トレヴィルから渡された書類を頼りに、アトスは一つの宿屋に向かった。市場の東側に位置するその宿屋周辺は、郊外からパリに入ってくる人,物で溢れかえり、大変な賑わいだった。アトスが目指す宿屋に向かって人ごみをかき分けてゆくと、人だかりから声が上がった。
「決闘だ!決闘だぞ!!」
アトスは思わず足を止めた。彼は慎重に帽子を被りなおすと、そっと人だかりに加わった。人々の輪の中心に、二人の男が剣を抜いて対峙していた。
 一方は、40がらみの頭の禿げ上がった紳士だ。
(かなり出来るな…)
アトスは思った。紳士の足つきと、落ち着き払った様子から、かなりの場数を踏んでいるように見えた。紳士は、相手に静かに言った。
「小僧、やめるなら今のうちだぞ。」
「それはこっちの台詞だ。」
そう言い返した若者に、アトスは目を見張った。その若者が余りにも輝いて見えたからである。年のころ20代半ばであろうか。かなりの長身で、肩幅が広く、骨の太そうな、逞しい体つきをしている。青みがかったグレーの上着に金糸の刺繍が美しい肩帯を掛け、深緑色のマントも素晴らしく似合っている。そのマントを止めるブローチは見事な銀細工らしく、陽光を反射してきらきらと輝いた。一部のすきも無い完璧な服装と着こなしにも増して目を引いたのは、黒いビロードの帽子の下の若者の顔だった。体と同じく顔も骨ばった力強い輪郭をしている。豊かな髪は優雅に顔を縁取り、太くはっきりした眉の下、緑色の大きな瞳は活き活きとした輝きに満ちて、決闘相手を見据え、艶のある頬に赤みがさしていた。
 中年の紳士は、剣をやや下げると、面倒くさそうに言った。
「分かった。相手はしてやる。名乗りたまえ。私は、ジョルジュ・ブーク。」
「私はポルトス。行くぞ!!」
アトスが驚くのと、若者が地を蹴って剣を繰り出すのは同時だった。トレヴィルに世話をするよう命ぜられた新入隊員の名前ではないか。止めるか、加勢するか、アトスは一瞬考えたが、考え終わる前に勝負が終わっていた。紳士が若者の速攻について行けなかったのである。若者の第一打は辛うじて受けた紳士だったが、素早く身を引いた相手の勢いに連り込まれて、手元に飛び込んでいた。しまったと思って紳士が剣を跳ね上げ身を低くする直前に、若者は意外にも紳士の足を払い、返す剣を紳士の胸に突き立てんとした。その時、既に紳士は地面に仰向けに倒れ、若者の剣先は紳士の皮帯を切り裂いていた。
(勝負あったな)
アトスが思うまでも無く、観衆がどっと沸いた。
「若いのの勝ちだぞ!」
「凄いぞ、伊達男!!」
その歓声に気を良くしたらしく、若者は剣を引いた。紳士はゆっくりと立ち上がった。そして忌々しそうに埃を払うと、相変わらず低い声で言った。
「分かった、私の負けだ」
「結構!!」
若者は得意満面で言い放ち、剣を収めた。
「これからは、喧嘩の相手を選ぶんですな。これは…頂いておきますよ。」
若者が地面から黒い革の財布を拾い上げた。紳士の革帯が裂けたときに落ちたらしい。
「…好きにしたまえ。」
紳士は見物人の一人から帽子とマントを受け取ると、さっさと人ごみを掻き分けて去っていってしまった。
 もちろん、残された人々は若者に拍手喝采である。上機嫌の若者は、財布を空け、中のコインをばらまいた。
「勝利の祝いだ!みんな好きに飲み食いしてくれ!!」
見物人たちは更にどっと沸き、コインを拾い上げ、食堂へと殺到した。
 若者が満足そうに帽子を直しているところに、アトスが歩み寄った。
「お見事。たいした腕だな。」
「どうも。光栄です。」
若者−ポルトスは悪戯っぽく緑色の瞳に微笑みを浮かべ、アトスに一礼した。
「あの紳士もかなりのものだと思うが。君の機敏さが勝った。見たところ腕力がありそうだが、そこに頼らない所もいい。」
アトスは、いつになく多弁になっていた。
「ありがとうございます。…私はポルトス。あなたは?銃士隊の方とみえましたが?」
