9.どんな邂逅にも別れがある

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  義理人情が高くつく
  

  銃士たちやダルタニアンの予想に反して、岩山からブラー川に出る竪穴は随分と使い勝手が良くなっていた。確かに高さはかなりあるが、穴その物の大きさ立派なものだ。騎士団員が説明したところによると、昔は川から運んできた大きな荷物 ― 要塞建設のための木材や、時によっては馬や牛までこの竪穴を利用して昇降させていたらしい。
 しかも、今使われている滑車や鎖、縄、荷台なども手入れが行き届き、びくともしない。
 「要するに、つい最近もこれを使って脱出した奴が居たって事だな?」
 ダルタニアンが半ば呆れながら、下を見下ろして言った。滑車の操作をしていた騎士団員は肩をすくめると、そうだと頷いた。
 怪我人、そしてガバノンが既に下に降ろされ、残った騎士団員も順次下りてゆく。頭目たるガバノンがこの要塞を脱出する以上、『愛と自由のバニア騎士団』も要塞を放棄し、今度こそ完全な解散となる模様だった。やがてアトス,ポルトス,ダルタニアンも竪穴を使ってブラー川に降り、最後まで上で滑車を操作していた騎士団員も縄梯子を使って用心深く降りてきた。
 先に下りていたアラミスが、仲間に手招きをするので集まってみると、一番大きな船にガバノンが乗り込もうとする所だった。見回すと他にも大小四艘の船が待機している。改めて数えてみると、残っていた騎士団員は二十七人 ― これが、ガバノンを置いて逃げるわけには行かないと、今日まで頑張ってきた男の数だった。彼らはどうにかして船に分乗して、川を下る算段をつけようとした。
 騎士団員が担架を平行に移動し、無事に船の中にガバノンが横たえられた。すると、ガバノンが周囲の手を借りながら、上半身を起した。そして自分の首に掛けていた粗末な革紐を外すと、アトスの方をじっと見ている。アトスは黙ったまま船べりに歩み寄った。
 ガバノンはやせ細った腕を伸ばした。アトスは数歩川に足を踏み入れて船板に手をかけると、その革紐を受け取った。それには、小さなメダルがぶらさがっている。アトスが手にとって見ると、素朴な聖母子像の彫刻がされていた。
 「エリックに、渡してやってくれ。」
ガバノンはアトスの顔を見ながら言った。アトスが良いのか、と問いた気に見つめ返すと、ガバノンは少しだけ微笑んで頷いた。
「私のような罪人と一緒に葬られるよりも、あの子にもらわれた方が良いんだ。」
「分かった。渡すよ。」
 アトスが頷くと、ガバノンは体をまた横たえて、皮肉な調子で笑った。
 「妙な事になったなぁ。こんな一大事の日に、とんでもなく大事なことを、ついさっき会ったばかりの、得体の知れない男に託すだなんて。」
そう言うと、ガバノンは船の騎士団員達に出発するよう、手で合図した。アトスは、船体を手で押しやりながら、呟いた。
 「そういう事もあるんだろうさ、人生には。」

 アトスはザブザブと川から、岸に戻ってきた。ダルタニアンが尋ねた。
「ねぇ、ガバノンは何だって?」
「こいつをエリックに渡してくれ、だとさ。」
そう言いながらアトスが小さなメダルを見せると、ダルタニアンは驚いて叫んだ。
 「ちょっと待ってよ!ガバノンは一旦、修道院に隠れても、どうせエリックには会わせてやるんだろう?!」
 アトスは答えずにすたすたと歩き始めた。もう竪穴を使って上には戻れない。騎士団員も全員船に分乗して下流へ漕ぎ出してしまっている。岩山の周囲から街道に戻る道を探して、どうにか馬を回収せねばならないだろう。
「ちょっと、アトスったら!」
さっさと行ってしまおうとするアトスをダルタニアンが追おうとしたが、その肩をポルトスががっちりと掴んで引き止めた。
「どうやら、諦めどころみたいだぞ、ダルタニアン。」
「でも!エリックには…」
「なぁ、ダルタニアン。」
 それまで黙っていたアラミスが、腕を組み、ひどく考え深げな顔をして小さな声で言った。
「もしかしたら、あのガバノンって男、エリックの母親を殺したのかもしれないぞ。」
「えっ?」
ダルタニアンが驚いてアラミスを見やると、ポルトスがヒュッと口笛を鳴らした。
「へぇ、アラミスもそう思うか。俺もそうじゃないかと思ったよ。」
 ダルタニアンはまだ、二人の言う事を飲み込めずに、目をパチクリさせている。ポルトスはダルタニアンの肩をポンポンと叩いた。
 「ガバノンは飽くまでもエリックには会わない、サン・マルクには戻らないって言い張ったんだ。幼い息子をそこまで拒否するとしたら、何か負い目があるんだろうさ。だから、もしかしたら ― これは飽くまでも想像だぜ、もしかしたらエリックの母親を殺したのかもな。」
 ダルタニアンは黙って、だいぶ先を歩くアトスの背中をみつめていた。そして振り返って、もうかなり下流まで行ってしまった船団をしばらく眺めていた。
「そうか。」
ダルタニアンは呟いた。
「昨日、エリックに会った時、誰かに似ていると思ったんだけど。」
ポルトスとアラミスは、何を言い出すかとダルタニアンを見つめた。
「エリックはアトスに似ていると思ったんだ。でも…実際は、エリックはあのガバノンって男に良く似ていて ― そりゃぁ親子だから。そして、あのガバノンが、何となくアトスに似ているんだ。きっと、そういうことだ。」

