白髪の中年紳士・リシャール・ワセラが、パリの貸し馬屋から借りた馬に乗って、町の早馬詰め所から宿屋のかささぎ亭へ向かっていると、道の向うから痩せた若い男が周りを気にしながら近付いてきた。日は既に沈んでおり、その顔は良く見えない。
「ワセラさん?」
若い男は低い声で呼びかけた。ワセラは馬を止め、返事はせずに注意深く若い男を見やった。
「ワセラさんですね。ブークさんって人に頼まれたんですが。かささぎ亭には行かずに、あそこの農家の…見えますか?小屋に向かえと、伝言を頼まれました。」
「ブークさん?」
ワセラは警戒を解かずに聞き返した。
「さて。どんな人だね?」
「頭の禿げ上がった、中年の紳士ですよ。いいですか?伝言しましたよ?」
若い男は、ワセラの側を離れ、町中へ歩いていこうとする。
「待ちたまえ。」
ワセラが呼び止めた。
「きみ、伝言を頼まれてどんな報酬を?」
夕闇の中で、若い男が僅かに顔をしかめた。
「そんなことが、知りたいんで?」
「ああ、ぜひとも。」
若い男は溜息をつき、ワセラの側に戻ると懐から指輪を取り出した。
「これをくれたんです。旦那に伝言するだけで、こんな物がもらえるんだから、そりゃ受けますよ。」
ワセラが指輪を取って見ると、見事なエメラルドの指輪だった。若者のような成りの人間が持つものではない。
「どうもありがとう。」
ワセラが指輪を戻すと、若者は軽く頭を下げて去って行った。
ワセラは、若者に言われた農家の敷地へ入った。馬を降り小屋の前までいくと、扉を3回叩いた。すると、内側から4回叩く音がした。その瞬間、ワセラは身を翻して走り出そうとしたが、時すでに遅しだった。物凄い勢いで扉が開き、アトスとポルトス、アラミスの三人がワセラの体に飛びついて、有無を言わせずに小屋に引きずり込んだ。暴れるワセラを、三人は小屋にあった荷馬車用の手綱で厳重に縛り上げてしまった。
「そら見ろ、ポルトス!」
アラミスが、押さえつけながら怒鳴った。
「4回じゃなかっただろう?」
「だからって、3回とは限らないぜ。どうなんだい、ワセラさん。内側のノックの回数は4回でなければ何回だ?アラミスは3回、アトスは1回に賭けたんだ。」
ポルトスは格闘でついた藁屑を払いながら、囚われた男に尋ねた。
「2回だ。」
ワセラが苦々しく答えたところに、グリモーが戻ってきた。
「ご苦労だったな、グリモー。上出来だ。」
アトスが一瞬だけ笑ってねぎらうと、グリモーは僅かに顔を赤らめ、エメラルドの指輪をポルトスに返した。
「よし、ここにはもう用はない。行くとしよう。グリモー、お前はここでこいつを見張ってろ。」
アトスは剣を抜いて切っ先を改めてから、小屋の隅に無様な格好で転がったワセラをみやった。
「残念だったな、ワセラ。お前の仲間がポルトスの前でアンリエッタ・マリアを侮辱したのが、運の尽きだったんだ。」
ワセラは縛められたまま上体を起こすと、嘲笑的に言い放った。
「何とでも言え。枢機卿の親衛隊にしては貧弱な人数だな。せいぜい切り刻まれろ。」
「あいにく、俺達は銃士でね。…アトス、読むか?」
言いながら、アラミスは格闘で引き千切られたワセラのマントを探り、手紙を一通取り出した。
「英語でスパイ情報を読むなんて御免こうむる。それに封をしたままの方が、後で証拠として使い易いからな。おっと、ワセラ。かささぎ亭に集まるお前の仲間だがな。何人居るか吐く気はないか?」
「Seven hundred and forty nine ! 」
「749人か。床が抜けるな。何だ?グリモー。」
「8人です。」
「何が。」
「かささぎ亭の今夜の客ですよ。」
「どうして。」
「さっき、小麦粉を調達しに厨房に行ったら、大きな皿が8枚、ハトが8羽、パテが8つ…」
「そうだ、小麦粉だ!」
ポルトスが咄嗟に、逃げ出そうとしたアラミスの襟首を掴んだ。
「おい仕事だぜ、金髪。」
アラミスは観念して上着を脱いだ。ハンカチで顔を覆い、頭に小麦粉をふりかけると、無事な白髪になる。アトスもポルトスも、笑うのを忘れて感心してしまった。
「大したものだな、アラミス。幸い背格好も、髪の長さもワセラそっくりだ。暗い所で顔が見えなけりゃ区別がつかないんじゃないか?」
「誉めてないよ、ポルトス。」
アラミスは苦々しく言って、ワセラから引き剥がした上着を着た。それを見たワセラが、小屋の奥から喚いた。
「全然、似ても似つかないぞ!焼損ねパンの若造めが!」
「グリモー、何もしなくて良いから、見張ってろよ。」
アトスはもう、扉を開けていた。
「英語でも教えてもらえ。行こう。」
三人の銃士はマントを翻し、暗闇をかささぎ亭へ歩き始めた。

