本多流射学を積み上げよう



拇指を跳ねて離れの稽古

ゴム弓で体をならす
退院直後の寺嶋廣文先生
1976年9月26日
逗子市小坪の
寺嶋先生宅で


 「本多流ってなんですか」。東大弓術部師範・寺嶋廣文先生の遺稿集「智慧の矢」が発刊されたあと弓術部の現役部員に呼び出されて、小林静一師範とともに、遺稿集に書いてあることなどについていろいろな質問を受けたことがある。現役部員にとって疑問ナンバーワンは今も変わらないようだ。先日は生弓会幹部の人が「日弓連の弓と本多流の弓はどう違うのかよく分からない」といっているのをきいてびっくりした。生弓会というのは日本で最も本多流を研究している集団のはずだからだ。最近はどうも「本多流の先生に教えてもらっているから本多流」という師弟関係の上での本多流ばかりが残って、射技の本多流が理解されていないのではないかという危機感すら覚える。
 「君たちはどう思うのか」と部員のみなさんに聞き返せば、「大きく引けば本多流になるんでしょう」「剛健典雅な射を目指すんです」といった答えが返ってくる。まさにその通り。弓術部の綱領まで引っ張り出して考えるのはさすがは東大生だ。だが、日弓連の弓との違いは、なかなか説明がついてこない。もっとも、日弓連の弓道教本を見ればわかるように、東大弓術部師範だった高木](たすく)先生が射法制定委員の一人として射法解説もしているうえ、専門用語は竹林派の用語がたくさん使われているため、日弓連射法と本多流射法の違いをはっきりさせるのは容易ではない。

 ◇宗家宅で弓書研究始まる
 平成8年4月21日、本多利永宗家宅で生弓会幹部が集まり、宗家の呼びかけで弓書研究を進めることになった。画期的なことだ。「本多流って何だ」の疑問に答えるようになるのでは、と期待が高まる。その後、6月23日、8月31日、12月15日、と研究会が開かれ、東大弓術部師範だった屋代]三(じょうぞう)先生の「竹林射法大意」の読解に取り掛かっている。4月の会合のとき出席者から「『本書』という言葉がよく出るが、何ですか」と率直にきかれてちょっと面食らった。「本書」を読んでいなくても、竹林派の基本的文書の名前くらいは知っていないと困るからだ。だから、こんな調子で弓書研究がうまくいくのかなと不安になった。しかし、最近は、出席者から「日弓連のヘロヘロ弓に負けない本多流射学を確立しよう」なんて勇ましい発言も出て、目指すものがだんだんはっきりしてきたなと思う。「竹林射法大意」は、宗家のご厚意で毎回、読解部分を拡大コピーして配布していただいている。この本は古本市場で昭和63年6月に4千円だったのが、10年もしない平成9年1月には1万5千円にもはねあがっていて驚かされる。
 近ごろは、本多一門で射論をかわすこともあまりなく、実技を伝書などから洗い直すことも少なくなってきたのではないか。そんな疑問の具体例として2点を4月の会合のとき問いただしてみた。第1点は、森岡正陽さん(昭和7年卒)が「繹志」紙上で何度も提起した諸問題、たとえば、本多流は尾州竹林派の流れをくむといわれているが、生弓会版の「本書」は紀州竹林派系文書であり、本多流は江戸竹林派系というのが妥当、と言った見解に生弓会はどういう態度を取ってきたのか。第2点は、故人となられたが、日置流印西派の稲垣源四郎さん(元早稲田大・筑波大弓道部師範)が日置流全国大会の講演で本多流批判をし「本多流の教義や代表的射手について問い合わせたら、何もないという返事をうけた」などという講演内容が市販されているが、生弓会はどのような対応をしたのか。

