7.リシャールの真意

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  とんでもない量の贋金を
  

 アラミスは馬に飛び乗ると、さっきリシャールとアトスが方向転換していった方角 ― つまりテルミードの工房の西側へと向かった。
 リシャールには分かっていたのだ。彼と三銃士がテルミードの工房へ踏み込む事が、事前に贋金造りたちに漏れると言う事を。贋金造りたちは大胆にも、物騒な用心棒達をテルミードの工房に潜ませ、捜査官達を襲撃しようと企てた。結果的にそれはあっけなく失敗に終わったのだが。
 リシャールとアトスは、敵の思うつぼ ― つまりテルミードの工房へ向かうと見せかけ、実際には本命の工房へ走ったのだ。それが誰の工房かは、今のアラミスには分かっていた。
(ジャック・ボンボンの工房だ…)
 しかし、その位置が分からない。アラミスはリシャールとアトスが駆けていった方向に馬を向け、家々を見渡した。なるほど、この村は金属加工の工房ばかりである。多くの家に工房が隣接しており、煙突から煙が上がっていた。表戸は開け放たれ、職人達が坩堝や鋳型、ハンマーを扱い、炉の熱さに汗を流している。女達も手伝いながら、馬上の騎士 ― つまり アラミスを珍しそうに見つめていた。
(それにしても、ポルトスの奴…)
 こうして目指す工房を探し回っている間も、アラミスは別の事を考えていた。ポルトスは朝起きてから、ずっと自分と一緒に居た。一体いつ、リシャールの真意を知ったというのだろう。ポルトスはリシャールとアトスが方向転換をしてもまったく驚くそぶりも無かったし、テルミードの工房が用心棒で一杯でも、当然という顔だった。
 もしかしたら、リシャールがポルトスに、リシュリューの委任状を渡した時点で気付いていたのかもしれない。しかし、ポルトスはリシャールにそれを声に出して確認はしなかった。それはつまり ―。
(内通者か…)
 アラミスは深刻な気分になって、唇を噛んだ。

 リシャールは、テルミードの工房の少し手前でいきなり方向転換をすると、真っ直ぐにジャック・ボンボンの工房へ向かった。アトスも速度を上げ、ほとんど並ぶように走る。アトスは、リシャールの後ろにつかなくても、行くべき方向が分かっていた。
 いくらも走らない内に、二人の前方に大きな樫の木が見えてきた。その左側がすこし盛り上がった小さな丘のようになっている。その上に、これまた小さな家と工房が立っていた。表の戸を締め切っているが、煙突からは濛々と煙が上がっている。
 リシャールは手綱を放すと剣を抜き、さほど速度も落とさない内に馬から飛び降りた。アトスもそれに続き、走り出した。二人は合図も名にも無しにそれぞれの方向へ走る。
 リシャールは思いっきり強くブーツで表の扉を蹴った。ガチャンと金属の軋む音がする。間髪を入れずに、リシャールがもう一度蹴り込むと、ドアが勢い良く破れ、彼は中に飛び込んだ。
 「動くな!王立貨幣法院特別捜査官だ!」
 工房内に居た職人たちが、一斉に悲鳴をあげ、裏口へと走る。しかし自ら開けた裏口から、今度は剣を持ったアトスが飛び込んできたので、室内に逆戻りせざるを得ない。
「全員、動くな。よし、手に持っている道具を全て置いて、手を上げろ。」
 リシャールは剣の切っ先を中に居た三人の男に向けたまま、低い声で言った。その表情は、これまでの気楽そうなそれとは違った。
(本命の時の顔がこれか。)
 アトスは三人の職人達が落とした道具 ― 坩堝掴みや、ハンマーなどを部屋の隅へ蹴り飛ばしながら思った。
「アトス殿、彼らを見張っていて下さい。」
 リシャールはアトスにそう言うと、剣を鞘に収めて工房内を調べはじめた。
 中に居たのは、三人 ― 一人はジャック・ボンボン。一人は初老の男で、いかにも熟練職人という風情だ。これが腕の良い贋金造りのテルミードなのだろう。もう一人の若い男はテルミードに顔が似ているので、息子か親戚だとアトスには思われた。
 リシャールは床に散らばったコインを一つ取り上げた。
「やっと見つけましたよ。偽造金貨です。」
 アトスは剣の切っ先を上げたまま左手でリシャールからコインを受け取った。見た目は、まったくピカピカのエキュドール金貨だ。刻印もはっきりしている。およそ贋物とは思えないだろう。しかし、夕べのアラミスの金貨の感触を覚えている。
「…軽い。」
 アトスはつぶやいた。リシャールは職人たちの道具を一つ一つ調べ上げ始めた。しかし、求める物は中々みつからない。彼は少し肩をすくめると、溜息をつきながら三人の職人の前で腕を組んだ。
「極印はどこだ?」
職人達は憮然とした表情で黙っている。
「もう、抵抗しても無駄だ。このとおり、平金ではなく偽造金貨その物が押収されたのだからな。さあ、極印を渡すんだ。さもないと体を調べるぞ。」
