座 談 会

    
   本多流と弓術書



出席者(敬称略)
森岡 正陽 東大1932年卒業
横山 粂吉 財団法人生弓会顧問
多々良 茂 東大1984年卒業
司会・小林 暉昌 東大1965年卒業

1992年9月、赤門弓友会・東京大学弓術部の百射会のとき、弓術書の座談会をして先人の知恵を弓に生かすことを考えたらという意見が出たのが、この座談会のきっかけです。東大弓術部といえば、1908年(明治41年)に「日置流竹林派弓術書」を発刊した歴史を持つ部です。古伝書など知らなくても弓は引けます。しかし、この伝統を誇る部に所属した以上、全日本弓道連盟の「八節」でなく「五味・七道」とは何か、と考える時間を持ってもよいのではないかと思います。座談会を読んで、弓術書に関心を持つ人が出てきてくれれば幸いです。
座談会は、弓書の研究家森岡正陽さんから話をきくことを中心に、企画をしてみました。森岡さんのほか、生弓会顧問で故高木](たすく)師範の洗心洞で弓を教えている横山粂吉さん、若手ながら弓術書に興味を持ち「繹志」にも投稿している多々良茂さんに参加していただきました。座談会は92年10月31日に東京・有楽町の朝日新聞記念会館の談話室で約四時間、行われました。それをもとに構成したものです。

 《弓書は弓を引くのに役立つか》
小林 出席の皆様方は本格的な論戦に備えて資料も携帯されたようですが、今日の座談会の狙いは、できるだけ分かり易く、初心者も弓書に関心が持てるようにできたら、ということです。専門的な論争よりも、弓書入門編を想定しています。そのことを前提に意見交換していただきたいと思います。まず、弓書の知識が弓を引くのに役立つかどうか。森岡さんは、寺嶋廣文さんの「本多流始祖射技解説」のなかにある射学文献の研究で、その点に言及していますが、いかがですか。
森岡 文献の解説を書いた際、イントロに使いました。肯定説、否定説いろいろあるうちのひとつ。弓道辞典を書いた道鎮実さんは、月刊雑誌「日本武道」に弓書を読むことは勉強になると書いている。偉い先生で本を読まなかった人はいない、として、本多利実・生弓斎先生はよく読んでおり、生弓斎文庫を残している。大和流始祖の森川香山も、読んではいないと言いながら全国を歩いて弓書を漁っていたことを例に上げている。二つ目は、京都大学弓道部師範だった三原平一郎さんの否定説。小笠原道場に行って何も教えてくれないので、本を読んで質問したところ「あなたは本を読んで来ましたね。今の質問はあなたの射とは関係ない。本を読むな」といわれたという。三つ目は私自身の話。高校2年の春に、小山梧楼先生の道場に大正6年刊行の「尾州竹林派弓術書」を持って行ったところ「本を読んで弓が引けるくらいなら俺の道場へ稽古しに来るには及ばない」と叱られた。この本は、読みたくて買ったというよりも、利実翁のコロタイプの写真がほしくて、当時では高かった5円をはたいたことを思い出します。
賛否両論を抽象的にやっていても意味はない。要はどんな本をどのように読むかです。名著は現にある訳だし、それを活用すれば役にも立つ。
小林 横山さんは弓書をたくさん収集しているようですが、弓を教える場合、資料として弓書を使ったりしますか。
横山 とくに使ってはいません。というのは、弓は確かに行解一理だといいますが、私は行が主体と思う。解はそれなりに行ができたものがやる。行解一理は、弓の中にないと思っています。だから、わたしは、むしろ本は読ませるべきではないと思う。10年か20年たって、ある程度に達した人が読んで、はじめて役に立つのではないか。とくに、竹林派弓術書は学生が読んで何か分かるだろうか。50年も弓をやっている私ですらわからない。東大が弓術書を出したが、その目的は何か、誰を相手にしているのか分かりません。
小林 10年以上のベテランでないと利用価値なし、との厳しい見方ですが、弓は長い間つきあえるスポーツです。その意味では、将来熟達者が出てくるにつれて、弓書も必要になってくるのではないでしょうか。
横山 そうなれば絶対に必要ですよ。本を読むことによって、自分の経験しないこことが、古人の体験という形で示されてくる。現代のものとは違うかも知れないが、その中から新しいものを見付けるべきです。
小林 多々良さんは若手を代表して、どう考えますか。
多々良 初めての人が弓術書を読んでも分からないでしょうね。しかし、本当のことが分からなくても、方向性を感じ取れるのではないか。東大の場合、2年間の駒場のあと弓がなじんでくると、本を見ることにより弓術書の雰囲気が伝わってくるのではないかと思います。高木師範の道場・洗心洞では正月に、弓術書の本書1巻の序の部分を朗読する習慣がある。他流の人のいうことを信ずるな、愚直に稽古せよ、ということをいっていますね。弓書にはそういう基本姿勢がまず第一にあると思います。私は技術が身につかないうちから読んでいましたが、10数年たって、最近ようやく弓術書がわかってきたような気がします。



