必見・ゲストコーナー


本多流4世宗家
財団法人・生弓会宗家
東京大学弓術部宗家師範
1968年1月、本多流3世宗家
本多利生・洋子ご夫妻の
長男として生まれる
慶応大学卒業

朝嵐ということ

            本多流4世宗家 本多 利永 氏
                                (生弓会「会報」122号から)

巻藁射礼

2001年1月2日
東大の射初め
育徳堂で


   朝嵐みにはしむなり松風のめにはみえねとおとは冷しき

 この歌は、日置流竹林派弓術書本書第3巻にある離の歌です。この歌を聞いて、皆さんは何を思うでしょうか。全く初めて耳にされる方、どこかで聞いたことがあると感じる方、常に胸の中にこの歌が響いているという方等々、様々いらっしゃると思います。この歌の最後は「冷(すず)しき」となっていますが、次のように色々と詠まれています。
   朝嵐身にしみにけり松風の目には見えねど音のすさまじ
 これは、正統日置流美人草にある歌です。
   朝嵐身にはしむなり松風の目には見へねど音のさやけき
 大和流ではこう歌われています。
 朝嵐とは、離れの至極です。「軽き上にしっかりと強みをもって切る離」「朝吹く嵐の意味に替ることなく、烈しく]々と切る離」「如何にも冴々としてはずみ、無我の境にあっての離」という具合に、朝嵐の離を言葉のみで表すのは困難です。日置流射学には「弓を引き込み、たもつ中には我もなし。弓もなし。空々となって一物もさはる物なく、此の如き形、則ち眠る心に至る。右朝嵐の心によりて放つときは身にしみ。眠りをさますべし。扨こそ朝嵐に叶ふものなり。」とあります。
 ちなみに、ここに「たもつ中には…」とありますが、竹林派では「持つ」ということは嫌うようです。利實口述の弓術講義録によれば、「持つにては唯持っているだけの意味」であるからとしています。「持」「持満」「抱」ということになると、会(懸)の深い議論になりますのでこれくらいにしておきます。
 さて、朝嵐の歌にはこの他にもまだあります。
   朝嵐身にしむほどの秘所のかけつよく離るる弦のこちをと
   朝嵐百のつよみをくくりとめさつとほどくは心にぞある
 また、
   朝嵐初心の射手に傳えなば昼をも過ぎて夕あらしなり
 という歌もあります。朝嵐を初心者に教えて射させても、害こそあれ、少しも益はない。その朝嵐の離も夕方の嵐の様で冴えないものとなるという意味です。
 一方、
   朝嵐不器用も亦身にしみて射るこそ弓の上手とはなれ
 とも歌われます。朝嵐のような秘伝の離も、不器用な者でさえ、身にしみて熱心に射を修業すれば、遂には射遂げて上手になるということです。現在弓界において、果たしてどれだけの人が朝嵐の境地に達しているのかは疑問です。皆さん、がんばりましょう。最後に流祖利實が詠んだ朝嵐の歌を紹介しておきましょう。

   朝嵐身にはしむなり松風のめには見えねど音のはげしき 生弓斎   

 注 「]々」の]は立へんに風


東大弓術部宗家師範就任祝賀会

本多利永宗家が5月に宗家師範に就任され2000年12月23日に祝射会、祝賀懇親会が開かれました。

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