随想・きゃんぽんかん


筆者の大三

1998年3月
東大弓術部の
伊豆長岡合宿で

 烈しい弦音と「間」を追って

 「きゃんぽんかん」といっても若い人たちはピンとこないかもしれません。「きゃん」は弦音、「ぽん」は的中音、「かん」は弓倒しの鉾打ち音です。押手の効いた烈しい弓返り、そして一瞬の冴えた弦音、同時に起こる的の音、最短の間を取っての鉾打ち。ああ、これが本多流の離れだ、とそのイメージを追い求めた時期がありました。そして今でも。「きゃんぽんかん」は、鈍感で間延びのした弓のアンチテーゼとして、大切にしなければならないポイントのひとつです。随想欄の題名にしたのも、切れのいい弓道雑観を綴っていこうという気持ちを込めたものです。3,4カ月に1本の割合でトピックスを提供したいと思います。
 昔は「三拍子」といって、弦音、的中音、弓倒しを等間隔にとることをいっていました。高校時代に先輩に「弓倒しをすぐしないといけないんですね」ときいたら、「これは遠的の時に、そうなるものだ」と説明を受けて「なるほど」と、妙に感心した記憶があります。いまは「三拍子」はあまりいわないようです。最近の弓は、まず、鉾打ちはしなくなりましたし、残身もやたら時間的に長く、離れの気持ちと一体になった弓倒しにならない以上、「三拍子」はとても無理だからでしょう。これでは「きゃんぽんかん」といってもわからないのも無理からぬところです。
 全日本弓道連盟の機関誌「弓道」にもかつては解説があり、読んだ記憶があります。「弓道教本」を開いてみましたら、松井政吉先生が第3巻の「残身」のところで「弓倒しの場合、勢いよく風を切って鉾打をすることがあるが、これは三拍子と言って、弦音・的の音・鉾打と、間合いを計ってやる調子で、式的等の場合行われる形であるが、普通道場等で射を行う場合の弓倒しとは、おのずから建前が違うので、時と所を弁えて間違いの無いよう注意しなければならぬ」と記しています。
 やはり、ここでも三拍子は大的とか遠的の場合を指すようですが、私は近的でも適用してよいのではないかと思います。この場合は、時間的な等間隔を求めるのではなく、間延びのしない弓にするための間を探り当てることです。きゃんぽんかん、の狙いの一つでもあります。「会から離れは○秒、残身は△秒」と人に言われてやるのではなく、自分でどの辺がよい射につながるのか試してみることです。大離れ、小離れでは、どんなに残身を短く切り上げようとしても時間的な差が必ず出てしまいます。「残身は気持ちが落ち着くまで丁寧にじっくりと」というのも一つの考えですが、時には自分の離れに合う残身は何かを考えてもよいのではないかと思います。「きゃんぽんかん」はそんなチャレンジ精神の象徴として使っていきたいと思います。
             (2000年5月10日)

1998年3月、東大弓術部の伊豆長岡合宿で


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