「弓道」誌にアタックョ


国立国会図書館に「弓道」誌を整備しませんか
                       最近の弓書事情を考える
 (投稿8カ月後の2002年1月号に掲載)

 何でこんなに高くて数も少ないんだろう--弓書の古本市場をウオッチしていて、つくづく感じることです。神田の古本屋街で行われる秋の古本祭りでは、初日に飛んで行っても、2、3日前に主要な本が既に売り切れている状態です。3月末に神田の古本屋から、活字本19件、写本、巻物などの歴史的和装もの20件の弓書をリストアップした目録が送られてきました。手に取ってみたい本がたくさんありましたので、すぐ電話しましたが目的の本はすべて売り切れ。まるで買い占められたような感じでした。こんな状況ですので、最近は古本を漁るというより古書リストを見て楽しむだけになっています。
 2000年の神田古書店連合目録26号を見てみますと、全日本弓道連盟機関誌「弓道」の創立30周年記念特別号が8000円(発刊時の定価2500円)でした。驚いたのは、改訂版的な新装本が出ているにもかかわらず、定価の3倍になっている弓道入門書もあったことです。高値をつけても簡単に売りさばけるということなのでしょう。販売側の主導で値がつり上げられている構図がイメージされて、異常な感じがします。
 あっという間に本が消えてしまう弓書の古本市場を見ながら考えるのは、買い取りの熱心さの割には収集癖を満たすだけで死蔵されているのでは残念だなということです。だれもが見られる所に本があれば、有効活用され、古本価格の引き下げにもつながるのに、と思ったりします。
 多くの人が読める場所という点では、わが国最大の図書館、国立国会図書館が第1に考えられます。この国会図書館に全弓連機関誌「弓道」がないといったら、「そんな馬鹿なことがあるか」という声が返ってくるでしょう。ところが、創刊の昭和24年から29年、37年から39年まで、通年して納本されずに欠番になっていますし、30年から36年の間もかなり抜け落ちています。
 連盟草創期の空気を、「弓道」の前身である「日本弓道」のタブロイド版でつかみたいと思っている人もいると思います。創刊号には「道場より神棚を撤廃せよ」という戦闘的な論文が載って議論があったと聞きます。そんな動きを現物で読みたいところです。
 そこで思うのは、全弓連で国立国会図書館の欠号補充運動を起こしていただけないでしょうか。図書館の雑誌記録係に聞きますと、個人で欠番を埋めようとするより、雑誌の発行者・編集者が納本する方が確実に補充できるそうです。創刊号が出てから、もう50年になりますが、まだ古い「弓道」を保存している人は結構いるのではないでしょうか。完全に世代代わりしないうちに、連盟で補充できない号の寄贈を呼びかたらよいと思います。
 国立国会図書館の関係で、みなさんに呼びかけたいのは、自費出版の本もぜひ国会図書館に納本して欲しいということです。古本市場の高値抑制にも大いに役立つところです。
 国立国会図書館法では、「出版物を発行したときは、発行の日から30日以内に、最良版の完全なもの一部を国立国会図書館に納入しなければならない」と規定しています。違反には過料の規定があります。もっとも適用された例はないそうですが……。自費出版の本も、身内だけに配るようなものは例外ですが、公に出版していれば、国会図書館で引き受けてくれます。「私のこんな本が、まさか」と遠慮する人もいるでしょうが、是非、納本して希望者が読めるようにして下さい。貴重な体験、技術論など埋もれてしまっては惜しいと思います。地元の公立図書館に寄贈されている人もいると思いますが、中央にある方が活用されるのではないかと思います。発行日が古くても大丈夫です。私は恩師が30年以上も前に発刊した自費出版本を納本し、多くの人に閲覧されています。
 弓書を収集している人は多いと思います。しかし、自分が死んだ後、どうするかまで考えている人は少ないと思います。私も恩師の形見分けでいただいた巻物や写本も含め貴重な資料がありますが、女房には、入門書は私の出身高校へ、古書類は大学へといっています。私の弓書の師匠でした森岡正陽さんは、集めた弓書が散逸してはいけないと生前にまとめて私の友人に譲りました。持ち主がいなくなったあと、古本市場に流れれば、まだいいのですが、最も怖いのは、ゴミとして消えてしまうことです。弓に関心のないご遺族にとっては何の価値もないのでしょうから責めるわけにもいきません。
 そんなことを考えると弓書を預託できるところがあればいいのになあと思います。それぞれの流派ではそれなりの工夫をしているのでしょうが、オープンに活用できる組織があれば最高です。全弓連で取り組んだらいかがでしょうか。臓器移植のドナー登録のようにして、弓書を収集する方法もあります。収納場所が無くてもマイクロフィルム化するとか工夫し、利用もインターネットの活用で活発にしたらよいと思います。
 【自費出版本の送り先】〒100ー8924東京都千代田区永田町1ー10ー1国立国会図書館収集部一般納本係
 【国立国会図書館の「弓道」欠番】1〜55号(昭和24年8月〜29年12月)、64号(30年9月)、91〜93号(32年12月〜33年2月)、100、101号(33年9、10月)、103号(33年12月)、107号(34年4月号)、121〜126号(35年6月〜11月)、128、129号(36年1、2月)、131〜175号(36年4月〜39年12月)
                                            (2001年4月4日記)


