アトスは、トゥルスの入り口にどの町にもありそうな宿屋を発見すると、いきなり手綱を引いた。馬たちが激しく嘶き、後ろ足で立ち上がる。馬車の中の二人は前へひっくり返り、アラミスはとうとう振り落とされた。
「旦那様!」
宿屋兼酒場・かささぎ亭の裏手から、自分の従者が飛び出してきたのには、さすがのアトスも驚いたが、顔には出さずにすばやく御者台を下りた。
「グリモー、どうした?」
「そ、それが、居たんですよ。あいつが!」
「なに、居たのか?」
ポルトスがグラグラする頭を抱えながら馬車から降り、アラミスが吹っ飛んだ帽子を拾い上げて立ち上がった。グリモーはアトスの側に駆け寄ると、早口で報告した。
「そうなんです。あいつ、町の中へ向かいました。」
「何人居た?」
「何人?ええ、そりゃまあ一頭ですが。」
「ふん、けだものが一頭か。」
「けだものって程ではないと思いますが…」
「諸君、聞いたか?」
いぶかしむグリモーを無視して、アトスがポルトスとアラミスに振り返った。
「奴らは、侯爵夫人を待ち伏せする準備をしていたらしい。何て悪知恵の働く奴らだ!」
「相手は一人かね?」
ポルトスが真面目くさって訊ねると、アトスが肯いた。
「グリモーの報告によるとな。こいつを偵察に出しておいて良かった。敵は今の所一人だが、きっと仲間を呼び集めているに違いない。」
「どうしたのですか?」
ドーブルーユ侯爵夫人が、青い顔を馬車の窓から出して叫んだ。ちょうどその時、一人馬に乗った執事のバルトーが追いついてきた。
「奥様、大変由々しい事態になりました。」
ポルトスは悲痛な表情で帽子を脱ぐと胸に当て、馬車から降りてきた夫人に言った。
「ゼロウ一味は、この町で奥様を待ち伏せしているようです。」
「まぁ!何てこと!」
侯爵夫人は今にも卒倒しそうな顔色になり、粉っぽい顔がいよいよ土のようになった。ポルトスは夫人の手を取り、厳かに言った。
「奥様、ここでお別れせねばなりません。奥様は危険を避ける為に、今すぐにバルトーと共にパリへお引き返し下さい。」
「お前はどうするのです、シュリバン?」
「私は仲間とここに残り、あの卑劣なゼロウ一味を成敗いたします。」
「まあ、何て勇敢な…」
「ご婦人をお守りするのが、騎士の努めです。奥様、どうかご無事でパリにお帰り下さい。もし私が、神の御加護で命永らえてパリに帰還できますれば、またお目にかかりましょう。」
ドーブルーユ侯爵夫人は震えんばかりに感動し、充血した目から大粒の涙が頬に落ちた。皮膚が謎のまだら模様になる。夫人は嘆きの溜息をつきながら手袋を外すと、左手の人差し指から胡桃のように巨大なエメラルドの指輪を抜き取り、ポルトスに差し出した。
「これを、シュリバン。お前とお友達の、勇気と騎士道精神に捧げましょう。神がお前たちと共にあります様に…」
ポルトスはすばやく跪くと、差し出された侯爵夫人の手に口付けし、指輪を受け取った。
「身に余る光栄です。奥様。」
アトスは無表情に、アラミスは呆れ、グリモーは状況判断不能でこの情景を眺めていた。しかし、彼らに共通した印象は、ポルトスの振る舞いは真に迫っており、美しく輝かしい騎士そのものだった。
「さあ、お急ぎ下さい奥様。」
ポルトスは指輪を懐に入れると、帽子を頭にのせ、立ち上がって侯爵夫人の手を取り、彼女を強引に馬車に押し込んだ。それと同時にアトスが、まだ馬上でぜいぜい息をしている執事のバルトーを引きずり降し、これまた強引に御者台に押し上げた。
「あの、あの馬は…」
バルトーが言いかけたが、轡を取って馬車を方向転換させたアトスが、
「さあ、行け!パリへ一直線だ!」
と叫ぶや否や馬の尻を蹴り上げた。馬は驚き、さっき来た時と同じように非常識な速さで走り出し、馬車は瞬く間に街道の彼方へ小さな点となって砂埃と共に消えて行った。

