8.アトスの権限,ダルタニアンの才能

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  義理人情が高くつく
  

 洞窟に駆け込んだポルトスは道なりに急勾配を上り切ると、岩山の上に出た。驚いた見張りが行く手を阻もうとしたが、ポルトスはそれを簡単に張り飛ばし、凄い勢いで建物のドアを開けてガバノンの病室に突入した。そしてそこに居た男の胸倉を掴み、勢い良く怒鳴った。
「お前がガバノンだな!さぁ、今すぐにここを出て他に隠れるんだ、それからサン・マルクに行くぞ!」
「誰がガバノンだ。」
「なぁんだ、アトスか。」
 ポルトスがアトスの胸倉から手を放して振り返ると、見張りと追ってきた騎士団員が部屋に駆け込んでこようとした。するとベッドに横たわったガバノンが、
「私の友人だ。」
と静かな声で制した。駆けつけた数人は怪訝な顔をしながらも、ドアを閉めた。
 すると直ぐさま、ポルトスがベッドの脇に跪くと、ガバノンに迫った。
「さぁ、もうすぐ枢機卿の護衛士達があんたを逮捕しに、ここへ来るんだ。一旦身を隠して、明日以降にもサン・マルクに戻ろう。」
 ガバノンは目を細めてポルトスを見ていたが、すぐにアトスの顔に視線を戻した。アトスはうんざりしながら説明した。
「こいつはポルトス。俺の仲間だ。遅れてサン・マルクから来たはずだが、えらい騒ぎだな。」
ポルトスは緑色の瞳を爛々と輝かせながら勢い良く言い返した。
「のんびりしては居られないんだよ。サン・マルクに加勢の八人を閉じ込めてきたが、はじめに来た四人と合流して、ガバノンを逮捕しに来るのは時間の問題だ。」
「せっかくだが…」
ガバノンはポルトスの勢いとは対照的な声で言った。
「私は明日をも知れぬ病身だ。何が来てもここから立ち退く気はないし、ましてやサン・マルクには二度と帰らない。さぁ、もう良いだろう銃士さんたち。引き取ってくれ。」
「いいや、そうは行かないな。」
ポルトスは眠りに落ちてしまいそうになるガバノンに、そうはさせじと口を動かした。
「あんたがここで死ぬのを待ったら、エリックが困るんだ。いいか、あの子は放っておいたら一文無しになって、路頭に迷うんだぞ。」
 ガバノンは久しぶりに大きく目を開くと、漆黒の瞳をぎょろりとポルトスに向け、凄むように言った。
「馬鹿な。私は全ての財産をあの子に残して来た。あの家屋敷,広大な農地,それに山林もある。それら全てがエリックのものだ。あの子をダシにしようとしたって、そうは行くか。」
「あんたは余程のお人好しだな、パトリス・ガバノン。いいか、良く聞けよ。エリックはそりゃあんたが死ねば全ての財産の相続人だが、あの叔父がそうはさせないぞ。」
「叔父?」
ガバノンが聞き返した。アトスもポルトスに尋ねた。
「ジョウゼフ・デュルケムか?」
「そうさ、あの男はエリックの後見人を自称しているが、魂胆は見え見えだ。エリックの財産を横取りするつもりなのさ。」
「妻の弟だろう。(ガバノンはあざ笑うように顔をゆがめた。)あんなつまらない男に、何が出来る。」
「人を見くびるもんじゃないぞ、ガバノン。」
 ポルトスは一度つばを飲み込むと、少し声の調子を落として続けた。
「いいか、デュルケムはパリから腕利きの代訴人を呼び寄せて雇ったんだ。昨日の夕方にサン・マルクに到着した老人がその代訴人。夜になるとデュルケムは教会の神父も交え、代訴人と仕事の相談をしていたんだぞ。」
「お前、どうしてそんな事を知っているんだ。」
アトスが呆れながら聞き返した。ポルトスはいたずらっぽく笑った。
「ムスクトンにデュルケムの後をつけさせて、教会での会合を盗み聞きさせてきたからさ。」