弓の稽古にも規制緩和を
 (読者の声に投稿・ボツ)

 小泉純一郎首相の登場で、改革のスローガンがあふれかえています。その流れに乗ろうというわけではありませんが、弓の稽古も規制緩和に取り組んだらいかがでしょうか。多くの人が弓を気軽に楽しめるようにし、当然のように思われているしきたりや基準を原点から考えてみることによって、弓道のあり方論議を活発にできないかなと思います。
 まず、稽古の際、弓道衣・袴着用が強制され過ぎてはいませんか。ある市営道場でズボン・シャツ姿で引いていたら職員が飛んできて、「弓道衣を着ないと引かせない」「公営の道場で強制するのはおかしい」と押し問答したことがありました。「弓道教本」1巻の初版本には、私の恩師ら先生方のズボン・シャツ姿がたくさん載っています。私が引き始めた40年前ころは、「着物や袴は粗を隠してくれるが、ズボン・シャツできちんと引ければ一人前」といわれたものでした。大学時代も師範から「寝間着みたいなものは着るな、着るなら着物」といわれたのを思い出します。弓を引くのに弓道衣・袴の着用を義務づけるかどうかは、それぞれの道場で決めることですが、公営道場では、多くの人に門戸を開くことを大原則に、洋服姿の稽古も認めるのがよいのではいかと思います。
 裸足の稽古も許したらいかがですか。私が稽古している市営道場ではズボン・シャツでの稽古を認めていますが、裸足は厳禁です。私が引いている本多流の先生方の多くは稽古は裸足を大原則としています。足踏みの感覚が一番わかり、大地を踏みしめて射の展開ができるからです。不作法だという声もあるでしょうが、裸足姿は見慣れれば白足袋姿よりずっと質実剛健、さわやかな感じを受けると思います。道場が汚れるからといった理由で排除するのは、本末転倒。立派な弓をどう引くかの方を優先していただきたいと思います。弓は武道だ、という武道論の人たちが、白足袋一辺倒の装束に異を唱えないのも不思議な気がします。
 このほか、いろいろ弓の稽古や試合で、素人目で見ると、「なぜなの」と思うことによくぶつかります。たとえば、矢摺り籐の長さを六ア以上と規制したこと。これでは昔からある短い籐の弓は使えなくなります。照準器のような働きを排除するためのようですが、籐に目印付けてコセコセと中てたい人はそれはそれでよいのではないかと思います。そんな狙い方を笑い飛ばしきれないほど中りに執着している弓界の雰囲気に問題がありそうです。
 また、称号者や高段者になると大試合では合成素材の弓具は御法度とか。天然素材でなければいけないという理由がすとんと胸に落ちません。今や麻弦で引く人はほとんど見られなくなっていますし、弓や矢だけを規制しても一貫性がないのではないでしょうか。天然素材を使った道具で引く弓と合成素材での道具とは、こんなにも世界が違うんだという射の中身の差が出ればまだしも、違いはどんどん薄まっているように思えてなりません。余り天然素材にこだわると、高価な竹の弓矢が買える金持ちクラブをつくるのかという批判も出てくるでしょう。
 こうした規制を、いろいろな角度から議論するよう提案します。まず、ズボン・シャツ姿の是非論争、それが済んだら、柔道着の色物の論議があったように、弓道衣の色の自由化をめぐって議論してみたらどうですか。規制が過ぎれば、弓に興味を持った人でも遠ざかってしまうでしょう。弓道人口を増やすためにも、足元をいま一度洗い直したらいかがですか。規制づくめは弓のロマンをしぼませ、射技を萎縮させ、発想を貧困にするだけではないでしょうか。
          (2001年10月17日投稿)


 ブッシュ大統領に鏑矢を贈る小泉首相のニュースを伝える首都圏最終版の各紙(2001年10月21日付朝刊)


大リーグに勝った小泉首相の鏑矢

(朝日新聞の写真を有料で借り出して出稿すれど、無情にもボツ→生弓会「会報」125号に掲載)

