3.微妙な依頼

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  義理人情が高くつく
  

 ダルタニアンはあてがわれた宿屋の二階から、外を眺めた。少し離れた隣家から、デュルケムらしき人影が出てくるのが見える。やがてその人影は、教会に向かって行った。すると、今度はムスクトンが宿屋の軒先から飛び出して行く。そして左右を見回して、デュルケムの姿を認めると、そっとその後をつけはじめた。
 「旦那様。」
 呼ぶ声に振り向くと、プランシェが寝具を抱えて部屋に入ってきた所だった。
「ねぇ、旦那様。あのエリックってぇ男の子ですけどね。なんだか可哀相な子ですよ。」
「どうして。」
 ダルタニアンが聞き返すと、プランシェは肩をすくめた。
「だってねぇ。デュルケムさんの家は元々あの子の親の物なんでしょう?でもエリックは今、あの家に住んでいないんですって。あのジャンって爺さんがこぼしていたんですが、デュルケムさんはエリックの後見人と言えば聞こえが良いが、実際は財産を横取りしようとしているようなものだって。あの子の父親だって、まだどこかで生きているんでしょう?なのにすっかりこの家を我が物顔で使って、しかもエリックには随分離れた小作人の所に寝泊まりさせているんですよ。まぁ、昼間もエリックが来てましたから、出入りは自由みたいですけど。」
「本当かい?ひどいなぁ。」
「まぁ、もっともエリックってあの子自身、あまり叔父さんの事が好きじゃないみたいですけどね。小作人て言ってもちゃんとした家だし、その家の子とも仲が良いから、その方が気楽なんでしょうけど。」
「ふうん。」
と、相槌を打ったのはダルタニアンではない。いつの間にか、ポルトスがドアによりかかって、腕組みしていた。
「ジャンって召し使いも、デュルケムに好意的じゃないようだな。」
ポルトスがプランシェに尋ねた。
「手前のみたところじゃ、そうですね。ジャンじいさんは、エリックの父親が子供の頃からガバノン家に仕えているんで。」
 プランシェはそう言いながら、ダルタニアンの洗い物を抱えて、部屋から出ていった。それと入れ替わりに、ポルトスは部屋に入ってくると、ダルタニアンがさっき外を見ていた窓から、夕暮れに没しようとするサン・マルクの教会を見遣った。
「ポルトス、さっき気付いたんだけど。」
ダルタニアンは、大柄な美丈夫の顔を見上げながら言った。
「きみ、さっき下で通りかかった老人をジロジロ見ていただろう?知っている顔かい?」
「うん?ああ、まぁね。」
 ポルトスはダルタニアンに向き直ると、緑色の瞳を微笑ませながら答えた。
「それにたった今、ムスクトンが教会に向かったよ。デュルケムの後をつけていったみたいだけど。何を企んでいるだい?」
「ダルタニアン。」
ポルトスはにっこりと笑い、そのがっしりした手で若い友人の肩を掴んだ。
「話は後。さぁ、夕飯にしようよ。バザンが呼んでる。」

