【「洗心」の手水鉢】
 左側面「昭和九年九月二八日」右側面「丸目 落合猪三郎 長友甚三郎」
「洗心」の文字は禅月師である。もとは参道の右側、松尾寺墓地の前に、屋根付きであった。そばには大きな銀杏(いちょう)の木があった。この銀杏は本堂新築の際に伐採された。まな板として松ノ木田の蛯原魚屋さんが購入された。


【本堂の大鏧(だいきん)】
 「松尾寺什物 昭和十年三月二十日 寄付者 田野村梅谷 川越光義」
このきんは旧木造本堂の写真にも写っている。近隣のお寺のものと較べてもかなり大きいものである。

【会館の小鏧(しょうきん)】の銘文
 「為雪岩宗伯居士菩提 子壱口奉寄附者也 施主河野一雲 安永五丙申十一月十日(二文字不明)住獨翁代 京 岩上住 森島播磨 大掾義只作」
安永5年は1776年であるから、現在(2010年)より234年経っている。鋳物ではなく、打ち物であり、一枚の材料の板から槌を使って、丸く打ち出してある。そこから、きん(りん)は一個二個ではなく、一枚二枚と数えるそうである。ただ、ここでの表記は「壱口」とある。 

【門柱】
 この門柱はもともと参道の入り口、今の階段、坂を下りていった先。JR日豊線ガードの手前に立っていた。松尾寺が現在地に移転してきた時に、参道を切り開いた(開鑿かいさく)。この参道沿いに桜が植えられ、開花時期には、下から見ると参道が桜一色になったという。現在は町道に移管して、舗装道路となっている。門柱は一時期、木造の本堂時代に、枯山水の庭の入り口に立っていたが、現在は納骨堂の裏側に移してある。

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