11.後日談

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  王冠が道端に落ちていた
  

 三銃士にはすっかりその存在を忘れられていた気の毒なグリモーは、ロシュフォール伯爵率いる一行に逮捕され、まずはリシュリュー枢機卿の屋敷内にある護衛士の詰め所に連行された。
 ロシュフォール伯爵はいつも忙しい男で、後のことは部下に任せて詰め所を離れた。部下たちは勇んで逮捕した男の尋問を始めた。スペインのスパイで、フランス王妃を影から援助し、リシュリューの活動を妨害する政治犯ルイ・グレーシュ。彼の情報を、逮捕された男が持っているはずだが、困った事にこの男は一言も声を発しない。声どころか、顔の表情もまったく変わらずに、粗末な椅子にちょこんと座って、護衛士たちをじっと見詰めるので、尋問する方もすっかり困ってしまった。
 やがて、護衛士たちは逮捕した男がオランダ人だったことに気づく。名前は長くて覚えられないが、とにかくオランダ人ゆえにフランス語が分からないのだと言う結論に達し、急いでオランダ語の通訳を手配する事になった。
 通訳が到着するまでの間、尋問は一休みとなった。その時、厨房に納品に来たワイン卸売りの主人が、通りかかって逮捕された男を見るなり、
「よう、グリモー。面白いところで会ったなぁ。」
と、気楽に声を掛けるではないか。しかも、逮捕された男も黙って入るが、ちょこんと頭を下げて挨拶をする。びっくりした護衛士が、ワイン卸し売りの主人にこの男を知っているのかと尋ねた。すると主人は、護衛士たちをさも馬鹿にしたかのように笑った。
「知っているもなにも。馴染みのお客ですよ。アトスさんってぇ、銃士さんの従者のグリモーじゃありませんか。おい、グリモー。いい加減半年前のつけぐらいは払ってくれよ。」

 ここに至って、初めて護衛士たちは間違いに気づいた。そう、銃士たちに一杯食わされたのだ。大慌てで事をロシュフォール伯爵に報告しても、もう遅い。方々かけずり回って得た情報は、パリのオランダ商館から、午後になって臨時の長距離馬車が出発し、既に国境までに捕捉できる範囲を超えていた ―という事だった。
 ロシュフォールはこのとき、密偵のフィーレンとパゴスの報告を受けており、球根が既に価値の無い草になってしまった事を把握していた。
 グリモーはこれ以上拘束される理由もない。夕方には無事に解放され、アトスの下宿にテクテクと戻ってきた。そしていつもの様に主人のためにせっせと働き、いつものように泥酔状態で帰宅した主人をベッドまで引きずり、朝になっても別にこれといって変わった様子もなく仕事を始めていた。ただ、以前と違うのは、仕事に中庭に出来た花畑の手入れが加わった事である。

 トレヴィル隊長によると、政治犯グレーシュの追跡に失敗し、しかもオルデンバルネフェルトゾーンの運んできた球根の回収ににも失敗したリシュリュー枢機卿は、多少の嫌味を言うぐらいで収まったらしい。
 今回の場合グレーシュは、球根の入手と、それを王妃へ送ると言う当初の目的を達成する事が出来ず、リシュリューにとっても収穫がなかったわけではない。

 オルデンバルネフェルトゾーンは、無事にオランダのハールレムに帰りついた。帰国してすぐに、トレヴィル気付けで、三銃士に手紙を出したのだ。それには、お陰で道中無事でハールレムに到着した事、ハールレムのチューリップ栽培協会でも、ベリオンの正体がルイ・グレーシュである事が分かって、大騒ぎになった事、『ファン・デル・アイク提督』の高騰は予想以上で、グレーシュに返金してもまだお釣りがくる事、そして肝心のグレーシュが逃げ回っている為、返金するに出来ない状況にあることなどが、書き連ねられていた。
 そして最後に、春植えのチューリップをどうにかして開花まで持っていく方法が添えられ、グリモーによろしく伝えてくれと記していた。