 すると、テルミードが重々しく口を開いた。
「あんたの後ろの…黒い敷石の下だ。あんたが最初にドアを蹴った時に隠した。」
 リシャールはチラっとアトスを見てから、指示された敷石の所にしゃがみこんだ。
 その時突然、ボンボンが甲高い叫び声を上げながら身を翻し、出口へ突進しようとした。アトスは素早く切っ先を撥ね上げ、自分の足でボンボンの脛を払った。どっとボンボンがリシャールの上に倒れ込む。
 その一瞬の混乱をついて、若い職人がアトスを突き飛ばすと、炉にかかっていた坩堝にむかって何かを投げ込もうとした。証拠隠滅をするつもりだ。
「とめて!」
 咄嗟に、リシャールが叫んだ。アトスは剣を放り出し、ボンボンを踏みつけて若い職人の背中に取り付くと、有らん限りの力で引き戻そうとした。足元のボンボンが悲鳴を上げて立ちあがろうとする。アトスの足元が浮き上がり、背中をつかまれた若者もろとも、仰向けにひっくり返ってしまった。その拍子に、炉に掛かっていた坩堝が支柱から落ち、灰が勢い良く巻き上がり、続いて水蒸気がブシューッ、と勢い良く音を立てた。
 当然、工房内は水蒸気と灰で一杯になる。アトスは咳を連発して呼吸を確保しながらも、若い男の手から炉に投げ込もうとしていた金属の円柱を取り上げようとした。もみ合う内に若い男の手からそのいくつが床に落ちたが、すかさずリシャールがそれを拾い上げる。
 その時、工房の入り口が外から凄い勢いで開いた。
「アトス!リシャールさん!」
 飛び込んできたのはアラミスだった。すかさずにテルミードが外に逃れようとしたが、もちろんアラミスに阻まれた。
「アラミス!良い所に来た!」
 アトスは若い男に拳をお見舞いすると、取り上げた物と剣を持ってアラミスの肩に抱き着かんばかりの勢いで外に逃れた。二人が外の空気で一息つこうとしたころ、リシャールも床に落ちた物を拾って、出てきた。
 「やれやれ、骨が折れましたよ。」
 彼は服にこびりついた灰をはたき落としながら、二人に笑いかけた。そしてアトスから「戦利品」を受け取ると、それを注意深く観察した。
 それは、鉄製の円柱だった。合計四本。二本で一組になっており、それぞれ柄の部分に木彫が象眼されて見分けできるようになっている。円柱の一方は布と革を被せ、その上からハンマーで叩かれた事を物語っていた。そして一番重要な部分 ― もう一方の円柱の切り口には、見慣れたエキュドールとデミエキュドールの刻印が、表,裏両面とも、逆向きに彫刻されていた。
 「間違いない、ニコラ・ブリオの極印ですよ。ほら、ここに彼の印もある。」
リシャールは極印の側面の一個所を指差してみせた。そこには、小さくNとBを組み合わせた印が彫り込まれている。
「これに年号と貨幣法院の認め印が入ったら、疑いようもない正式な極印ですね。」
そう言いながら、リシャールは極印を革袋に入れ、自分の懐にしまった。
「ところでアラミス殿。お早い到着で。あちらはどうなりました?」
 リシャールがもとの余裕のある表情で尋ねた。工房の入り口からは、ほとんど這うようにテルミードと若い職人、そして頬が腫れ上がったボンボンが出てきて、地面にへたり込んでいる。
「ものの見事に待ち伏せされましたよ。」
アラミスは肩をすくめた。
「ポルトスと私がテルミードの工房に飛び込むなり、用心棒が短銃の引き金を引いたのですが、案の定暴発して、本人の足を撃ちぬきました。」
「ポルトスに怪我は?」
アトスが眉を寄せて聞き返した。
「ないよ。結局、用心棒達は簡単に降参して。後はポルトスに任せて、私はこっちに。アトスとリシャールさんが駆けていったほうに向ったのは良いけど、工房の場所が分からない。そうしている内に、丘の上のこの工房の煙突から、派手に白い水蒸気が上がったんだ。それで、ここだと分かった訳。」
「なるほど。」
 アトスは頷くと、さっき放ったまま工房の周りをウロウロしていた馬の轡を取った。
「まさか、これでおしまいではないでしょうね。」
 アトスはリシャールを真っ直ぐに見詰めながら鋭く言った。リシャールはやはり馬の轡を取りながら、黙って微笑んだ。アトスが続ける。
「いい加減、まともな言葉での意思疎通,情報共有をしようじゃありませんか、リシャールさん。」
「良いでしょう。」
リシャールが頷くと、アトスはまた口を開いた。
「まず確認しますが、リシャールさん。あなたは我々が贋金造り側に内通するという心配は、しなかったのですか?」
「しませんでしたよ。全く。」
「銃士がリシュリューを毛嫌いしていると知っていても?」
「ええ。贋金造りは、国王陛下を侮辱し、フランスに不利益をもたらす行為には違いありません。それを摘発するのに、責任者が枢機卿閣下だろうがなんだろうが、誇り高い銃士に異存はありますまい。とくに三銃士にとってはね。」
