2.貨幣法院特別捜査官アラン・リシャール

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  とんでもない量の贋金を
  

 村の南側には、この辺りにしては大きく、水量の多い川が横たわっており、村に入るには木製の橋が一本かかっている切りだった。
「けっこう人の多そうな村だな。」
 駒を進めながら、ポルトスが言った。村は比較的大きな道を一本隔てて、西側と東側に分れている。西側は小高い丘になっており、その一番上には聖バシリウス教会がその偉容を誇っていた。教会の傍らには小さな館がある。ここに神父が住むのだろう。昔は修道院だったという面影は見えない。しかし、の敷地の痕跡はあるようで、教会から少し丘を下った辺りに、かなり古びた石造りの建物がポツンと建っていた。
 一方、道を隔てた東側は、まとまった数の家々が密集した集落が点在した。どうやら農業を主な生業としている村では、なさそうだ。やけに煙突が多く見える。
 銃士達が橋を渡り終えると、教会の鐘の音が騒々しく時を告げた。パリから近いからと思ってのんびり出発していたら、日が暮れてしまった。
 アトスが突然、馬を止めると、アラミスに尋ねた。
「アラミス、お前短銃を持っているか?」
「いや。持っていないよ。」
「ポルトス、お前は?」
「持っているけど、ムスクトンの荷物の中だ。」
「じゃあ、俺が出すしかないな。」
 やおらアトスはマントを撥ね上げると、後ろに振りかえって右手に持った短銃を構えた。丁度後ろに居たムスクトンとバザンが飛び上がって、きゃあッと悲鳴を上げたが、勿論狙いは彼らではない。
 さっき渡ったばかりの橋の上に、一人馬上の男が居た。光を失いつつある夕日の中では、がっしりした体格しか分からない。茶色っぽい衣服とマントに身を包んだ男は、帽子の下で僅かに微笑み、声を発した。
「当りませんよ。」
アトスが構えている銃の事を言っている。銃の持ち主は不機嫌な声で返した。
「当らないかもしれないが、威嚇にはなるさ。馬も驚く。」
「でも、弾が入っていません。」
 アトスは少し微笑んで手を下ろすと、短銃の安全装置を戻した。
「よく、お分かりで。リシャールさん。」
すると、馬上の男は駒を進めて来て帽子をとり、にっこりと微笑みかけた。
「懐に弾の入った短銃を忍ばしたまま馬に乗るなんて、暴発するのを待つ自殺志願者だけですからね。はじめまして。私がアラン・リシャールです。トレヴィル殿から派遣して頂いた、銃士の皆さんですね?…賭けても良いですか?」
「どうぞ。」
 アトスがやはり微笑みながら言うと、リシャールは銃士達を見回した。
「どうやら、パリでも名の高い三銃士ではありませんか?あなたはアトス殿。そしてあなたがポルトス殿、あなたがアラミス殿とお見受けしました。」
 リシャールが彼らを順々に見ながら言うと、アトスは少し声を立てて笑い、短銃をしまって懐から銀貨を一枚取り出し、弾き飛ばした。空中でそれを掴んだリシャールは、
「この薄暗がりではコインを観察する事もできないので、早速宿舎にご案内したいのですが…その前にひと仕事です。止まれ!」
 突然、リシャールは銃士達の背後に向かって、鋭く大きな声を上げた。
「あっしの事ですかぁ?」
 いつの間に来たのか、村人らしい男が一頭引きの馬車の御者台からのんびり聞き返した。荷台にはどっさり麦藁が積み込まれている。咄嗟に、アトスはグリモー,バザン,ムスクトンに目で合図をして、道の脇へさがらせた。
「そうだ。」
 リシャールは言いつつ馬を降り、剣を抜きながら馬車の前に進んだ。そして、懐から小さな白い書き付けを取り出すと、それを広げて左手に持ち、頭の高さに掲げながら言った。
「王立貨幣法院特別捜査官だ。積み荷を調べさせてもらう。」
「かへぇ…なんだって?何の権限があって人の積み荷を見るって言うんだい?」
荷馬車の男が不満そうに言ったが、リシャールは表情を変えない。
「主席国務大臣閣下のサインだ。」
 ヒュウッと、ポルトスが口笛を鳴らし、アラミスは目をみはった。荷馬車の男は口の中で何かブツブツ言っていたが、不満そうな表情のまま手で荷台を指した。
「見たけりゃ、勝手に見なよ。」
「アラミス殿、轡を。」
 リシャールは剣を鞘に戻すと、荷台の後ろに回った。アトスが目で合図すると銃士達は馬から降りた。ポルトスがリシャールと一緒に後ろに回り、アラミスは荷馬車の轡を取り、アトスはその側に立ったまま荷台に注目した。
