8.ムスクトンの特技が役に立つ、その時が来た

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  とんでもない量の贋金を
  

 テルミードの工房で自分の足を撃ち抜いた男は、ひどい出血は収まりつつあるものの意識は朦朧としており、やはり医者に見せなければならなかった。
「この村、外科医は居るか?」
 ポルトスは、降参してしまった用心棒達に尋ねたが、彼らは悲愴な表情で首を振った。
「しょうがないな…。村から出すか。」
 ポルトスはさっさと外に出ると、幾らか走って隣りの工房の開いた扉を叩いた。そんな事をするまでもなく、工房に居た真っ白な髪の気の強そうな老婆が、顔を出していた。
 「何か用ですかい。うちは贋金なんて作っていませんよ。」
「知っているよ。それよりも、あっちの工房で怪我人が出たんだ。村の外に運んで医者に見せたいのだが、荷馬車と馬を貸してくれないか?ロバでも構わないが。」
老婆は心底迷惑そうにポルトスを見上げた。
「真っ平ごめんだね。贋金造りどもには迷惑しているんだ。あいつらのせいで村は封鎖されるし、あんたらはウロウロするし。第一、あの怪しい輸送屋やら用心棒やら、目障りったらありゃしない。よそへあたりな。」
「よその家なら、助けてくれるのか?」
ポルトスが苦笑しながら聞き返すと、相変わらず老婆は不遜な顔つきで言った。
「さぁね。贋金連中に協力する奴も居るし、うちみたいに関わらないのも居るさ。そこはあんたの運しだいだよ。」
「俺は運なんぞには頼らないタイプでね。頼りになるのは…この場合、金と権力か?」
ポルトスは懐からリシュリューの委任状を取り出し、老婆の顔面に突きつけた。
「さぁ、ごちゃごちゃ言わずに荷馬車と馬を貸してくれ。」
「あんた、馬鹿だね。あたしが字なんて読める訳ないだろう。」
「読めなきゃ、読んでやる。この書類を所持する者に、王立貨幣法院特別捜査官としての全権を委ねる。その行為は主席国務大臣の委任による。リシュリュー。分かったかい?」
 ポルトスの顔は笑っているが、口調は真面目だ。老婆は胡散臭そうにポルトスの頭から足の先まで、ジロジロみつめたが、やがて溜息をついて降参した。
「分かったよ。ちゃんと返しておくれよ。」
 と、言いながら工房からのそのそ出てきて、厩から老いぼれの馬と小さな荷馬車を引き出した。