 ある銃士仲間が三銃士にもたらした情報に、三人は少し当惑した。
 例の『青獅子亭』という酒場はチューリップ騒ぎの後、急に閉店してしまったが、二ヵ月後にまた開店したというのだ。しかも、店の主人はかつての男 ― パゴスのままだというのだ。
 やや危険な臭いもするが、好奇心に駆られた三人は、再び『青獅子亭』に行って見ることにした。そもそもこの店は、値段の割りに良い酒と料理を出し、便利な所にある。閉店させるのは惜しい店だったのだ。
 三人が警戒しながら『青獅子亭』の扉を開くと、もう随分沢山の客が集っており、その向こうから主人の威勢の良い声が飛んできた。
「やぁ、いらっしゃい!おや!」
店の主人,パゴスは目を丸くした。
「これは、これは!三銃士のお目見えですか!いらして欲しいとは思っていましたが、本当に来てくださるとは思いませんでしたねぇ。」
そういって、パゴスはニコニコしながら三人を席に案内し、しかも最初の一杯を奢ると言い出した。
「毒入りじゃないだろうな。」
 ポルトスが眉を寄せながらパゴスに言うと、パゴスは明るく笑い飛ばした。
「ははは、どうぞご心配なく。私はもうすっかりこの仕事一本になりましたのでね。」
「つまり…辞めたのか?」
 アラミスが少し声を落としながら言うと、パゴスは姿勢を低くし、やはり小さな声で囁くように言った。
「ええ、枢機卿閣下のお仕事は、この間のアレを最後に辞めさせていただきました。なぁに、前から辞めて酒場のオヤジになりたかったんですよ。この店を再開しするための資金は、閣下から頂いた退職金ってわけです。」
「なるほど、そいつはおめでとう。」
 ポルトスが言いながらグラスを上げると、パゴスは恭しく頭を下げた。
「フィーレンはどうした?」
 アトスが低い声で尋ねると、パゴスは首を振って見せた。
「さぁ。この間の仕事の後は、どうしたんでしょうね。私も知りません。あの人とは、あの仕事でしか会ったことがありませんでね。仕事熱心な人ですから、また閣下の命令でどこかで一仕事しているんじゃありませんか?」
「なるほど。リシュリューも、その手下も仕事熱心なことだ。やはり敵に回すのはあまり得じゃないな。」
アラミスがとぼけた表情で十字を切ると、アトスは笑いもせずに言った。
「いやな世の中だ。酒場のオヤジがリシュリューの手先とはな。」
するとパゴスは料理と酒をテーブルに置きながら抗議した。
「勘弁してくださいよ。もう辞めたんですから!」
 そうして、パゴスはプリプリしながらまた他の客の相手をするために、楽しそうに働き始めた。確かに、この仕事が向いているようだ。
「フィーレンなぞは、いかにも目つきが悪くて、密偵然としていたが…あのオヤジなんかは、そうは見えないものな。」
 ポルトスがワインをすすりながら言うと、アトスも頷いた。
「トレヴィル殿がおっしゃっていただろう。『様々な階級、職業、年齢の密偵が知らないうちに身近に居る事がある。男とは限らず、女も居る』 ― リシュリューを敵に回したら、一時たりとも心がやすまらない。」
 すると、アラミスがテーブルの下で、アトスのブーツをコツンと蹴った。
「女の密偵なら、アトスは安全だ。何せ近づきもしないからな。」
「お前らが危ないんだ。」
 アトスは苦々しく言って、それからいつものように黙って飲み始めた。

 アトスの下宿に出来た急ごしらえの花畑は、その後グリモーの丁寧な世話で何と三分の一のチューリップが、花をつけるという予想外の展開となった。その美しい姿は近所でも評判となり、大家は本気で金を取って見世物にしようと考えた。
 しかし、それが実現する前に花をつけた幾つかの株は観賞用の売りに出され、アトスが滞納した家賃と酒代に当てられた。そして残る花はポルトスとアラミスがそれぞれ花束にして、しかるべき相手への愛の贈り物として多いに喜ばれた。いまや宝石と同等か、それよりも高価と言われるチューリップである。贈られた方は感激し、ポルトスとアラミスもそれぞれ満足した事だろう。

 アトスとグリモー主従は、また寂しくなった中庭をぼんやり眺め、愛の贈り物としてのチューリップには一向に興味のない様子だった。


                     道端に王冠が落ちていた  完



あとがき

 三銃士パスティーシュの第五作を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
 この作品のアイディアは、私が友人からオランダ土産としてチューリップの球根をもらった事から、思いつきました。もっとも、海外から球根なんて持ち込んで大丈夫なんだろうかという懸念もなくもありませんが。
 植えた球根は春に美しい花をつけ、私は「チューリップ・バブル」のことを思い出しました。時代は思い出せませんでしたが、オランダでチューリップの球根の値段が高騰し、そのバブル経済が崩壊してオランダ経済に大混乱が起こったというこの事件。調べてみると、バブルの絶頂とその崩壊は、1637年。私がパスティーシュの舞台にしている時期から、10年ほどあとの事で、ネタの臭いがプンプンします。
 今回参考にした文献は、イギリス人マイク・ダッシュ氏の著書「チューリップ・バブル ― 人間を狂わせた花の物語 ―」です。この本は、チューリップがまだ天山山脈の麓で可憐な野生の花を咲かせていた所から始まり、やがてトルコの宮廷で愛され、ヨーロッパに持ち込まれて大流行する過程が描かれています。
 印象に残ったのは、ヨーロッパでチューリップを研究し、繁殖させて学者仲間に配ったという、クルシウスという人物です。彼は後に巻き起こるバブルと、それに踊らされた人々とは全く違う世界に住んでいました。彼は純粋にチューリップという花を愛し、その研究に生涯を捧げました。今回のパスティーシュに登場したオルデンバルネフェルトゾーンは、このクルシウスが一部モデルになっています。
 オランダ人の長い名前というのは、チューリップを題材に使うことが決まったと同時に、浮かんだネタです。ネットで長い名前のオランダ人を探し出し、さらに「ゾーン(息子という意味)」を付け加えました。最初はキーパンチするのが面倒でしたが、慣れとは恐ろしい物です。

 最後に、今回参考にした本を再度おすすめしておきます。経済の難しいは話は出てきません。でもバブル経済という現象を非常に分かりやすく解説しています。そして、チューリップバブル崩壊後の様子などもにも記述は及んでいます。
 もちろん、デュマの著作「黒いチューリップ」にも言及しています。とてもお勧めですよ。

                                                 17th December 2006

参考文献
 「チューリップ・バブル ― 人間を狂わせた花の物語 ―」(文春文庫 2000年)
 マイク・ダッシュ 著 / 明石三世 訳

 
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