1.愛と自由のバニア騎士団

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  義理人情が高くつく
  

 バニアはリモージュの西にある川辺の地名である。正確には、ブラー川のほとりに屹立する巨大な岩山の事であり、ここに中世の頃、小さな要塞が建設された。これがバニア要塞と言われるもので、今となっては過去の遺物である。
 要塞は岩山にしがみ付くように建設され、背後にはブラー川にむかって断崖が切り立っている。確かに攻め落すのは困難な要塞だが、この要塞を守った所で、フランスという国が得る利益は、今となっては皆無である。
 かつてはこの要塞を囲むようにしてバニアの町が形成されていたが、今はその面影も無く、岩山の麓に数件の酪農家が居を構えているだけになっていた。
 普段ならパリの銃士達には名も知られていないはずのバニアだが、ここに少々事情がある。

 ラ・ロシェルは古くから独立性の強い裕福な港湾都市であり、それゆえに今日では新教徒たちの活動拠点,抵抗拠点となっていた。宰相リシュリューがラ・ロシェル包囲作戦を大々的に展開するのも時間の問題と囁かれる昨今、長引く宗教戦争の反乱軍はラ・ロシェルへと集結しつつあった。
 新教徒達の強さは、何と言っても彼らなりの信仰心に支えられた団結力だが、中にはその辺りが曖昧な連中も居る。つまり、信仰についてはどっちつかずの ― 良く言えば寛容で穏やかな ― いい加減な人間が、新教徒と旧教徒の争いに紛れ込んで騒乱に参加したりするケースがまま見られるのだ。
 このような、「いい加減な新教徒」や、そもそも信仰心など二の次で騒ぎに乗じて農村を捨てた、ならず者達が「正しい新教徒」の砦であるラ・ロシェルからあぶれて来ている。こういった連中は、地元領主の力の弱い土地で農村を荒したり、盗賊に成り下がったり、悪どい商売を展開しているらしい。その中でも最も性質が悪い連中は、「独立師団」などと称して古城を乗っ取ったりしていた。 ― つまり、それがバニア要塞に立て籠る武装集団 ― 自称『バニア愛と自由の騎士団』である。
 名前はご立派だが、中身が伴わないのは言うまでもない。
 ラ・ロシェルからフランス全土に伝染しつつある騒然とした雰囲気は、土地を有する貴族達が権力を以って支配していた地方にも影響した。リシュリューが王権強化の為に貴族達から特権を剥奪しつつある政策の副産物でもあるのだが、農村を離れて武器を持ち、「ならず者」となる人間は跡を絶たない。この場合は退役兵士や、脱走兵、農村遺棄者、破産した豪気な商人などだった。ボヘミア方面の騒乱も、ならず者の多発に影響している。
 それら有相無相の輩がバニア要塞に吸い寄せられた。その為、元はごろつきの根城でしかなかったバニア要塞には、二百近くの武装集団が集まっているらしいという情報が流れたこともある。
 もっとも、その実体は軍と呼べるほどのものではない。宗教的な統一見解は皆無で、要塞に立て籠もりつつ発する要求は支離滅裂だ。曰く、借金の帳消しだの、小麦畑の境界線に関する要求だの、ただで土地をくれだの、お嫁さんをよこせだの、逃げた女房を探せだの、その他諸々…

 「バニアに派兵する気ですか?」
 アトスが眉を寄せながら聞き返すのは、無理もなかった。
「ラ・ロシェルへの一斉攻撃が囁かれているのに、抜け目無い枢機卿がバニアごときに本気で取り組むとは思えませんが。」
「無論、『バニアごとき』に進軍する気はない。ただ、ラ・ロシェルの背後でブンブンとうるさくされるのは、ぞっとしないからな。偵察だ。」
 トレヴィルが苦虫を噛み潰しながら言うと、ポルトスが相変わらず気の抜けた声で言った。
「偵察なんて、我々には向いていないと思いますがねぇ。」
「うるさい。仕事を選ぶ権利なぞ、お前達にはない。その上、今回は職務の必要経費としてまず五十ピストールを支給してやるのだから、文句は言わせないぞ。」
「それは真に結構ですが…」
「嫌なら私は喜んでお前達を枢機卿の護衛士に引き渡すぞ。第一、提案者は私でも枢機卿でもない。エサール侯だ。」
「エサール侯?」
ポルトスとアラミスに挟まれて立っていたダルタニアンが聞き返した。トレヴィルは真面目くさった表情で頷いた。
「そうだとも。三人の銃士と若い護衛士が一人大活躍の昨今、少々気晴らしに休暇も兼ねて簡単な任務でも与えてやろうじゃないかという私の提案に、絶妙な答えを出してくれた、エサール侯に感謝しろ。」
 三銃士とダルタニアンが大きく息を吸って、口々に何か言おうとしたが、トレヴィルは秘書のレオナールを呼んで五十ピストールの入った財布を渡すと、四人を執務室から追い出してしまった。

