10.With God on our side

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  義理人情が高くつく
  

 翌朝 ― いや、かなり日が高くなる頃、アトスは誰かが枕元に立っている気配を感じて、目を覚ました。辛うじて靴は脱いでいたが、剣も上着もそのままに寝てしまったせいか、体中が痛い。
 「おはよう。」
 小さな声がするので、アトスはようやく顔を上げた。そして両手で上半身を支えながら起き上がると、部屋の窓は開けられ、洗面器を抱えたエリックが立っているのが見えた。
 「顔、洗うでしょう?」
 彼は相変わらず警戒するような調子ながら、洗面器を窓際に置きながら尋ねた。アトスは軽い頭痛をかかえながら、ベッドから降りようとした ― が、ぶら下げたままだった剣に脚を取られ、顔面から床に倒れてしまった。しばらくそのまま伸びていたが、エリックの「大丈夫?」というおずおずした声が、上から降ってきたので、ようやっとアトスは体を起した。
 エリックは朝から床に伸びてしまう男にびっくりしたような顔をしているが、アトスは無視して洗面器に顔を突っ込んだ。そして窒息する前に顔を上げる。窓の外では、鶏が駆け回り、遠くの畑で農夫たちが作業しているのが見えた。
 しばらくアトスがそのまま顔から水をしたたらせていると、エリックが横から布を差し出した。アトスはそれを受け取って顔をぬぐうと、大きく伸びをして、改めてベッドに腰掛けた。エリックは相変わらず黙っている。それをしばらく見つめてから、アトスが尋ねた。
 「グリモーはどうしたんだ?」
「もちろん、グリモーが持って来るつもりだったけど。ポルトスが、僕に持っていけって…」
「言ったのか。」
「うん。」
「ポルトスと、アラミスとダルタニアンは?」
「下で朝ごはんを食べ終わって…出発の準備をしている。」
「あいつらに、話を聞いたか?」
「ううん。」
 エリックは首を振った。つまり、事の顛末はアトスから説明しろ、という事らしい。アトスは立ち上がると、エリックが洗面器と一緒に持ってきた水差しから、コップに水を汲んでそれを一気に飲み干した。それから、またベッドに座りなおすと、部屋の隅の小さな腰掛を指差した。
 「それを持ってきて、ここに座るんだ。」
エリックは言われたとおりに椅子を抱えるとアトスの前に座り、その顔をじっと見つめた。
「お前の父さんに会ったよ。」
 アトスは静かに言った。エリックの瞳が、大きく見開かれる。
 「だいぶ具合が悪かった。もう、自分の力では動けないほどにな。バニアに立てこもっていた連中も、随分前から人数が減り始め、昨日残っていたのは、三十人足らずだった。みんな、お前の父さんがバニアに居る限り、一緒に居ようと決心した者ばかりだった。」
 エリックは身じろぎ一つせずに、アトスに見入っている。アトスは静かに続けた。
 「バニアの岩山に上る前、俺とアラミスはとある男に会った。知り合いだが、友達じゃない。パトリス・ガバノンを ― お前の父さんを捕らえに来たんだ。恐らくその男と、その男が仕えている主人が、お前の父さんから何かを聞きだしたかったのだろう。」
「何を…?」
エリックが不安げに聞き返したが、アトスは僅かに首を振った。
「それは分からない。バニアに立て籠った連中のことかもしれないし、ずっと昔の事で、ガバノンが何か重要なことを知っていたのかもしれない。とにかく、俺の知る限り、『その男』と『主人』は、目的のためなら手段を選ばない奴らだ。捕らえられてはまずい事になる。そこで、俺とアラミスはその男を騙して、ガバノンは岩山には居ないと言ってやった。」
「昨日、コンテさんの所に閉じ込めた人たちも、その仲間だったんだね?」
「ああ、ダルタニアンとポルトスから聞いたよ。その通りだ。とにかく、俺とアラミスは大急ぎでガバノンに会い、要塞から脱出するように説得した。彼は同意しなかったが、後から来たダルタニアンが、騎士団連中を上手くまとめて、裏のブラー川から脱出させることに成功したんだ。」
「どこへ行ったの?」
エリックが声を上ずらせて、身を乗り出した。アトスはエリックの目を見つめ、また低い声でゆっくりと言った。
 「いいか、エリック。ガバノンは、お前にはもう二度と会えない。」
「どうして。」
「一つは、罪を償わねばならないから。もう一つは、死を迎えなければならないから。」
「罪って?」
 アトスは少し黙ってエリックを見つめていたが、少し言葉に力を込めた。
 「それは聞かなかった。多分 ― お前を置いて姿をくらませてしまったことへの後ろめたさだろう。今更、申し訳なくて会えないんだ。それに…ガバノンは本当に具合が悪かった。きっと、エリックが会っても誰だか分からないほど、弱っていた。だから…」
 アトスは色々言ってはみたが、結局言葉に詰まった。鼻の頭がツンと痛む。どうしても、本当の事はエリックに説明できなかった。
「父さんは…」
エリックは鼻の頭に皺を寄せ、声を震わせた。
「死ぬんだね?」
「そうだ。」
 アトスは短く言葉を切ると、立ち上がった。そして長椅子に投げ出してあったマントの中をさぐって、エリックの前に戻ってきた。まず、丸まった紙をエリックに差し出した。
 「お前、字は読めるか?」
「いちおう…」
「読んでみろ。ガバノンの字だ。」
 エリックは昨日ガバノンが書いた後見人変更の書類をじっと見つめていた。それから物問いた気に顔をあげたので、アトスが再び口を開いた。
「お前の財産を守るために、昨日わざわざ書いたんだ。お前にしてやれる、精一杯の事だ。」
「ラ・フェール伯爵って?」
「お前の父さんの友達だよ。」
「ああ…そうか。良かった。」
エリックは書状をアトスに返しながら、ぼんやりと言った。
「父さんにも、友達が居たんだね。」
 アトスは驚いて、手に持っていた革紐とメダルを落としそうになった。エリックが続けた。
「お母さんもいなくなって、僕にも会えないなら、父さんは独りぼっちだ。でも…友達が居てよかった。」
 アトスが革紐をエリックの首に掛けると、その手を取って聖母子の粗末なメダルを握らせた。エリックはまたアトスをまっすぐ見た。口を真一文字に結んでこらえているが、見る見るうちにその瞳に涙があふれそうになった。アトスは咄嗟に、エリックの頭を自分の胸へ乱暴に押し付けた。
「誰も独りぼっちなんかじゃない。いつでも、誰かがどこかに居るんだ。それに ― 」
 信心深くはないはずだが ― アトスは自分でも不思議なくらい、口が勝手に動いた。
「神様がそばに居て下さる…」