宇野哲人
元東大弓術部長の書

2001年3月
東大育徳堂


《どんな本を読むべきか》
小林 本多流を習うことを前提に、初心者向けにどのような弓書が参考になりますか。
横山 推薦したいのは、屋代]三(じょうぞう)さんの「竹林射法大意」(大正11年・生弓会)と村尾圭介さんの「弓道」(昭和4年・目黒書店)の2冊ですね。「竹林射法大意」は本多流を習う良いテキストになります。「弓道」は、癖直しに重点がおかれている。とくに縦軸を尊重している点が良い。ふつうの本ですと、だいたい横軸に関心を置いたものが多いですね。
多々良 私も村尾先生の「弓道」を推したい。初心者向けにいいですよ。竹林派の「目安」が基本になっており、指導法というか、癖を直すのに、現代の人にも参考になります。
森岡 「竹林射法大意」の初版は大正11年、生弓会から700部、非売品として出版され、その後、小型本90頁に組み替えて版を重ねていることをみても評判のほどはわかります。武徳会の資格審査受験準備の需要にこたえたということでしょう。形態がコンパクトでとっつきやすいのが特徴です。ただ、「五射六科」など竹林派の教説でないものも入っている。「五射六科」は大和流です。
屋代さんは流祖に師事して印可を受け、東大、学習院の師範をし、射技の蘊奥を極めた人です。その射技がどのような形で後進に影響を与えたかは屋代さんの射術とは区別して検討しなければならないと考えます。屋代さんが教えたり伝えたりした射技であるとは考えませんが、大正末期から昭和初期にかけて、生弓会射法を風靡した帆掛け舟と世間から蔑称された射形がありました。そのような射形の侵入を阻止しうる健全な判断力を生弓会に伝えなかったのは残念ですね。
小林 帆掛け舟というのは。
森岡 広重の風景画によく出てくる帆掛け舟を連想してもらえばいいのです。あの帆の形に似た、打起しから引取・会の段階で、上体を弓と弦との間に押し込む射形を帆掛け舟とよんだのです。竹内尉さんの「弓道」(昭和3年・健文社)の中に学習院の生徒の巻藁稽古風景の写真がありますが、この大前の会の貌が帆掛け舟をよく表現しています。
多々良 鳩胸・出尻・帆掛け舟、と本多流を悪く言う人が良く使った言葉です。初心者に教える方便が、世間では目について批判の材料になったと思います。レベルの高い人はその辺は十分心得ていたのではないかと思います。皆が帆掛け舟をやらせていたわけではないでしょう。
森岡 そうとばかりはいえないですよ。生弓会にはかなり浸透していた。
小林 話を戻しますが、他に推薦の書はありませんか。
多々良 碧海康温さんの歴史公論3月号(昭和12年)に書いた「本多流弓道」もあげておきたいですね。
森岡 内山](つとむ)さんの「弓術新書」(明治39年・博文館)。
筆者は日置流道雪派の人ですが、本多利実翁と拮抗するような立派な射をしたといわれています。各流派の文献から必要科目を網羅、列記しているので便利です。
小林 根矢鹿児さんのまとめた「本多利実先生講述・弓道講義」(大正12年・大日本弓道会)の評価はどうですか。流祖の射術をうかがう貴重な資料と思いますが。エピソードも入っていて、おもしろく読める。「無念無想では放れますまい」など、精神派にはショックな表現もけっこうある。ただ、切払別券などの説明など、「本書」の説明と食い違った所もありますね。
横山 本多流を習おうとする人は1回は読んでほしい。難しいところはなく、現代の人でもわかります。
森岡 技術的には一番まとまっているのが「弓道講義」だと思う。羅列した感じがあるが、終始一貫している。ただし、流祖は「本書」を無視している。引用は「中学集」「射知要法」「射法輯要」だけです。あげてある項目は、大目録、小目録に掲げてある射技はもれなく網羅している。道具のことにも言及している。
多々良 芝射、堂射なども説明していて価値があると思う。
小林 竹林派の古い伝書類は、東京帝国大学弓術部の「日置流竹林派弓術書」(明治41年)に収録されていますが、この中でも、本多流の核心となる文書はどれでしょうか。
森岡 初心者用としては「射知要法」「射法新書」をあげるべきでしょう。流派の射技を説明する文献としては「自他射学師弟問答」「射法輯要」があります。注意しておきたいのは、射技に関する文献はいずれも、「本書」を基盤として書かれているので、「本書」の知識なしに、これをひもといても理解し難いということです。少なくとも、流派の射技については、師事する指導者の教導に頼る必要がある。「本書」は元来伝書であって、公開すべき文書ではないのですから、射技修練を経ない者が手に入れ、文字を介して趣意を探ろうとするのは、木に縁って魚を求めるのに等しい、というべきでしょう。
流祖は弓界の刷新に取り組んだわけですが、平瀬光雄の「射法新書」が相当影響を与えています。この本の注目すべきところは、伝書の教目を収録していますが、伝書の内容紹介は禁じられていたので、自分でこなして書いていることです。書きっぷり、目のつけどころで、注目すべき文献です。射法を説明するのに図解を用いたのは新機軸。新書と題する所以です。「日置流竹林派弓術書」は「射学小目録伝書」の注釈として「射法新書」の全文を引用している。
多々良 写真のない時代に、図解したのは画期的です。「射法輯要」や「自他射学師弟問答」は、森岡さんが校訂を済まされており、非常に貴重な業績です。「自他射学師弟問答」は、吉田流と比較して、竹林派の射法がどういうものか細かく説明している。竹林派を知るのに良い典拠と思う。
小林 幻の書といわれる「末書」というのは存在するのですか。
森岡 「射法新書」の自序に、本書5巻、末書5巻、共に10巻、道統の射者へ相伝するの証拠と書いてある。「本書」の註にも「末書に曰く」というのがたくさん出てくる。古本屋にも前から頼んでいますが、なかなか見つかりませんね。