 かささぎ亭に着くと、まず厩を確認した。馬が4頭繋がれている。
「もう4人は到着しているな。」
アトスがつぶやくと、アラミスが袖を引いた。
「そのうちの一人は、ジョルジュ・ブークだ。見ろよ、いま前足で地面を引っかいているのは、私の馬だ。」
ポルトスが剣を改めながら声を潜めた。
「8人の客のうち、一人はグリモーに英語をご教授中だ。今かささぎ亭内に4人、あと3人が遅れて来る事になるな。」
アトスが新入り銃士二人を振り返った。その瞳は、闇夜の中で冷たい炎をともしたように輝いていた。
「本来、銃士隊に入るにはそれ相当の武勲が必要だ。今回は欠員が多くて、特別に二人を推薦状だけで入隊させる事になっている。負い目を無くすには良い機会だと思え。」
すると、ポルトスがくすくす笑い出した。
「なぁに、その推薦状も当てにはならないさ。アラミスのはブークに盗られた荷物の中だし。」
「お前のは?」
「さっき食い逃げした店で、置き去りにした荷物の中。」
「もういい。」
アトスはうんざりして会話を切り、アラミスに合図した。
「奴らを挟み撃ちに出来ればそれでいい。とことん騙そうとは思うなよ。」

 アラミスは帽子を被って、小さな灯かりの点ったかささぎ亭に入って行った。するとすぐに、太った亭主と出くわした。
「ああお客さん、お帰りなさい。」
亭主の方が先に言った。
「お手紙は来ていましたか?」
「まあな。」
アラミスは低い声で答えた。亭主は疑うそぶりも無い。
「お友達の何人かは、もう到着していますよ。夕食になさいますか?」
「ああ。その前にちょっと話したい事がある。到着している連中に私の部屋に来てくれるよう、伝言してくれ。」
「わかりました。」
アラミスは頷くと、灯かりは持たずに階段を上がろうとして、ふと足を止めた。
「済まない、私の部屋は…」
亭主は明るく笑った。
「ははは。その階段を上がった回廊の左隅ですよ。なに、宿屋じゃ自分の部屋が分からなくなる人なんて、珍しくもありませんや。」
「ありがとう。」
2階に上がってみると、そこには四角い回廊を囲むようにして客室が並んでおり、回廊の中央部は1階の玄関と食堂へ吹き抜けていた。アラミスは亭主の言った暗い部屋に入り、そっと帽子を取った。そして窓のよろい戸を閉め、息を殺した。何分もしないうちに、扉を3回叩く音がしたのである。アラミスが2回叩き返すと扉が開き、男が4人入って来た。
「…Long time no see you…」
先頭で入ってきた男は、英語で言った。頭の禿げ上がった、中年の紳士…昨晩アラミスに部屋を交換しようと持ちかけた男だ。彼は、暗い部屋の中に居る「白髪」の男の正体には気付かず、また英語で何事か言おうとしたが、アラミスがそれを止めた。
「フランス語で行きましょうよ、ブークさん。話せるのは夕べ聞いたから知っている。」
ジョルジュ・ブークが息をのんだ。次の瞬間アラミスは、明るい回廊を背にしているブークの有利を知った。アラミスの剣が鞘を払ってブークに届く前に、投げ出されたマントがアラミスの視界を遮ったのである。4人のイギリス人は、回廊へと飛び出した。そこへ階下からアトスとポルトスが駆け上がり、鮮やかに二人を倒して階下へ転がり落とした。
「アトス!ブークはあっちだ!」
