4.行動開始

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  とんでもない量の贋金を
  

 リシャールの従者ボメルは主人の行動に慣れているのか、別に慌てもしない。さっさと馬の準備を進めて行く。アラミスは何も言わなかったが、どう言う訳かバザンの姿がない。慌てたグリモーとムスクトンが一人半分の馬の準備に追われた。
 馬の準備の間も、それが完了して四人が夜の村へ駆け出す間も、リシャールは時間を無駄にせずに説明した。
 「この村を封鎖できるのは、丸一日だけ。その間に証拠を押収します。証拠となるのは、極印と打刻の施された偽造金貨のみ。平金は一時的に差し押さえるだけです。ただ、ひとたび証拠が見つかれば平金も完全に押収できます。贋金造り達は、今の内に平金をまとめて村の外に避難させるはずです。その準備を発見したら、即時押収。封鎖期間中の人間と物品の移動は規制できます。良いですね?」
 リシャールは迷わずに丘を駆け下り、通りを渡ると家屋の点在する村の中へ進んでいく。アトスが馬上から大声で尋ねた。
「踏み込むべき工房は、複数だと言いませんでしたか?!」
「夜は鋳造,打刻の作業は行いません!みすみす偽造作業場を教えるようなものですから!」
リシャールも蹄の音の向うから怒鳴り返した。
「これから踏み込むのは、夜だというのに、明かりを点して大量の荷物を馬車に積載し、馬を準備している厩です!輸送は、金で雇われた流れ者の用心棒に委任しているはずです!」
「あれだ!」
 ポルトスが叫んだ。こうなると目が良い男だ。リシャールは手綱を引いて駒を回した。通りに面した大きな厩に明かりが点っており、扉が半分開いている。リシャールは馬から飛び降りた。
 「ポルトス殿とアラミス殿は裏へ回って下さい!一人も逃さないで!ただし殺さないこと!」
 銃士達は返事をする間もない。次々に馬から飛び降りて全速力で走り出す。もう厩の中の男達は蹄と声で異変に気付いている。今、まさに扉から馬を引出そうとする時、リシャールが飛び込んだ。
 「全員動くな!王立貨幣法院特別捜査官だ!」
 剣を抜き、書き付けを左手に掲げている。同時に飛び込んだアトスは、そこに二頭立ての馬車と、四人の男が居るのを認めた。そのうちの一人が、咄嗟に懐に手を突っ込むと、裏口に突進する。アトスが叫んだ。
「気を付けろ、銃だ!」
 言い終わるか終わらないかという瞬間、外から勢い良く裏の扉が開いたが、開いた二人は素早く身を引いていた。男はつんのめって外へ転がり出す。するとポルトスが素早く剣の柄で男の右手をしたたかに打って、短銃を地面に落とした。
「こんな物を振り回すなよ。怪我するのは自分だぞ。」
 ポルトスは地面にひっくり返った男の首根っこを掴み上げて、厩に放り込んだ。アラミスは剣を抜いて厩に飛び込むと、アトスと共に数度男達と剣をぶつけ合ったが、勝負はすぐについた。彼らに剣を捨てさせ、あらためて良く見ると、なるほど柄の悪そうな流れ者の、輸送請け負い人、兼用心棒という風情だ。昨今はボヘミア方面の戦線も影響して、この手のならず者が多い。
「見ていて下さい。」
 リシャールは剣を鞘に収めた。アトスとアラミスが四人の用心棒を見張っている間に、リシャールは荷馬車に歩み寄り、覆いをはずした。そこには麻の袋が五,六袋積み込まれている。リシャールは懐から小さなナイフを出すと、一つの袋に刃を突き立てた。鈍い金属音がして、麻袋を裂くと、勢い良く金属片がこぼれ出した。リシャールはその中の一つを摘み上げて一瞥すると、何も言わずにポルトスに向かってそれを弾き飛ばした。ポルトスがそれを片手で掴む。
 「平金だ。」
 ポルトスはつまらなそうに呟いた。リシャールが銃士達にもういい、という風に合図するので、三人は剣を鞘におさめた。リシャールは男達の顔を見回して言った。
「もう知っているはずだが、この村は明日の夕方まで封鎖される。許可無しに人と物の村外への移動は禁止だ。本来ならこの平金も一時的に差し押さえる所だが…」
 リシャールは両手を腰に当てると小さく溜息をつき、
「もう遅いからやめておこう。」
 と、厩を出て行く。銃士達は顔を見合わせた。四人の用心棒達は緊張した顔つきが緩み、出て行けとでも言いた気だ。