「そうじゃない、どうしてサン・マルクに来た男が代訴人だなんて分かったんだ。看板でも背負っていたのか?」
「そりゃ、お前…俺がその…パリの代訴人の顔を知っていたからさ。とにかくだ。」
 ポルトスはまたガバノンに向き直った。どうやら、なぜ代訴人の顔を見知っていたのかは詳しく説明したくないらしい。
 「とにかく、教会の神父もデュルケムに丸め込まれたとすると、洗礼者台帳を改竄して、エリックをガバノン家の相続人から外すだなんて、造作も無いことだ。下手すると、あんた自身の洗礼記録だって書き換えかねないぞ。ジャン爺さんや、隣りのコンテ、町の人間が憤慨しても、代訴人が上手く訴訟を運んで、神父がそれを補佐すれば簡単にデュルケムの思うつぼだ。さあ、分かったら俺達の言う通りにするんだ。」
 ポルトスは一気に喋り終え、ガバノンの顔をじっと見詰めた。ガバノンはポルトスから視線を外すと、また頭を枕に深くうずめ、目を閉じた。そして両手を胸にあて、つぶやいた。
「これもまた…報いというものか。エリックには何の罪も無いのに…」
「ガバノン。帰るんだ、サン・マルクに。まだ間に合う。」
 ポルトスは静かに、しかし熱を込めて説得した。しかし、ガバノンは力なく首を振った。
「それは出来ない。決して…」
 その言葉に何か感じ取ったのか、ポルトスは素早くアトスの顔に視線をやった。アトスはそれを受け止めると、溜息をついた。そして、何か考え込んでいるようだった。
 室内の三人は沈黙した。洞穴の前の騒ぎは、落ち着いたようだった。ダルタニアンの声が何事か騎士団員に言い含めているようだ。

 アトスは迷っていた。
 しかし、時間がない。アトスには、一つの解決方法しか残されていなかった。一瞬、ポルトスを見遣ったが、もう迷っている場合でもなかった。
 「ガバノン。」
 アトスは呼びかけながら、ポルトスの腕を取って立ち上がらせると、椅子を引き寄せてベッドの傍に腰掛けた。
「いいか、ガバノン。良く聞けよ。お前がサン・マルクに戻らずに、しかもエリックの財産を守る方法はただ一つ。後見人を変更することだ。」
ガバノンは皮肉な声で言った。
「無理だな。後見人の変更には、代訴人が作る正式な書類と、元の後見人の署名が必要だ。そのどちらも望めまい。」
「いや、例外がある。」
「知っているよ。司法権を持つ伯爵以上の人間による承認だろう。そんな奴は居やしない。」
「居るんだ。ここに一人。」
 アトスは真っ直ぐにガバノンを見つめた。ポルトスの方には振り返らなかったが、彼が微動だにせずに成り行きを見つめているのは分かっている。ガバノンはその落ち窪んだ漆黒の瞳に、驚きの色を浮かべて、アトスを見つめた。
「…あんたが?」
 アトスは胸元から細い鎖を引っ張り出して首から外した。それには、大きな金の指輪がぶら下がっている。アトスは指輪の巨大な上面をガバノンに示した。
「ラ・フェール伯爵家の紋章だ。いいか、お前がデュルケムと俺以外の成人男子を後見人指名して、その期間と権限を明記し、日付、お前の署名、そして司法権を持つラ・フェール伯爵への委託と伯爵自身の承認署名があれば、それだけで手続きは完了だ。エリックの財産は成人するまでラ・フェール伯爵の権限で守られる。」
 ガバノンは僅かに眉を寄せて、迷っているようだった。
「しかし、アトス。あんたが偽のラ・フェール伯爵だったら?」
「結果は同じさ。やっぱりエリックが文無しになるだけ。賭けだよ、ガバノン。何もせずにデュルケムにすべてを奪われるか、信じて俺に賭けるか ―」
 ガバノンは暫らくアトスの顔と、指輪に刻まれた紋章を見比べていた。そしてやがて、静かな声でアトスに尋ねた。
「リヨンに、私の名付け親が健在だ。それを後見人に出来るか?」
「十分だろう。」
アトスが頷くと、ガバノンはポルトスの方に向き直って言った。
