随想 きゃんぽんかん

「弓道」誌にアタック

 全日本弓道連盟の機関誌「弓道」の編集委員が2000年7月に新しいメンバーに交代して「読者欄」が復活したのをきっかけに、投書してみることにしてみました。編集委員の先生に「10連発で行きますよ」と宣言、果たしてどれだけ採用になるか。全弓連の体質をみるバロメーターにもなるかなと思っています。2001年3月号までで3本掲載、3本ボツで、打率5割。予想外の高打率に驚いています。

 IT革命に遅れない誌面づくりを
 (2000年9月号掲載)

 『弓道』誌七月号で「読者の声」復活のお知らせがあり、早速筆を執りました。『弓道』誌は、読んで楽しく夢がもて、射術修行に役に立ち、人間交流の場にできるよう紙面刷新してください。
 とくに、IT(情報技術)革命に積極的に対応して、人間交流の場にすることが大事です。今の誌面は、上意下達の一方通行になっていないでしょうか。弓道の情報、意見交換はインターネットを通して年齢差や段級差を超えて活発に行われています。自らの写真や動画を披露して意見を求めている例もあります。私もホームページを開設し、いろいろな方から教えを受けています。
 連盟としても早くホームページを開設して意見交換の場を設ける必要があります。また、電子ネット各所で行われている意見交換を誌面に生かしたらどうでしょうか。インターネットで講習や段級審査が行われる時代も必ずやってくると思います。
       (2000年7月30日記)





 カーボン弓はなぜダメなのですか
 (ボツ=質問コーナー第1号をねらって投稿しましたが、返事のないまま質問コーナーが消えてしまいました)

 カーボン、グラスファイバー、ジュラルミンなど人工合成素材で作られた弓具の進出は目覚ましいものがあります。竹、木などの自然素材の感触には及ばないところがありますが、力学的な安定度は優れ、的中率向上にも役立っています。美的にも節付き弓は天然ものと見分けがつきにくくなっています。そこで、人工合成素材の弓具に対する連盟の考え方をお聞きしたいと思います。
 まず第1に、大会や審査で、天然素材の弓具でないと出場を認めていないものはどの程度あるのでしょうか。その際、弓具の検査は行われているのでしょうか。また失格になった実例はありますか。
 第2に、天然素材の弓具に優位性を認めていると思われますが、射技との関連でどの様な優れた点を認めているのでしょうか。
 第3に、伝統性、精神性、審美性など射技と直接的に関係のない点で優位性もあると思われます。その点はその大会や審査でどれくらい考慮されているのでしょうか。
 第4に、弦も天然繊維と人工繊維では弦音にも大きく影響します。弦は考慮外のようですが、なぜこだわらないのでしょうか。
 第5に、天然素材の良い弓具は高価で手に入りにくくなっています。天然ものにこだわりすぎると、弓道の大衆化を阻害しかねません。その兼ね合いを連盟はどう考えているのでしょうか。方向としては、規制強化ですか、いずれ自由化の線なのですか。
 ご回答の全体を通して、弓具の材質による差別について合理的な根拠を説明していただければ幸いです。(2000年9月14日記)



矢内原忠雄
元東大総長の書

東大育徳堂で
2001年3月

 人臭い誌面作りに期待します
 (「弓道」2001年2月号掲載)

 「弓道」誌の編集委員交代による改革の影響か、誌面が生き生きとしてきました。大会の観戦記が入り、優勝者の横顔も紹介され、誌面に「人間」が出るようになり、大歓迎です。こうした人臭い誌面が、紙価を高めるのは必至です。誌面全体にもっともっと人臭さを出して下さい。
 人臭さで具体的に注文させていただきたいのは、死亡記事をもっと充実させていただけませんか。掲載基準も決めて、略歴付きの本記を出す。必要があれば、追悼文をつける。紋切り型の賛辞ではなく、その人の人間性が出るエピソードを柱にしたものを読みたいと思います。IT革命が進めば、「弓道」誌もデータベース化されるでしょう。どの時代にどんな弓引きが活動したのか、今からきちんと記録を積み重ねていく必要があります。
 人臭さという点では、巻頭言の「今月のことば」も、先生方の具体的な体験を入れたおもしろいものにしていただけないでしょうか。巻頭言ということでフォーマルになりすぎているよう思えます。月並みな精神論はいりません。弓も核心は不立文字の世界なのでしょうが、筆を執る以上は、刺激的で感動的なメッセージを期待したいと思います。(2000年11月13日記)


 活発な射技論争を起こしませんか
 (「弓道」投稿・待機中)

 「弓道」誌2月号の橋田榮次先生の「雨露利の離れは可能か?」を興味深く読ませていただきました。「『自然の離れ』は理論的にはあり得ない」といいきっているところは、無念無想の離れ信奉者にかなりのショックを与えたのでは、と推察します。「離れのきっかけをできるだけ小さくし、雨露利の離れに際限なく近づけるのが修練である」。論理的に詰めているところがおもしろかったと思います。橋田先生は離れについて「気合の発動から来る全身の緊張をきっかけとする」としていますが、離れのトリガー論は、弓の醍醐味の核心であり、弓引き各人各様のものがあります。離れではそこをポイントに、先生方に射技論争をしていただければ、私たちにとって大変勉強になると思います。
 先日、高木](タスク=非かんむりに木)先生(元全日本弓道連盟副会長)が著した「本多流」を読み返すため「弓道」の昭和28年12月号から半年分を覗いてみました。射技論争が活発なのに驚きました。座談会も当時の実力者が集まってわずか半年で「射技を語る」(3回連載)を始め計5回も掲載され、当時の弓界トップが積極的に投稿して弓射論を展開しているのです。最近は射技論そのものが少なく、射論が出ても、一方通行情報です。弓引きは人格者ゆえ論争ははしたないという文化が根付いているのかなと思ったりもします。「弓は秘伝口伝の世界なのよ」との反論も出てきそうですが、秘伝口伝はプロに任せて、アマチュアリズムの世界では論争なくして射技の向上なしです。流派弓術探求者も議論を通して現在地を知ることができるでしょう。
 範士の先生方には、ぜひ、「弓道」誌に連載で、射技論のポイントを展開していただけないでしょうか。連載の最後には、必ず質疑応答コーナーを設けて締めくくりにする。それをまとめれば「弓道教本」の21世紀版ができるのではないでしょうか。ご検討をお願いします。(2001年3月6日)

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