6.作戦会議、作戦実行

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  とんでもない量の贋金を
  

 クールベ神父は『本部』に到着すると、さっそくリシャールから三銃士に紹介され、その中にアラミスが居るのに、驚いた顔をした。
「何と、アラミス殿ではありませんか。妙な所で会いましたな。」
「何です、お知り合いでしたか?」
リシャールが聞き返すと、神父が答えた。
「ええ、去年ルーアンで神学の勉強会で一緒になりましてね。アラミス殿にはその後、私の家に滞在していただきました。お元気でしたか?」
「ええ…」
 アラミスは、差し出された手を握った。しかし、正直な所驚いているのはアラミスの方だった。一年前に会った時とは、あまりにもクールベ神父が変っていたからである。
 神父は、もうすぐ五十歳になろうかという男だ。中肉中背で、去年は血色の良い肌で生気に溢れており、勉強会でも度々鋭い意見や質問で場を圧倒したものだ。アラミスが神父の家に滞在していた間も、実家の農作業やら、近くの大聖堂での手伝いやら、神学の勉強やらいつも精力的で、疲れを知らぬ男という印象があった。
 しかし、今こうして再会したクールベ神父には、かつての姿のかけらもなかった。明らかに痩せている。そして顔色がひどく悪く、まるで回収されずに放置された戦場の死体のようだ。アトスやポルトスに挨拶する声も明らかに弱っている。思わずアラミスは、懐の ― 先ほど、小冊子をしまい込んだ懐の辺りをぎゅっと握っていた。

 アラミスの印象はともかくとして、とりあえず朝食が始まった。アトスは迎え酒を飲むと言う一方、リシャールとポルトスは健康的にばくばくと食を進めて行く。アラミスが見た所、クールベ神父はほとんど食が進まない様子だった。暫らく皿の上でフォークをうろうろさせていたが、結局は殆ど口には運ばない。その上どす黒いような青いような顔で溜息をついたりするので、見ているアラミスまで食欲を失った。
 そんな事は知ってか知らずか、リシャールは時間を無駄にする事無く、色々と説明した。まず、村の封鎖は今日の夕方までである事。恐らく平金および偽造金貨の村外への移動は諦めたと思われる事、そしてジャック・ボンボンが銃士達を買収しようとして、失敗した事 ―。
「それはまた。」
クールベ神父が顔を上げた。
「断固たる態度で追い払ったとは、さすが銃士ですね。」
「ええ、本当にトレヴィル殿に応援派遣をお願いして正解ですよ。」
 リシャールは同意しながら、ボメルに自分の前の食器を片付けるように合図した。もう食べ終わったらしい。
「さて、今日からの作戦についてです。」
と、リシャールは足元から随分くたびれた地図を取り出し、テーブルに広げた。
 「夕べも説明しましたが、贋金造りをしている工房はこの集落の三軒に絞られています。」
 リシャールは村の東端に近い一角の集落を指差した。すると、さっきまでずっとワインを口に運んでいたアトスが、
「ちょっと待って下さい。」
と、低い声で言った。朝っぱらから凄みのある表情をしているのは、夕べの不快感が残っているせいだろう。
「夕べ以来、この村の連中はほぼ全員、我々が贋金の摘発に乗り込んできた事を知っているでしょう。しかも、村の封鎖も夕方までだ。この状況で、贋金造りの作業をするとは、思えませんね。捜査方針としては、既に出来上がっている金貨の隠し場所を突き止める方に、専念した方が良いのでは?」
「良い質問です。」
 リシャールは、また綺麗な歯を見せて笑った。アトスは、この手の人間 ― しかも年上のこの手の人間に馴れていないのか、すこし困ったような表情になった。ポルトスにはそれが少しおかしい。リシャールは構わずに続けた。