 バニア要塞に最後まで立て籠っていた『愛と自由のバニア騎士団』は、頭目のガバノンが脱出したことで、あっけなく解散状態となり、岩山は人っ子一人居なくなってしまった。
 三銃士とダルタニアン一行にとって、もうこの岩山には用もないので、さっさと引き上げたいところだが、彼ら自身が引き起こした状況によってそれが妨害されてしまった。

 予想通り、一旦はバニアからサン・マルクに向かった護衛士の四人が、バニアに舞い戻ってきたからである。しかも、コンテの食堂に閉じ込められていたサニョル以下八名も救出されたらしく、総勢十二人になっている。
 ダルタニアンたちがやっと岩山の麓の迂回路を探し出し、番小屋のあった街道側に出たときは、丁度枢機卿の護衛士がこぞって山道を行ったり来たりしているところだった。さすがに彼らとやり合うのは億劫なので、四人は街道からすこし離れた藪の中に身を潜め、護衛士たちが引き上げるのをひたすら待った。従者たちを連れて来れば良かったと後悔しても、もう遅い。四人が山道の入り口についないでおいた馬はすぐさま発見されてしまった。人数が人数だけに、止めることも出来ない。
 しかも、枢機卿の護衛士というのはよほど勤勉な性質なのか、いつまで経っても諦めようとしない。どうやらダルタニアンの指示で築かれた山道の障害物を、何とか取り除こうと奮闘しているようだった。
 四人とも、いっそのこと出て行って「もう要塞には誰も居ないから諦めろ」と教えてやりたい気分だった。腹は減るし、第一待つのはひどく疲れる。結局、総勢十二名の護衛士たちが障害物を突破し、上の要塞がもぬけの殻であり、しかも竪穴を使って川に逃げられたことを悟ったのは、もうだいぶ日が西に傾いてからだった。護衛士たちはロシュフォールの報告のためなのか、全員岩山から更に西に向かって走り出した。
 「畜生、ご丁寧に馬まで連れて行きやがる。」
ポルトスが藪から身を乗り出して、地団太を踏んだ。アトスは仏頂面のまま、遠くへ去っていく護衛士に目もくれなかった。アラミスは疲れて何も言いたくないらしい。ダルタニアンだけは、相変わらず元気な声で言った。
 「しょうがないよ。サン・マルクが歩ける距離なだけ、救いってものさ。さぁ、真っ暗になる前にサン・マルクに到着できるように、出発しよう。」

 ダルタニアンは随分前向きに言ったが、距離が短いといってもそれは馬にとっての話で、徒歩にするととてつもなく遠く感じられた。結局、四人がヨロヨロとサン・マルクに帰り着いたのは、もう夜中になってからだった。
 町はすっかり寝静まっていたが、コンテの家のドアをドンドンと乱暴に鳴らし、コンテと従者たちをたたき起こした。そしてコンテが色々と抗議するのは無視して、四人ともベッドに倒れこむと、死んだように寝てしまった。



 
→ 10.With God on our side

三銃士 パスティーシュ トップへ 三銃士 トップへ

No reproduction or republication without permission.無許可転載・再利用禁止
Copyright(c)2003-2006 Kei Yamakawa All Rights Reserved.