介良風土記

小笠原正登聞き書き  ー 立志社の変、他 ー  歌二首  打たば打て殺さば殺せ土佐武士は、誓ひふくろは破らざらまし   警視庁獄中にて  ただひとりたづねくる身もなかりしに、窓より照らす有明の月    大審院獄中にて  生きて戻れるとは思はざった。明治十年の夏、岡山(筆者記憶不正確)をええ話にして 戻ってきたら、うちは火が消えたようになっておる、ああさぶよ。板垣の腰が抜けたが ぢゃ。寝たか寝んかの真夜中に起こされて、ちょっといてくれと着のみ着のままつれ 出された。誰がやられたか何もわからんうちに東京行で、船が神戸についたとき、みな が一つ湯には入れて、はじめて顔振れがわかった。その場でいろいろ口をあわせて、絶 対白状せんぞと約束しあうた。  東京でのごう問は厚い板で胸を締められたが、あればあ苦しいものはない。何回もや られて、血を吐いて、もういくまいと思いよるうちにごう問はせられんことになって命 が助かった。一言も白状せざったが翌年の八月に証拠不十分で無罪放免となって、丸一 年振りに高知へ戻った。  わしは片肺ないぞ、胸にさわってみたや、片一方がひしゃげちょるろうが。  傍の祖母が、戻ってからも長いこと血を吐いたぞねと口を添えた。  次へ


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