 「リシャールさん。」
 厩を出ると、もう馬に跨っているリシャールをアトスが引き止めた。
「これ良いのですか?」
「まずいですか?」
「あなたはここが贋金造りの村である事も知っているし、我々もあの大量の平金を見れば、連中が何をしようとしているかなんて、分かりきっている。その上短銃なんて持って武装した物騒な連中まで雇っているのですよ?枢機卿のサインまで掲げて手入れをする権限があるのに、平金は押収しないし、奴等も無罪放免だ。これでは丸一日あったって無駄に終わるのでは?」
 夜の暗がりのなか、リシャールの表情は読み取れない。しかし、相変わらず穏やかな声が返ってきた。
「あなたのおっしゃる通りですよ、アトス殿。でも、私が摘発できるのは飽くまでも『贋金』なのです。平金は打刻が無い以上、『贋金』でも何でもない。村人の日常の産物の一つですよ。それを根こそぎ差し押さえて、彼らの生活を破壊するのは、私の仕事じゃない。」
「理屈ですね。」
アトスが呟くと、リシャールが笑っているような気配がした。
「まぁ、落ち込まないで下さい、三銃士さん。あなた方をわざわざパリから派遣して頂いたんだ。無駄骨は折らせませんよ。」
 何か秘策でもあるのかとアトスが聞き返す前に、リシャールは馬の腹に拍車を当てていた。
「私は見張りの部下の様子を見てから、休みます。皆さんは、どうぞお先に!」
そう言い残して、彼は馬を走らせていってしまった。
アトスは暫らくリシャールの後ろ姿を見送っていたが、
「アトス」
と、ポルトスが馬上から促した。アラミスはもう『本部』へ向けて駒を進めている。アトスもようやくそれに続いた。