 米国の同時多発テロ事件に発した世界的な争乱の中で、日本の弓と矢が政治の表舞台に登場した。弓矢で戦争を始めたというわけではない。中国・上海で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の際、10月20日の日米首脳会談で小泉純一郎首相がブッシュ米国大統領に「天長地久之鏑矢(かぶらや)」と重籐の弓を贈り注目を浴びたのだ。邪悪を払い恒久平和を願う、という鏑矢の祈りを込めた贈り物で、アフガニスタンの空爆、テロ撲滅の戦争が展開されている中だけに、タイミングの良さが話題を集めた。
 平時であれば、ブッシュさんから小泉さんに贈られた米国大リーガー、2632試合連続出場記録を持つ「鉄人」、カル・リプケン選手のサイン入りグラブに関心は集まったかもしれない。だが、新聞一般紙の首都圏最終版を見ると、朝日、毎日、読売、日経、東京の5紙が鏑矢の写真を使い、リプケン選手のグラブの写真を扱ったのは産経だけ。「日本の弓矢」が5対1で堂々と大リーグを寄り切った格好だった。
 小泉さんは武田流弓馬礼法故実第35代司家の金子家教(いえたか)社団法人大日本弓馬会会長(80歳)と親交があり、弓馬会の顧問もしている。厚相時代、モンゴルとの流鏑馬交流の仲立ちをしたこともある。このおつきあいの中で、小泉さんは10月の大統領訪日の時には流鏑馬の鏑矢を贈ろうと準備を進めていた。ところが、同時多発テロ事件の発生で来日中止となり準備もストップ。その後、アフガニスタンの空爆が始まり、特殊部隊による地上戦も展開され世界情勢は緊迫するばかり。小泉さんはこんな時こそ鏑矢の贈り物を、と急いで決断した。中国に出発する前日夕、鏑矢を収納する桐箱に「天長地久之鏑矢」の表書きをし、裏側に「謹呈 ブッシュ大統領閣下 内閣総理大臣小泉純一郎(花押)」と、下書きの練習もせずに一気に揮毫した。金子さんの要請で弓矢の製作にあたった小山雅司さん(小山弓具社長)もあわてるほど急な調達だった。
 米国大統領と流鏑馬と言えば、『明治天皇紀』には、1879年(明治12年)8月25日に明治天皇が、来日したグラント米国前大統領とともに上野公園で、流鏑馬や犬追物を天覧されている。最近では1983年(昭和58年)11月10日、レーガン大統領が来日した際、金子さんの一門が明治神宮で流鏑馬を披露。皇太子殿下(現今上天皇)ご夫妻がご案内している。この縁で、この演舞に使われた鏑矢を翌年、世界的な大スター三船敏郎さんに頼んでレーガンさんに持っていってもらった。あいにく大統領が不在で、当時副大統領だったジョージ・ブッシュさん(その後大統領、現ジョージ・W・ブッシュ大統領の父親)が預かってくれた。鏑矢の贈り物とともに大スターの使者に大喜びだった。
 流鏑馬や弓矢は日本を代表する行事・道具として外交の舞台でも活躍する例は多い。金子さんの話では、かつてモンゴル首相に鏑矢を贈ったことがある。小山弓具の話では、中南米の元首で来日記念に鏑矢を購入した人もいるという。
 私がお世話になっている本多流の宗家では利永宗家の祖父・利時宗家の時代に、ドイツのヒットラーに弓と矢を贈呈した。そのお礼に洋弓の弓と矢、それに色的を贈られたが、その記念品は戦災でなくなってしまった。ヒトラーと言えば、帚木蓬生さんが『総統の防具』の題名で、日本からヒトラーに贈られた剣道の防具を材料に小説を書いている。弓具などはロマンも広がり小説の題材に十分なりそうな気がする。
 今度の天長地久の鏑矢の一件も小説になりうる話もある。金子さんの説明では、天長地久の鏑矢というのは、天下太平、五穀豊穣、万民安堵を祈念する天長地久の儀の後に行われる流鏑馬に使われ、日本的な命名として定着しているらしい。しかし、今度の鏑矢の贈呈に当たって、首相官邸がマスコミに強調したのは老子の「天長地久」の言葉である。老子のいわんとしているのは、天地は長久であり、天地のように無心無欲で行動せよ、ということではないのか。とすれば、小泉さんの真意は「ブッシュさん、カッカとしないでクールに対応しようよ」という意味が込められているということになる。単純な鼓舞激励というより、相当なひねり球である。
 「まさかそんな気持ちがあるんじゃあないでしょうね」と、首相秘書官に質したら「首相はいろいろ考えているから、そういうこともあるかもしれませんよ」。ムムム……。日米同盟を掲げ、行け行けどんどんをいわざるを得ない現状だが、もし、小泉さんが老子の言葉の心境なら、対応も段々と違ってくるのかもしれない。日本が軍事的支援よりも和平工作の中核として世界をリードする姿を想像すると、政局の見方にも夢が広がってくる。テロ対策特別措置法などテロ関連3法が成立したのを機に、小泉さんの言動に変化が出てくるのだろうか。
               (2001年10月29日記)

「天長地久の儀」を執り行う金子家教・大日本弓馬会会長(中央馬上)。つがえているのが天長地久の鏑矢(2001年11月3日、東京・代々木の明治神宮で)


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