6.首領 パトリス・ガバノン

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  義理人情が高くつく
  

 バニア要塞が居を構える岩山は、上に通じる道が狭く、しかも険しくごつごつした岩が連続していた。確かに攻めるのは困難だろう。アトスとアラミスは額に汗をにじませながら、肩を怪我した老兵の案内で要塞本体に向かって進んでいた。太陽も南中に近付き、気温が上がってきている。
 岩山の半ばまで昇ると、やっと険しさが和らいだ。そしてやがて大きな洞穴が現われた。ここが『愛と自由のバニア騎士団』の根城と言う訳だ。アトスとアラミスが見た所、ここに立て籠る人数は当初言われていたような数百どころか、二,三十人も居るかどうかという程度だった。
 洞穴の内外にたむろしていた自称騎士団員は、いずれも身なりは薄汚れ、目ばかりがギラギラとしていて、あまり栄養状態が良いとは言えない。見回すと銃が放置されていて、直ぐには使えそうもない状態だ。おそらく、下の番小屋にあった銃が、唯一の使用可能な銃だったのだろう。
 老兵が連れてきたアトスとアラミスに騎士団の男たちは、すわ敵かといきり立ったが、老兵が「ガバノンさんの友人だ」と言って収まった。正確にはそうではないが、アトスもアラミスも黙っている。老兵は番小屋に一人怪我人が居るから、四人ぐらいで迎えに行くように言って、傷の手当てを始めた。そこで、アトスとアラミスは取り次ぎに案内され、洞穴の奥に進んだ。
 洞穴は奥で上り坂になっている。取り次ぎとアトス,アラミスがその暗い坂を登りきると、急に明るい光が眼前に広がった。丁度洞穴の入り口の真上が、平らな岩盤のむき出しになっており、坂はそこに通じていたのだ。おそらく、洞穴の奥から人力で掘り進んで、上に出るようにしたのだろう。岩盤の上には、岩と木を組みあわせた二階建ての建物が、岩山に張り付くように ― 或いは寄りかかるように建っていた。
 入り口には、男が一人見張りに立っている。取り次ぎの男が見張りに客だと言うと、建物のドアが開かれた。取り次ぎはアトスに振返った。
「あんたたち、ガバノンさんの友達だって?」
するとアトスは低い声で応えた。
「『パリから来た近衛銃士隊士』でいい。」
 取り次ぎは怪訝そうな顔をしたが、何も言わずに室内に消えた。そしてすぐに戻ってくると、アトスとアラミスを招き寄せた。
「お会いになるそうだ。」
 アトスとアラミスは少し顔を見合わせると、取り次ぎが空けたドアから室内に進んだ。背後でドアが閉められると、二人は部屋を見回した。