 「出来上がっている金貨の隠し場所を突き止めるべきだというのは、その通りです。ここ数ヶ月この村の物流の監視をしましたが、恐らく金貨の運び出しはかなり滞っています。ですから、かなりの量が隠されているでしょう。
 一方、作業をしているその場へ踏み込む件ですが…。『本物の』極印を押収する事は、この捜査の最重要課題です。しかしそれは、作業の現場に踏み込まねばまず不可能です。この状況では、アトス殿のおっしゃる通り、我々の封鎖が解かれるまでは作業を停止すると考えるのが普通ですが…それがそうではないのです。」
 銃士達は顔を見合わせた。リシャールが続けた。
「…仕立屋が、休み返上,徹夜して衣裳を縫い上げるのは、どんな時です?」
ポルトスがパチンと指を鳴らした。
「払いの良い客からの催促がある時!」
「そうです。」
リシャールは我が意を得たり、という風に右人差し指を立てた。
「彼らは、急いでいるのです。来週には、大量のエキュドールを納めなければならないから。」
「そこまで知っているのですか?」
アラミスが思わず呆れた声で聞き返した。
「ええ。知っていますよ。」
リシャールはケロリとしている。
「取引相手は?」
「二者存在します。まず、今ラ・ロシェルを根城にしている連中。あの連中の資金源の一つが、この贋金。そして、ボヘミア方面。こちらは、為替取引上の利潤を狙っています。そもそも、私は贋金を買い取っている方から溯って、このヴァイオンソレール村にたどりついていますからね。知っているのは当然ですよ。そして、ここ数ヶ月納品が滞っているのは、先ほど申し上げた通り。ラ・ロシェルやボヘミアからの催促がこの村に届いている事は明白ですから、我々が居るからといって、手を休める訳には行かないのです。」
 銃士達は、思わず動きを止めてしまった。三人にしてみれば、贋金造りについての捜査で幾らか立ち回り、なにがしかの役に立とうと思ったのだが、そういう段階はとっくに過ぎているらしい。リシャールはかなり贋金造りの核心部分に迫ってから、トレヴィルに応援派遣要請をしたのだ。この男が常に平然として、にこやかな表情を変えないのは、こういう所に起因しているのかもしれない。
 ともあれ、銃士達がやや拍子抜けした事は事実だった。彼らは本当に、荒っぽい手入れの時のみその力を発揮する存在として、派遣されたらしい。
「話を続けても良いですか?」
 リシャールが日に良く焼けた顔に、余裕のある笑みを浮かべながら言うと、銃士達は首振り人形のようにコクコクと頷いた。
「目指すは、ここです。テルミードの工房!」
 ドン、とリシャールは地図の一個所を指差した。銃士達はその指先をしばらく見詰めていたが、ゆるゆると顔を上げて、リシャールに見入った。いずれも何とも言えない表情だが、アトスが代表して口を開いた。
「そう、断言できる理由は?」
「一番腕の良い職人だからです。捜査が入っている中で、納品のために作業を続けなければならないのです。一組しかない本物の極印を使うとしたら、最も腕の良い職人に決まっています。」
「どうして腕が良いと分かるのです?」
ポルトスが聞き返すと、クールベ神父が小さく手を挙げた。
「それは、私がこの半年間ここの村民を観察していて、得た結果です。」
「なるほど。しかし…」
ポルトスは地図を見るために乗り出していた体を椅子に戻した。
「ゆうべ、あれだけ派手に手入れをしたし、あのボンボンって男の事もある。警戒が強そうだけどな…」
「ポルトス殿の懸念は、もっともです。」
リシャールも椅子に体を戻した。
「しかし首謀者たちは、我々が工房を絞り込んでいる事には気付いていないでしょう。私が実際にこのヴァイオンソレールに乗り込んだのは、昨日が初めてですから。夕べの輸送要員たちは村民ではないから、首謀者を示唆するものは何もないし、ボンボンも下っ端として立ち回っているが、やはり首謀者が誰であるかは漏らしていません。我々がテルミードを標的にした事は、知られていないはずです。」