《五味七道とはなにか》
小林 森岡さんは五味七道で独自の研究をしていますが。
森岡 先程説明した「射法新書」は、五味の新見解を打ち出したところにも存在意義があります。本文冒頭に「弓を射るには五味・七道・五重十文字と惣躰に規矩あり」と記している。射法の基準・法則・形式が五味・七道であると説明しているのが、後日、観徳武用の射から五味は精神論、という形になって広まっている。流祖が「射学小目録伝書」の注釈で「五味の品々あれども、此には足踏の味はひ、釣合の味はひ、見込の味合、離の味という也」と味はひと曖昧な表現をしたのが、誤解を呼んだのではないかと思われます。
七道は外形、五味は精神であるとの解釈に発展し、その精神を体得するのが射法であるから、射法は技や技術ではなく道でなくてはならないと論理が飛躍していく。全日本弓道連盟の「弓道教本」にもそれが受け継がれている。中国の「礼記」に結び付けて、礼儀作法に発展させているのは手前勝手。だいたい「礼記」の弓は日本でいう行儀とは違って祭祀に奉仕する方法なんですよ。生弓会の人達も、七道は外形、五味は精神、と解釈している。大内義一さんの「学校弓道」「弓道の目的」や戸倉章さんの「弓矢に生きる」ももそうだ。分かり易いからといって、勝手な解釈をするのは誤りです。
小林 流祖は「弓道講義」で「七道の方は姿勢の規矩を現に人の目により見て名づけた、五味の方は精神上の働きにつきて定めたる規定」といっており、平瀬の五味と違って、自ら体系づけたとはいえないのでしょうか。
森岡 平瀬が五味を持ち出したきっかけは、射学正宗の五法の記述です。射学正宗は文書を以て射法の要諦をくまなく解説するため射技を分析して五法とした。これに対して、証書に記載する竹林射法の七道はいわゆる新法の骨子であり、行射過程を分析し順序に従って配列したものではない。「本書」には影も形も見えない五味なる概念を担ぎ出して平瀬が竹林射法を解説するのは、七道を連結して、一矢を放つ過程を文章で示さんがためです。流祖の五味観は徹底を欠く憾を免れない。
小林 五味を知らなくても別に射法に影響するとは思えないために、五味七道の議論が盛り上がらないのではないですか。
森岡 七道でことは済むとしている人もいます。小林治道さんの「竹林射法七道」(昭和6年・同志社大弓道部)は七道で射法を言い尽くせるという信念で貫いている。しかし、七道で射法全般をおおい尽くそうとしても、説明不足の部分が残る。五味というのは七道を結びあわせて、行射の実際を現出する接着剤だと思う。足踏、胴造、打起、とそれぞれ別個にある訳ではなく、つながっている。足踏なくては胴造はないし、胴造なくて弓構はない。これが全体の射に展開していく。平瀬の「五味・七道・五重十文字とて惣躰に規矩あり」というこの「惣体」に意味がこめられている。
小林 五味が余り議論にならなかったのはどういうことですか。
森岡 なくて済んだということは、「弦とり」という稽古法があったからではないですか。文献や図解で射法を説明するところを、「弦とり」の教え方で、五味の実質を吸収させていたのではないかと思います。



