アトスはポルトスと共に、もう一人の新入隊員の滞在する宿に向かった。宿屋はトレド広場に面しており、広場では辺りの店主達が集まって何やら相談をしている。それには目もくれず、アトスは宿屋の女将を見つけると声を掛けた。
「ここに、アラミスという若い男が泊まっていないか?」
女将はジロリと、アトスと、背後の馬を引いて来たお洒落な若者を見やった。
「あなた方、あの人の仲間?」
「ああ…まあ、仲間だ。」
「じゃあ、宿代払ってよ!!あの盗人め、宿代踏み倒したんだよ!!」
「仲間じゃない!!」
アトスとポルトスは同時に叫んだが、女将は聞いていなかった。
「まったく、きょう日の剣術使いはどうなっているんだい?昨日やって来た時は礼儀正しいし、食事の前に長い事教会でお祈りなんかしているから、てっきり真面目でちゃんとした人だと思ったら、冗談じゃないよ!いい食事をたらふく食べて、ぶどう酒も上等なのを飲み干しておいて、朝になったら部屋に居やしないじゃないか!もぬけの殻だよ、どうしてくれるのさ、これじゃ商売にならないよ!どうせ他の店でも同じ事やってるに違いないさ。若くて可愛い金髪なもんだから、みんなコロっと騙されちまうんだよ。あれじゃあ、泥棒の方がよっぽどましさ。さあ、払っておくれ、50はするよ!ええ、なにグズグズしているんだい?!
 まったく、最近の若いのと来たら、礼儀はなっていない、払いは悪い、その上泥棒と来ているから、フランスも落ちたものさ。それに比べて、昨日のもう一人のお客さんはよかったよ。外国の中年紳士ってのは本当に良いね。穏やかで払いも良いし、その上あたしに世話になったからって、余計に置いて行ってくれたんだよ。第一、品が違うんだよ、今朝だって出発間際に馬が暴れて落馬しても、落ち着き払って、私に詫びてくれたりしてさ、あんた達も少しは、見習ったらどうだい?とにかく、仲間ならあの泥棒のお代を払っておくんな!でなきゃ憲兵に突き出すよ!!」
アトスもポルトスも、女将の猛烈な演説になすすべも無く口を開けて立っていたが、最終的には状況を把握した。アトスは元の不機嫌な顔に戻って、肘でポルトスを小突いた。
「おい、ポルトス。金を出せ。」
「ないよ。」
「ないはずないだろう。」
「ない物はないよ。」
「文無しでパリに出てくる奴が居るか。とにかく出せ。」
「あのね、アトス。」
ポルトスは形の良い眉を下げ、可愛らしく帽子を傾けてみせながら、何故か胸を張った。
「俺のこの素晴らしい衣装を見て分からないかい?無いんだよ。全然。」
アトスは改めて、ポルトスの美しい姿を上から下まで眺め回した。
「おまえは…」
アトスが言い終わる前に、女将が金切り声をあげた。
「なぁにゴチャゴチャ言ってるんだい?!さっさと払っておくれ!お金がない?だったら、あの馬を置いて行きな!」
「馬鹿言え!」
ポルトスが真っ赤になって飛び上がった。
「あの馬は駄目だ、絶対渡さないぞ!」
「なんだい?私に飢え死にしろって言うのかい?」
「おい、アトス何とかしてくれ。馬なしの銃士があってたまるか!」
「あきらめろ。さもなきゃ脱げ。」
アトスは、うんざりした様子で、宿から出て行こうとした。ポルトスはまだ女将に何事か抗弁している。広場で相談事をしていた男達が、ふとアトスに目を止めた。互いに黙っていたが、アトスは何となく声を掛ける気になった。
「…ごきげんよう。何かあったのかい?」
「たぶんですがね、強盗ですよ旦那。」
一人の男がアトスに言った。
「強盗?」
「ええ、夜中にこの広場にあやしげな赤い服の男が何十人も集まって、何かヒソヒソ打ち合わせているのが目撃されたんですよ。」
「それで、どこに強盗が入ったんだ?」
「それが…よく分からないのですが。」
男は仲間達と顔を見合わせた。
「どうやら、あの宿屋に入ったようなんです。ものの5分もしないうちに、連中引き上げていったみたいですが。」
「あの宿屋?」
アトスが男の指した方を振り向くと、まだポルトスが女将と壮絶な口論を続けていた。
「あの女将は、強盗の事なんて一言も言っていなかったぞ。」
「そりゃそうでしょうよ。」
男は肩を竦めてみせた。
「あの女将と来たら、夜は誰よりも早く大いびきをかいて寝ちまうんだから。いったん寝たら、朝まで絶対起きないって話ですよ。あそこの親父が家出しちまったのも、安眠できないからって噂でさ。結局、はっきりとした被害も分からないし、通報したものかどうか…」
アトスは、男が説明し終わる前に身を翻し、ポルトスの美しいレースの襟首をつかんで外に引き出した。その拍子にポルトスの脚が机にぶつかり、宿帳が落ちた。
「往生際が悪い。あきらめろ。行くぞ。」
「でもアトス、俺の馬が!おい、女将!俺の馬を売るなよ!絶対取り戻しに来るからな!!」