 銃士達はお互いの顔を見合せた。そう簡単に行くだろうかという懸念が彼らの共通認識だったが、だからと言ってリシャールの計画を覆すほどの根拠も持ちあわせていない。それに協力者であり、村に潜入していた神父も反対意見を述べない以上、これ以上何も言う事はなかった。
 それを感じ取ったのか、リシャールは勢い良く立ち上がった。
「そうと決まれば、早速出掛けましょう。八時だ。もう打刻作業が始まる頃ですよ。クールベ神父、あなたは先にここから出て、館に戻って下さい。村民に見られない様に、気を付けて下さいよ。」
 すると神父は静かに頷き、銃士達にかるく会釈をして出ていった。結局、朝食には殆ど手をつけていない。
 アトスはリシャールに向かって何か言おうと口を開いたが、リシャールは手を少しあげてそれを制し、先に声を発した。
「従者は道路の封鎖の補助にやってください。どうせ物騒な手入れになるのですから、彼らは居ない方が良いでしょう。夕べも申し上げましたが、極力殺さないで下さいよ。」
「難しい事言うなあ。」
 ポルトスはさっきの懸念は振り払ったのか、晴れやかに言いながらワインの残りを喉に流し込んで、立ち上がった。するとリシャールは帽子を頭に載せながら、ポルトスに悪戯っぽく笑いかけた。
「いかがです、あれ。やりますか?」
 リシャールが懐からリシュリューからの委任状を取り出して掲げてみせると、ポルトスはぱっと顔を明るくした。
「動くな、王立貨幣法院特別捜査官だ!…やります、やります!」
 ポルトスはリシャールから委任状を受け取ると、いそいそと出て行く。見栄坊で派手な事の好きなポルトスには、打ってつけのポーズなのだろう。
「やれやれ、済みませんね。リシャールさん。お気を遣わせて。」
アラミスも帽子を被り、席を立ちながら眉を下げて言った。
「とんでもない。」
 最後にアトスも立ち上がると、リシャールに向かってさっき言いかけた事を話そうとした。ところが、リシャールは何やら含みのあるような笑顔を浮かべ、唇の前に人差し指を立ててみせた。アトスは当惑したが、リシャールが次に行った行為で、事態を把握した。
 リシャールは懐から夕べ見せてくれた金貨を取り出すと、テーブルに広げられた地図の一個所にそっと置いたのだ。

 リシャールと銃士達は、勢い良く『本部』から飛び出した。轡をとる四人の従者達には、それぞれ南北の村の入り口へ行き、封鎖のために張っている貨幣法院職員の応援に行く様に指示する。
 それっとばかりに、まずポルトスが拍車を当てて駆け出した。アラミス,リシャールがそれに続き、アトスが最後尾についた。
 ポルトスは初めて来た村にもかかわらず、さっき地図で示されたテルミードの工房へまっすぐに突進する。方向感覚が異様に良い男で、こうなると迷ったり、躊躇したりは絶対にしなかった。
(こういうポルトスの特性を知っていて、リシャールは先頭をポルトスに任せたのだろうか。)
 アラミスは、空恐ろしいような気分でそんな事を考えていた。夕べ会ったばかりの男に、そんな事まで果たして分かるものか。それとも、トレヴィルが認め、リシュリューがわざわざ銃士隊から引き抜きたくなるような才能の一片が、それなのだろうか。
 アラミスには、妙な癖がある。突撃とか、決闘とか ― もしくは女性と過ごす時 ― そんな最中に限って、全然関係ない事を考えていたりする。いや、間接的には関係あるのかも知れないが。今のアラミスがポルトスの後ろから馬で疾走しながら考えていたのは、アラン・リシャールという貨幣法院特別捜査官の事だった。
 アトスはこの男が好きなようだが、ただ信じきっている訳でもないし、その爽やかさを持て余し、どう接すれば良いのか分からないらしい。一方、ポルトスとは馬が合いそうだ。
(では、自分は ― ?)