 階上のやりとりはともかく、宿屋の主人コンテにとっては三銃士とダルタニアンが迷惑な客だったのには変わりがない。
 ポルトスとダルタニアンの言うとおりに、サニョル以下八人を台所に閉じ込めたまでは良かった。しかしポルトスとダルタニアンがバニアに向かってしばらくすると、枢機卿の護衛士四人が乗り込んできたではないか。しかも四人が墓石を見せろなどと妙なことを主張している間に、板で打ち付けられた台所の窓が内側からドンドンと派手に叩かれたのでは、ただでは済まない。ただちに四人の護衛士はサニョルたちを救出し、コンテにこれはどういうことだと詰問した。薄情なことに銃士たちの従者はどこかへ逃げ隠れてしまっている。仕方が無いのでコンテとジャン爺さんは、パリから来た銃士たちが、剣を突きつけてむりやりやらせたんだと主張し、無実を訴えた。
 護衛士たちがそれで納得したかどうかは分からないが、とにかくコンテにとっては冷や汗もので、しかも無理に打ちつけた板を無理にはがしたので、板は台無し,食堂の周囲はひどく傷んでしまった。もちろん、食堂にあったワインや多少の食料も、飲み食いされてしまっている。
 「そんな訳で、六十二ピストール払っていただきます!」
コンテは今にも従者の馬に跨って逃げ出しそうになるポルトスをつかまえて、勘定を請求した。
「馬鹿野郎!そんなべらぼうは値段があるもんか!第一、俺たちゃ夕べ食事をしていないんだぞ!?」
「今朝、食べたでしょう?」
「王様や枢機卿じゃあるまいし、そんな豪華な朝飯があったら持って来いよ!」
「家の修理代、木材の代金、迷惑料も込みで六十二なんて安いもんです!さぁ、払ってください!」
「まぁ、待てよコンテさん。」
 ダルタニアンが割って入った。
 「僕らはバニアの要塞を偵察するという、国家的に大事な職務を負っていたんだよ?その流れで生じた諸経費を、いちいち代金にして請求するなんて、けしからんじゃないか。」
「あんた、若い時分からそんな事言うようじゃ、ろくなモノになりゃしないよ?そのうち借家の代金も払わないようになるだろうさ。」
(それはもう、払っちゃいないけどね。)
 ダルタニアンが肩をすくめると、コンテはやおらポルトスの手から財布を奪い取った。
「さぁ、払った払った!…なんです二十二ピストール?仕方がない、とりあえずこれはもらっておきますからね。」
「こら!勝手に取るな!俺のマントの新調代がなくなる!」
「知りゃしませんね。さぁ、足りない分はツケにしてあげますから、従者を置いていって下さいよ!しっかり働いてもらいますから!」
 コンテはそう言ったが、実のところ馬の準備をしているグリモー以外の従者三人は、すでに畑へかり出されていた。そもそも三銃士とダルタニアンは、昨日の騒ぎで馬を取られてしまっている。パリに帰るには従者たちの馬を取り上げるしかないので、従者を置いていくつもりだったのだ。

