10.パリのオランダ商館

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  王冠が道端に落ちていた
  

 「『ファン・デル・アイク提督』です。間違いありません。」
オルデンバルネフェルトゾーンは、目の前に差し出された茶色い物体を見て、静かに言った。
 パリの中心街、オランダ商館に三銃士が到着すると、トレヴィルから話を聞いていたのか、すぐに応接室に通され、借り物らしき衣服にすっかり着替えたオルデンバルネフェルトゾーンが出てきた。そして『青獅子亭』での顛末を説明し終わると、ポルトスが両手のひらに白い布を広げ、その茶色い物体をオルデンバルネフェルトゾーンに見せたのである。ポルトスがにっこり微笑む背後で、アトスとアラミスが目を丸くしている。
 その驚きの気持ちは、オルデンバルネフェルトゾーンとて同じだが、この名前の長い男はもうすっかり衝撃的な事態には慣れてしまったのか、それとも呆然としているのか、とにかく落ち着いた声で尋ねた。
「これを…一体どこで?あなた方の従者達が、アトスさんの下宿の中庭に全ての球根を植えてしまったのではないのですか?」
 そうだろうと言いたげに、アトスとアラミスも頷いた。するとポルトスは、手にもった球根をオルデンバルネフェルトゾーンに渡すと少し首を傾けながら言った。
「今朝来て説明したのがグリモーだったからな。『全ての球根が』アトスの下宿で芽を出したことになっていたのだが、実はそうじゃないんだ。」
 ポルトスが悪戯っぽい表情で振り向くと、アトスとアラミスが揃って「早く説明しろ」と言わんばかりの仏頂面をしている。ポルトスは続けた。
「四日前、ムッシュー・チューリップが追いはぎにチューリップの球根の入った袋を強奪されてから、どうなったか。まず、追いはぎは球根の価値を見抜けずに、道端に放置した。それを見つけたバザンが、タマネギだと思って拾った。そして仲間の従者達と山分けするために、まず俺の下宿に向かった。そこにはムスクトンが居たわけだが…ここで当然、袋の中の三分の一を俺の下宿に置いていったのさ。二人は残りの三分の二を担いでアトスの下宿に向かい、グリモーと一緒に一部を料理して食ったが、とても食えるような代物じゃない。そこで、『その場にあった全ての球根を』中庭に植えて、水をかけた。つまり…」
「ポルトスの下宿には、三分の一が無傷で残っていたわけだ。」
 アラミスが結論を引き取った。
「その通り。」
 ポルトスが嬉しそうに言うと、今度はアトスが口を開いた。
「お前、さっきフィーレンにも『ファン・デル・アイク提督』だと言ったが、どうして球根の見分けがついたんだ?植物学者じゃあるまいし。」
「今朝、ムッシュー・チューリップが言ったろう?全体の三分の一は『ファン・デル・アイク提督』で、麻紐でくくってあるはずだ、って。俺の家に置きっぱなしになっていた球根こそ、まさに麻紐でくくってあれば、そりゃ『ファン・デンル・アイク提督』だと見当がつくよ。さぁ、ムッシュー・チューリップ。これはあんたの物だ。」
 そう言ってポルトスは、手のひらに球根を乗せたオルデンバルネフェルトゾーンの手を、握らせた。
「ああ、何と言えば良いのか…」
 オルデンバルネフェルトゾーンは、胸が一杯という表情で、ポルトスの顔を見つめている。アトスが口を開いて何事かを言おうとしたが、そのわき腹をアラミスが肘で小突いて止めた。
「良かったな、ムッシュー・チューリップ。」
 アトスとアラミスの様子が目に入らないポルトスは、穏やかな表情で言った。
「聞いた話によると、『ファン・デル・アイク提督』の球根は、値上がりが確実だそうじゃないか。」
「ええ、そうなんです。私もさっき聞きました。もしかしたら、私が帰国する頃には、この球根だけで、2000ギルダーを上回るような騒ぎになっているかも知れません。」
 そうなれば、追いはぎに奪われた上アトスの下宿で芽を出してしまった『リーフキン提督』の分の補填も出来るだろう。オルデンバルネフェルトゾーンが所属するハールレム・チューリップ栽培協会が、取引相手であるグレーシュに返金するための損害は、最低限に抑えられる。
「あまり、嬉しそうじゃないな。」
 ポルトスがオルデンバルネフェルトゾーンの顔を覗き込みながら言うと、彼は悲しげに眉を下げ、肩をすくめた。
「もちろん、嬉しいですよ。ただ、高い値をつけられて、その金銭的価値でしか扱われないこの花たちが可哀想で…。」
 オルデンバルネフェルトゾーンは、慈しむように球根を指先でなでた。
「今朝も申し上げましたが、たしかにチューリップは球根のときが一番高価なのです。でも、この王冠にも似た、美しく可憐な花を愛する私にしてみれば、あの花の姿こそ金銭では換算できない高価なものなのです。」
「王冠…か。」
 ポルトスがつぶやくと、オルデンバルネフェルトゾーンも頷いた。
「ええ、遠くトルコの王宮で愛されていた頃から、チューリップの姿は王冠に例えられてきました。だからこそ、ベリオンさん…いや、グレーシュさんは王妃様への贈り物に選ばれたのかもしれません。」
 オルデンバルネフェルトゾーンはそう言って、手に持った球根を布で丁寧に包んだ。すると、振り返ってアトスとアラミスを見やってから、ポルトスが明るい声で言った。
「まぁ、元気出せよムッシュー・チューリップ。相場師なんて放っておいてさ。勝手に値を吊り上げたり、落としたり、売った買ったと騒いだって、きっとチューリップの美しさなんて連中には一生わからないだろうさ。少なくとも、あんたみたいな花を愛する植物学者さんが、丹精こめて育ててくれれば、チューリップもきっと幸せだろう。」
「そうですね。」
 オルデンバルネフェルトゾーンはポルトスの顔を改めて見上げると、少し微笑んでもう一度同意した。
「私もそう思います。」
 応接室のドアが開いて、オランダ商館の職員が何事かオランダ語で呼びかけた。するとオルデンバルネフェルトゾーンは我に返って、床に置いてあった小さな鞄を持ち、オランダ語で職員に答えた。職員は頷くと、また外へ出て行く。
「何だ、この時間に馬車を出すのか。」
 アトスが尋ねると、オルデンバルネフェルトゾーンは頷いた。
「ええ。トレヴィル様が商館長に事情を説明してくださって、急遽馬車を手配する事になったのです。出発する前に、皆さんに会えてよかった。あの…」
オルデンバルネフェルトゾーンは、借り物のマントを巻きつけながら、三銃士を見回した。
「皆さんには、本当にお世話になりました。ありがとうございました。無事にハールレムに到着したら、手紙を出します。それから、アトスさんの下宿に植えたチューリップですけど…」
 早口で言いながら、オルデンバルネフェルトゾーンは応接室を出て、オランダ商館の裏口につけた馬車に荷物を運んだ。三銃士もそれについてくる。
「この季節に植えて、上手く花が咲くかどうかは少々怪しいのですが、世話はしてあげてください。晴れて温かい日が多ければ、いくつかは花をつけるかも知れません。ただ、球根を取るのは無理だと思いますけど…。周りの雑草をこまめに抜いて、水は一日一回、雨が降ったら土が流れて球根が露出するかもしれませんので、注意してください。肥料は基本的に要りません。途中で枯れた株は、早めに間引いてしまってください。」
 オルデンバルネフェルトゾーンが馬車の前で一生懸命に喋っている間も、御者ともう一人のオランダ人が、オルデンバルネフェルトゾーンを急かしている。アトスがオランダ語で少しだけ待てと言い、オルデンバルネフェルトゾーンがやっと言い残す事を片付けた。彼は馬車に乗り込むと、窓から身を乗り出して、もう一度礼を言った。
 「本当に、みなさん有難う。」
「元気でな、オルデンバルネフェルトゾーン。」
アラミスが言うと、オランダ人は恥ずかしそうに顔を緩めた。
「ちゃんと言えるじゃないですか。あ、そうだ。グリモーさんによろしく。酷い目に遭っていなければ良いのですが…」
 オルデンバルネフェルトゾーンの語尾が、御者が馬を鞭打つ音にかき消された。