 アトスは、早足になっていた。朝の酒はすっかり醒めている。
「ポルトス、お前は先にトレヴィル殿の屋敷に行ってろ。」
「冗談だろう?」
ポルトスも負けずに歩きながら、アトスに抗議した。
「俺の馬を取り戻すんだ。そのアラミスとかいう無銭飲食宿泊野郎を捕まえるまで、お屋敷になんて行けるもんか。おい、アトス。当てがあるのか?」
「強盗に当てがある。」
「強盗?」
「夕べあの宿に入り、女将が気付くような物は奪わずに逃げた、赤い服の複数強盗だ。」
「目立つ強盗だな。それ、本当に強盗か?」
「着いたぞ。」
二人が足を止めたのは、実に豪壮な屋敷の前だった。
「こいつは…」
ポルトスは、念入りに襟を直しながら嬉しそうに言った。
「王宮か、さもなきゃ枢機卿の屋敷だな。」
「分かっているなら、ついでに教えてやる。俺達がここに入ったらただでは済まない。」
「敵の巣窟って訳か。」
「理屈では味方だが、現実には敵だ。」
 アトスは無遠慮に門をくぐると、枢機卿邸の東側に位置する、親衛隊の詰め所に一直線に向かって行った。赤い制服を着た親衛隊員たちがそれに気づき、殺気立った目でアトスとその連れを目で追った。
「たしかに、ただではすまなそうだな…」
ポルトスは辺りを見回しながら、ニヤニヤし始めた。アトスはそれに構わず、詰め所の玄関に着くとノックもせずにいきなりドアを開け放った。
 十数人も居るだろうか。中に居た親衛隊員たちは、一斉に立ち上がった。アトスはひるみもせずに、低い声で言い放った。
「ゆうべトレド広場の宿屋から、ふんじばって来た男を引き取りに来た。出せ。」
親衛隊員たちは、互いに顔を見合わせた。そのうちの一人が、大仰に腕を組みながら、アトスの前に進んだ。
「いきなりご挨拶だな、アトス。先日の無礼を詫びに来たのではないのか。」
「お前と無駄口をきいている暇はない。さっさとあの男を出せ。」
「何の話だか分からんな。」
男が言い終わらないうちに、アトスは凄まじい勢いで抜刀し、男を壁へ突き飛ばして切っ先をのど元に突きつけた。
「とぼけるな。夜中に徒党を組んで家に押し入り、人をふんじばって連行するのは、お前らの特技だろう。間抜けなことに赤い服で揃いやがって。面倒な事になる前に、そいつを俺に引き渡せ。さもないと大怪我するぞ。」
アトスを取り囲んだ親衛隊員は一斉に色めき立ち、次々と剣を抜いた。
「ひゅう!」
入り口に立っていたポルトスが口笛を鳴らした。
「なるほど、こりゃ威勢がいい。」
ポルトスは慎重にマントを左手に巻き上げると、鮮やかな手つきで剣を抜いた。
「服を汚さずに立ち回らないとな。」
「小僧ッ!!」
親衛隊の一人が叫んだと同時に、彼らは一斉にポルトスとアトスに殺到してきた。アトスはとっくに、目の前の男を張り倒していた。そして、ポルトスが呆れるほど俊敏に体を返したかと思うと、アトスの剣が次々に親衛隊員達の剣を叩き落した。一方、ポルトスの方は、組み付いてくる親衛隊員を端から順に投げ飛ばすのに忙殺された。親衛隊員の猛攻が一段落する頃、アトスとポルトスは背中を合わせて玄関ホールの中心に進んだ。
 「やれやれ、アトス。見ろよ手袋が裂けちまった。」
ポルトスがぼやくと、
「絹のなんてするからだ。後で革手袋を買え。」
アトスは相変わらず低い声で言った。
 すると、階上から声がした。
「ここに二人で乗り込むというのは、さすがに無謀ではないか?」
見上げると、階段の上に、黒い服の男が立っていた。それを合図に、親衛隊員たちは、剣を下ろしてやや下がった。
「男一人に会いに来ただけだ。その来客にこの対応とは、無礼も良い所だな、ロシュフォール。」
アトスが冷酷に言い放った。
「…あの男が何だって?」
ロシュフォールと呼ばれた黒衣の男は、皮肉っぽい笑みを浮かべて、階段を下りてきた。
「新入り隊員だ。お前らが捕まえるような男じゃない。」
「…らしいな。」
「ふんじばって来たんだな?」
「いいか、アトス。私達は、私達なりに国と国王に尽くしているのだ。そのやり方にいちいち文句をつけられては叶わないな。第一、縛っちゃいない。」
「ふん。どうやろうとお前らの勝手だ。ただ、無関係の銃士隊員の身柄を拘束する権限はない。」
「よかろう。」
ロシュフォールは、相変わらず皮肉っぽく笑いながら、背後の親衛隊員に、顎をしゃくってみせた。
「ところで、そこの若いの。」
ポルトスは大事そうに帽子を直し、マントの皴を伸ばしながら、ロシュフォールの声に顔を上げた。
「見慣れない顔だな。お前も新入りか?」
「まあね。ポルトスだ。覚えておいてくれ。ところであんた、その黒の服にその黄色い肩帯はよした方がいいぜ。」
「腕は立つが、減らず口で着飾りお姫様だな。」
 苦虫を噛み潰したロシュフォールの背後から、3人の親衛隊員が、華奢な男を取り囲んで近づいて来た。やって来た金髪の若者は、引ったてられるというよりは、護衛されているような風情だった。顔色も良く、自信に満ちた少し高慢な顔つきで、堂々と近づいてきた。それを見たアトスは、剣を収めた。
「君がアラミスだな。」
しかし、言い終るまえに、ポルトスが金髪の若者につかみ掛っていた。
「やい、お前がアラミスだな!俺の馬を返せ、この無銭飲食宿泊野郎ッ!!」
「馬?何の話だ。」
アラミスは憮然としてポルトスをにらみ上げた。
「話は後だ。この忌々しい所から出るぞ。」
アトスは二人を出口へと促し、踵を返した。
「待てよ、アトス。」
ロシュフォールの声が引きとめた。振り返ると、彼は腕を組んで相変わらず苦虫を噛み潰している。
「お前、勘でここで来た訳ではあるまい。何を知っているんだ。」
アトスは、しばらく険しい表情でロシュフォールを睨んでいたが、やがて一計を案じた。
「ロシュフォール、お前らが間抜けにも引っ立ててきたのは、目指す標的ではないことはわかっているようだな。お前らの標的は、今朝まんまとあのトレド広場の宿屋から出発している。お前らは偽者をつかまされたのさ。」
「ふん。お前は奴が何者かは知らないんだろう。」
「…さあな。どうだ、ロシュフォール。賭けないか?」
ポルトスとアラミスは振り返ってアトスを見やった。
「お前らが探している男を、俺達が先に捕らえたら上等な馬を3頭よこせ。」
「我々が先だったら?」
「もちろん、上等な馬を3頭、くれてやる。」
ロシュフォールは笑い出した。
「よかろう、アトス。その代わり、そいつは生け捕りにしろよ。」
「忘れるな、上等な馬だぞ。」
アトスはそう言い残すと、新入りの銃士二人を外へと促した。