 三人が『本部』に戻ってみると、ちょっとした騒ぎが起っているようだった。従者達が馬の轡を取りに来ない。その代わり、室内でなにやらわぁわぁ言い騒ぐ声がした。三人は馬から降りると、顔を見合わせた。そしてポルトスが何も言わずにドアを開けると、ちょうど出て行こうとした男と鉢合わせになった。
 「わぁッ!」
 驚いて声を上げながら飛び下がった男は、他でもないさっきの荷馬車の男だった。
「あれ…変な所でまた会ったな。何か用かい?」
「いや、も、もう用は済んだんだ、失礼するよ!」
と、男はポルトスの脇を通りぬけようとしたが、ポルトスに上半身をがっちりつかまれて、部屋の中に引き戻された。
 何事かとアラミスとアトスも部屋に入って来る。中では、さっきまで夕食を取っていた食卓に黒い革袋が三つ並んでおり、その前には、戻って来たらしいバザンも含めて、三人の従者が当惑顔で突っ立っていた。ポルトスは男の体を離すと、ムスクトンに尋ねた。
「ボメルは?」
「見張りの方に、夜食を届けに行きました。」
「ふぅん。さて、どうしたんだ?まずこのおじさんの名前から訊こうか。一日の、それも数時間の内に二回も会った人だからね。名前は?」
 ポルトスがニコニコしながら訊ねると、男は憮然としたまま答えた。
「ジャック。ジャック・ボンボン」
「ジャック・ボンボン?変った名前だな。まぁいいや。俺達も似たようなものだからな。それで?さっきアトスに殴られたばっかりだって言うのに、何の用だい?」
「別に。」
どういう訳か、ボンボンは薄笑いを浮かべ始めた。
「物を届けに来ただけさ。そこを退いてくれないかね。さっさと帰らねぇと、女房に怪しまれる。」
「今でも、十分に怪しいよ。お届け物って?」
「さあね。」
 埒があかない。アトスがグリモーに黙って顎をしゃくって見せると、グリモーも黙ったまま、テーブルの上の革袋の一つを手にとって、アトスに渡した。
アトスが注意深くそれを開いてみたが、中身が見えると息を詰めた。そして唸るように呟いた。
「…金貨だ。」
 アラミスもアトスの手元を覗き込むと、確かに革袋の中には、ピカピカ光る金貨が詰まっていた。アトスの革袋を持った手が、僅かに震えている。アラミスも、腹から何か熱いものが逆流するような感覚に襲われた。
「金貨を見たら贋物だと思えってね…本物かい?」
ポルトスはそう言ったが、顔が笑っていない。ボンボンは相変わらず薄笑いを浮かべながら、頷いた。
「本物さ。」
「金貨に詳しいみたいだな。それで?これは何の代金だ?」
「ご想像にお任せするよ。」
「買収か。」
 ズバリ言ったのは、青い顔をしたアラミスだった。ポルトスは目を伏せた。アトスは奥歯をかみ締めて黙っている。従者達はハラハラしながら成り行きを見守った。
 ボンボンの顔から笑いが消えた。彼は場の緊張感に耐えかねるように、出口に向かおうとする。
「と、とにかく俺は失礼するよ!」
 ドン、とアラミスが両手でボンボンの胸ぐらを掴んで、行く手を阻んだ。アラミスはいつもの優雅な様子からは想像できないような、青白く厳しい表情で、ボンボンの土色の引きつった顔を睨みつけた。つかまれた方はもう舌が上手く回らなくなっている。
「よ、良く考えてみろよ!そ、その、革袋に、いくつエキュドール金貨が詰まっていると思っているんだい?!あ、あんた、冷静になりゃ、分かる事だよ!自分の、自分のお給金が幾らか分かって、わ、分かっているだろう?!」
「銃士の給料なんて、お前に関係ない。」
アラミスは抑揚の無い声で言った。
「銃士?!」
ボンボンは喘ぐように聞き返した。
「そうさ。何だと思ったんだ。」
 アラミスは声の調子も変えないし、表情も微塵も変えない。ボンボンの胸ぐらを掴んでいた左手だけを離し、突っ立っているアトスの手から革袋を取った。そしてボンボンのシャツを引っ張ると、その中に革袋をドスンと放り込んだ。ポルトスは黙ってテーブルの革袋を二つ手に取ると、アラミスに投げてよこす。アラミスはそれを受け取ると、やはり同じようにボンボンのシャツの中に、放り込んだ。ボンボンの腹が金貨で膨れあがると、アラミスは背後のドアを開けた。そして凄い勢いでボンボンを外に放り出した。
 「さっさと帰れ。女房に怪しまれない様にな!」
ボンボンは地面にひっくり返ったが、すぐに立ち上がって、
「あんたたち、後悔するぜ!損したってな!」
と、捨て台詞を吐き捨てながら夜の闇の中へ走り出した。
 ポルトスは肩をすくめ、大袈裟な声を上げた。
「よぉ、惚れ直したぜアラミス。荒っぽくきめるなんて、珍しいじゃないか。」
「もともと惚れちゃいないくせに。 ― リシャールさん。」
アラミスは、ドアを閉めようとした手を止めた。リシャールが戻ってきていたのだ。