 リシャールが四十にしては若々しい面持ちに、爽やかな自信を覗かせながら言うと、アトスも黙って頷くしかない。
「そしてリシャールさん、あなたは今日の手入れも、情報が贋金造り側へ漏れると、予想していた。」
「ええまぁ…たぶん。」
 リシャールは遠慮がちにアラミスの方に向き直った。アトスも同じようにアラミスを見ると、アラミスは小さな声で言った。
「クールベ神父が内通者だったんだ。」
「私も確信があった訳ではありませんよ。」
リシャールがアラミスを慰めるように穏やかな声で返した。
「クールベ神父は枢機卿閣下から派遣されていましたからね。最初はもちろん完全なる協力者だと思って、神父からの情報を信じていました。しかし夏頃から、どうも彼の情報が信用できなくなりましてね。情報にむらがあるのです。」
「むら?」
「ええ。やたらに詳しくて、具体的な情報が届くと思えば、一方で全くあやふやな情報が届いたりもする。どうも彼が実地に調査をして私に正確な情報を送っているとは、思えなくなってきたのです。」
「彼にその点を問い詰めなかったのですか?」
「その機会がありませんでしたから。」
リシャールはまた肩をすくめた。
 「それに確信もありませんでしたし。そこで、クールベ神父は泳がせる事にしたのです。いよいよ今朝になって、手入れ本番の打ち合わせに神父を呼んだのは、敵の裏をかくためです。我々はテルミードの工房に狙いを定めたと言う事を神父に知らせれば、彼はそれを贋金造りたちに知らせるでしょう。どうやらテルミードが一番腕の良い贋金造りである事は、間違い無かったようです。
 そこで贋金造りたちはテルミードの工房に用心棒を潜ませ、我々を襲おうとした。そして極印を用いた作業は、ジャック・ボンボンの工房で行う事にしたのです。ボンボンについては、下っ端だからという事で対象からはずしていると、私の口から言いましたからね。その事も神父から聞いていた贋金造りたちは、作業場をわざとボンボンの所に移動したのです。ただ、不思議なのは…」
リシャールは少し首をかしげながらアトスに言った。
「どうして、アトス殿はクールベ神父が怪しいと思ったのかです。アトス殿は今朝の打ち合わせで神父が席を立った後、私に何か言いた気な顔をなさっていました。それで私は、アトス殿もクールベ神父の内通に気付いていると分かったのですが。」
「内通とまでは行かずとも、怪しいとは思っていましたよ。」
アトスが頷きながら答えた。
「今朝、俺は『本部』の窓から、馬で丘を下りてくる神父の姿を見つけた。その馬上のシルエットに、見覚えがあった。」
「あっ、もしかして昨日の…」
アラミスが声を上げた。
「そうだ。俺達がこのヴァイオンソレールに向う途中、遠くに馬に乗った男が居て、こっちを観察しているのに気付いた。あれこそ、クールベ神父の乗馬姿そのものだったのさ。パリから銃士が派遣される事を知っていて、その到着を密かに確認する男なんて、信用できないだろう。だから、テルミードの工房に我々が向う事を、神父に聞かれたのはまずいと思った。それで、リシャールさんにその事を言おうとしたが、リシャールさんはそれを押し止めた。」
「クールベ神父が、まだ部屋の側に居て聞いていたらまずいと思いましたからね。」
(やっぱり…)
 アラミスは内心そう思っていた。ポルトスも、神父に警戒感を持っていたのだ。だから、部屋の外で神父が自分たちの会話を聞いていることを恐れて、声に出して計画の真意をリシャールに尋ねなかったのだ。それを知ってかしらずか、リシャールが続けた。
 「とにかく走り出す前に、私はアトス殿には自分の真意を知らせておこうと思いました。そこで夕べお見せした偽金貨を地図の上に ― このジャック・ボンボンの工房の位置に置いたのです。」
「それだけで、俺が理解できていなかったらどうするつもりだったのです?」
「そんなの、有り得ませんよ。」
リシャールはアトスに向かって笑いながら鐙に足を掛けると、ひらりと鞍に跨った。
「ほんの些細な事でクールベ神父の裏切りに気付くアトス殿ですから、あれで十分でしょう?実際、あなたはテルミードの工房の前から馬の速度を落とさずに、ここまで一気に駆けてきた。終わりよければすべてよし、ですよ。…いや。」
 リシャールはすこし表情を引き締めて、アラミスをみやった。
 「あなたのお友達に会見を申し込まねばなりませんね。」
 アラミスは硬い表情で頷いた。アトスは黙って馬上の人になっている。リシャールは馬に拍車を当てながら、ボンボンの工房の前に呆然として座り込んだ三人に向って怒鳴った。
 「身柄の拘束は行わないから、安心しろ!ただし、今作った贋金を隠したりしたら、その保証の限りではないからな!」


 
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