 ポルトスはテルミードの工房に戻ると、用心棒達に指示して、怪我人を荷馬車に乗せた。そして用心棒の一人を御者にして、自分は馬に乗って工房を出発し、村の南側への道を進んでいった。残りの二人も、荷馬車の後ろからトボトボついてくる。
 やがて、村の出口の橋にたどりついた。そこにはムスクトンとグリモー、そして銃を装備した男が居た。昨日の夕方に見た、貨幣法院から派遣されたリシャールの部下だ。
「旦那様!」
ムスクトンが近付いてきたポルトスに気付いて、立ち上がった。
「どうなさったのですか?なにか進展でも?」
「まぁな。ドタバタやった挙げ句に、怪我人だ。こいつは(ポルトスは背後の荷馬車を指差した)重症だから、村の外に出す。…この先で、医者の居る村に心当たりはあるか?」
ポルトスは振り返りながら尋ねると、御者の男が僅かに頷いた。
「よし、行っていいぞ。」
 ポルトスは手綱を引いて脇によけ、荷馬車とそれに続く男達を通そうとした。すると、貨幣法院の男が驚いて立ちはだかった。
「だ、駄目ですよ!明日まで、この村は封鎖されているのですから!誰も出す訳には行きません!」
「だって、怪我人だぜ。」
ポルトスが言うと、貨幣法院の男は困ってしまった。
「いや、しかし…リシャールさんの許可なく外に出したりしたら、私が罰せられますよ。第一、この連中、何なのですか?」
「贋金造りに雇われていた、輸送要員兼用心棒だ。」
「ええッ?!」
ポルトスの呑気な物言いに、貨幣法院の男は益々驚いた。
「なおさら、出す訳には行きませんよ!」
「じゃぁあんた、この男の足を治せるか?」
「そんな無茶な。」
「怪我人を放置するほうが無茶だろう。」
「いや、しかし…」
「あぁ、融通の利かない男だ。これならどうだ?」
 ポルトスは懐から例の委任状を取り出すと、馬上から貨幣法院の男の眼前に突きつけた。
「俺は、リシュリュー主席国務大臣閣下から、委任されているのだ。文句があるか?」
「それ、リシャールさんへの委任状じゃないですか。どうしてあなたが持っているのです?ええと…ムスクトンさんの旦那様ってことは、ポルトス様ですよね?」
「いかにも、ポルトス様さ。」
 ポルトスは馬鹿丁寧な手つきで委任状を懐にしまいながら、胸を張った。
「このポルトス様に、リシャールさんが委任状を預けたんだ。その事の意味ぐらい、わかるだろう?さぁ、さっさと道をあけたまえ。」
 ここまで言われては、貨幣法院の男も返す言葉が無い。しぶしぶ道の脇によけると、ポルトスは用心棒達に行く様に合図した。
 馬車が橋を渡りきろうとした時、突然足に怪我をした男が、手を上げた。
「ちょっと待ってくれ。」
彼はかすれた声で言いながら、ゆっくりと上半身を起こした。出血のせいか、真っ青な顔をしている。
「ポルトスさんって言ったな。」
 馬をかえそうとしていたポルトスは、手を止めて振り返り、頷いた。怪我人が続けた。
「あんた、俺達から贋物の金貨の隠し場所を聞かなくて良いのかい。」
ポルトスは唇の片方だけを上げた。
「聞いた所で、答える気があるのか?俺に見返りは期待できないぜ。」
御者と怪我人、そして後ろを歩く二人は、暫らく顔を見合わせていたが、すぐにお互いに頷き合い、怪我人が代表して言った。
「さっきの老婆の小屋を探しな。」
「さっきの老婆?その馬と荷馬車を借りた老婆かい?」
「あんたに何て言ったかは知らないが、あの工房も人間も仲間だ。あそこの職人はテルミードの甥っ子なんだ。今までに作り上げた大量の金貨は、あいつの所に隠してあるはずだ。それから…この村の連中だが。そんなに悪い奴らじゃない。俺達みたいな流れ者を使って、あんた達を殺そうってのは、連中の本意じゃない。」
「じゃあ、どうしてこんな物騒な事を?」
「あの…女の人に、指示されたんだ。」
「女の人?」
「そう。つまり…女の人だよ。俺達を雇ったのは…。」
「分かった。もういい。」
ポルトスは僅かに微笑むと、ゆっくりと頷き、低く呟いた。
「ありがとう。」
 用心棒達は馬に手綱を当て、とぼとぼと出発していった。ポルトスと、ムスクトン,グリモー,そして貨幣法院の男は、黙ってそれを見送っていた。
「相手はならず者でも ― 」
ポルトスはにっこりしながら貨幣法院の男に話し掛けた。
「怪我人だからな。多少親切にすると、それなりに良い事もあるってことさ。ムスクトン、一緒に来い。」
 そう言うなり、ポルトスは馬の腹に拍車を当て、村に向って駆け出した。

 自分の足で走るムスクトンが、騎馬のポルトスについていけるはずも無い。ポルトスがさっきの老婆の居た工房に駆け戻ると、一人でさっさと工房の扉を開け放った。
 老婆の姿はなく、もぬけの殻だ。ポルトスは剣を抜くと、工房の中に進んだ。注意深く奥の部屋や、中二階を覗き込んだが、誰も居ない。そのまま裏口から外に出ると、水場にも誰も居なかった。
 工房のすぐ側には、中々立派な小屋が立っている。ポルトスは勢い良く駆け出すと、正面の両側開きの戸を凄い勢いで蹴り開け、そして叫んだ。
「動くな!王立貨幣法院特別そうさ…わぁああ!!!」
 ポルトスの決め台詞は、自らの叫び声にかき消された。
 彼が開け放った小屋の中には、丸々と太った豚がぎゅうぎゅうに押し込まれていたのである。物置にしては立派でも、豚舎としては甚だ狭い空間に押し込められていた豚たちは、突然の侵入者とその声に驚き、パニックを起こした。そして外へ ― つまり、ポルトスの立っている出口に向って突進してきたのである。
 ポルトスは咄嗟に身を翻して走り出そうとしたが、手後れだった。瞬く間に豚の大群が彼を押し倒し、ドカドカと踏みつけて行く。
 豚たちが一匹残らず自由の大地へ駆け出していった頃、ムスクトンは隠れていた工房の陰から、おずおずと姿を現わした。
「あの…旦那様…?」
 ポルトスはさっき倒れたそのまま位置で、うつ伏せに長くなっていた。彼の洒落た帽子も、美しいマントも、ぴかぴかだったブーツも、見るも無残に豚の足跡でまだら模様になっている。
 やがてポルトスは両手を地面に突くと、地面から体を剥ぎ取るように、起き上がった。
「だ、旦那様!大丈夫ですか?!」
 ポルトスは恨めしそうに顔を上げた。ひどく土にまみれ、そのうえ凶悪な顔つきをしているので、せっかくの美男子も台無しである。ムスクトンがポルトスの前に駆け寄り、しゃがみこむと、やおらポルトスが従者のむ胸ぐらを掴んだ。
「おい、ムスクトン。」
「は、はいッ?!」
「俺は今日ほど、お前が俺の従者で良かったと思った事はないぞ。」
「はっ?!」
ムスクトンは驚いて目を丸くした。
「お前の特技を活かす時が、いよいよ到来したんだ。さぁ、得意の投げ縄で豚どもをかたっぱしから捕まえてこい。」