星野勘左衛門茂則の墓

名古屋市平和公園の高岳院で
84年11月


《本多流は尾州系か紀州系か》
小林 本多流は尾州竹林派といわれていますが、森岡さんは疑問をぶつけていますが、どの辺が問題なのですか。
森岡 私は本多流を尾州竹林派というのは間違いと主張しています。反対論が聞きたいのですが、いまだに現れないのです。生弓会の考えは、星野勘左衛門からの流れだから尾州というわけですね。しかし、射学に関する限り、本多流は、内藤正伝の師渡辺甚左衛門によって始められた江戸竹林派というべきであり、尾州竹林派とは相当違っています。
古伝書の関係からいえば、「本書」について生弓会に伝わる文書は、尾州竹林派と称しながら、実際は紀州竹林派系統のものを採用している。配列の順序が違っていて、尾州系統は、第二巻が歌知射になっていて、中央(王)と続き、父母の巻を奥義の巻として尊重しています。
「自他射学師弟問答」も生弓会に伝わる文書は明らかに紀州派射手の継承するものを転写している。流祖利実翁の厳父利重が安永九年西川又太郎より借りて写した文書は、瓦林与次右衛門ー佐武(竹)源太郎ー吉見台右衛門ー和佐大八郎ー西川与助ー西川三良左衛門の順序で伝授したことを奥書に記してある。内藤正伝の「射法輯要」の矢声についての記述は、尾州竹林派との比較の上で解説しており、内藤を尾州系とするとおかしくなります。
流祖は会は一字両義なりとして、会と懸をいっしょにしているが、尾州派の伝書は会は繋であって、持満とはひとことも言っていない。こんなに違いがあるのに、尾州とは言えないでしょう。
小林 流祖は生前、「尾州竹林派」ということを口にしていなかった。まず、東京大学弓術部に家元の権限を預ける遺言書には「日置流竹林派弓術家元」という表現をしている。東大弓術部が最初に出した弓術書の名も「日置流竹林派弓術書」です。また、「弓道講義」にも「日置流竹林派」という言葉しか出て来ていませんね。「尾州竹林派弓術書」は大正6年に発刊されました。校訂者の碧海康温さんが後書きをしていますが、「尾州竹林派」の書名にした理由を説明していません。その辺のいきさつがわかったら、議論のよい材料になると思います。
森岡 自民党の今の派閥抗争ではないが、尾州、紀州といってもそう奇麗事ではなかったんですよ。星野勘左衛門は元紀州藩の足軽だった。脱藩して尾州藩に行ったのだが、尾州から「許しがあれば召し抱える」という打診があり、紀州の方は「星野程度の射手ははいて捨てるほどいる」と返事したと言われている。剣豪小説にも出て来るところで、いろいろおもしろい話がある。
多々良 森岡さんの指摘ももっともな気がします。あり得ておかしくないのでは。流祖が集大成したということで、本多流というのが、一番良いと思う。
森岡 そのとおり。