「後ろの棚に、インク壷と紙がある。取ってくれ。それから、光を ― 」
 ポルトスは直ぐに言われた通り筆記用具を取り出し、見所台と一緒にガバノンの枕元に運んだ。そして窓に下ろされたカーテンを開けると、日光が部屋に差し込んだ。ガバノンは、眩しそうに目を細めた。
「ああ、日光って言うのはこういうものだったな。」
 日の光に照らされて、ガバノンの悲惨なほどやせ細った姿が浮かび上がった。彼は骨の浮き出た手でペンを取ると、最初の数文字を震わせながら委任状を書き進めた。ポルトスはカーテンを開けた窓から、そのまま外を眺めている。外では何かが進行しているようだった。
 アトスはガバノンが書き進めるのを見守り、最後まで来るとペンを受け取った。そして「アトス」ではない、他の名前で署名をすると、インクを乾かすように紙面を吹いた。そしてそれをクルクルと巻いて、懐にしまいこんだ。
 「本来なら署名だけでも効力があるはずだが、後で念のためにシールをつけておこう。さて…」
 アトスが椅子から立ち上がると、ガバノンはもう全ての仕事をやり遂げてしまった安堵感に包まれたかのように、体をベッドに沈め、目を閉じた。アトスは構わずに続けた。
「こうして書面まで書いた以上は、力ずくでもここから退去してもらう。」
「なんだと?」
ガバノンはもう目も開かずに、弱々しく声だけで反論した。
「逃げるんだよ、ガバノン。枢機卿の護衛士やロシュフォールに逮捕されたら、この委任状の効力も怪しくなるからな。リシュリューが田舎の地主の財産を召し上げるのなんて、伯爵の一人や二人ついていたって造作もない。さすがのラ・フェール伯爵もそうなったら役立たずだ。」
「それに、準備もできたみたいだぜ。」
 それまで黙っていたポルトスが、明るい声で言った。アトスが振り返ると、ポルトスが後ろ手に窓の外を指し示した。すると、下からダルタニアンの若々しい声が響いた。
 「作戦決行!出発!」
 おお、という掛け声が響き、足音がしたかと思うと、ダルタニアンを先頭にして五人ほどの騎士団員が上にあがってきて、ガバノンの居室に乗り込んだ。ダルタニアンはまずアトスとポルトスを認めると、
「やぁ、アトス。ポルトス。ガバノンさんを連れ出しに来たよ。」
と、部屋を見回した。アトスが指差すので、ベッドの上に横たわるガバノンに気付くと、ダルタニアンは帽子を取った。
「今日は、ガバノンさん。はじめまして。お迎えに上がりましたよ。ここにはガバノンさんを捕らえに枢機卿の護衛士達が押しかけてくるので、強制的に移動します。なに、大丈夫。この『愛と自由のバニア騎士団』の諸君が、守り抜くと宣伝していますから。さあ、とりかかれ!」
 ダルタニアンが号令すると、当惑するガバノンの反応も見ずに五人の騎士団員たちがガバノンの体を横たえたまま担架にそっと移し、他の数人が荷物をまとめ始めた。
 ポルトスはニヤニヤ笑いながらその光景を見ていたが、アトスは真面目な表情のままダルタニアンに尋ねた。
「アラミスは?」
「脱出口の方で待っているよ。」
「脱出口?」
「ここに上がってきた街道側の山道は、枢機卿の護衛士たちが登ってくるだろうから使えないだろう?十人ほどやって、岩と木材で道を塞がせたんだ。代わりに、この岩山の背後にブラー川が迫っているから、そっちに回って船で脱出させることにした。」
「川の方は切り立った崖だろう?降りられるのか?」
ダルタニアンはニッコリと微笑んだ。
「大丈夫。大昔、籠城戦にそなえて掘られた、複数の竪穴がある。丈夫なロープと鎖を使って、下に降ろせるようになっているのさ。今、アラミスが他の怪我人を下ろしているところだろう。多分上手く行っているんだよ。使用不能だったら銃を二発撃って知らせることになっているから。さぁ、準備が出来た。行こう。」