 三人の銃士と、グリモー、そして執事が乗ってきた馬が残された。
「何て悪知恵の働く奴らだ!」
アラミスが呆れ顔でアトスに言った。アトスは鼻で笑った。
「誉め言葉として受け取っておくさ、アラミス。さて、グリモー。」
「はい、旦那様。」
「お前、ここで何をしているんだ。」
グリモーはきょとんとして、主人の顔に見入った。
「旦那様のお言い付け通り、馬を探しに来たんですよ。」
「馬?」
「はあ。」
ポルトスが、エメラルドを日にかざしながらクスクス笑い出した。
「どうやら、馬無しの銃士が三人揃ったようだな。」
「この程度の町なら…」
アトスはもう、次の事を考え始めていた。
「宿屋はこの…かささぎ亭か。悪党の溜まり場には格好の名前だな。ここぐらいしかないだろう。まず、内部から探ろうじゃないか。こいつはグリモー。俺の従者だ。こっちはポルトスとアラミス。新入りの銃士だ。」
アトスはいい加減な紹介を言い捨てると、かささぎ亭の裏口へさっさと歩いて行った。
「おまえさんのご主人は、いつもああなのかい?」
アラミスはグリモーの肩を掴み、呆れ顔もそのままえに訊ねた。
「ああとは?」
「速攻即決。即、行動。」
「はあ、大抵。ところで、皆さんはここへ何しに?」
アラミスはグリモーの不信顔に肩をすくめてみせた。
「飛び切り大きな獲物を仕留めにさ。」
「…馬ですか?」
「その話題は、しばらく忘れるんだな。」
 4人が裏手に回ろうとすると、ちょうど荷馬車屋とかささぎ亭の太った主人が、次の配達の確認をしている所だった。
「悪いが、木曜日にもぶどう酒を一樽頼むよ。」
主人の声に、アトスは足を止め、仲間を壁際に押しやって聞き耳を立てた。
「今日は客がいっぱいでね。どうも頼りなくなってきた。」
荷馬車屋が厩を見覗き込んだ。
「客がいっぱい?一頭もいないじゃないか。」
「夕方から大挙して来るらしいよ。さっき出掛けた客が言ってたんだが、ご一行様らしい。ありがたいこった。」
三人の銃士は顔を見合わせ、アトスの合図でそっとかささぎ亭を離れた。

 トゥルスは、パリからカレーへ向かう街道沿いの小さな町で、殆どの家が農家だった。時期によっては、街道を行き交う人をかささぎ亭だけでは賄えないらしく、街道に面した大きな農家の一軒が、ささやかなテーブルを出して食事と酒を出していたので、三人の銃士と、従者はそこに落ち着いて相談を始めた。アラミスはまたもあれやこれやと注文して、ぱくつき始める。アトスは相変わらずぶどう酒ばかり飲んでいた。
「ブークかな?かささぎ亭に宿を取っていて、さっき出掛けた客って言うのは。」
そう言ったポルトスは、相変わらずエメラルドの指輪をもてあそんでいる。
「さあな。あの亭主に聞けば分かるだろうが、そこから俺達の存在が知れると、ブークを取り逃がす。待ち伏せるしかないだろう。」
アトスは、無愛想に言葉を切った。すると、忙しく手を動かしていたアラミスが言った。
「大挙してと言っていたが。つまり仲間が集まるという事だろう?大挙って何人だ?」
アトスは答えずに、ワインをコップに注ぎ始めた。ポルトスが肩をすくめた。
「三人以下って事はないな。」
遠慮がちにパンをかじりながら黙っていたグリモーが、おずおずと口を開いた。
「あのぉ…さっき出掛けた泊まり客ですがね。その、ブークとか言う紳士ではないと思うんですよ。」
「何だって?」
三人が一斉に、グリモーを見た。
「はぁ、旦那様の馬に乗って町の中へ行ったのを見たのですが。白髪の紳士でして。」
「お前、どうしてそいつがブークじゃないと分かるんだ。」
アトスが険しい表情で訊き返した。
「それは…名前を知っていますから。リシャール・ワセラ。貸し馬屋の親父さんが教えてくれたんです。今朝パリを立って、カレーまであの馬を借りたそうで。」
「…よし。」
アトスは、乱暴にコップを置くと、やおらアラミスの前にある肉の皿を引き寄せて食べ始めた。
「どうするんだ?」
手持ちぶさたになったアラミスが、アトスの手元のワインをつかみながら訊ねた。
「ワセラをとっ捕まえる。」
「飛躍だ。」
「飛躍なもんか。奴らは集めた情報を持って今日、ここに集まる計画だったんだ。カレーに向かって出発し、今夜仲間がこのトゥルスに集まると言い残したリシャール・ワセラが、ブークの仲間ではないと考える方が無理だ。なに、捕まえれば分かる事だ。グリモー。」
「はぁ。」
「小麦粉をふた掴みほど調達してこい。」
グリモーは黙ってうなずき、のっそりと立ち上がって農家を後にした。
「あいつの良い所は、余計な事は言わずに働く事だ。二人とも、食っておけ。今夜は大仕事だぞ。」
ポルトスは不信顔で、コップを傾けた。
「小麦粉をどうするんだ?」
「アラミスがかぶるんだ。」
「かぶる?私が?どうして!」
「白髪の紳士になってもらう。」
「どうして私なんだ?!」
「金髪だからさ、ぼうや。」
アラミスは言い返す言葉が見つからず、しばらく口をぱくぱくさせていたが、やがてあきらめて食事を片付けるのに専念し始めた。
そこに、農家の主人が近付いてきた。
「お客さんたち、お味はいかがです?」
日に焼けた農夫に、ポルトスが愛想良く笑いかけた。
「美味いよ。舌の肥えたパリの連中も文句なしだね。」
「ありがとうございます、かみさんが喜びます。」
アトスが、食事を終えて立ち上がった。そして農家の離れの側にある小屋を指差して、農夫に尋ねた。
「あの小屋は、いま使っているのか?」
「あれですか?ああ、収穫期の穀物倉庫でしてね。今は収穫用具を保管しているだけですよ。」
「今夜にかけて、借りる事は出来るか?」
「ええ、そりゃ構いませんが…」
農夫の目に不信げな影がさした。
「何にお使いで?」
「食事の払いだがな。」
アトスは農夫の質問を無視して、手袋を着けながらアラミスの背後に向かって顎をしゃくった。ポルトスとアラミスが首を回らすと、さっき侯爵家の執事が乗ってきた馬が、呑気な顔で道端の草を食んでいる。
「あの馬を置いていく。」
農夫が飛び上がって驚いた。
「あんな立派な馬を?!いや、とんでもない!お釣りが払えませんよ!」
「釣りはいらん。」
「でも、この食事のお代なんて、鞍の値段にもなるかどうか…」
慌てる農夫を尻目に、アトスは残ったワインの瓶を掴むと、さっさと歩き始めていた。アラミスも溜息をつきながら続き、ポルトスが緑色の瞳の一方をつむってみせて農夫に言い残した。
「取っておきな。やっぱり返せと言われる前に、金に変えた方がいいぜ。」