アラミスは回廊へ出るや叫んだ。ブークが回廊の向こう側の部屋に駆け込んだのである。アトスが2階へ上がってその部屋に突入しようとしたが、もう一人の男…若くて背が高く目つきの悪い、いかにも手だれと言う感じの男に阻まれた。
「ポルトス!」
ポルトスはポルトスで、階下の新たな敵に見舞われていた。遅れて到着した3人が、仲間を救おうと剣を抜いて殺到してきたのである。最初の一人は、出会い頭にポルトスの剣を叩き落とした。あとの二人が階段を駆け上がり、アトスの方へ加勢しようとしたアラミスの行く手を阻んだ。その時、ブークの入った部屋から、油の嫌な匂いが漂い、すぐに煙が上がった。彼らがパリで収拾した情報の証拠書類を、焼却しようとしているのだ。
「当たれぇ!」
アラミスはほとんどヤケになって、殺到してきた二人の敵に向かって手近にあった椅子を投げた。意外にもにも椅子は前に居た男の頭に命中し、派手な音が上がった。男はバランスを崩し、回廊の手すりからもんどりうって落ちた。ちょうど落ちた所で、ポルトスが素手で敵と対峙していた。突然降ってきた男に、一瞬イギリス人が驚いて剣を跳ね上げた。ポルトスはその瞬間を逃さずに男の手元に飛び込み、腕を掴み上げるや、厨房に向かって投げ飛ばした。
「寝てろ!」
ポルトスは叫ぶと、男が気絶したのも見届けずに、剣を拾い上げて外へ飛び出した。
アトスの相手の若い男は、恐ろしく腕が立った。アトスの繰り出す剣にことごとくついてきて、なおかつかわしてはアトスの足元を狙ってくる。二人は距離を保ちながら、相手の隙を窺おうと息を詰めた。ブークの部屋の火はいよいよ大きくなり、煙が視界を遮り始めた。ブーク自身は、部屋の窓から逃走しているに違いない。アトスが回廊の向こう側のアラミスをちらりと見やると、椅子が当たらずに済んだ敵と、火の出そうな打ち合いだった。その一瞬、敵は隙と見て一気にアトスの手元に飛び込もうとした。アトスは咄嗟に回廊の手すりに飛び上がり、左手で梁につかまると敵の顔を蹴り上げ、すぐさま剣を相手の左肩に突き立てた。
 その時アトスの視界の隅で、アラミスが煙に咽るのがみえた。アトスが駆け寄ろうとしたが、その前に敵の切っ先がアラミスの左胸に迫った。咄嗟に、アラミスは自分の左手を出してしまった。左手の甲に剣を突き立てられたまま、アラミスは逆さまに回廊から転落した。
「アラミス!」
アトスは叫んで、回廊から階下に飛び降り、落ちたまま倒れているアラミスを抱き起こした。
「おいアラミス、手を見せろ!」
「いや、大丈夫だ。」
意外にしっかりした返事が返ってくると同時に、アラミスの手の甲に突き立てられたはずの剣が、アトスの膝元に転がり落ちた。
「何か当たった。」
アラミスは体を起こすと、左手の手袋を外した。剣で穴のあいた手袋の中から、コインが出てきた。表にはイギリス国王ジェイムズの横顔。裏には剣の切っ先による深い傷がついていた。
「さっき聖セバスティアヌスで、ポルトスが私に渡したままになっていたんだ。」
アトスは安堵の表情もせずに仏頂面にもどると、立ち上がって回廊を見上げた。太腿にアラミスの剣を突き立てられた男が、倒れてうめいていた。
「ポルトスに助けられたな。」
アラミスが髪についた小麦粉を払いながら、明るい声で言った。
「いや。」
アトスは帽子を拾い上げて、否定した。
「ブークに助けられたのさ。」