《切払別券の離れは使い分けができるのか》
小林 弓書と実技の関係について話を進めたいと思います。最近は女性の弓愛好者も増えていますが、横山さん、いかがですか。
横山 女性には胴造を説明する必要がないのですよ。男とは骨盤が違っていて、わざわざ腰を入れろと言う必要がない。女性には女性の射法があるべきです。今の女性は、男の弓を引いている。体は生理学的にも違うし、技術的にも別のものがあっていいわけで、20才前後の育ち盛りは、ぜひ気をつける必要がある。
多々良 鳩胸・出尻・帆掛け舟も、女性にはないわけですね。足踏みも右親指を半分前に出すことも必要ないのではないですか。
横山 私は平らで良いと思います。離も打起によって変わってきますが、やはり女性として柔らかい離があってよい。弓の解説書も、みんな男用に書かれている。浦上博子さんが「初心者のための弓道」を出しましたが、思い切って女性のための引き方を書けば良かったのではないかと思います。
小林 離の話になりましたが、弓術書は切払別券、総部、紫部、鸚鵡などいろいろなことばで離を説明しています。横山さんは、稽古をつけられていて、この人の離は「切」、あの人は「券」といった具合にわかるのですか。
横山 わかりますよ。全体を見ているとわかりますが、とくに、引き取りを見ていて見当がつきます。
小林 寺島廣文さんは「本多流始祖射技解説」で切払別券の離について「先人達が色々研究工夫した結果の分類であるとは思うが個人的な型の匂がする」といっています。「射法輯要」にも、切る離を覚えた人は切る離しかできないという趣旨の指摘があります。しかし、押し手、勝手の手の内の組み合わせで、いろいろな離ができると思いますが、いかがですか。
横山 私は教わったものしか出来ないと思いますよ。その人なりのもので、雨露利の離も出来る人と出来ない人がいる。
多々良 本来は各種の離を使い分けすることもできるのでしょう。しかし、人によって弦道が違っているし、大三から入って来た会の状況で離はおのずから出てしまう。あとは、気合によって若干、変わって来る。射手が持つ特有の角度、強さ柔らかさがあって、総合的にその人の射と言うのが生まれて来るのではないかと思う。技術的にわざとらしくやれば、色々とできますが、その人本来の射は定まっていると思います。
小林 押し手、勝手の手の内の組み合わせで、色々な離ができるのも事実です。私は寺島廣文、戸倉章両師範の指導を受けましたが、両者の離で指向するものは全く違っていた。まず、手の内が違うわけですよ。大学の初めは戸倉方式、後半は寺島方式を追及しましたが、それなりの離の形があるわけですね。最終的には、自分の好み、体に合ったものが決まって来るでしょうが、射分けることは出来るのではないかと思います。たとえば、「鵜の首」の押し手と「一文字」の取り掛けで「切」の離れとか、「鸞中」の押し手と「大筋違い」の取り掛けで「別」の離れとか、いろいろあるのではないかと思います。
多々良 射抜き、指矢、繰矢といろいろやってみないと分からない。名人はこれを区別できるかもしれないが、その人なりの射になるのではないか。
森岡 「射法輯要」に「切る離に射覚へたる者は四ケの離をいか様に射分くるといへども皆切る離に成るなりと余は思ふ也 後学吟味して悟るべし」とある。
小林 弓術書は初心者には無理にしても実技を学ぶうえで、何をポイントに読めば良いですか。
横山 精神的な事を読む必要はないが、技術的な点を読む必要がある。打起の例では、打起の終わりから大三にいく初めのところにどう移るか。つぎにどう移って行くかを書いてあるものが少ない。その時の足踏、胴造での背骨、肩甲骨の使い方など学ばないと。
森岡 打起と大三で射は決まる。いわくいいがたしなんですよ。五味もそこに効用がある。