 リシャールとアトス,アラミスは馬を飛ばして村の集落を離れ、道を横断して丘を駆け上がった。丘の上には聖バシリウス教会が真昼の明るい光を浴びている。
 三人は教会から少し下がった館の前で、馬から飛び降りた。そして取り次ぎも待たずに玄関から中に押し入る。従僕らしい男が、驚いて声を上げた。
「な、何です、あなた方は?!」
「貨幣法院特別捜査官だ。クールベ神父はどこだ。」
 リシャールが鋭く尋ねると、従僕はおどおどしながら、廊下の向うの扉を指差した。
「たぶん、裏にいらっしゃいますが…」
 三人は従僕を無視して、ずかずかと進み、そのまま裏口から庭へ飛び出した。左右を見回すと、一見誰も居ない。しかし、アトスが合図した。井戸端に、うずくまっている男が居る。黒い服を着たクールベ神父だ。
 三人は顔を見合わせて頷き合うと、ゆっくりと井戸の方へ歩き始め、少し手前でリシャールが声を掛けた。
「クールベ神父。」
 神父は背中をビクっとふるわせてから、ゆっくりと体を起こした。口元をハンカチでおさえ、真っ青な顔をしている。どうやら、吐いていたらしい。彼はリシャールと二人の銃士を認めると、何か悟ったような顔つきでじっとしていた。
「クールベ神父。」
リシャールが一歩前に進んだ。
「ジャック・ボンボンの工房で探していた極印を押収しました。テルミードの工房の用心棒は、作戦に失敗しています。あとは、既に出来上がっている大量の偽金貨を探すだけです。」
「それで?」
神父はかすれた声で聞き返した。
「あなたにお尋ねしたい事がある。どうして裏切ったのです?どうして…」
「リシャール!」
 アトスが叫んだ。リシャールの首根っこをつかんで引き倒そうとしたが、手後れだった。
クールベ神父が隠し持っていた短銃が轟音と共に火を噴いたのだ。今度は暴発して射手を撃ち抜いたりはせず、至近距離に居たリシャールにまともに当った。
 周囲には盛大な白煙が立ち込める。アラミスが低くした姿勢から顔をあげると、アトスの怒号が耳に飛び込んだ。
「リシャール!だめだ、死ぬんじゃない!リシャール!」
 彼は両腕にリシャールを抱き、必死になって呼びかけている。リシャールは腹を撃たれていた。アラミスが煙をよけながら見回したが、クールベの姿はなく、井戸端に短銃が転がっていた。騒ぎを知って館の中から、さっきの従僕と中年の女が出てきた。
 呆気に取られる彼らに指示して、リシャールを室内に担ぎ込む。
「脇腹だ。それている。」
アトスは気を失っているリシャールの脈を取りながら、傷を調べた。アトスのほうも顔が真っ青で、唇が微かに震えている。
「アトス、後を頼む。」
アラミスは帽子を被り直すと、出て行こうとする。すると咄嗟にアトスがその腕を取った。
「待て。俺も行く。」
「お前も行ってどうする気だ?」
「当たり前だろう。クールベを逮捕する。」
「彼は神父だ。」
「だから何だ。」
 アラミスの腕を掴むアトスの手に力がはいった。アラミスは努めて冷静に言った。
「クールベ神父は枢機卿から任命された聖職者だ。俺達には逮捕できないし、カソリック教皇庁の保護下にある。」
「贋金造りに内通して、リシャールさんを至近距離から撃ったんだぞ?」
「短銃を落としている。今は丸腰だ。」
「武器はこの世に一つっきりか?」
「彼の顔色を見ただろう。もう抵抗はできないさ。」
「あいつが、すごすご枢機卿に自首するわけがないだろう?!」
「アトス!教会は不可侵なんだ!」
 アラミスは知らず知らずの内に、怒鳴っていた。アトスがアラミスの腕を放して黙り込んだ。
 アラミスの言う事が分からないような、アトスではなかった。納得が行かないのは、アラミスとて同じなのだ。
 二人の怒鳴り合いを、従僕はオロオロしながら見ていたが、女の方が冷静で行動的だった。彼女は小刀を熱すると、手早くリシャールの服を裂き、傷口から弾を摘出していた。痛みに、リシャールがうめき声を上げる。その声にアトスが我に返り、リシャールの手を取った。
「アトス、リシャールさんを頼む。」
 アラミスは言い残すと、踵を返して出ていった。アトスは、もう止めなかった。リシャールを放っておく訳には行かない。今は、アラミスがクールベの友人であること、彼の信じるものに賭けるしかなかった。



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