「制服を着ていないのに、よく分かったな。私はアトス。銃士隊員で、新入りの君を世話するよう、隊長に言われている。」
「ああ!あなたでしたか!今日訪ねてくるとは聞いていましたが、こんな所でお会いするとは、奇遇ですね。」
ポルトスは、底抜けに明るい声で言った。服装と、彼自身の輝きが、よく通る声で更に増したように見えた。アトスは長い間忘れていたある種の爽快感と、感動が胸に湧き上がるのを感じた。
 早速、ふたりは一緒に歩き始めた。まずはポルトスの宿へ寄り、彼の荷物と馬を回収するためである。ポルトスは、手に残った黒い財布を投げ捨てようとして、ふと手を止めた。
「一枚残っているな。…なんでしょう。このコイン。見慣れませんね。」
ポルトスは、財布から取り出した小さな1枚のコインを見つめた。
「ジャム…メ…?見たことがないコインだけれど。」
「取っておきたまえ。」
アトスは微笑みながら言った。
「銃士一日目で勝ち取った記念だ。幸運のお守りにでもなるだろう。」
 ポルトスが宿の支払いを終えると二人は厩に向かった。ポルトスが鞍を乗せるのを見ながら、アトスは静かに若者に尋ねた。
「なぜ銃士を志願したんだ?ポルトス。」
「田舎暮らしが退屈になりましてね。私は大きな遺産が約束された身なのですが、親戚ときたらみんなピンピンしていて、一向に死にそうに無い。金持ちになるのを待っていたらこちらが老人になっちまいますからね。花のパリでひと暴れしようかと。それに着道楽としては、やはりパリでしょう。」
「ポルトスというのは、もちろん通称なのだろう?」
「ええ。」
ポルトスの緑色の瞳が厩の暗がりのなかで光った。
「あなたもでしょう?伯爵。」
アトスは絶句して、ポルトスを見やった。
「おっと、失礼。」
ポルトスは笑いながら軽く会釈した。
「侯爵でしたか?いやなに、アトスさんは、最初に会ったときからどこか高貴な感じがしましてね。この人はただの銃士じゃないと思った訳です。きっと、かなりの身分の紳士ではないかなとね…」
アトスは大きくため息をついた。
(良いのは腕と姿だけではないらしいな…)
そして、にこりともせずに言った。
「私はただのアトスだ。銃士のアトス。…だから、私に敬語は無用。」
「では、アトス。」
鞍を乗せ終わったポルトスは、絹のしゃれた手袋を外して、右手をアトスに差し出した。
「今後、よろしく。」
「ああ。」
ふと、アトスは手を握った目の前の美丈夫を、上から下まで眺めながら尋ねた。
「所でポルトス、年はいくつだ?」
「24。アトスは?」
アトスは、答える気がなくなった。なるほど、トレヴィルの言う通りである。自分と3歳しか違わないこの男の、溌剌とした輝きはどうだろう。自分の老け込み方が尋常ではないことを、アトスは思い知った。

グリモーがアトスの馬を取り戻すべく、記憶をたどった結果、ある一軒の店に行きついた。その酒場兼宿屋の主人は、その日のアトスの事をよく覚えていた。とにかくしたたかに酔ったアトスは、何の拍子か泊まり客の一人と勢いでダイス賭博をして、ものの見事に負けたのだ。約束どおり、アトスは馬を客に取られてしまった。
「それであの馬は、その旅人が連れていっちまったんで?」
グリモーが主人に訊ねると、主人はグリモーを胡散くさそうに見ながら言った。
「いいや。あの人には自分の馬があったからね。2頭も要らないって言うんで、売っちまったよ。」
「売った?どこの馬屋に?」
「さあね。知らないよ。」
グリモーは、情けなさそうに懐を探ると、なけなしの銀貨を1枚取り出し、テーブルに置いた。
「どこの馬屋だったか良くは覚えていないが…」
主人はグリモーから視線を逸らし、ぶつぶつと言った。
「そう言えば、二丁ほど先の貸し馬屋に、最近新しい馬が入ったな。」
グリモーは何も言わずに、店を出た。


→ 3. アトス、またまた賭けをする

2. アトス、思い知る

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