 ガランとした部屋だ。日当たりは良いはずだが、窓にはカーテンがかけられ、微かにしか部屋を照らしていない。壁際に粗末な書き物机と、本の山が見えた。そして古ぼけた衣裳箱が蓋を開けたまま置かれ、無造作に上着などが掛かっている。埃にまみれて薄汚れているものの、元来の生地や仕立ては良さそうに見える。
 「パリから来た銃士とは、意外なお客さんだな。」
 不意に、奥から声があがった。アトスとアラミスが振りかえると、窓から離れた部屋の隅に、天蓋付きのベッドがしつらえられ、半身を起こした男が横たわっていた。
「私がパトリス・ガバノンだ。」
 男の声は低く、うなるように響いた。薄暗い部屋に次第に目が慣れてくると、二人の銃士はガバノンがどんな男かが見えてきた。真っ黒な髪と髭が伸びきってはいるが、みすぼらしい印象を与えないのは、彼の顔形のせいだろう。秀でた額と、真っ直ぐに伸びた美しい鼻梁が、美男子だった事を物語っている。顔色は青いというよりどす黒く、頬がおちくぼんでいる。しかし大きく真っ黒な瞳には、明らかに誇りの高さが映っていた。
 アトスとアラミスは、ベッドの傍に歩み寄った。ガバノンは二人を黙って見上げている。
(確かに親子だな ― )
 アラミスは思った。こうやって人を下から見上げる表情が、エリックに良く似ている。アトスは帽子も取らずに言った。
「さっきも言ったとおり、パリから来た近衛銃士隊士で、俺はアトス。」
「アラミスだ。」
二人が名乗ると、ガバノンは口の端を少しだけ上げて笑ったらしい。
「ほう。それで、銃士さんがこんな所に何の用だね。」
「俺達があまりにも市中で好き勝手に振る舞うので、暇ついでに派遣されたんだ。このバニアに立て籠る反乱軍の偵察にな。」
「そいつはどうも、ご苦労だったな。しかし大した成果は上げられまい。」
「そのようだな。」
 アトスが静かにそう言うと、ガバノンは手で座るように二人を促した。部屋の隅に小さな腰掛けがある。二人はそれぞれの分を、引き寄せてベッドの傍に座った。
「いま、ここには何人ぐらい居るんだ?」
アラミスが静かに尋ねると、ガバノンはまたすこし笑った。目つきが緩んでいないので、皮肉な表情に見える。
「さぁ。三十人も居れば良いくらいだろう。私がここに来た時は二百か三百は居たが、もう随分減った。」
「『愛と自由のバニア騎士団』は解散状態か。」
アトスの問いを、ガバノンは鼻で笑ってみせた。
「そんなもの、最初からありはしなかったのさ。要は郷里に居られなくなった、ならず者や農地を捨てて行く当てもない連中の、巣窟にすぎない。四散するのは時間の問題だったんだ。」
「ラ・ロシェルの状況も影響しているか?」
「ああ。」
 ガバノンは一瞬言葉を止めると、痩せた手で少しだけ胸を押さえた。そして直ぐに口を開いた。
「ラ・ロシェルへ枢機卿が総攻撃をかけるのではないかという噂が流れると、この要塞から姿を消す人数が一気に増えたな。夜が明けてみたら、百人ごっそり居なかったなんて事もあった。」
「全員居なくなるのも、時間の問題か?」
「そうだな。」
 アトスの問いに短く答えると、ガバノンは頭を枕に預けて、目を閉じた。薄い瞼の下で、げっそりと痩せ細った頬が痛々しい。アトスにも、アラミスにも、この男の健康がひどく害されているのが分かった。
「それでガバノン、お前はどうしてここへ?」
アトスがまた尋ねると、ガバノンはうっすらと目を開けた。
「さっきも言ったろう。郷里を捨てて、あてどなくたどり着いただけだ。」
「子供も捨ててか?」
 ガバノンは目を見開くと、改めてアトスの顔を見遣った。アトスはもう一度言った。
「子供だよ。エリック・ガバノン。」
 ガバノンは少し体を起こすと、用心深そうにアトス、アラミスを見回した。今度はアラミスが低い声で言った。
「昨日、サン・マルクでエリックに会ったんだ。私達がバニア要塞に派遣された銃士だと知ると、父親を連れ戻してくれと、依頼してきたんだ。― 生きたままでね。」
 ガバノンは二人から視線を外すと、また目を閉じた。どうも聴きたくないらしい。しかし、アラミスは止めなかった。
「しかも、報酬付きでだ。無事に父親をサン・マルクに連れ戻したら、自分の全財産を報酬として払うそうだ。 ― 無論、私達は受け取らないが…。」
「受け取る気があっても、受け取る事は出来まい。」
ガバノンは目を閉じたままつぶやいた。
「私はここでこうして、死を待っている。そう遠い事じゃない。」
「病気は ― 」
アトスが言うと、ガバノンは目を薄く開け、その目が僅かに微笑んだ。
「もういけない。先月までは居た医者に言わせると、肺に大きな病巣があるそうだ。その病巣が大きく広がり、体全体を蝕む。食い止めるには、肺ごと取っ払うしかないそうだが、結構なお話さ。ここに居る部下の一人が、近くの修道院にかくまってもらえると、随分私を説得したがね。どうせすぐに死ぬのだろうから、ここに留まった方が気が楽だ。銃士さんが乗り込んで反乱軍の頭目をひっ捕らえようと意気込んでも、こんな半分屍じゃぁな。」
 アトスは黙っている。アラミスは口の中で小さな祈りの言葉をつぶやくと、また静かに話しかけた。
「死を前に、エリックに一目会ってやったらどうだ?サン・マルクは移動不可能な距離じゃない。」
「ふん。銃士さんたち。ここに留まっている連中を見ただろう?彼らは、私を見捨てられないから、ここで頑張っているんだ。健気な連中だよ。本当は一刻も早く ― 枢機卿が大軍を率いて押し寄せる前に、郷里に逃げ帰りたいのにな。そんな彼らを置いて、私だけ息子に会いに帰れる訳が無いだろう。」
「そこまであんたを敬愛しているなら、理解してもらえると思うが。」
 アラミスは微笑みながら言ったが、ガバノンはまた静かに首を振り、目を閉じた。そしてまた誰にともなく、呟くように言った。
「駄目だな。…私はエリックには会えない。」
 ガバノンはそれっきり、黙ってしまった。アラミスは助けを求めるようにアトスを見遣ったが、こちらも何か心ここにあらずと言った顔つきで、ガバノンをじっと見詰めている。
 その時、カーテンの下りた窓の外 ― しかも随分遠くから、かすかに銃声が響いた。アラミスとアトスは素早く立ち上がると、カーテンを開けて窓から外に身を乗り出した。下の洞穴の入り口に、騎士団の男たちがわらわらと出てきて、顔を見合わせ、あの銃声は何だと言合っている。どうやら、銃声は山の麓から響いたようだった。

