も、ぴたっと動きを止め声を絞り出す。
『ぐふっ……茜ぇっ! それ以上砂糖は入れないでくれ! な、柚木、離せ!』
 どことなく曇った感じの男の声が、何処からともなく聞こえてくる。
「折原か? 何処に居るんだ?」
 突如聞こえてきた声の主――声はすれども姿が見えぬ校内一のトラブルメーカーを探して、俺も慌てて周囲を見回す。
「ん……」
 ふと見ると、舞が黙ったままレオパルドを指さしていた。
「この中か?」
 俺の問いかけに舞が頷くのを確認して、レオパルドに近付いてみた。
『これ以上は……もう、あ、みさき先輩、御願いですから食べるの止めてくれ!』
 近づいてみると、レオパルドの砲口から折原らしき声がはっきりと聞こえてきた。
 確かに折原は内部に居る様だ。
「折原出て来い!」
 久瀬が俺の身体を押しのけて、声の聞こえてきた部分――レオパルドの砲身に飛びつき、中へ向けて怒鳴り声を上げる。
『うっ……澪、駄目だ! 回らない寿司は勘弁してくれ! あ、痛い。角はよせ!』
 だが、折原は気が付いていないのか、先程から続いている妙な言葉――状況から考えてたぶん寝言だろう――を口走っている。
 つまり奴の姿が見えなかった理由は、この戦車の中で寝ていたという事なのだろう。
「おい折原、中にいるのか?」
 住井が砲塔上部のハッチを開けると、顔を突っ込むようにして中に呼びかける。
「ちょっと折原ーっ! 出てきて作業手伝いなさいよっ!」
 体育会系少女である七瀬は、責任者の責務を放棄している折原が許せないのだろう。
 スカートも気にせずに素早くレオパルドの砲塔をよじ登って騒ぎ立てた。
 だが、その勢いを余らせた七瀬は、ハッチの中を覗いていた住井をその中へ突き落としてしまう。
「おわっ!」
 悲鳴を上げながら住井の身体が中に落ちると、内部の操作系のレバーに当たったのだろうか? 何かの機械音がしたと同時に砲塔が急旋回を始め、レオパルドの長い砲身が窓ガラスを突き破って窓の外へ飛び出してしまった。
「うわあぁぁぁぁぁっ!!」
「きゃぁっ!」
 砲塔が急激に動いた振動で、七瀬もまた砲塔の中へ落ちていった。
 久瀬に至っては、砲身にしがみついていた事が災いし、窓の外で宙ぶらりんの状態だ。
 窓が割れる音と悲鳴……突然の出来事に、校庭に居た生徒達のものと思われる騒ぎ声が聞こえてくる。
 教室の中でも、突然動き出したレオパルドに皆が驚き慌てて――
「あ、ちゃんと動きましたね〜。ほら舞、動いたよ」
「……うん」
 いや、佐祐理さんと舞は、動じてない様子だ。
「く〜……」
 名雪に至っては寝てるし……やはりこの街の女性達の感性は、俺のものとは程度が異なるらしい。
「おい折原、住井、開けろっ!」
「砲身戻せ。久瀬さんが落ちるよ!」
 北川と南が、レオパルドの上によじ登り、ハッチをこじ開けようとしているが、中からロックされているのか、びくともしない。
「ちょっと、留美大丈夫?」
「ったく……何やってるんだよ」
 香里と俺も口々に呟きながらレオパルドへ近づく。
『お……何だ七瀬、もう朝か?』
『あほ! あなた寝ぼけてるわけ? どうすればこの状況で寝て居られるのよっ!』
『ところで七瀬……何でお前がオレの布団の中に居る? 男に夜這いをかけるなんて、そんな女みたいな事は似合わないぞ』
『んなっ!?』
 車内から折原と七瀬の声が聞こえてくる。
 ついで何か鈍い音。
『ぐわっ痛ぇ! ……って、あれ? 住井が何でこんな所でノビてるんだ? おっ七瀬、相変わらずおっとこ前だなぁ〜』
『……折原、貴方に願い事が一つあるの」
『何だサインか? ん? どうしたそんなに震えて』
『死んで』
『それは普通願い事とは言わなっ……ぐぎゃぁっ!』
 折原の悲鳴と同時に、打撃音と何かが倒れる音が車内から聞こえてきた。
 状況は見えなくともその会話の内容から、戦車の中で繰り広げられているであろう光景は容易に想像出来た。
 俺と香里が向き合って共に溜め息を付くと、教室での騒ぎを聞きつけてか、折原を捜しに出ていた長森がやっと戻って来た。
「ねぇみんな、浩平何処にも居ないんだよー。こっちに戻ってきた? ……って、あれ?」
 そして教室内の状態を見て固まってる。
 そりゃそうだろう。
 完成しかけていた模擬店は滅茶苦茶、戦車は床にめり込んでいるし、おまけに窓の外に突き出た砲身にしがみついている久瀬が、大声で騒いでいる。
 並みの人間なら驚かずには居られない状況だろう。
「わっ、何だか凄いね」
 長森サン! 貴女もこの状況を見てそれだけですか? ――俺は頭の中で叫んでいた。