 明日の朝、アトスの家に集合する事を決めると、四人の友人達はそれぞれの家路についた。早く帰って従者に準備をさせなければならない。財布はポルトスが預かることになった。それを持って仕立て屋に直行するなよ、と釘を刺されたのは言うまでもない。
 ダルタニアンは、家の近いアトスと一緒に歩きながら年長の友人に尋ねた。
「バニア要塞の…何と言ったかな。ああ、『愛と自由の騎士団』だ。その連中って、立て籠ってもう長いのかい?」
「ラ・ロシェルほどではないな。長い人間になるともう三年も居座っているのだろうが、昨日や今日来たような奴も居るだろうさ。」
「要塞の偵察なんだから、城攻めのための進路とか、兵糧の運び込み口、それから井戸なんかも確認しなきゃならないんだろうな。中に入り込まないと…」
 ダルタニアンが目をクルクルさせながら意気込んで言うと、アトスは僅かに眉を下げた。
「坊や、そんなに意気込むとがっかりするかも知れないぞ。」
「どうして。」
ダルタニアンは『坊や』という言葉に少々ムッとしながら聞き返した。
「ラ・ロシェルのような強敵じゃないからさ。頭数は中々のものだが、所詮はごろつきの溜まり場だ。トレヴィル殿の狙いの第一は、俺達をパリから出して枢機卿の怒りの矛先を雲散霧消させる事。第二に、ゴロツキどもをちょっと締め上げて、連中がすごすごと郷里に帰ってくれれば、もっけの幸い。その程度だろう。」
「そんなんじゃ、まともな武功にならない。」
「だろうな。」
「きみは良いさ、アトス。立派な銃士の制服を持っているんだから。」
 ダルタニアンは丈夫そうな顎を少し突き出し、不平っぽく言った。
「僕は一日も早く立派な武功を立てて、銃士隊に入らなきゃならないんだから。『その程度』じゃ物足りないよ。」
「まぁ、そう焦るな。」
 アトスは目を細めて微笑むと、歳若い友人の肩を乱荒っぽくに引き寄せた。
「制服は着ていなくとも、心は銃士だろう?」
するとダルタニアンが間髪入れずに返した。
「心の次は制服だ。」
 アトスは少しだけ笑った。そして、やっぱり坊やだと思った。
しかし、後で「本物の坊や」に取引きを持ち出されるとは、夢にも思っていなかった。

 従者達にとって、主人が突然明日旅に出るから準備をしろなどというのは、迷惑な事だ ― とは、一概に言えない。
 グリモーはアトスの行動について「迷惑」とか、その手の感情を持っているかどうかも怪しい。
 ダルタニアンはパリに出てきてから所持品が特に増えた訳でもないので、プランシェが準備すべき物は毎日と変らない。強いて言えば、国王から賜った金貨で「プランシェ」が増えたと言う程度だ。
 ムスクトンは、普段からあまり仕事熱心ではない上に、主人ポルトスが身支度に関しては大変マメだった。彼は自分で嬉々として準備を進めてしまったのだ。
 唯一、急な出発を迷惑と思う従者が居るとすれば、それはバザンだった。彼は少なくとも四日ぐらい先の予定を決めてしまうので、それを妨害されるのは神をも畏れぬ行為だとでも思っているらしい。彼は不満をブツブツ言いながら主人の荷物をまとめた。アラミスはそんな従者など無視して、恋人への手紙をしたためるにいそがしく、やっと仕上がった頃にはもうすぐ夜明けという時刻になっていた。


 
→ 2.サン・マルクの少年

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