 宿屋の主人コンテは居るには居るが、農業が本職であって、部屋を貸しているだけに過ぎなかった。だから、食事の支度を実際にしたのはバザンだ。食材は豊富にあるので、自由に使って良いと、主人は言い残して農機具の手入れを兼ねて鍛冶場に行ってしまった。食べただけの料金を後で請求するつもりらしい。
 四人が台所に集まって食事を始めると給仕はバザンに任せ、プランシェとグリモーは馬の世話をしに行った。
 四人は食卓を囲むと、いつものように談笑して過ごした。多くはポルトスが取り止めも無くよく喋り、アラミスがそれをからかう。アトスはろくに食べずにワインばかり飲んでいるが、時々短い言葉を挟んだ。最近ではダルタニアンが加わり、多くの場合ポルトスとの掛けあいが多かった。
 明日の朝は早くサン・マルクを立ってバニアに向かわねばならないが、四人は晩くまで飲んでいた。そのうち、デュルケムとエリックの話になった。ダルタニアンがプランシェから聞いた話をすると、アトスは顔を顰めて、ワインを新たに注いだ。アラミスは頬杖をついて少し首をかしげると、憂鬱な口調で言った。
 「それは確かに可哀相な話だけど…。母親は男と駆け落ち ― しかも聖書者と!(アラミスは十字を切った。)父親は子を捨ててバニアの自称騎士団,要するにならず者の仲間入りじゃ、後見人の叔父にいいようにされても、仕方が無いよ。」
「そんな、ひどいなぁ。」
 ダルタニアンが抗議すると、アラミスは金髪を首筋辺りで束ねたり離したりしながら、若い友人(と、言っても二,三歳の違いだが)をなだめた。
「まぁ、後見人は飽くまでも後見人だ。法的にはあの家屋敷だの土地だのの所有者は、パトリス・ガバノンであり、相続人はエリックだ。」
「そういうふうに、ちゃんとなれば良いけどね。」
 ポルトスが自分の瞳をコップの水面に映しながら言うと、ダルタニアンとアラミスは同時に聞き返した。
「それ、どういう意味だ?」
 その時、ずっと黙っていたアトスが手を上げて、三人の会話を制した。アトスの視線を三人がたどると、
 玄関の方で、僅かに扉のきしる音がする。やがて、食堂へ延びる暗い廊下に、微かな影が動いた。
「エリック。」
アトスが言った。影の主 ― エリック少年は、そっと体を傾けて食堂内を覗き込んだ。
「やぁ、エリック!」
ダルタニアンがにこやかに言って立ち上がった。
「どうした?こんな時間に。もう十時を過ぎているだろう?」
 近寄って手を差し出したダルタニアンを一瞥しただけで、エリックはつかつかと食堂に入って来ると、アトスの目の前で足を止めた。そして今朝会った時のように、表情を変えずに言った。
「一つ、仕事を請負って欲しいんだ。もちろん、お礼は十分する。」
 アトスはこれ以上寄らないほど眉を寄せて、エリックを見つめた。ダルタニアンとポルトス,アラミスも驚いて少年に見入っている。エリックは大きく息継ぎをすると、続けた。
「パトリス・ガバノンを連れ戻して欲しい。生きたままで。」
 ダルタニアンとポルトス、アラミスは互いの顔を見合わせた。アトスは少し瞬きをしたが、言うべき言葉が見当らずに黙っている。一方、エリックの方も準備してきた言葉が尽きたらしい。口を真一文字に結び、泣くのをこらえるような表情でアトスの顔をじっとみつめていた。
「なるほど。」
 まず、ポルトスが声を発した。そして彼は椅子を一つ引き寄せると、エリックをヒョイと持ち上げて、それに座らせた。
「つまり、エリックのお父さんを連れ戻して欲しいって事だな?」
ポルトスが自分の椅子に戻りながら尋ねると、エリックは黙って頷いた。
「今までに連れ戻そうとした事は?」
「あるよ。」
 エリックは俯くと小さな声で答えた。そして四人の顔を見比べながら、たどたどしく訴えた。
「二年前に父さんが居なくなった時、小作人さんや村の人が皆で探してくれたけど、見つからなかった。そのうち、噂でバニア要塞に居るって聞いて…だから叔父さんや神父さんに、要塞に行って連れ戻してくれって、頼んだけど…。あぶないし、ならず者の仲間だし…。」
 エリック語尾を濁すと、口を尖らして俯いてしまった。しかしすぐに、顔を上げてアトスに言った。
「引き受けてもらえるの?一人二百ピストールは出せる。」
 ポルトスがおもわずヒュッと口笛を鳴らした。アラミスとダルタニアンも信じられないという顔をしている。それを察したのか、エリックは四人の顔を見回しながら続けた。
「本当さ。僕には財産があるんだ。お母さんが居なくなった後、父さんからナントカ贈与(生前贈与と言いたいらしい)されたんだから。本当だよ。」
「エリック。」
アトスが鋭く遮った。
「悪いが、その依頼は受けられない。」
「どうして?」
エリックも鋭く聴き返した。
「答えは簡単だ。子供から金を取る訳には行かない。」
「子供じゃない、エリック・ガバノンだ。」
「あのなぁ、お前…」
 アトスは椅子から立ちあがって、もうひとこと言おうとしたが、エリックが下から凄いまなざしで見上げて来るので、言葉に詰まってしまった。
「まぁ、待てよアトス。ちょっと相談しようじゃないか。それに子供はもう寝る時間だよ。」
ダルタニアンが割ってはいると、エリックはダルタニアンも睨み上げた。
「そっちこそ、まだ子供のくせに。それに僕はエリック・ガバノンだ。」
「分かったよ、エリック。しかし優秀な兵隊たる者きちんと眠らないと、いざと言う時に役に立たないんだ。もう寝たらどうだい?」
「引き受けると約束してくれたら、寝るよ。」
 エリックは頑固に言い張る。アトスがまた口を開こうとしたが、脇からアラミスが遮った。
「良いだろう。じゃぁエリック、ちょっとの間待っていてくれ。情報を集めて、相談するから。さぁ、アトス座れよ。」
 アラミスが意味深な表情で微笑むので、アトスはとりあえず席に戻った。アラミスがポルトス目配せすると、何か合点したようだ。丁度、人が入ってくる気配がした。
「ムスクトン、戻ったか?」
ポルトスが大きな声で呼びかけると、案の定戻ってきたムスクトンが食堂に顔を出した。
「はぁ、戻りました。あの、旦那様…」
「お前の話はあとあと。」
「まだ何かご用ですか?」
ムスクトンが図々しくも不満そうな顔をすると、ポルトスは満足そうに微笑んだ。
「ご用だ。明日バニア要塞へいよいよ出掛けるに当っては、下調べが必要だからな。お前、近所から情報を集めてこい。」
「情報って何ですか?」
ムスクトンが主人の顔をジロジロ見ると、ポルトスは自分の鼻の頭を掻いてみせた。
「役に立つ知識さ。」
「はぁ。」
ムスクトンはしばらく天井をグルグル見ていたが、
「で、何が知りたいんです?」
と、またポルトスの顔に視線を固定した。ポルトスは『よしきた』とばかりに、ゆっくりと質問を始めた。
 「まず、この辺りの春の気候と、夏の気候と、秋の気候と、冬の気候を教えてくれ。特に春と夏の間の気候を、雨量、晴天日、気温、風、について詳しくだ。」
「まず、この辺りの春の気候と、夏の気候と、秋の気候と、冬の気候についてですね。特に春と夏の間の気候を、雨量、晴天日、気温、風、について詳しく?はぁ、地元の農民、猟民、役人、地主、商人、おかみさん、売春婦、神父さん、見習い神父さん、寺男、修道僧、学校の先生、生徒、カラス、犬、猫、ねずみ、馬にも訊いて回りましょう。」
「そうか、地元の農民、猟民、役人、地主、商人、おかみさん、売春婦、神父さん、見習い神父さん、寺男、修道僧、学校の先生、生徒、カラス、犬、猫、ねずみ、馬たちによろしくな。それからバニア要塞に立てこもる連中についても教えてくれ。地形、建物の来歴、歴史、収容人数、年齢層、男女比、主な武器、食糧確保方法、…」
 万事この調子で、ポルトスは延々とムスクトンに質問と指示を発し、ムスクトンも同じ調子で延々と『訊いて回りましょう』を繰り返している。アトスとアラミス、ダルタニアンはもちろん聞いてなど居らず、バザンを呼び付けて、ワインのお代わりとハム、チーズを追加させた。そして延々とポルトス,ムスクトン主従が喋っている間に、さっさと酒盛りを再開し始めた。アトスも何も言わずに、ワインを口に運ぶ。ダルタニアンは律義に、ポルトスの声に頷いたり、もっともらしい表情や仕種こそ見せているが、全て見せ掛けである。
 ポルトスは随分長い間、ワインも飲まずに続けていた。
「それから、この辺りの金持ちで、気前が良くて、夕食をおごってくれて、子羊の肉や、パテや、新鮮な野菜のソテーや、ワインもいくらでも出してくれて、しかも美人な奥方か、美人な娘か、美人な妹か、美人な従姉妹か、美人なバァさまか、美人な使用人か、美人な牛か…」
「ポルトス。」
アラミスが微笑みながら遮った。
「もういいよ。寝たから。」
 アラミスがエリックの座っていた椅子を指すのでポルトスが振り返ると、彼の言う通りエリックは肘掛けに寄りかかって、寝息を立てていた。
「やれやれ、やっと寝てくれたか。喉が潰れるかと思ったよ。ムスクトン、お前あの子をアトスの寝室に運んで、長椅子に寝かしてやれ。」
 ポルトスがそう言うと、ムスクトンもやれやれと言ってエリックを起こさないように抱きかかえた。アトスがポルトスの腕を掴んで抗議した。
「待った、どういうつもりだ。」
「でかい声出すなよ。起きるぞ。この子、いつもは小作人の所で寝るんだろう?もう晩いからここで寝かすさ。」
「ちがう、どうして俺の部屋なんだと訊いている。」
「アトスの部屋の長椅子が一番大きかったんだよ。」
「俺はまっぴら御免だ。」
「じゃぁ、お前が椅子で寝ろよ。エリックをベッドに寝かすから。」
 アトスは尚もポルトスに抗議しようとしたが、そこはダルタニアンが上手くなだめ、ムスクトンはエリックを抱えて出ていった。

