4.朝っぱらから支払いだ、発砲だ

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  義理人情が高くつく
  

 朝、目を覚ましたダルタニンが ― この若者はいつでも寝起きが良いのだ ― 食堂に降りてくると、もうエリックがテーブルで朝食をガツガツと食べていた。
「やぁ、おはようエリック。良く眠れたかい。」
 ダルタニアンがにこやかに言いながら向かいに座ると、エリックがふてぶてしく返した。
「銃士さんたちはまだ寝ているの?太陽が昇ると同時に仕事を始めなきゃならないんじゃない?」
ダルタニアンは苦笑した。プランシェがテーブルに朝食を並べていく。
「いいこと言うね、エリック。それは平時の事。戦時の軍人っていうのは、普段とは違う時間帯で仕事をしなきゃならないのさ。」
「ふうん。」
エリックは手を止めてダルタニアンを見つめた。
「それで、仕事は引き受けてくれるの?」
「うん、まぁね。」
ダルタニアンはパンを齧りながら答えた。
「僕らにだって元々任務がある訳だから、もちろんそれを優先する。エリックのお父さんを探すのは、その仕事の延長上に考えられるから。」
「えんちょうじょう…」
 エリックはしばらく気の抜けたような顔でダルタニアンを見ていたが、またすぐにふてぶてしい顔に戻った。
「でも、アトスはやりたくないみたいな感じだけど。」
「そんな事はないよ。僕と三銃士は、いつも同じ心を持っているのだから。」
「ふうん。」
 エリックはそれ以上、聞かなかった。そして自分の食事を終えるとさっさと食堂から出て行き、庭の犬とニワトリを追い掛け回し始めた。この宿屋の主人であるコンテは、別に気にする様子も無い。エリックは古来からの地主の子で、しかも隣人だ。この宿屋で遊ぶのも特別珍しい事ではないのだろう。
 やがてポルトスとアラミスも降りてきたので、ダルタニアンがエリックとの会話の話をすると、
「へぇ、それでエリックは納得したのかね。」
と、ポルトスが聞き返した。
「どうかなぁ。でもとりあえず、今日は情報収集に動くんだ。半ば引き受けたようなものさ。」
 ダルタニアンにも、アトスの憂鬱が伝染したのかもしれない。若者は何となく気分が浮かなかった。

 最後まで寝ていたのはアトスだが、いつものとおりグリモーが主人をベッドから引きずり出し、朝食などは食べなかった。
 三銃士とダルタニアンが宿から出発しようとして、ひと悶着起きた。宿の主人コンテが、昨晩の宿泊費と朝食までの食事代を、払えと言うのだ。今夜も泊まる予定だが、主人の言い分はこうだ。
「従者だの荷物だのを置いておくから安心しろ、なんて言った所で信用できるもんですか。逃げられちゃ困りますから、毎朝払っていただきます。」
ポルトスが呆れ声を上げた。
「ひどいな、俺達が無銭飲食宿泊するようなゴロツキに見えるか?」
「見えます。」
本業は畑仕事で宿屋は副業だといっても、なかなかしっかりしている。
「ああ、そう。…いくらだ?」
 今回はトレヴィルから必要経費として、まとまった金を渡されている。多少気が大きくなっていた。
「成人男子四名、子供一人、一泊二食、酒類大量追加、従者割引該当四名、一泊二食、高級ハム割り増し、締めて二十八ピストールになります。」
「ちょっと待て!」
ポルトスとアラミス、ダルタニアンは同時に声を上げていた。そして代表してアラミスが続けた。
「子供一人って何だ。この男は(ダルタニアンを指差した)こう見えても、一応成人だぞ。」
「あの子の分ですよ。あれは成人男性とは言わないでしょう。」
 主人が開いた扉の向うの中庭で、エリックが頭の悪そうな犬と取っ組み合い、狂暴そうなニワトリに蹴りを食らっている。
「阿漕な野郎だ、エリックは昔からの知り合いだろう?!しかも地主の子じゃないか!」
ポルトスが尚も言うと、コンテは肩をすくめた。
「そりゃあ、あの子が我が家の母屋に泊めてくれって言うなら無料ですよ。しかしあなた、ゆうべはあなた方を訪ねてきたんでしょう?それでしかも客室に泊まったんだったら、お客さんですよ。もちろんエリックから金を取ろうなんて、これっぽっちも思っちゃいません。」
ポルトス、アラミスとダルタニアンは顔を見合わせた。そしてポルトスが代表して小さな声で言った。
「トレヴィル殿の支給金から足が出たら、やっぱりエリックからもらおうか。」
 三人がアトスの方を振り返ると、姿が無い。どこだと見回すと、もうグリモーに馬を引出させて跨ろうとしている所だ。一日目の勘定がどうとうか言う話には、興味がないらしい。結局、主人の言う通りに二十八ピストールを払う事になった。所持金は二十二ピストールになった。

