King's Cafe 1号店王冠の絵King's Cafe 10号店






produced by Bunroku's Factory

冬はどこまでもどこまでも歩いて行けそうなぐらい広い田んぼ。夏になると緑の波が騒ぎ、蛙の合唱が沸き立つ田んぼ。秋には重たげな首を下げた稲穂がサワサワと賑やかに話す田んぼの中に「ホームわいわい」があります。
 ここでは、暮らすのに人の手がちょっと必要な人と、保育園や学童保育に入ることができなかった子供たちが一日のうちの数時間を過ごしていました。
 ここで、ケイ君とくらげちゃん――こと、愛子ちゃん――は出会いました。


 ケイ君はくらげちゃんをひとめ見たときから好きになりました。とっても、素敵なお人形に思えたからです。
 ケイ君はくらげちゃんを見ると「くーちゃん」といってほっぺをペロリとします。
 くーちゃんは、自分は愛子と言う名前があるのに、なんで、くーちゃんと呼ばれるのかわかりませんでした。
 ケイ君は、くーちゃんが、ぱーたぱーたと手を動かすしぐさが、まえにテレビで見たくらげに似ていたから、くらげのくーちゃんにすることに決めたんです。
 くーちゃんに触ると、手をぱーたぱーたさせるのが、ケイ君はおもしろくて、触ります。キスもしました。自分のおやつを口にいれてみました。
 ぱーたぱーた。
 くーちゃんは嬉しかったけど、残念ながら、ケイ君がくれたビスケットを噛むことも飲みこむこともできませんでした。それでも、ビスケットを食べないと、ケイ君が怒るんじゃないかと思って一生懸命に口を動かそうと思いましたがだめでした。くーちゃんは、脳性麻痺で言葉が言えません。からだを動かすこともほとんどできません。ときどき、両手をぱーたぱーたさせ、目をぐるりとさせるだけです。
 ケイ君は、くーちゃんが口に乗せたままのビスケットをひょいと取ると自分で食べてしまいました。
 ぱーたっ! ぱーたっ!
 くーちゃんはケイ君のことが好きでも嫌いでもありませんでした。くーちゃんは、ケイ君のふるまいが頭にくることもありましたが、そんなときは、ちょっとばかり力をこめて、手をぱーたぱーたさせます。すると、ケイ君にはそれがわかるらしくて、つぎはしません。
 くーちゃんもだんだんケイ君が好きになりました。ケイ君はくーちゃんの世界に直接入りこんできた初めての人です。くすぐったいような、迷惑なような、でも、悪い気持ちはしませんでした。
 ケイ君は、そんなことには関係なしに、くーちゃんをおもちゃにしていました。
 上に乗る、キスをする、いがくり頭を顔にごしごしする、こちょこちょする。でも、そのうち、ケイ君は、くーちゃんが怒ることがわかりました。ぱーたぱーたの大きさが、いつもとちょっと違うんです。目をのぞきこむと、そこにある目がいつもより、ぐりっぐりっと動いています。
「ごめんねくーちゃん」。そういってケイ君はくーちゃんのほっぺをべろりとなめました。おやつのビスケットの残りがざらりとほっぺたについて、クリームの甘いにおいがしました。ケイ君はえくぼをいつもよりずっと深くしてニコニコしています。
 ぱーたぱーた。
 ケイ君は、新しい遊びを考えつくと、まず、くーちゃんで試します。それから、少し下がって、ぱーたぱーたを見て、目をのぞきこみます。くーちゃんがよろこんでいるときは、また、やります。
 ケイ君は自分が飽きるまで、くーちゃんと遊びます。ケイ君が、さっさと向こうに行ってしまうと、くーちゃんは、もっと遊んでくれれば良いのにと思うことがありました。
 ぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーた……。
 くーちゃんはいつまでもケイ君と仲良しでいたいと思いました。でも、ケイ君は、猛スピードで育っていきました。最初はくーちゃんよりも小さかったからだも、あっというまにくーちゃんと同じになって、ケイ君に乗りかかられるとくーちゃんは苦しくてたまらないようになりました。
 でも、くーちゃんはケイ君と遊ぶことができて、うれしかった。
 ぱーたぱーた。
 ケイ君はおおきくなると、くーちゃんよりもおもしろいおもちゃを見つけました。外で遊ぶこともおおくなりました。
 雨の日や雪が降ったときだけ、くーちゃんと遊ぶようになりました。でも、くーちゃんが、いつまでも、ぱーたぱーたしかしないので、すぐに飽きてしまいます。
 くーちゃんは一生懸命ぱーたぱーたしますが、ケイ君はテレビゲームをやったりしています。
 ぱーたぱーたぱーたぱーたぱーた。
 ぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーた。
 ぱーた……ぱーた……


 やがて、ケイ君は保育園に入ることができて、ホームには来なくなりました。ケイ君は保育園で友達がたくさんできると、くーちゃんのことを思い出さなくなりました。ときどき、ホームにお母さんと立ち寄ると、くーちゃんがいるので、「くーちゃん」と声をかけますが、顔をべろべろとしなくなったし、おやつをあげることもしなくなりました。
 くーちゃんはケイ君の足音を覚えています。声も覚えていました。だから、ケイ君の足音や声がすると、自然とぱーたぱーたしちゃいます。目もぐりぐり動いちゃいます。
 でも、ケイ君はすぐに向こうに行ってしまいます。
 ぱーた……。
 ケイ君が小学校にあがった日、久しぶりにホームにやってきました。ランドセルを背負ってます。くーちゃんのおかあさんが、くーちゃんも学校に行こうねと言ってくれました。くーちゃんはケイ君とまた一緒に遊べると思って嬉しくてぱーたぱーたしました。
 でも、くーちゃんが通う学校にケイ君はいませんでした。
 小学校に入学したケイ君は、くーちゃんのことなどすっかり忘れてしまいました。
 くーちゃんはだんだんぱーたぱーたすることが少なくなりました。学校はおもしろいし、大切にしてくれる人もたくさんいるけれど、ふざけたりしてくれる人はいません。
 くーちゃんは、ベッドの脇の壁に貼ってあるケイ君と二人で写った写真を見ながら、ときどき一人でぱーたぱーたしていました。