 長森は問題児折原の幼なじみであり、お目付役として奴の暴走を――時にはそれこそ自らが盾となって――食い止める役目を担っており、そう言う意味においてはクラスにとって、いやこの学校にとって重要な人間と言える。
 面倒見が良く気だても良い上に、勉強も出来て料理も得意だ。
 おまけに容姿も申し分ないわけであるから、当然クラスの男子共からの人気も高い。
 以前、住井が行った非公式のクラス内女子人気ランキングでは、並み居る強豪を押し退けて一位になった程だ。
 そんな完璧超人の彼女が、変人の折原とは俗に言う彼氏彼女の関係なのだから、世の中は判らないものだ。

「で浩平はどこに居るの?」
 長森が教室をでの騒動も気にせず、折原の姿を探してきょろきょろしている。
「瑞佳、折原君ならこの中よ」
 そう言う香里がレオパルドを指さしているのを見て、長森は「はぁ〜」と、深い溜め息を付くと、まるで部屋の扉をノックするかの様に、レオパルドの車体を叩く。
「浩平おとなしく出てくるんだよっ!」
 当然その声は、中の折原達には届いていないのだろう。
 砲塔の上に乗っていた、北川と南も必死になってハッチを叩いているが、どうにも中の三人は気が付いていない様子だ。
「誰かー誰か助けをー!!」
 そんな間も、窓の外で砲身にしがみついている久瀬が、しきりに助けを求めているが、正直な話ここからでは助けようがない。
 自身の腕力を駆使して、砲身を伝わってきてもらうしか無いのだが、どうも奴にはそこまでの体力は無いみたいだ。
 しかし、いくら久瀬とは言え、俺達のクラスから転落死……何て事になったら洒落にはならない。
 仕方がない助けてやるか。え〜とまずロープを用意して……って、あ、落ちた。
 俺が重い腰を上げようとしたその瞬間、久瀬の手から力が抜け、彼の身体が俺達の視界から消えた。
「おい久瀬っ!」
 俺は慌てて声をあげたものの、窓際に居た佐祐理さんと舞の反応と言えば――
「はぇー」
「……落ちた」
 ――といった、何とも冷静なものだった。
 俺は急いで窓辺へ駆け寄り、色々と嫌な想像を思い浮かべながら下を覗き込んだ。
 不幸中の幸いと言うか、奴の悪運が強かったと言うべきか、落下地点にマットが置いてあったらしく、久瀬は全く無事だった。
 成るほど、二人には最初からこのマットが見えていたわけか。
 俺がそう納得している間に、周囲に居た生徒から差し伸べられた手を振り払いながら久瀬は立ち上がると、こちらを見上げて何やら大声でわめき立て始めた。
 はっきりと聞こえないが、どうやら俺達に対する文句の様だ。
「ったく、余計な心配したな。……お?」
 視界の隅に、白衣の人物が見て取れた。
「お! 郁未先生じゃないか……まだ残ってたんだな」
 いつの間にか俺の隣で、同じように校庭を見ていた北川が呟く。
 校庭を横切る様に歩いている白衣を着た彼女――天沢郁未は、我が校の校医である。
 その容姿の美しさと均等の取れた無駄のないスタイル、そして優しさと厳しさを兼ね備えた性格も相まって、男子は無論女子からの人気も高い。
 更に不思議な力を持っているという、ミステリアスな噂が有り、より一層彼女の魅力を引き立てている。
 そしてその噂が真実である事を、この俺は知っていたりする。
 それは俺がこの街に来た直後、舞と再会し、佐祐理さんと知り合った頃の事だ。
 校内でとある事件が起こり、その際、彼女の持つ不思議な力――「不可視の力」と言うらしい――を見る事になったのだ。
『二年四組の学園祭委員並びに関係者は直ちに校長室へ出頭せよ! 繰り返す……』
 教室に設置されたのスピーカーから校内放送が響き渡った。
「さてと、お呼びだぜー」
「はぁ〜、彼奴等に付き合ってると、結局いつもこうなるんだよなぁ〜」
「何であたしまで……演劇部の手伝いに行かなきゃならないのよ?」
 北川、南、香里が”やれやれ”と身をすくめて歩き出す。
「ったく、あ〜痛ぇ〜。酷いぜ七瀬さん」
「あ、あたしの所為じゃないくて、折原があんな所で寝てるのが悪いんじゃない!」
 ようやくの事でレオパルドから出て来た、住井と七瀬が言い争いながら教室を出て行った。
「さて、名雪行くぞ!」
「何だおー?」
「……まだ寝てるのか? 起きろ!!」
 言葉が寝ぼけている時の「おー」口調になっている。
 この状態の名雪はなかなか手強い。
 俺は名雪の両肩を掴んで思い切り揺らしてみた。
「地震だおー!」
 やはり起きない。
「相変わらずね」
 隣の香里も呆れ顔だ。
「名雪の寝起きの悪さって、浩平といい勝負だよね」
「オレが? 冗談だろ、水瀬程酷くねぇよ」
 長森と折原が何気なく酷い事言っているが、まぁ気にしないでおこう。
「とりゃぁっ!」
 舞直伝のチョップを脳天を喰らわす。
「痛っ! ……あれ?」
「名雪、行くぞ」
 目が覚めたばかりで状況を把握できていないのか、名雪の顔には「?」が浮かんでいる。
「何処に?」
「校長室だよ。呼び出し」
「何で?」
「……」
 俺は答えずに教室の中を指さす。
「わぁ〜〜〜〜滅茶苦茶だよ。どうしちゃったの?」
「お前何時から寝てた?」
「え〜と祐一がジュース買ってきて、それを飲んで香里が演劇部の方に行くって言った所までは覚えてるよ……あ痛っ」
 あまりのボケっぷりに、思わず言葉より先に手が出てしまった。
「祐一今わたしのことぶった」
「目の錯覚だ。いいから行くぞ」
 頬を膨らまし上目遣いで俺を抗議する名雪を無視して俺は歩き始める。
「あ……待ってよ、酷いよー祐一」
「じゃ舞、私達も行こう」
「……うん」
 こうして俺達は、壊滅的ダメージを受けた教室を後にして校長室へと向かった。




