生弓会初射会の開会式に臨んだ本多利永宗家(右)。中央は名誉顧問の鴨川乃武幸全日本弓道連盟会長、左は多賀嗣郎師範
(2002年1月26日、明治神宮至誠館第2道場で)


学生弓道と一般弓道
本多流4世宗家 本多 利永 氏
(生弓会「会報」123号の巻頭言から)

 我が生弓会の活動目標は数々有りますが、その中でも学生弓道の普及は非常に大きなものです。その一環として毎年、年末に大学対抗の懇親射会を開催していることは皆さん周知の通りです。普段、一般の社会人の弓に接していて、時折、学生の弓を拝見しますと、いろいろな意味で驚きがあるものです。2世利時は、戦前の生弓会報で「学生弓道に就いて」という論説を書いています。その中で、次のような興味深い比較表を挙げています。
  【比較点】     【学生弓道】 【一般弓道】
(イ)弓の冴え       勝る     劣る
(ロ)競射         強し     弱し
(ハ)射の深みと落着   劣る     勝る
 (イ)の原因は、学生弓道の方が自己の体力と弓具がよく釣り合っていることと、学生諸君の方が体力、気力において勝っていること。
 (ロ)の原因は、学生諸君の方が矢数が多くかかっていることと、試合の機会の多いこと。
 (ハ)の原因は、学生諸君の試合が多く的中競射である所からして、各自の射が「中る所」で満足してしまうことと、所詮学生気分が表れること。
となっています。今から65年も前に書かれた論説ですが、凡そ現代にも当てはまるような気が致します。(イ)の原因とされている体力と弓具の釣り合いについては、学生、一般共に当時と比べて弓の強さがかなり弱くなっており、果たしてどちらがどうなのかという疑問もあります。現代の弓引きの多くは、自分の体力以下の弱い弓をバランスをとって引いているという感があります。当時の社会人は、自分の体力以上の強い弓を求めるが故に、学生に比べて釣り合いが劣っていたということではないでしょうか。確かに、自分の体力が遠く及ばないような弓を引く事は、体を壊してしまい、良くないことは明白です。古い書物にも、むやみに強弓を引くことは慎みなさい、とあります。しかし、今のようにあまり弱い弓ばかりというのも寂しい気がしてなりません。
 学生は、所詮学生気分が表れるというのは非常におもしろい表現です。当時から、一般から見ると学生というのは理解し難い面があったのでしようか。大学懇親射会においても、毎年様々な学生を見かけます。見かけで判断してはいけませんが、袴を下にずり下ろして履いている者等はやはり、直してもらいたいと思います。また、応援の仕方も学校によって色々と特色があるようです。一般の射会ですと、静寂の中に、弦音と的中の音が響き渡るという感じですが、学生の射会では応援の声が活気を帯びているようです。若い学生達にとっては、応援の声によって自分の気力も沸き立ってくるというものでしょう。団体戦では尚のこと、選手同士の団結心も増してくるでしょう。しかし、射線に立っている者までが色々声を掛け合う、というのはいかがなものでしょうか。自分と的との空間に他の者が入り込む余地などないはずです。競射とはいえ、行き過ぎた応援、励ましは却ってマイナスだと思います。学生の皆さんにも、時には落ち着いた雰囲気の中で射礼の稽古をする時間も持ってもらいたいものです。
 一方の一般の弓でも、昔と今とでは違いがあるようです。昔は弦音、的中、そして弓の末弭が床をたたく音が3拍子になっていたとも言います。では残身(心)はどうなるんだ、という疑問がおきそうですが、それだけ気迫あふれる射が多かったということでしょう。最近では、道場を傷つけるという理由から末弭を床につけるのもためらう者もいるようです。勢いよくたたけとまでは言えませんが、本多では堂々と末弭を付けてくださって結構だと思います。
 また、静寂と言う点では、昔は射礼の終了した際の拍手はなかったようです。射が終わって退場後まで、観衆は息を呑んでいたのでしょう。逆に言えば、観衆をそうさせてしまう程の射の雰囲気があったのではないでしょうか。射礼は人に見せる為に行うものですから、確かに、拍手でそれに答えるというのも一つの礼儀でしょう。しかし、いま一度再考してみる必要はあると思えます。
 競射のあり方をどうとらえるか、弓の冴えや射の深み、落着をいかにして求めるか、皆さんもこれを機に考えてみて頂きたいものです。


焼津合宿研修会で正面打起しを中心に本多流射技論を講義する本多利永宗家
(2001年9月30日、静岡県焼津市の焼津弓道場で)

TOPページへ
本多流の核心