 「さてと、真面目に検討しようじゃないか。」
 ポルトスがワインで喉を潤すと、アラミスがおもむろに言った。テーブルを囲む四人は、それぞれ顔を見合わせた。いつもならこういう時、アトスが話し合いの主導権を持って進めるものだが、今夜に限っては黙っている。仕方が無いので、アラミスが口を開いた。
「エリックの依頼はちょっと置くとして、我々の本来の仕事は、バニア要塞の偵察だ。そうは言っても、あまり緊迫感があるとは思えないな。」
ダルタニアンも同意して頷いた。
「間の抜けた話だけど、岩山の麓の番小屋までは、何の危険もなく行けそうな話じゃないか。岩山に登るかどうかはともかく、その番小屋の見張りに話を聞くことから始めたらどうだろう。」
「そうだな。」
アトスが短く同意した。
 「それで…エリックの件だけど。」
 アラミスはチラっとアトスを見遣った。
「一人二百ピストール。どうする?つまり、エリックの全財産だろう。生半可な覚悟じゃない。」
「おそらく、母方から相続した全てだ。管理はデュルケムがしているんだろうけど、エリックが成人したら、自由に出来るはずだ。金額だけは誰かから聴いたんだろうな。」
 ポルトスも頷きながら言った。すると、ダルタニアンも口を開いた。
「父親に会いたいって気持ちは分かるよ。あの様子じゃ、ガバノンが居なくなってバニアに入ってから、デュルケムたちはあまり熱心に動いてくれなかったみたいだし。」
 それはポルトスも、アラミスも同じ気持ちだった。問題はアトスだ。三人がアトスの顔に見入ると、彼はしばらく黙っていたが、やがて渋々口を開いた。
「俺は気が乗らない。金の問題じゃないし、子供から金を取る気はない。ただ、父親を探し出さない方が、あいつにとって良いような気がする。」
「どうして。」
 ダルタニアンが少し驚いたような顔で聞き返した。アトスはその顔を見るとどうしても優しい口調になってしまう。アトスは手にしていたグラスをそっとテーブルに置いた。
「子供を捨てた親だ。ろくなもんじゃない。」
「そうかも知れないけど…」
 それでも探してやりたいという気持ちを、ダルタニアンはうまく表現できなかった。するとアラミスが発言した。
「私は親に会いたいっていう子供の願いは、叶えてやりたいよ。ただ、アトスの言う事も一理あるな。どうだろう、この件は今夜の所は保留して、明日バニア要塞の情報収集ついでにその父親についての詳細を調べてみたら。エリックが連れ戻して欲しいというのは分かるが、ガバノン自身の意見も聞くべきだろう。ポルトスはどうだ?」
「賛成。もっとも、ガバノンに会えれば良いがな。病気で要塞に籠っているんだろう。この際、金のことは二の次だ。」
ダルタニアンは助け船に笑顔を浮かべながら、混ぜ返した。
「おや、金に淡白なんて珍しいじゃないか、ポルトス。」
「今回はトレヴィル殿に頂いた費用が五十ピストールもあるからな。今の俺達はそれほど貧乏じゃないのさ。そんな訳で、この場で反対の立場なのはアトスだけって事になる。」
「分かったよ。」
アトスは長く溜息を吐き出した。
「とりあえず、明日は事情を探ろう。実際に父親を連れ戻すかどうかは、それから判断するとして。」
「決まり。さすがは、アトスだ。」
 ダルタニアンが安堵の表情でそう言いながらアトスのグラスにワインを注ぐと、アトスは眉を下げて笑うしかなかった。

