前年の雪辱を果たしてリーグ1部に復帰。東京大学弓術部女子部のお祝いに集まった皆さん

(2001年12月23日、東京・池之端の東京弥生会館で)


壁打ち破るには矢数の「狂気」を
2002年は全日本で勝負
(東大弓術部機関誌『繹志』45号投稿)

 東京大学弓術部の21世紀初年・2001年は、未来に希望を抱けるいい年でした。女子部は都学連リーグ戦で1部に復帰し、男子は締めくくりの対京都大学定期戦で圧勝、いずれも2002年への飛躍台になったと思います。今年は男女とも全日本学生弓道選手権大会で優勝を狙って頑張って下さい。今年の大会は50回の記念大会。しかも、山田孔明君が全日本学生弓道連盟委員長として大会を取り仕切ります。条件や良し。1997年の男子優勝の時の喜びをもう一度味わおうではありませんか。裾野の広さによる豊富な人材、そして瞬発力で勝負です。

 ◆◆粘り勝ちの女子一部リーグ復帰
 尺5のケーキをほお張りながら、女子部の皆さんのはつらつとした顔、顔、顔。01年12月23日の女子部リーグ一部復帰祝勝会は百人を超すOB、OG、学生で賑わい、楽しい集いとなりました。前年、2部降格という苦杯を味わって、すぐさま雪辱したのは見事でした。
 初戦の対明治学院戦では48射38中の快記録で圧勝。今後も快調に勝ち続けられるなと思っていましたら、その後は難行苦行。早稲田には負け、勝った試合も1本差など際どいものでした。試合終了後に記念写真を撮ろうとして「勝ったのだから笑って」といっても、試合の緊張感から抜けきれず、みな顔がひきつっていたときもありました。
 10月28日の優勝決定戦は再び明治学院と。試合は31対30のハラハラ勝ち。初立ち4本差のカウンターパンチが効いたともいえますが、最終立ちで相手のミスに救われました。というのは、明学の大前の留め矢が的枠にカチンで、観的は残念の表示。これで東大の勝ちが決まり、そのショックでか落ち前も留め矢を外しました。ところが矢取りの確認で、大前は中たりだったのです。もし観的が最初から中たりを出していたら、大前皆中の勢いで総詰めをして同中競射になったかも知れない、ぞっとする試合展開でした。改めて観的・記録の重要性を思い知らされた試合でした。通常、試合では1年生が観的・矢取り・記録をやっていますが、いかに重要かを徹底してほしいと思います。
 入れ替え戦は、中央大と競り合い、最終立ちで当たりを爆発させて余裕を持っての勝利でした。中央大は2年連続の入れ替え戦敗北で、相当なショックを受けていたようです。女子部は山口京子責任者、北川篤子副務がまとめ役となり、若手の飯渕るり子、竹内麻子、井出陽子さんらが活力源となり、松村百合、須澤桂子さんらベテランがかみ合って、逆境をうまくしのいだといってよいでしょう。今年の飛躍を期待したいと思います。

 ◆◆男子京大戦で会心の勝利
 「みんな、ここまでやめずに頑張ってきてよかったな」。京大戦男子反省会で安部健太郎主将の涙ながらの総括。試合で引けなかった4年生たちも胸迫りながら4年間の部活動を振り返ったようでした。試合は153対122の圧勝。リーグ戦の低調ムードのうさを一気に吹き飛ばした締めくくりでした。
 男子は安部主将、石井浩一副将、牧野祐輔主務ら役員らのリードもよく、国公立大会では優勝、全関東大会でもトーナメントで緒戦を突破するなど、先行きに大きな期待を持たせるものでした。リーグ戦では、対桜美林大で160射134中を記録、力のあるところを見せたものの、勝負には弱かったといわざるを得ません。全日本大会では不運もありました。男子の冒頭、的が落ちるというハプニング。他の3会場が初矢を射終わるまで待ちぼうけになってしまいました。大前の山下雅文君はじりじりして、足下に汗がわいてきたといいます。精神的影響が大きかったせいか、初矢は5射1中とさっぱり、2本目4中、3本目皆中で、「よっしゃ」と思ったとたん、留め矢は今度は東大1チームだけ取り残されて場内の関心が集中し重苦しい雰囲気に。なんと2中しか出ず、結局20射12中。ふだんの練習では考えられない予選落ちの結果に終わりました。