 アトスが一足さきにグリモーに馬を引出させると、体中に犬の毛やニワトリの羽毛をこびりつかせたエリックが、近寄ってきた。
「おはよう、アトス。」
「…おはよう。」
アトスは無愛想なまま言うと、鐙に足を掛けて鞍にまたがった。エリックが下から尋ねた。
「バニアに行くんでしょう?僕も行くよ。」
「駄目だ。」
「どうして?」
「知っているだろう。バニアは『愛と自由のバニア騎士団』が立て籠る要塞。つまりは戦地だ。子供を連れて行く訳には行かない。」
「子供じゃない、エリック・ガバノン…」
「そういう台詞は、徹夜で飲めるようになってから言え。」
エリックは不満そうに頬をふくらませた。
「麓の方は平和なものだって、聞いたけど。」
「不確かな情報を信用するのは、大人失格だ。」
 アトスは仲間が出てくるのを待って、馬上で肘を突いている。ふと、昨日自分たちがたどってきた街道に目が行った。騎馬の集団が、こちらへ向かって来る。
 エリックはしばらく黙っていたが、また頼んだ。
「連れていってよ、アトス。危ない事なんて、平気さ。自分の事くらい自分で守るよ。」
「いいか、エリック。騎士の務めと言う物を教えてやる。」
アトスは視線を戻した。エリックの顔を真っ直ぐに見据え、低いがきっぱりとした声で言った。
「騎士の仕事は闘う事。その目的は、主人への忠誠と、弱きもの ― 女性、子供、老人、病人を守る事だ。分かったら大人しく待ってろ。」
アトスはもう一度、街道の方を見た。エリックは大きく溜息をつくと、小さな声でつぶやいた。
「戻ってきてよ。」
 アトスはすこし驚いて、エリックの方を見直した。エリックが目に涙をためているような気がして、アトスは視線を外した。気のせいかもしれない。
 アトスにとって救いだったのは、丁度仲間達がどやどやと出てきた事だった。
「やれやれ、待たせたなアトス。あの強欲親父め。長逗留するのは得策じゃないな。」
と、ポルトスが大声で喋っている間に、彼らは従者が引き出した馬に跨った。するとアトスが街道の向うに顎をしゃくってみせた。
「ダルタニアンとポルトスは、少しここにとどまってくれ。あの連中が何者か見極めるんだ。」
アトスはもう、拍車を当てて走り出している。
「何者だって?!」
驚いたポルトスがアトスに向かって怒鳴っても、アトスはもう駆け出していた。ダルタニアンは鞍の上から伸び上がった。
「嫌だなぁ、十人ぐらい居るよ。こっちに向かって来る。」
相変わらずこの若者はトンビのように目が良い。
「嫌な予感がするな。まぁ、せいぜい頑張れよ。」
 アラミスは呑気な口調で言うと、ダルタニアンとポルトスに手を振ってみせた。そして拍車をかけると、アトスの後を追って走り出した。
 残された二人は顔を見合わせたが、とりあえずまずポルトスが馬から降りた。
「行商人か何かじゃないのか?なぁ、エリック。」
 ポルトスはのんびりと言ったが、エリックは反応せず、エリックは、アトスとアラミスの走り去った方向 ― バニアの方向をじっとみつめている。一方、ダルタニアンはまた鐙に足を踏ん張ると、鞍の上から出来るだけ背伸びした。
「ねぇ、ポルトス。」
「やっぱり行商人か?旅芸人一座か?」
「先頭の馬に乗ってる男に、見覚えがあるような気がするんだよね…」
「おいおい、酒場の親父がここまでツケを請求しに来たんじゃないだろうな。」
「このあいだ、僕らがコテンパンにした、枢機卿の護衛士に見えるよ。」
 ポルトスはしばらくダルタニアンの言っている意味を咀嚼してから、目を細めて接近してくる一団の先頭の男を確認しようとした。
「うん、なるほど。」
ポルトスは年若い友人ににっこりと微笑みかけた。
「ダルタニアン、確かに君は目が良いぞ。」