§





 この日も、高校の保険医を勤める天沢郁未は多忙だった。
 この混沌とした準備の中、釘と間違えて玄翁で指を叩く者や、荷物の下敷きになる者が後を絶たずにいる。
 今日一日だけでも数十人の怪我の治療を行っており、彼女の精神的疲労も溜まっていた。
 しかも作業自体が深夜遅くまで続くため、保険医という立場にある彼女は家に帰る事も出来ずにいる。
 やっと途切れた怪我人の列に、流石に一休みしようと保健室から校庭を横切って給湯室へと向かう途中、彼女の耳にガラスの割れる音と悲鳴が飛び込んできた。
 郁未が音のする方を向けば、二階の二年四組らしい教室の窓から戦車の砲身が突き出て、その先に男子生徒がぶら下がったまま助けを求めている。
「ふぅ、全くみんな馬鹿なんだから」
 郁未は溜息交じりに呟き、素早く周囲を見回す。
 近くにマットを乗せた台車を見つけると、郁未は目を細めて意識を集中する。
 すると突然台車が加速を始め、それを引いていた生徒が驚きの声を上げる間もなく丁度久瀬の真下へと辿り着き、力つきて落ちてきた彼を救う結果となった。
 驚く声、そして久瀬の騒ぎ声を背に、郁未は何事も無かったかのように白衣を翻して先を急いだ。
『二年四組の学園祭委員並びに関係者は直ちに校長室へ出頭せよ! 繰り返す……』
 そんな校内放送が響くと、彼女は立ち止まりもう一度深く溜め息を付いてから、周囲の馬鹿騒ぎに目を向けた。
 大勢の生徒達が、まるで狂気に囚われた様に働いている。
 夜通し行われるであろう、この狂乱に付き合わなければならない自分の立場を呪いつつ、彼女は目的地へ向けて歩き出した。




続く>

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