 ◆◆皆中賞は3件で、低迷中
 2001年度の皆中賞は▽笹本雅人君=都立大戦(3/25)20射皆中▽山下雅文君=都立大戦(9/9)20射皆中▽飯渕るり子さん=京都大戦(11/17)12射皆中相当と認定、の3件でした。飯渕さんは京大戦で20射18中。1、19本目を抜いて17連中。2、3、4立ちの4射連続皆中をもって12射皆中相当と認定しました。飯渕さんはリーグ戦でも対明治学院戦で11中を出すなど、1部リーグ昇格の牽引車の役割を果たしました。これまでの皆中賞は、1998年度が5人8件、99年度が2人5件、2000年度が2人2件です。最近は低迷していますが、赤門弓友会会計が苦しくなるほど、取りまくって下さい。

 ◆◆「射の方向付けを」と学生側の要望
 01年12月3日、コーチ総会が開かれ、学生側新役員、滝川修一朗主将、大橋淳一郎副将、荒井夏来主務、竹内麻子女子責任者との意見交換が行われました。コーチ側の総括は「女子一部復帰は見事。しかし、全般的に見ると、春には人材豊富と感じ結果を期待したが、肝心の時に力が発揮できず残念。矢数不足が原因か」「夏合宿の成果か上押しも減りうまくなった。主将の癖がすぐ広がるので執行部は技を磨いてほしい。そして主将を支えてほしい」「秋になって射型もよくなっている。がんばれる下地ができている」などの分析でした。
 学生側は「一緒に弓を引いていただいて、気のついたことを指摘し方向付けをしてほしい」「手の内のノウハウをぜひ教えて」「OBは学生と違う視点を持っているので貴重。どうしてそうなってしまうのか、どうやったら直るのか指導を」などの要望がありました。コーチ側は「遠慮なく問いかけてほしい。議論して意志疎通するのが大事」と指摘しました。

 ◆◆「射法マニュアル」の手直しを
 弓術部の若手指導に使われている「東大弓術部射法マニュアル」もコーチ総会で議論になりました。できたいきさつは、まだよくわかりません。当事者、または知っている人がいましたらご連絡下さい。年々、指導基準のようなものは口頭やメモで引き継がれてきたようですが「マニュアル」書として浮上したのが昭和末期から平成にかけてのようです。作成にかかわったことのある杉田敏さん(ロ年卒)の話ですと、P在学中すでに原本があってその年年の好みで修正して使っていたQ一年生指導のため春合宿で二年生に配布したR東大弓術部の射法というより、射を教える時のミニマムを記した弓道ミニマムの性格が強かった、とのことです。学生側の話だと、現在は夏合宿に配られ、作成は駒場が担当しています。「マニュアル」の使い方は部員によって大きな差があるようです。
 コーチから様々な意見が出ました。「日置流斜面打ち起しの影響が出ている。覚えてはいけないものが入っている。早急に手入れを」「初心者用に使っていいのではないか。これを卒業した段階で他流との関係も含めた解説書を。三つ懸と四つ懸で相当射法が違うのではないか」「練習の指針は興味深いことが書かれおり、うまくまとめられている」「『束立ち』を『即立ち』として『すぐ立つこと』と説明しており、単純な間違いはすぐ直したら」「角見の使い方は初心者向けにはいいにしても、一定の段階で、中押しにして綿所(親指の付け根)で押し切る射法にすべきことをコメントしたら」「表紙に他流派の射士の射型写真を使うのは論外。歴代師範の写真にすべき」など。
 今後の対応については、「この際、訂正すべきところをはっきりさせるたほうがよい」の声もありましたが、学生が引き継いできたものであり、基本的には学生主導で対応することにしました。コーチらとも意志疎通しながら、手直し改善していくことになると思います。