 デュルケムの言った通り、バニアはサン・マルクからさほど遠くない所にあった。アトスとアラミスが駆ける道はしばらく平坦だったが、やがて岩場が多くなりすぐ東側にブラー川が迫ってきた。岩場の合間に牧草地が顔を出し、牛が草を食んでいる。バニア要塞のふもとの集落に、酪農の家が何軒かあるはずだ。その牛なのだろう。
 やがて大きな岩山が眼前に迫ってきた。
「よくあんな所に作ったな…」
 アラミスが馬上から感嘆の声を上げた。バニアの岩山の中腹に、遠目だと微かに見える程度ではあるが、木と石を組みあわせたような小さな建物がへばりついているのだ。
「一番多い時で二百人が立て籠ったなんて、嘘じゃないか?」
馬を止めてアラミスが言うと、アトスは僅かに頷いた。
「そうかもな。それよりアラミス、先客が居るみたいだぞ。」
アトスに言われて、アラミスは改めて麓を見た。
「嫌な予感がするな…」
 アラミスはつぶやいた。岩山の麓には、小さな番小屋があるだけのはずだが、その辺りに埃が濛々と立っており、散発的に銃声や人の声がする。二人はまた直ぐに拍車を掛けて、岩山に向かった。
 要塞へ通じる道が真っ直ぐにひらけ、左右に数個の家が散見されるようになった時、アトスとアラミスは同時に銃声が大きくなったのを感じた。咄嗟に二人は馬を左右に分ける。狙われているのだ ―
(あそこだ!)
 アラミスが銃の居所に気付いた。岩山の麓から険しい山道が始まろうとするその辺り ― 小屋らしき建物がが埃の合間から見えていた。と、同時にアラミスの耳元に、つんざくような銃声がと風が吹き抜けた。彼の頬に焼けるような痛みが走る。帽子が吹っ飛んだ。
「アラミス!」
 道の向こう側から、アトスが叫んでいた。アラミスは一旦は鞍から転げ落ちそうになりながらも、片足が鐙に残り、片手が鞍にしがみついている。馬が速度を落とさない。頬から飛び散った血で手がぬるつくが、どうにか彼は体制を立て直し、鞍の上に戻った。しかし、かなり馬が興奮している。すぐに道から外れた草地で、足を取られ、転倒した。同時に、アラミスは馬から投げ出された。
(何が、いきなりは撃ってこないだ!)
 アラミスは心の中でデュルケムへの恨みを叫びながら地面を転がり、やっと体制を立て直して立ち上がった。何時の間にか銃声が止んでいるが、用心のために姿勢を低くする。
 アトスの姿が見えた。馬上だ。無事らしい。しかし、馬を止めて両手を胸の高さに挙げていた。山道の入り口で巻き起こっていた土埃が晴れると、やっと状況把握が可能になった。
 膝をついて銃を撃っていたらしき男が五人。手に抜き身の剣を持った男が四人。その四人がアトスの馬を取り囲むように、近付いてきた。アラミスもその内の一人に促され、忌々しい気持ちのまま軽く手を挙げ、アトスの傍まで歩かされた。
 やがて、山道の入り口にあった小さな小屋から、背が高く茶色い髪の男が出てきた。彼は銃を持った部下に撃針を解除するように指示して、馬上のアトスを見やりながら近付いてきた。丁度アラミスがアトスの傍まで来て足を止めた時、その長身の男が誰であるかが分かった。アトスとアラミスは同時に声を発した。
 「ロシュフォール…」


 → 5.嘘と大工道具は使いよう
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