「見ていましたか。」
アラミスが言うと、姿を現わしたリシャールは帽子を取りながら眉を下げて微笑んだ。
「ええ。私が戻ってきたら、丁度あいつが放り出される所でしたよ。」
「そうですか。」
 アラミスは素っ気無く答えた。ポルトスは腕組みしてテーブルに腰掛け、アトスはずっと黙り込んだまま、背を向けている。
「ジャック・ボンボンは贋金造りの下っ端ですよ。あの連中、早速あなた方を買収しにかかりましたか。」
 リシャールは背後でドアを閉めた。アラミスは幾らか気分も落ち着いたのか、いつもの穏やかな調子に戻って答えた。
 「つまり、あなたの言う『情報管理の困難さ』というのは、この事ですね。捜査する側が簡単に買収されてしまう。はっきり言えば、枢機卿の護衛士どもにも、そういう手合いが居た訳だ。」
「残念ながら、そうです。」
 リシャールは悲しげに微笑んだ。
 すると、ずっと動かずに黙っていたアトスが、気だるそうに振り向き、何も言わずに階段を登り始めた。ゆっくりと登りながらグリモーに、右人差し指の先を曲げて見せる。グリモーは黙ったまま台所に駆け込むと、しばらくしてワインの瓶を三本抱えて飛び出し、アトスの後を追った。
 その様子を見ていたリシャールがアラミスとポルトスに向き直った。
「アトス殿は大丈夫ですか?なんだか加減が悪そうに見えますが。」
「なぁに、気にしないで下さい。」
ポルトスがすこし笑いながら答えた。
 「憂鬱の虫に取り付かれたんですよ。金に目が眩んで信念を曲げ、正義に背を向けるような人間に接すると、必要以上に憂鬱になる性質なんです。その上、自分までもそういう人間だと一瞬でも思われた事が、ショックなんでしょうよ。まぁ、それは俺もアラミスも同じですがね。アラミスがいつもの上品で洗練された御尊顔をかなぐりすてて、凄い形相でボンボンを放り出したなんて、肖像画家に言って書き写させたいくらいの珍しさですからね。」
「ふん。この場であいつを斬り捨ててやらなかっただけ、ましってものさ。」
アラミスは帽子とマントを脱ぐと、バザンに渡して階段を上り始めた。
「さて、リシャールさん。私も休みますよ。明日の朝の作戦は?」
すると、リシャールはにっこりと微笑んだ。
「まずは朝食です。」
「なるほどね。…おやすみ、ポルトス。」
アラミスは二階の寝室へ姿を消した。
 「さてと、俺も寝るか。おい、ムスクトン。俺のベッドの用意は出来ているんだろうな。」
 ポルトスが従者に言うと、ムスクトンは慌てて二階へ駆け上がって行く。リシャールは楽しそうにその光景を眺めていた。その顔をしげしげと見つめたポルトスが、少し溜息交じりに言った。
「孤独な戦士だね、リシャールさんは。」
「そうですか?」
リシャールは穏やかな表情を崩さない。
「そうですよ。肩書きこそ『王立貨幣法院特別捜査官』で、枢機卿のサイン入りの委任状まで持っている…踏み込む時のあの姿は中々恰好良いですがね、その実はあまり仲間に恵まれていない。せっかく加勢が来ても、敵に金で買い取られてしまうなんて、悲しいじゃないですか。こういうのを孤軍奮闘というのでは?」
「まぁ、そうかも知れませんがね。完全に孤軍ではありませんよ。」
「と、言うと?」
「そうですね…たとえば、あの膏薬です。」
「膏薬?」
 ポルトスの足の怪我の治療のために、リシャールがくれた膏薬の話をしているらしい。
「何年か前、銀の密輸経路を摘発するためにガスコーニュで仕事をしていたのですが、そこの地元の貧乏貴族などは、本当に親身になって協力してくれましたよ。あの膏薬は、その貴族の夫人のお手製で。余りにも良く効くので、いまだに送ってもらっているという次第。ああ、でも…」
リシャールは一瞬、言葉を切って苦笑した。
「貧乏なんて言っては失礼だが、あの人もたしか、トレヴィル殿の紹介で協力して頂いたんだった。何でも、トレヴィル殿の幼なじみだとか。まぁ、ともかく良くしてもらったという訳ですよ。」
ポルトスはクスクス笑い出した。
「トレヴィル殿の紹介なら、間違いありませんよ。俺達もしかりでね。見たでしょう?」
「ええ、皆さんに来て頂いて、本当に良かった。よろしくお願いしますよ。」
 リシャールは綺麗な白い歯を見せてにっこり笑うと、右手を差し出した。ポルトスはその手をしっかりと握った。
 その時、階上でボスッ、と鈍い音が響き、続いてなにやら従者達が罵っているらしい声が漏れ聞こえた。
 どうやら、また誰かが天井に頭をぶつけたらしい。

 ヴァイオンソレール村は、やっと静かな夜を迎えた。



 
→ 5.逢引の夜、さわやかな朝


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