東大弓術部史に輝く紫陽斎射学

ありがとうございました森岡正陽先生



1996年1月写す



 エーイ、オーウ
 「おいこれが三十三間堂の通し矢でやる日置流竹林派の矢声だぞ」などなど、いろいろのことを教えていただきました。享年89歳。世間では大往生、天寿を全うした、ということなのでしょうが、私たちにとっては、あまりにも早すぎたお別れです。私たちはまだまだ教えてもらうことが一杯ありました。弓術そのものもあります。そして、森岡正陽(まさあき)先生のライフワーク、弓術書研究の世界にもっともっと案内していただきたかったのです。
 森岡さんの弓の指導は東大道場の一つの名物でした。こわいくらいの大声で「左手の手首で押し切れ」「中ったときぐらいきちんと間を取って弓を倒せ」。弓を知らない人は何を言っているのかよく分からないかも知れませんが、要は、気合の弓を引けということです。へんに気取った弓よりワイルドな弓をめざしていたような気がします。1昨年の12月の100射会では、足が悪いにもかかわらず、杖を突いて来場されました。自ら弓を取って矢をつがえて立ち上がった所、足元のバランスを崩して、ドーンと、横倒しに倒れてしまったことがありました。壮絶というべきか、その迫力は学生達をびっくりさせたものでした。昨年の春になると、なぜか優しくなって「最近は学生の弓もまともになったよ」。いつも怒られっぱなしの学生にとっては、大変うれしいことでした。
 大声で教える一方、女性陣には、弓の弦が胸に当たっても痛くないようにする、革の「胸当て」を作るのを教えたりしていました。手先の器用さとともに、心配りもたいしたものでした。私の結婚式には、「壽」と「龍」の文字をあしらったミニ凧をつくって、広島から送ってもらったことがあります。今でも飾りだなに大切に保存しています。
 こうした硬軟あわせた指導に、私たち東大弓術部も鍛えられたと思っています。今年はうれしいことに、男子団体で全国優勝を果たしました。コンスタントに7割5分から8割を維持し、きわどいながら全国183校の頂点に達しました。このしぶとさは、まさに「森岡じこみ」といってもいいのではないかと思います。今日は皆様に配られたご遺族の挨拶状のなかに、森岡さんが好きだった聖書の言葉を印刷したカードが同封されています。先程、神父様が触れましたが、もう一度読ませていただきたい。その一節とは「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。希望は私たちを欺かない」です。まさに私たちの全国制覇の核心ではなかったのかと思えるのです。
 優勝の報告も、意識がはっきりしたときにと、先送りし、手紙の報告になってしまいました。幸い、意識が戻られたときに、報告を1枚1枚握り締めて読んでいただけた、というお話を奥様の壽恵子夫人からお聞きしました。本当に良かったと思っています。不思議なもので、亡くなられた9月2日は、全国制覇の祝勝会の打ち合わせ会があり、終了後、OB、現役10数人が打ち上げをしました。そのとき森岡さんのことが盛んに話題に上がりました。「あの心意気を吹き込んでもらうため、東大道場で大往生してもらったらどうか」という声もあがっていました。何か心と心が結ばれていたような気がします。
 語り尽つくせません。弓では、小山梧楼、高木]先生に師事され、本多流奥義の允可を受けています。東大ばかりでなく多くの大学で森岡さんの薫陶を受けた学生は数知れません。とくに弓書の研究は他の追随を許しませんでした。「紫陽斎射学論集」など、多くの著書もあります。東大弓術部100年の歴史で、森岡さんの弓書研究の成果は燦然と輝いています。その遺産を私たちは守り育てて行かなければなりません。見守ってください。最後に、森岡先生から教えていただいた矢声で、感謝とバトンタッチの表現をしたいと思います。
 エーイ、オーウ
 1997年9月4日
          東京大学弓術部、赤門弓友会を代表して、小林 暉昌 
    
(東京・神田のニコライ堂で行われた埋葬式での弔辞 =「繹志」41号)
 注 「高木]」の]は非かんむりに木


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