 オランダ商館の前で、三銃士は呆然として立ち尽くしていた。夕べ酒場で会ったばかりのオランダ人植物学者は、叫んだり倒れたり怒ったりの騒ぎを起こした割には、何の余韻も無く馬車に乗って走り去ってしまった。三人はしばし馬車の去った方向を見ていたが、やがて一斉にため息をついた。そして三人同時に、
「グリモーのこと、忘れていた。」
と言い、やはり同時に含み笑いをして俯いた。それから、アラミスが首を回しながら言った。
「ついでに言うと、アトスがオランダ語も出来るだなんて、初めて知ったぞ。」
「昔取った杵柄だ。それよりポルトス。貴様はとんでもない悪党だな。」
「何をいきなり。悪党だなんて、心外だな。」
 ポルトスが言い返すと、アトスは少し首を傾けて、斜めにポルトスを睨んだ。
「お前、実はあの球根を独り占めするつもりだったろう?」
「何を根拠にそんな事を?」
「とぼけるな。お前は夕べ、汚れた衣服を変えるためにムスクトンと下宿に戻った。無傷で残っていた三分の一の球根を見つけたのはその時のはずだな?それでお前は今朝球根を持って、もう一度アラミスの下宿に来た。オルデンバルネフェルトゾーンが奪われた物が高価なチューリップの球根である事を知るのに、そうそう時間はかからなかったのに、どうしてその場で球根を返さなかった?」
 ポルトスは肩をすくめた。
「あの時は、すぐにロシュフォールが乗り込んできたじゃないか。」
「トレヴィル殿の屋敷でも出す事が出来たはずだ。」
「いろいろな事があって、忘れていたんだよ。」
「誤魔化すなよ!」
 アラミスもアトスに加勢してポルトスに詰め寄った。しかし詰め寄られた方は一向に悪びれる様子もない。
「そう喚くなよ。俺が球根を持っていたお陰で、フィーレンの銃口から助かったんだぜ。」
「しかも、2000ギルダー以上を、放り投げた!」
「うるさいな、終りよければすべて良しだろ?」
 裏口で三人の銃士がわぁわぁと言い騒ぐのを、オランダ商館のオランダ人たちが心底迷惑そうな顔で見ていた。



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