 それから四人はしばらく仕事の話はせず、いつものように陽気に飲み食いして、やがてそれぞれの寝室に引き取った。
 アトスが寝室に戻ると、長椅子でエリックが寝息を立てていた。十歳にしては少々小柄な彼には、この椅子で十分の広さがあるようだ。盛大に寝相の悪さを発揮しており、ムスクトンが掛けたらしき毛布が床に落ちている。
 アトスは溜息をつくと、手にしていた燭台をテーブルに置き、毛布を拾った。そしてそっとエリックに掛け直そうとすると、何を思ったか、それとも夢を見ているのか、咄嗟にエリックの手がアトスの右手を握った。
「ここで『お父さん』とでも言ったら、ぶん殴るぞ。」
 アトスはブツブツとつぶやきながら、その手を外そうとしたが、どう言う訳かエリックは手を放さない。
「『お母さん』だったら殺すからな!」
 アトスは小声で怒鳴りながら、何とか起こさずに手を放そうと奮闘した。そうこうしているうちに、グリモーが洗面器を持って部屋に入ってきた。グリモーは主人が何をしているのか分からなくて、目をパチクリさせている。
「おい、グリモー。このカミツキガメを、どうにかしろ。」
 アトスは厳かに命じた。しかしアトスの従者としては優秀この上ないグリモーも、どうすれば良いのか分からずオロオロしている。しばらく主従は寝室でドタバタと右往左往していた。

 
→ 4.朝っぱらから支払いだ、発砲だ


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