《飛中貫は本多流の射の核心か》
小林 本多流の射は「飛中貫」が核心だといわれていますが、竹林派の弓術書はいずれも「中」を第一にあげています。この辺はどう理解したらいいんでしょうか。
森岡 当たり以外は、熟達者の判定に頼る外ないので客観性が乏しいと、外国人にはこう説明しているんですよ。
横山 今の人達に「飛中貫」といっても無理じゃない。当たりは当たり、矢早は矢早。矢早を問題とするのは良い方ですよ。矢が真っすぐ飛ばないのが現状だから。
森岡 学生時代に東京・麻布に住んでいて、町道場で弓を引かせてもらった。ここに来る人は、寸的でも外さないくらいの腕をもっていた。四角い小さな金的を垂るさげてくるくる回っているのを当てるんだな。ああいう技術があったのに、それが伝わっていない。的中をもっと研究をしなくてはいけないと思いますよ。
横山 的中はいかに真ん中に当てるかの中心主義だと思う。漫然と的に入ればいいやというのではだめだ。実業団では真ん中に当てると10点にする方式を私が導入しました。
森岡 高木さんは、道場破りを負かした武勇伝があるし、実際、
一日中外さなかったこともある。
多々良 大平善蔵さんが、高木先生が外したら帰ろうと思っていたら、全く外れないので、いつまでも帰れなくなってしまったという逸話もありますね。
森岡 尺二の的は許容し得る的中の限度を示すという説もあります。
小林 雪の目付、なんていうのは気持ちの問題でなくて技術としてあるわけですか。
横山 雪片の降るのは目に見えるんですよ。中心を狙うこと。あれは必要ですね。星的の中心を狙い、周辺を度外視すること、注意の集中ができれば、その時は的が大きく見えてくる。
小林 「飛中貫」を求めている弓書といえば寺島廣文さんの「本多流始祖射技解説」です。激しい離れ烈しい弓返りと冴えた弦音に緊張の極致の世界を追求している。全身の力を以て激しい離れを会得することが、利実翁のめざす射技の境地に至る最善、最短の道、と強調しています。自らの写真をたくさん掲げて、できるだけことばで説明しようとしています。なかなか得難い解説書です。
森岡 寺島さんはもっと伝書の類いを良く読んで、実際の射技と結び付ければ良かった。そうすれば精彩も放ったし普遍性も出たと思う。惜しかったですね。
小林 「飛中貫」は近代の的前中心になって意味合いが変わり、大きな比重を占めていると思います。さて、締めくくりとして感想や言い残した事などをどうぞ。
森岡 平瀬光雄は「射学要録」で本書五巻末書五巻に言及したあと「別ニ本書ノ註解アリ。謬誤甚多シ。然レドモ棄ベカラズ」といっています。一冊だけ読んだのではどこが誤謬であるか分からない。元来注釈が多様であることはあり得ない。昔は他とのコミュニケーションもなく、封鎖的な世界であったから、他の類書と比較、対照して誤謬を是正する便宜が封ぜられていたのです。そこで異説・誤記が跋扈定着して、誤謬多しということになる。したがって今の世の中で、本に書いてあることがすべて正しいと金科玉条にしている態度はどうか。射技の巧拙や流派の優劣によるのみではないと私は理屈づけた。時代の産んだ誤謬を今日どう処理すべきか、そこから出てくる。そこが、私の今日の結論です。
横山 弓は人によって教え方も引き方もちがうと思っています。その人にあった弓を教えることが大事だと思っています。私は高木先生が生前、月一回講義した内容をメモしてあり、多々良君に手伝ってもらい、早く世に出したいですね。
多々良 弓書は読んですぐ役立つと言うわけではない。弓を引いているうちに、手許に弓書が集まってくる。年数がたって来ると、ことばの味わいや深みがわかってくる。とくに教歌は人間の知恵だと思う。始めは訳が分からなくても、愚直に稽古していると理解できるようになってくると思います。
森岡 私流にいう五味が教歌によく現れている。ばらばらの射技でなく一本の矢を放つ過程をまとめたのが教歌です。分かりやすくするために歌にした歌にしたから覚えやすいので、覚えやすくするために歌にしたのではない。「剛は父懸は母なり矢は子なり片思ひして矢は育つまじ」。感じがよくわかる。
小林 弓書も初心者は読んでもむだという意見もありましたが、弓の稽古の段階に応じて弓書に親しんでほしいと思います。最近の本は、入門書段階で右へならえしていますが、本多流関係の先生方が書かれたものは比較的懇切丁寧に解説してあって、活用しなかったらもったいないですね。竹林派弓術書をこなすには相当なベテランでもたいへんなようですが、わからないなら分からないままに、自分で仮説をたてて、実践に試みることを繰り返して行けば、弓書と実技のかけ橋ができてくるのではないかと思います。また、本多流がどのような歴史的背景で生まれて来たのかを理解し、自らが何を目的に射に励むか、考える材料にしてみたらと思います。また機会が有りましたら意見交換の場を持ちたいと思います。ありがとうございました。
                         (1992年12月15日=「繹志」36号)
 注   「高木]」の]は非かんむりに木。 「屋代]三」の]は金へんに丈。 「内山]」の] は曰かんむりに助


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