 ◇筋違いの野狐禅弓道批判
 2点に対する回答はなかなか出てこなかったが、終わり間際に改めてしつこく聞いた結果、森岡さんの問題提起は、生弓会として別に反対している訳ではなく、むしろ同意しているような雰囲気の説明があった。生弓会は森岡説に反対し無視していると森岡さんは怒っておられるようだが、生弓会が森岡説を受け入れるのなら、もっと生産的な議論ができるのではないか。たとえば、流祖が尾州系にこだわったのはなぜか、星野勘左衛門の流れを強調したかったのか、などの議論に発展し、流派の流れがいろいろ洗い直せるだろう。森岡さんは体調を崩しておられるようだが、平成8年12月の赤門弓友会百射会には育徳堂にお見えになって相変わらずの大声で厳しく射技指導されていた。弓への情熱は衰えていない様子だった。生弓会としては、森岡さんが長年、精力を注いできた弓書研究の成果を大いに活用するため、早く意見を聞いておく必要があるのではないか。
 稲垣さんの問題については、何の説明もきけなかった。稲垣さんの本多流批判は、かつての本多流の隆盛に対するそねみと斜面打起しのコンプレックスが感じられ、あまりまともに論議することではないのかもしれない。しかし、「本多流には教義がない」「新射法(本多流)は野狐禅弓道」などといいふらされ、なお「日置當流射術教本」「弓道に就いて」が弓具店に売られているのでは、黙っていていいのか疑問が残る。びしっと反論し、正面打起しのすばらしさを強調した方がよい。本多流の強い矢を飛ばすには正面打起しからの手の内が一要素であるのだ。射学論争は大いにやればいい。かつては、寺嶋さんと国学院大の石岡久夫さん(生弓会師範)が論争したことを思い出す。寺嶋さんがわざわざ石岡さんをたずねて巻藁前を見せて議論した熱血的行為がなつかしい。
 議論して行けば、世間一般の弓とどう違うのか、はっきりしてくる。まず第1は、射法観の違いである。禅や儒教と結び付けたような精神弓道の道は取らない。あくまでも実践的な弓であり、離れなども「無念無想」といった抽象論で逃げてはならない。稲垣さんは本多流が弓禅一致論のように記述しているが、阿波研造さんの大射道教イコール本多流と誤解していたのではないか。寺嶋さんや高木さんは精神弓道に流れるのを戒めていたし、高木さんは著作の「弓道」や「弓道教本」などで「弓道の修行は習慣の集積。1本1本を大事に稽古」と強調しているのが極めて特長的だ。
 第2は、方法論の違いである。稽古はただ積み上げていけばよいのではなく、明確な目標を持つ。目指すは本多利實老師の射。「自分の体型に合った射」は大事だが、それを防御壁に安易に妥協しないこと。老師の七道の写真などを材料に、本多流の射のイメージをつくる必要がある。

 ◇押し手主導で鋭い離れを
 第3は射法そのものの違いである。まず胴造りだ。重心は足の裏の前方、指の付け根くらいに置く。決して身体が棒立ちにならないようにする。打ち起しは高く、大三は水平移動ではなく上下動で。弓構えで決めた押し手は中指で弓を握る気持ちで打ち起しから大三に。これが流祖が正面打起しにした本多流の醍醐味である。離れは、押し手の「強弱」で押し込み、中指を効かせ、勝手の親指を跳ね上げ、左足の突っ張りを十分に、押し手主導の離れにする。むだを徹底的に省き、鋭い小離れが完成型だ。足踏みから離れまで一貫して緊張感のある射を求める。
 射学確立には具体論でやりとりが必要だ。射学論争の機会が多ければ多いほどよい。宗家宅の弓書研究で私は「なぜ」を徹底的にぶつけることにしている。先生方からは煙たがられそうだが、「なぜ」を問い詰めることによって、本多流の射のイメージと現実の自分の射のギャップを埋めることに役立ちそうだからだ。興味ある方があれば、宗家宅の弓書研究会に参加をどうぞ。利永宗家も、来る者拒まずのオープンな場を期待しているようだ。
 また、高木さんの洗心洞の稽古会と東大の親善射会が、洗心洞洞守の横山粂吉先生、多々良茂さん(昭和59年卒)らの尽力で定着しそうなのは、本多流射技研究のためにもうれしい。平成7年5月21日に第1回、8年5月19日に2回目が行われた。懇親会での弓射論議が楽しい。OBのみなさんもユニークな弓射論をひっさげて参加していただければありがたい。平成8年12月の本多流大学懇親射会では東大が7割5分を上回る的中で堂々、優勝するなど意気が揚がっており、こんなときこそ射論も厚みをつけられたらと思う。議論しながら足元を見つめていないと、本多流がかすんでしまう。
                    (平成9年1月15日・「繹志」40号から) 
 注  「高木]」の]は非かんむりに木
    「屋代]三」 の]は金へんに丈



東大生の稽古を見守る
本多利實翁の写真額
東京・本郷の東大・育徳堂で


TOPページへ
NEXT 的を体に引きつけよう