お祝いの尺5のケーキを平らげ、喜びの東大弓術部女子部員とOGの皆さん
(2001年12月23日、東京・池之端の東京弥生会館で開かれたリーグ1部復帰祝勝会で)



 ◆◆「他人の批評を求めるより自分の押手に聞け」
 小林静一師範を01年11月24日に流山市のケアハウス・サンライズ流山に尋ねました。京大戦の男子大勝と女子部の一部復帰を大変喜んでいました。「試合は勝たないとね。一本差でも勝ちは勝ち。それにしても京大戦はこれだけ勝ったら気持ちがよいね」とおっしゃっていました。
 学生へのメッセージは「いつもと同じことだよ。試合に出たら必ず勝つ。後は矢数をかける。他人よりも一本でも多く。他人の批評を求めるより、自分の押手に聞くことだ。タコができなければ、中るようにはならない。ふんわりとタコもできないのは、矢数がかかってないから。タコができないように引いている人でも、人に隠れてかみそりで削ったりしている」とのことでした。親戚以外の訪問者は少ないようで、弓の話は刺激的だったのか、1時間余り熱っぽく話されていました。
 ご高齢になられた小林師範を補佐するため1997年5月に発足したコーチ制度も5年になります。コーチの顔ぶれは、横山明彦さんが部長になってひとり減り、次の14人のみなさんです。敬称略。○は幹事、◎は幹事代表。
 山中恒夫(46年卒業)、井出敦夫(63年○)、那須弘平(64年○)、小林暉昌(65年◎)、茎田実(66年○)、坂井忠通(68年○)、鈴木千輝(78年)、多々良茂(84年)、吉岡泰(84年)、川村大(88年○)、杉田敏(92年)、飯野雄一郎(94年)、恒川敦宏(94年)、米谷隆(96年)

 ◆◆神経集中させるヤイコの裸足
 「あの学生は足袋を買うお金がないんですか」。京大戦の男子戦開会式で、川島正晃京大師範の代理でお見えになった越智昭夫さんが素足の東大生を見て皮肉っぽく言われました。「いや、東大、本多流の伝統は素足で弓を引くことなんです」と説明したら、驚いたようでした。2年前の京大戦でも川島先生が講評の中で「素足は禁じられているのではないか」と触れられたことがあり、きちんと東大の立場を説明しておく必要があるなと思い、講評の最後に素足を禁じるべきでないという見解を強調しました。学生弓道連盟の規約では、服装への細かい規制はないはずですし、全日本弓道連盟でも白足袋、白弓道衣、黒袴の服装指定は全弓連の代表的な試合に限定してきて自由化の兆しもあるのです。東大・京大の定期戦が規則がらみになるのは余り望ましいものではありません。
 私は全弓連機関誌『弓道』に、「弓道の稽古をズボン・シャツ姿でやることを認めよ、素足で引けるようにしよう」の投稿をしましたが、見事にボツでした。「弓道は武道だ」という人よ、素足に反対するのはなぜ、という問いかけもありました。儀式化が先行してしまう弓道のあり方を考え直す必要があります。おもしろいのは、若い人が無批判に儀式化路線に乗ってしまうことです。シンガーソングライターのヤイコこと矢井田瞳は裸足で歌を歌って踊っているのを知っている人は多いと思います。神経を集中させるためと本人は素足の効能を強調しています。弓の場合は、大地に生えたような胴づくり、体重をかけた離れを導くには素足か、足袋か、ちょっと実験するだけで結論は見えてくるでしょう。
 男子リーグ戦で日置流印西派の代表校。早稲田が8人中3人が正面で引いているのを見て、オープン路線もここまできたかと思わせられましたが、もう一つ驚いたのは、全員が素足で引いていたことです。試合終了後、「全員、素足とはすごいですね」と感想を言ったら、吉田滋監督は「がっちりした射が引けます。今後は正式な試合は素足で行きます」と誇らしげに素足宣言をしていました。一時はリーグ三部まで落ちていた早稲田の臥薪嘗胆を見る思いでした。

