北村家の家系は、父太平が一族に残る家系図や古文書を調べた結果、約300年前に小県郡青木村(当時の当郷村)から移住してきた金左衛門・源七の兄弟までさかのぼることができた。
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【生業】
系図には現在の小県郡青木村から金左衛門・源七の兄弟二人が移住し、寛永六年検地を受けたとされているが、古文書を調べたところ、二代目の喜兵衛(金左衛門の長男)・佐左衛門・三四郎(源七の長男・次男)が検地を受けている。移住以来、農業を主に生計を営んでいたものと思われる。家の古文書を見ると紺屋(染色業)を営んだ事もある。六代目の玉隆(幼名小伝治)は狩野派の絵師として活躍し法橋・法眼の称号を得ている。七代目条左衛門は眼科医になり開業治療に当たった。
【信仰】
墓地の南西に供養塔・法華塔ほかがある。供養塔の、大乗妙典二千部塔は法華経二千部を読経し故人を供養。六凡四聖恒沙含霊塔の六凡は、衆生が善悪の業によって行くべき地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界、四聖は仏・菩薩・縁覚・声聞の四界、恒沙含霊は、印度のガンジス河にある無数の砂のように六凡・四聖はもとよりあらゆる人々を供養する意である。前者は明和五年に北村小右衛門が後者は寛政四年七月北村一族が建立したものである。法華塔・石灯籠は文政二年に玉隆が建立し、また、条左衛門が十九夜塔を建立している。
家の仏壇には玉川法眼狩野藤原元信居士・宮内郷法印探幽白蓮子筆法生明居士(狩野派の絵師)南山院殿照誉光旭豊強居士(仕えた大名か?)前総持貞祥廿一代晦堂秀老和尚禅師(師事した貞祥寺住職)の位牌がある、これは玉隆が作り、朝晩礼拝したものと思う。この玉隆は天明四年貞祥寺において受戒安貞という法名得、寛政七年には十受戒を受けている。
このように大乗妙典二千部塔を建立した小右衛門をはじめ代々仏教を深く信仰してきた。
【家紋】
丸に片喰(まるにかたばみ)