 グリモーが貸し馬屋の主人を訪ねたところ、確かに主人は元々アトスが所有していた馬の事を知っていた。
「あのこげ茶色で、足首が4箇所とも白い馬だろう?ああ、確かにうちが買ったよ。」
主人は人のよさそうな男で、親切にグリモーに言った。
「あの馬、いまどこに?」
「あんた、あの馬に何の用だい?馬が必要ならほかにもいるよ、ほらあの灰色のはどうだい?なかなか良い脚をしているよ。」
「ああ、いや、俺はあの馬じゃなくて…」
グリモーは、必死に口実を考えた。
「例の脚の白い馬に会いたいんだ。実はね、あの馬は俺の実家で生まれ育ったヤツで…子馬の時分から俺がずうっと世話してやってたのさ。そりゃ可愛いくて…ところが、俺がしばらく村を留守にしたら、その隙に親父が売っちまったんだ。酷い話さ。そりゃあいつは親父の所有物だろうが、親身になって世話したのは俺なんだぜ。」
「ははあ、それは悲しい話だね。馬ってのは情が移るもんだ。」
貸し馬屋の主人は、気の毒そうにグリモーの話に聞き入った。
「そうだろう?だから…せめて、もう一目あいつに会って、さよならが言いたいんだが…」
すると、貸し馬屋の主人は、引き出しから分厚い帳簿を引っ張り出した。
「そういう事情なら、会わせてやりたいんだがね。あいにく、あれは今朝貸し出されちまったんだ。…ええと…ああこれだ。カレーまで。多分、船に載る旅の人だろうね。料金は前払いで、もう出発しちまったよ。」
「カレーへ?いつ戻ってくるんだい?」
グリモーは焦り始めた。
「いつ戻るかは分からないね。」
主人は心底気の毒そうに言った。
「うちは、各地の貸し馬屋と提携しているんだ。カレーまで行ったら、あっちの貸し馬屋に乗り捨ててもらって、そこからまた、パリまで使う客を待つんだよ。」
「そうか…」
グリモーはがっくりと肩を落とした。
「でも兄さん。あきらめなさんな。カレーまでは遠いだろう?きっと途中の街道沿いのどこかで休憩なり、宿泊なりするよ。そこまでなら何とか追いつけるんじゃないか?」
グリモーははっと、顔を上げた。もしかすると間に合うかもしれない…
「そうだね、親父さん。ありがとう。差し支えなければ、その馬を借りていった人の名前だけでも教えてくれないかい?」
「ああ、構わないとも。ええと。リシャール・ワセラ。白髪の紳士だったよ。」
グリモーは、貸し馬屋の主人に礼を言い、今度はカレーに向かう荷馬車を探し始めた。


 → 4.アトスの見解

3. アトス、またまた賭けをする

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