 ◆◆大量の矢数をこなせる本多流射法
 学生新執行部は、矢数をかけることを活動の基本方針の一つに掲げました。どんな矢数のかけ方になるか注目したいと思います。ただ、本郷の寒稽古にたまたま参加したら、老骨の私が図らずも矢数トップを取ってしまうようでは、ちょっと心配です。様々な局面で矢数がはものをいいます。これまでも寒稽古で10日間で1万本を超す記録をつくった人が数人いますが、そうした「狂気」が、部や個人の前に立ちはだかる大きな壁を打ち破ってきたのは確かです。
 弓というと礼儀正しく丁寧に引くというのが、既定路線になってしまって、速射は視野に入ってない人が結構多いようです。社会人になるとこれが徹底していて、早い引き取り、素早い離れをやると「乱暴だ」「早気だ」としかられてしまうのが相場です。しかし、弓の稽古はていねいさ一本槍だけでは上達しません。時には早く引いて矢数をかけることによって、引き方の勘所を身につける必要があります。それが気楽にできるのは学生時代の特権でもあるのです。1時間で100本引く稽古なんて、社会人になってはとてもできません。
 鈴木千輝さんの解説では、本多流は矢数を掛けるのに向いているそうです。中指で弓を握ってひねりを加え、親指根本の綿所で押し切るのは、中指と親指が見事に役割分担し、押手の伸びも出やすい。ところが、上押しの角見押しは、角見に弓を回す力と弓を押す力が一点に集中して、すぐに疲れてしまう、との分析です。本多流は堂射を得意とする日置流竹林派の流れを汲んでおり、矢数をかけるのに適した射術になっているのでしょう。こんな歴史も考えながら、矢数にアタックしたらいかがですか。5万本も掛ければ弓も格好がついてくるのではないでしょうか。

 ◆◆学外でのOB活動広がる
 東大OBの学外での活躍も広がっています。
 『繹志』44号に、生弓会赤門支部の発足をお伝えしましたが、所属OBも22人と、一大グループになり、射会や勉強会の参加も活発になっています。01年8月25日、東京・代々木で開かれた生弓会中央研修会の研究発表会では、多々良茂さんが「本多利實翁の目指した弓術ーー遺文から見て」、鈴木千輝さんが「弓射への力学的アプローチーー差分法を活用した弓射の動的計算法」、山中恒夫さんが「飛中貫の研究ーースピードガンと筋電図」「本多流インターネット」、坂井忠通さんが「弓射における離れの科学的研究ーー『瞬間の真実』の追求」をそれぞれ発表しました。この発表会は赤門支部長もしている山中さんが中心になってお膳立てしたもので、この催しはまさに東大コーチ陣が盛り上げている形です。
 また隔月に東京・巣鴨の本多利永宗家宅で開かれている本多流勉強会も、赤門支部の参加者が目立ち時には出席者の半数が東大OBという時も出ています。01年11月から「自他射学師弟問答」の読会が始まり、関心が集まっています。
 伊豆・松崎町にある多々良さんの道場「幽顕洞」での合宿も、01年10月は本多利永宗家をはじめ14人が参加し、本多流射技について突っ込んだ議論や的前が行われました。洗心洞稽古会と東大OBの合同合宿の形で、初参加の人からも「こんなに射技研究にじっくり取り組めるとは思わなかった」と好評。丸ものを落としたり、管矢の試し撃ちをしたり、ふだんできない弓の楽しみ方にも挑戦しました。
 生弓会赤門支部は山中恒夫、宇野精一、村上義令、碧海純一、井出敦夫、藤元薫、小林暉昌、茎田実、坂井忠通、川崎伸太郎、川原光徳、鈴木千輝、横山明彦、多々良茂、川村大、丸田晋一、恒川敦宏、飯野雄一郎、鈴木昇司、島田周、中井誠一郎、林健一の皆さんが加わっています。
           (2002年2月1日記)

金的を落とすと湯島天神の絵馬付き破魔矢が贈られる射初め
(2002年1月2日、東京・本郷の東京大学育徳堂で)

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