 五人の騎士団員は掛け声を合わせて、ガバノンの横たわった担架を持ち上げた。その上で、真上をぼんやりと見つめながら、ガバノンが尋ねた。
「ブラー川に出て、それからどうするつもりだ?」
やはりダルタニアンが答えた。
「下流に一時間ほど下ると、聖ヨハネ騎士団の支局修道院があるんだ。団員にそこの修道院長の弟が居るだろう?前からガバノンさんに、そこへ移るように進言していたはずだ。今度こそ、そこに行ってもらうよ。さぁ、出発!」
 ダルタニアンがまた号令すると、騎士団員たちは素早く、しかしそっと、ガバノンをのせた担架を担いで部屋を出て行く。
 「へぇ、大したもんだなぁ!」
 ポルトスがそれを見送りながら、感嘆の声を上げた。
「ダルタニアン、いつの間にあいつらの指導者になったんだ?さっきまで、ただのゴロツキの集まりだったのに。今やイギリスの海軍兵みたいに、規律正しいじゃないか。」
すると、ダルタニアンは大いに得意げな顔で言った。
「どうって事ないさ。連中に今眼前に迫っている危機と、ガバノンさんを守る為に思い切った行動を起すべき時だって事を説明してやれば良いのだから。元々、ガバノンさんの為に残っていた連中なんだから、あれくらいはやれるよ。さぁ、僕らも行こう。」
ダルタニアンは帽子を直すと、
「一旦裏手の川まではつきあうとして、夕方までやりすごしたら、麓を大きく迂回して街道側に戻れる。それから馬を拾って、サン・マルクに向かえば夜中になる前に到着できるはずさ。」
と、アトスとポルトスを見回しながら言って、ガバノンの担架を追って駆け出していた。
 「いや、参ったなぁ。ありゃ、隊長の器だぞ。そう思わないか?アトス。」
ポルトスはそう言って笑いながら、部屋を後にしようとした。するとアトスが不意に、
「ポルトス。」
と、硬い声で引き止めた。ポルトスが振り返ると、アトスはまだベッドの傍に立ちつくしたまま、暗い顔でポルトスを見つめている。
「何だ?アトス。」
「ああ。さっきの事だが…」
 アトスは言葉に詰まった。ポルトスは二回ほど瞬きをしたが、やはり黙ってしまっているアトスに、穏やかな声で言った。
 「なぁ、アトス。お前、俺と初めて会った時の事を覚えているか?」
「初めて会った時?」
アトスは不思議そうに聞き返した。
「ああ、覚えているとも。鮮明に…。」
 アトスは頷いた。そう、ポルトスに初めて会ったのは三年ほど前だ。やおら路上で決闘を始めた美丈夫が、ひどく輝いて見えたのを今も鮮やかに思い出す。そして、会ったばかりのアトスを『伯爵』と呼び、高い身分を隠していることを早々に見抜いていた ― 。
 「あの時、アトスは言ったよな。」
ポルトスの緑色の瞳がいつになく優しげに見える。彼は続けた。
「こう言ったんだ。『私はただのアトスだ。銃士のアトス。』 ― そうさ。俺にとって、お前はアトスという友達であって、それ以上でも以下でも、何でもない。ましてや何とか伯爵とか公爵とか言う事は、どうでも良いんだ。」
 アトスは絶句した。そしてしばらく呆然としてポルトスの顔を眺めていたが、その緑色の瞳が悪戯っぽく微笑むと、踵を返した。
「さぁ、ダルタニアンが呼んでる。行こうぜ、アトス。」
 そう言い捨てて、ポルトスは駆け出していった。アトスは、その後ろ姿を眺めていた。お洒落が信条の友人が、なぜマントに大きな裂け目などこしらえたのかは不明だが、とにかくアトスはポルトスの背中に向かって、小さく呟いた。
「そうだな。 ― 」
 そしてもう一言心のなかで呟くと、ポルトスの後を追って走り出した。


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