 いくつもの夏とそれと同じだけの冬が過ぎました。


 くーちゃんがホームに戻ってきたのは、お母さんが病気になったからです。
「こんにちは、愛子さん」
 声をかけてきた男の人を見たとき、くーちゃんは思わず手をぱーたぱーたしてしまいました。ケイ君でした。名前を言われなくても、えくぼでわかりました。
「あら、愛子さんも年頃ねぇ。若いお兄さんのほうがいいのね。あ、そうか、愛子さんとケイ君は初対面じゃないんだ。覚えてない、ケイ君。愛子さんのこと」
 喜んでいるくーちゃんを見てホームの所長さんがケイ君に言いました。
 大学生になったケイ君は、アルバイトで働いていたんです。
 ひさしぶりにあったケイ君は、くーちゃんのおとうさんよりも大きくなっていました。いがぐり頭は少し長めに伸ばして茶色に染めていました。顔にはにきびがすこし。でも笑うとえくぼができるのは昔のままでした。くーちゃんは嬉しくてぱーたぱーたしました。
 ホームの所長さんがアルバムをだしてきて、ケイ君に見せました。
「思いだした!」
 大きな声をだして、ケイ君は、くーちゃんの顔を覗きこむと、何倍も大きくなったケイ君に比べると、ほんのすこしだけ大きくなったくーちゃんのほっぺたをつんつんしました。
「くーちゃんだ。くらげのくーちゃんだ」
 ぱーたぱーた。
「ケイ君、昔みたいにくーちゃんに乗ったりしたらだめよ。つぶれちゃうからね。それに、くーちゃんは、お年頃のお嬢さんなんだから、そんなことしたら、セクハラよ。わかった」
 そういわれたケイ君は、「わかってらい」というと、「くぅーちゃんっ!」と声をかけながらくーちゃんの背中にスッと手を差し込みヒョイと持ち上げました。
 くーちゃんはびっくりしすぎて、パータパータするのを忘れてしまっていました。
 ケイ君は、くーちゃんを抱えたまま、外にでました。お日様がかんかんと二人を照らしました。
 ぱーたぱーた。
「まぶしい?」と、くーちゃんの顔を覗きこんだケイ君の長い髪が日陰を作りました。ほっぺに触れたケイ君の髪は昔みたいにちくちくしませんでした。
 ケイ君くんはくーちゃんのほっぺをペロリとなめました。
「みんなには内緒だよ」
 ケイ君の口は、おとうさんと同じような煙のにおいがしました。
 ケイ君はくーちゃんを抱えたまま歩きだしました。公園につくと芝生の上に寝転がり、くーちゃんをおなかの上に乗せました。
「小さいころはぼくがくーちゃんに乗っかって遊んでいたから、こんどはくーちゃんの番だ」
 ぱーたぱーた。
 ぱーたぱーたぱーたぱーたぱーた。
 ぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーた。
 ぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーた。
 くーちゃんは、ホームに行くのが楽しみになりました。ケイ君はくーちゃんに会うと、ほっぺをぺろりとします。ふたりだけの秘密でした。
 ぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーた。
 くーちゃんのベッドサイドの写真が一枚増えました。ちょっと日焼けしたくーちゃんと、ケイ君の写真です。


 ある日、ホームに行くと、ケイ君がいました。
 ぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーた。
「くーちゃん、ぼくのお嫁さんを紹介するね」
 ケイ君の背中の陰からきれいな女の人が顔をだしました。
 ぱーた……。
「こんにちは。愛子さん」
 女の人はそういうとくーちゃんの顔をぺろりとなめました。
「愛子さんへの挨拶はこうするんだとケイ君に聞いたの」
 笑うとケイ君とおなじようなえくぼができる人でした。
 ぱーたぱーたぱーたぱーたぱーたぱーた。
「愛子さんなんて呼ぶのは、知らない人だけだよね。くーちゃんて呼んでもいいよね」
 ぱーたぱーた。
「いいってさ」
「どうしてわかるの?」
「くーちゃん、怒っているときのぱーたぱーたやってみてよ」
 ぱーたっ! ぱーたっ!
「喜んでいるときは」
 ぱーたぱーた。
「あ、ほんとうだ。違うのね。わたしも愛子さんのことを、くーちゃんて呼んでもいいですか」
 ぱーたぱーた。

 くーちゃんは、ケイ君たちの結婚式に出席しました。
 ぱーた……。

 ケイ君が、ホームわいわいを引き継ぐことになりました。
 ぱーたぱーた。

 ケイ君に子供ができました。
 ぱーたぱーた。

 ケイ君の子供はくーちゃんに乗って遊んでいます。
 ぱーたぱーた。ぱーたぱーた。
 そして、ときどき、ぱーたっ! ぱーたっ!

                 (終わり)




|1号店|2号店|3号店|4号店|5号店|6号店|7号店|8号店|9号店|11号店|12号店|

|トップページへ戻る|King's Cafe エントランス