 「ポルトス!大丈夫か?!」
 ダルタニアンが叫ぶと、落馬した辺りでポルトスの手がニョッキリとあがり、振ってみせた。
 ダルタニアンは大きく迂回させた馬を回すと、そのまま全速力でバニアの岩山の麓に見える番小屋に向かった。少なくとも四発は発射されたはずだが、次の弾込めに間に合うはずだ。番小屋の前に整列した男がモタモタと銃を扱っている所に、ダルタニアンは馬から飛び降りざまに突入した。そこでまず二人が銃を取り落とす。すぐさまダルタニアンは剣を抜き去り、一人の腕を一突き、もう一人の銃を脚で蹴り上げた。
 「勝負ありだ、動くな!」
 呆然とする四人が両手を挙げて降参する。すると、番小屋からよろよろと出てきた男が、ダルタニアンと腰の辺りをさすりながら近付いてきたポルトスを見て、驚きの声を上げた。
「あ!違う、この人たちじゃないよ!」
脇腹に怪我をして、応急処置をしているらしい若い男に、ポルトスとダルタニアンが同時に聞き返した。
「どの人たちじゃないって?」
「今朝、襲ってきた連中だよ。ロシドロリン伯爵だかなんだかと、枢機卿の護衛士だかなんだかが、ガバノンさんを捕らえに来たんだ。」
「え、本当か。それで、どうしたんだ?」
ポルトスが腰をさする手を止めて先を促した。怪我人が続けた。
「連中、要塞にガバノンさんは居るか、居るなら逮捕にしに来たぞっ、って脅すから一生懸命しらをきったんだ。そうしたら、あんたたちと同じ方向から、二人連れの弁士だか修士だかが割り込んできて…」
「銃士だよ。アトスとアラミスだな?」
と、ダルタニアン。
「そう、そんなようなふざけた名前だった。その二人がロンベレレン伯爵の顔見知りらしくて、どういう訳かガバノンさんについて嘘を教えたんだ。とりあえずはそれで助かって、伯爵と枢機卿の護衛士の何人はオルレアンへ、あと数人の護衛士がサン・マルクに向かったんだ。俺はてっきり、そいつらが戻ってきたかと思って…」
 彼らが戻ってきたかと勘違いして、怪我人を回収しに来た騎士団の四人がなけなしの銃を、ポルトスとダルタニアンに向かって撃ったという事だ。ダルタニアンは剣を抜いたまま、瞳をクルクルさせながら言った。
「つまり、僕らがサン・マルクからここに向かう途中ですれ違った護衛士の四人は、アトスとアラミスに騙されてサン・マルクに向かったんだな?」
「すれ違った?」
 怪我人は一応の説明はしたものの、この騒ぎの全容が掴めていない。しかしポルトスはその通りだと肯いた。実の所ダルタニアンとポルトスは、サン・マルクからこのバニアに向かう途中、前方から武装した四人が馬で掛けてくるのに遭遇したのだ。用心のために馬を道脇の茂みに隠し、自分たちも姿を潜めてその四人をやり過ごした。
「まずいぞ、サン・マルクで閉じ込めた八人は、加勢だったんだ。もし、ここからサン・マルクに向かった四人が、出加勢連中を助け出したら、ここにとんぼ返りするに違いない。」
 ポルトスの言葉に、ダルタニアンも肯いた。
「こうしちゃ居られない、早くガバノンに会わなきゃ。さぁ、上の要塞に案内してくれ。」
 怪我人と、四人の騎士団員は当惑して、口々に抵抗した。
「第一、あんたたち信用できるのかよ?さっきの二人の仲間だなんて証明できるか?」
「時間が無いんだから、信用しろよ。みすみすガバノンが捕らえられても良いのか?」
 それでも騎士団員は迷っている。その時ダルタニアンは、怪我人が簡単に傷の手当てをしているのに気付いた。
「おい、お前さんのその脇腹。手当てをしたのはアラミスとアトスじゃないか?」
「それが?」
「ほら、この膏薬。これを使わなかったか?」
ダルタニアンは懐を探ると、小さな膏薬の容器を取り出し、中身を怪我人の鼻先に突き付けた。
「僕の母秘伝の膏薬だ。アトスやアラミスにも分けてあるから、怪我の手当てには必ず使うはずだぞ。」
「確かに、においも色も同じだけど…」
 怪我人が言いよどむと、業を煮やしたポルトスが剣を抜いた。
「おい、おまえ等は立場が分かっていないようだな。拒否している場合じゃないんだ。さぁ、三人でこいつを運んで(と、怪我人を指差す)、一人は俺達をガバノンの所に案内しろ。アトスとアラミスもそこに居るはずだ。」
 こうなっては騎士団員に抵抗する術はない。時間が無いと言って急き立てるポルトスとダルタニアンは、一人を道案内に険しい山道を登りはじめた。



 
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