 その時アラミスの脳裏に、リシャールが自分とマージョラの事を知っているのではないかという考えが浮かんだ。夕べの人影の事もある。
(しかし、さっきクールベ神父と自分が知り合いだと知った時、驚いていた。)
 アラミスはすぐにそんな考えは払拭したが、何かが引っ掛かる。

 目指す集落が近付いてきた。ポルトスは速度を落とさないように拍車を当て続ける。四人が土手を駆け下り、いよいよテルミードの工房の前へ近付いていった。ポルトスが乱暴なくらいの勢いで手綱を引くと、馬が高くいななき、首を大きく捻じ曲げた。アラミスの目の前に濛々と土煙が上がり、ポルトスが馬から飛び降りた。
 アラミスも地面に飛び降りると剣を抜いた。すると、彼の背後で止まるはずの蹄の音がやまない。アラミスがギョッとして振り返ると、彼の耳元を掠めるように、リシャールとアトスが速度を落とさずに馬を走らせ、大きく進路を曲げると、テルミードの工房の西側へ駆け抜けて行く。
(やられた ― )
 アラミスは思わず舌打ちした。ポルトスはそちらには目もくれず、剣を抜き去ってテルミードの工房のドアを開け放つ。アラミスは手綱を引いて馬を工房の裏に回させると、ポルトスのすぐ後ろから工房に飛び込んだ。
 ポルトスは右手に剣,左手にリシャールから拝借したリシュリューの委任状を掲げ、声高に叫んだ。
「全員動くな!王立貨幣法院特別捜査官だ!」
 中々きまっている、とアラミスは内心思ったが、現実はそれどころではない。
 ドンっと派手な音が響いたかと思うと、工房内に真っ白な煙がたちこめ、きな臭い空気が瞬く間に充満した。こうなる事を予想していたポルトスとアラミスは咄嗟に姿勢を低くしたが、煙の向うで苦痛のうめき声が上がり、怪我人が発生したことが分かった。
「だから言っただろう?!そんな物を使うと、自分が怪我をするって!」
ポルトスが姿勢を低くしたまま怒鳴った。
「アラミス、無事か?」
「無事だ。」
 煙が完全に晴れきらない内に、工房内に居た人間が、裏口から出ようとする気配がする。しかし、裏口を開けた彼らの前に、さっきアラミスが放った馬が突然現れ、彼らは驚いて思わず足を止めた。その一瞬、銃士二人は立ち上がって地を蹴ると、裏口の男達 ― 正確には三人の首根っこを掴んで引き戻し、手に持っていた大きな棍棒,大なた,戦場でせしめたような剣を叩き落とした。その余りの素早さに、彼らはそれぞれ手を挙げて簡単に降参してしまった。
 ポルトスとアラミスは煙が落ち着いて、視界が利くようになった工房内を見回した。まず目に付いたのは、ポルトスの足元に仰向けに倒れ、うめき声を上げている男だ。ポルトスがしゃがみこんで、血で真っ赤になった男の右太股を調べた。
「俺の、足…あるかい…?」
男は喘ぎながら恐る恐る尋ねた。
「あるよ。安心しろ。かなり出血しているけど、大丈夫だ。」
 ポルトスは止血するために男の足を縛り始めた。地面には短銃が転がっている。この男は、待ち伏せていてポルトスとアラミスは飛び込むなり、発砲したのだろう。しかし、この手の短銃には良くある事だが、派手に暴発し、射手の足を撃ち抜いた。アラミスは地面から短銃を取り上げ、火薬が残っていない事を確認した。ポルトスは大丈夫だと言ったものの、出血はかなりのもので、地面が見る見るうちに赤くなって行く。男はすぐに失神してしまった。
 見た所、このテルミードの工房に居る男達は、夕べ厩で輸送を止められた面々だった。このヴァイオンソレール村の贋金造り達に、輸送要員兼用心棒として雇われていた四人だ。武装して捜査官を待伏せたは良いが、やはり銃士の ― しかも三銃士の敵ではない。
 「これで良しと…」
ポルトスは簡単な手当てを終えると、立ち上がった。
「俺はこの連中から、出来上がった贋金の隠し場所を聞き出すとしよう。アラミス、お前はあっちに行くか?」
 ポルトスは何気ない顔で言う。アラミスは内心、こいつにもやられたと思いながら、それが表情に出ない様に努力しながら頷いた。そして短銃と用心棒達から取り上げた武器をポルトスに渡すと、テルミードの工房裏口から出ていった。
 「俺もこっちに片がついたら合流するよ。」
 ポルトスがアラミスの背にそう呼びかけた。


 
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