 グリモーはそっと、かささぎ亭の裏口に戻ってみた。荷馬車屋はグリモーを雇うのを諦めたらしく、その姿が無かった。裏口から厨房を覗き込むと、彼自身がさっき荷降しした小麦粉の袋が、そのままになっていた。もう夕暮れ時で、宿の人々は食事の用意に駆け回っている。グリモーは静かに忍び込むと、懐から小さなナイフを取り出し、小麦粉の袋の一つに僅かな裂け目を作った。そして財布からなけなしの銀貨を出すと、中に小麦粉を詰め、足早にその場を立ち去った。
アトス達の所へ戻ろうと街道に出ると、既に日はかなり傾いていた。
(忙しい人だ。)
グリモーは、ぼんやりと主人の事を考えた。腕の立つ銃士である事は間違いなかった。しかし毎日飲んだくれては方々で乱闘を演じ、賭けをしては物持ちになったり素寒貧になったりする。今朝は仕事で出掛けると言っていたが、新入りの銃士二人と共に豪奢な馬車で、しかも猛烈な勢いでこの町に突進して来た。なおかつ、三人以下では有り得ない連中と一騒ぎやろうとしている。グリモーにはそれが、トレヴィル隊長から課された任務とはとても思えなかった。
(まあいい。馬は見つかった。)
心の中でつぶやいたグリモーの視線の先に、小さな点のようだが、その馬が近付いてくるのが見えた。
 グリモーは、地を蹴って走り出した。さっきの農家の敷地に駆け込むと、敷地の外れにある小屋の中へ、ポルトスの深緑色のマントの裾が消えていくのが見えた。扉が閉まる寸前、グリモーは小屋へと駆け込み、ポルトスが咄嗟によけた。グリモーは小麦粉の入った袋を差し出しながら、早口でアトスに報告した。
「今、来ますよ、旦那様の馬に乗ったリシャール・ワセラ氏が!こちらに向かって!」
アトスは、口に運んでいたワインのコップを後方へ放り投げた。派手な音がすると同時に、アトスはポルトスとアラミスを見回し、静かに微笑みながら低い声で言った。
「さて諸君。狩りの始まりだ。猟犬を放そうじゃないか。」


 → 7.大立ち回り

6.グリモー、小麦粉を調達する

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