 アトスは下に降りてくると、ポルトス,ダルタニアンと、コンテの言い争いをよそ目に、グリモーが差し出したチーズをかじり、ワインを一杯ゆっくりと飲み込んだ。そしてグリモーの馬の腹帯を確認すると、さっさと鞍に跨った。すると、アラミスが近寄ってきて、轡を取った。
 「おはよう、アトス。済んだか?」
「ああ。」
 アトスが短く答えると、アラミスが朝日を避けるように帽子を傾け、ニコニコしながら言った。
 「さっき、ポルトスがデュルケムの所に行って、何か説明していたぜ。」
「そうか。」
「そうしたらデュルケムのやつ、アタフタと家から飛び出して、教会に駆け込んで来た。私はお祈りの最中だったんだが、デュルケムが何事か神父に言うとパリの代訴人がどうとか、後見人がこうとか、とにかく大混乱していたみたいだ。それからすぐに、デュルケムは馬に跨って出かけてしまったが ― あれはパリに向かったのかもな。」
 アトスは何も言わずに振り向くと、ポルトスとダルタニアンがこちらに向かってくる。どうやらコンテにふんだくられて諦めたらしい。グリモーが二人の馬も引き出しに走っていった。アラミスは相変わらず微笑みながら、馬上のアトスに尋ねた。
 「お前 ― デュルケムに何かしたか?」
「別に。なにも。」
取り付く島もない。アラミスはそれでも更に笑って、轡を離した。

 見送りには、財布を握り締めたコンテと、隣のジャン爺さん、そしてエリックが出てきた。アトスは短く「じゃあな」と行って、真っ先に馬を走らせた。ポルトスとアラミスも、それぞれ別れを告げて、アトスの後を追う。ダルタニアンが、最後にエリックに振り返った。
 「本当に、すまなかったねエリック。お父さんを連れて帰れなくて。気を落とすなよ。」
「落としてないよ。ありがとう。」
 エリックは初めて笑った。ダルタニアンも笑顔を返した。アトスは時々笑うが ― ポルトスやアラミスに言わせると、以前よりずっと多く笑うようになったらしい ― それもエリックにどこか似ていた。いや、きっとあのガバノンも、笑えばこう言う顔なのだろう。
「じゃあ、元気で!」
 ダルタニアンは大きな声でそう言うと、三銃士を追って馬を駆けさせた。



 
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