 ジョルジュ・ブークは荷物と共に書類を焼き払うと、窓から裏庭に飛び降りて厩に駆け込み、急いで手綱を解こうとした。
「それは俺の友達の馬なんだ。」
振り向くと、入り口にポルトスが立っていた。
「やあブークさん、数時間ぶり。出て来いよ。厩の中で決闘なんて、馬に蹴り飛ばされるのが関の山だ。」
ポルトスが入り口から離れると、ブークは剣の柄に手を掛け、用心深く厩を出た。月明かりと2階の部屋を燃やす炎で、ポルトスの美しい姿が闇夜に浮かび上がる。
「小僧か。」
ブークは溜息交じりに言った。
「どうも、うかつだったようだな。お前が枢機卿の手先とは思わなかった。なぜ今朝私を捕らえなかった。」
「今朝は、あんたの正体も知らなかったんだ。枢機卿の親衛隊しか敵は居ないと思ったのが敗因だな。アトス、アラミス、そしえてこのポルトスは銃士でね。フランスと、国王と、フランスの婦人の名誉を守るのが仕事だ。抜けよ。今朝の続きだ。」
ポルトスが言い終わる前に、ブークは鞘を払って突進していた。ポルトスは一歩踏み込みながら剣の根元で受け止めると、身を低くして撥ね上げ、後ろに飛びさがった。
「今朝より、だいぶ強敵らしいな。」
ポルトスは一瞬だけ笑い、左手で帽子を放り投げた。それと同時に彼は地を蹴り、真正面から剣を繰り出した。ブークは右へ払い身を翻したが、ポルトスが一瞬早く左足を軸に素早く振り向いていた。ポルトスの切っ先がブークの左肩をかすめ、剣の引き際、柄を相手の右手に叩き付けた。そしてブークが剣を拾おうとする間もなく、ポルトスは敵の左足を払い、今度ばかりは派手に血しぶきがあがった。イギリス人は高くうめき声を上げて倒れた。ポルトスが肩をで息をすると、背後でアトスの声がした。
「お見事。」
「今朝も同じ台詞を聞いたような気がするな。」
ポルトスは近付いてきたアトスとアラミスに笑いかけた。
「中は片付いたのかい?」
「ああ。これに救われたよ。」
アラミス言いながら、コインをポルトスに投げてよこした。ポルトスは裏面の傷とアラミスを見て肩をすくめ、アトスの方に向き直った。
「俺達は合格かな?アトス。」
アトスは二人の新入隊士を交互に見つめて静かに微笑んだ。
「そうだな。合格だろう。それはそうとアラミス。いま2階で燃えているのはお前の荷物のようだが。」

 乱闘が終わったところで、かささぎ亭や町の住人達が大慌てで火を消したが、荷物や部屋の内部、回廊も一部も焼け落ちていた。その上家具や食器などの多くも叩き壊され、かささぎ亭の主人はひどく嘆いて猛烈に抗議した。ポルトスのエメラルドの指輪を主人に渡して、やっと黙った。とにかく、小さな町トゥルスは騒然とした。アトスはその事態収拾には興味が無いらしく、かささぎ亭の主人に枢機卿の親衛隊に使いを出すように指示しただけで、取り戻した自分の馬に跨って夜の道をパリへ向かい始めた。アラミスも自分の馬を取り戻し、ポルトスは適当な馬を拝借して続いた。
 三人の銃士は明け方近くパリに戻り、アトスの部屋に転がり込んで死んだように眠ってしまった。トゥルスに置いてきたグリモーの事を思い出したのは、昼過ぎに目を覚ましてからだった。


 → 8.トレヴィル隊長、立派な銃士について考える

7.大立ち回り

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