1. アトス、任務を課される

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  立派な銃士の作り方
  

 洗濯日和の朝だった。グリモーは主人のシャツを勘定してみたが、どうも足りない。
(シャツまで賭けたか)
グリモーは可笑しくなった。あまり多くの衣装を持っている訳ではないし、なくなっているシャツは、主人の所有物の中でも上等な類だったので、困ったものだ。
 グリモーはシャツとズボンと、上着と桶を抱え、下宿の裏庭に回った。普通の銃士なら洗濯屋に任せるのだろうが、彼の主人は経済観念が完全に欠落している。金が入ればワインに化け、元手もないのに賭けをする。
(余程の金持ちだったか、本当の馬鹿か、どちらかだろうな。)
グリモーは、隣人から拝借したシャボンを泡立てながら、晴れ渡ったパリの空を見上げた。彼は、主人が銃士隊に入隊してから雇われた。主人は自分の出自を語らないし、第一本名からして謎である。それでも、グリモーには仕えにくい主人ではなかった。
 表で、馬の嘶く声がした。主人の馬は、先日賭けに負けて取られているので、訪問者らしい。
「グリモーさん、お客だよ!」
下宿屋の女房が窓から顔を出して怒鳴った。
「客?飲み屋の取りたてじゃなくて?」
グリモーが聞き返すと、背後で男の声がした。
「人を勝手に飲み屋にするな」
振り向くと、銃士隊長のトレヴィルが仏頂面で立っていた。
「ああ、隊長さん。おはようございます。」
グリモーは洗濯物を持ったまま、壮年の銃士隊長に挨拶した。
「アトスは居るか?」
「居ません」
「どこだ?」
「さあ。どこかの飲み屋に…」
「探してこい。」
トレヴィルはグリモーが何かを言おうとするのを遮った。
「私の屋敷によこせ。それから、屋敷に入る前に頭から水を浴びせてやれ。」
「はあ。」
銃士隊長はマントを翻して出て行った。グリモーは、つけの少なそうな飲み屋を考え始めた。

 アトスはやがて、トレヴィルの屋敷に出頭した。立ち姿は美しいが、完全に二日酔の顔をしている。長く繊細な黒髪もやや乱れ、肩の辺りで勝手な方向を向いていた。
「久しぶりだな、アトス。」
トレヴィルは秘書を部屋の外に出すと、机越しに立ったアトスに微笑みかけた。
「会うのは久しぶりだが、君の名前は頻繁に耳にする。」
アトスは不機嫌そうな顔つきのまま、黙っていた。トレヴィルは机上の書類をガサガサと探って読み上げ始めた。
「私の所に入ってくる情報では…王宮の裏手で守衛に一発お見舞い,レント広場で枢機卿の親衛隊5人と喧嘩,飲み屋支払い滞納苦情5件,銃士と決闘2件,…こっちも親衛隊と喧嘩か。しかも3回。強盗逮捕に過剰防衛,インチキ賭け屋に勝手に手入れ…負傷者4名…とにかく、数え上げたら切りが無い。」
アトスは相変わらず黙っていた。トレヴィルはそれらの書類を丸めると、暖炉の中に放り込んだ。
「並みの銃士ならクビだろうがな、アトス。私も優秀な戦力は失いたくない。」
「恐れ入ります。」
アトスは静かに言った。酔いのせいか、黒い瞳が僅かに潤んで見える。
「しかしだ。クビになる前に、命を落とすぞ。」
「命が惜しいと思った事はありません。」
「伯爵―」
トレヴィルは声を潜め、しかし厳しい調子で言った。
「分をわきまえるのだな。誇り高い人間は命を大事にするものだ。無駄死には犬と変らん。少なくとも、国王陛下の銃士であるのなら、国の為に死ね。己の為にその命を無駄にするのは許さん。」
アトスは返事をしなかった。ただ、深い悲しみの色が彼の瞳にさしただけだった。
 「そこでだ、アトス。」
トレヴィルは声の調子を戻し、大きく息をつきながら言った。
「きみの飲んでは喧嘩騒ぎという生活を変えさせる為に、私は特別任務を課す事にした。」
「任務なら、喜んでお受けします。」
「けっこう。」
トレヴィルは机から2枚の紙を取り上げると、アトスの前に差し出した。アトスが右手でそれを受け取ると、トレヴィルは立ち上がった。
「任務というのは、その二人の新入隊士の世話だ。」
アトスが何事かを言おうと口を開いたが、トレヴィルが手で制した。
「きみは、たった今任務なら喜んで受けると言っただろう。」
アトスは黙ったまま書類に目を落とし、僅かに溜息をついた。トレヴィルは満足げに肯いた。
「なに、その二人を宿まで迎えに行き、世話をしてやるだけの事だ。たまには昼間に街に出て人に尽くすのも、健康的で良いものだぞ。」
「うそ臭い名前ですね。」
「お互い様だろう。」
アトスは深々とトレヴィルに礼をすると、踵を返した。
 「ところで、アトス。」
椅子に座り直したトレヴィルの声が、ドアを開けかけたアトスを引き止めた。
「お前、いくつになった?」
「…27です。」
「27なら27の銃士らしく見える成りをするんだな。それじゃあ、まるで酔っ払い中年だぞ。」
「半分は合っています。」
「どうでも良いから、もう少し若者らしくしろ。それから、馬を賭けで取られたそうじゃないか。どうにかするんだな。」
アトスは答えずに部屋から出ていった。

 トレヴィルの屋敷から出てきたアトスは、待っていたグリモーの方を見もせずに口を開いた。
「馬を探して来い。」
「…馬ですか?」
「この間、賭けで取られたあの馬だ。取り返して来い。俺は仕事で出かける。」
すでに、アトスはグリモーよりも随分先を歩いていた。グリモーは戸惑いながら主人を追いかけた。
「取り戻すって…どうやってですか?」
アトスは突然歩みを止めると、グリモーの方を振り返り、低い声で怒鳴った。
「知らん。自分で考えろ」
あっけに取られたグリモーを残して、アトスはスタスタと歩いていってしまった。


 → 2.アトス、思い知る
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