 リシャールはポルトスと一緒に荷台の後ろに来ると、柵を外し、まず手前の藁束に手を掛けた。
 その時 ― 突然荷馬車の男は、それっと大声を張り上げ、馬に一鞭入れたのだ。馬が驚き、いななきながら後ろ足で立ち上がった。一瞬、アラミスの体が宙に浮く。しかし、アラミスはそれを予知していたので、ここぞとばかりに必死になって体重を掛け、轡を抑え込んだ。脇によけていた従者達も驚いて馬に取り付く。
 暴れる馬に振られて、グラリと荷台が傾き、勢い良く水平移動した。リシャールは機敏に飛び下がってよけたが、荷台の縁がポルトスの脛をしたたかに打った。ポルトスは素っ頓狂な叫び声を上げてうずくまる。
 アトス暴れる馬の隙を狙って御者台に飛び乗ると、まず男の頬を張り飛ばし、手の鞭と手綱を奪い取った。そして素早く剣を抜くと、男の顔の前に突き付ける。
「動くな!」
 アトスがそう叫んだ頃には、やっとアラミスが馬を抑えるに成功していた。
 すると轅が壊れたのか、ガタンと荷台が後ろに大きく倒れた。ズルズルと荷物の藁束が滑り、うずくまって脛をさすっていたポルトスの頭上に落ちた。
「えっ?」
 ポルトスが顔を上げると、今度は何と小さな丸い金属片が無数に藁束の下から現れ、斜めになった荷台から地面に ― つまりポルトスの頭上にざぁっと、流れ落ちてきたのだ。
「わぁぁ!」
 ポルトスの悲鳴は長続きしなかった。みるみる内に金属片の山が地面に這いつくばったポルトスの上半身を埋め尽くしてしまい、彼は手足をばたつかせた。
「グリモー、こいつを見張っていろ。」
 と、アトスは荷台で伸びてしまった男をグリモーに任せ、荷台の後ろに回った。アラミスも馬をバザンとムスクトンに任せて回る。
 全ての金属片が綺麗にポルトスの上で山になったころ、リシャールがその一つを手に取り、アトスとアラミスに見せた。
「はずれ。打刻前です。」
 アトスが受け取ってみると、形状はいかにもエキュドール金貨だが、何の模様も文字もない、両面のっぺらぼうの丸い金属だった。アラミスもそれを覗き込み、アトスと顔を見合わせた。
 リシャールは馬の方にもどると、頬をさすって憮然としている男に言った。
「運が良かったな。打刻されていたら、一巻の終りだったのに。戻って良いぞ。おっと、たった今から丸一日、この村からの人間と物の出入りは禁止だ。何の権限とか、詰まらない台詞は言うな。」
 リシャールは男に元来た道を引き返すように指差し、グリモーに合図した。グリモーは当惑顔でアトスの方を見遣ったが、アトスも黙って頷くので、御者台から降りた。すると、男はいまいましそうに馬を回すと、轅が壊れてガチャガチャ言う荷台を引きずって、村の方へと戻り始めた。彼は、金属片の山の前を通ろうとした時、アトスとアラミスに、
「無駄足だよ!」
と吐き捨てるように言い残した。
「なんて奴だ。」
 アラミスが呆れた。アトスが馬に乗ろうとするリシャールに尋ねた。
「あいつを、拘束しなくて良いのですか?」
「あの男の言葉を借りれば、権限がないのですよ。人間を拘束する権限はね。さあ、私の部下が来ました。ここは彼に任せて、宿舎へ行きましょう。」
 リシャールの言う通り、荷馬車と入れ替わりに馬に乗って銃を携えた男が一人、駆け付けてきた。リシャールは部下に、藁束と金属片の山を片付けるように指示し、続いて今夜から二十四時間村の封鎖を実行するので、道に詰めるように命じた。
 そうしている間に、やっとムスクトンとバザンが金属片の山からポルトスを掘り出した。ポルトスはフラフラしながら立ち上がった。
「ああ、死ぬかと思った。でもまぁ、金貨に埋まって死ぬってのも悪くないな。あれ?」
ポルトスは肩に残った金属片を手にとって見て、首をかしげた。
「俺、目がおかしいのかな。この金貨、なにも書いてないぞ。」
「目は大丈夫ですよ。」
 馬上のリシャールはそういって、にっこり微笑んだ。夕暮れの薄暗がりの中で、彼の白い歯が輝いて見えた。

 リシャールは村の西側の丘を登りながら、教会の聖堂を指差した。
 「あれが、聖バシリウス教会です。見た目はあのように立派ですが、内部はかなりガタが来ています。特に、西の側廊は崩壊の危険がありますので、お近付きにならないで下さい。」
 銃士達はそう説明された聖堂を見遣ったが、暗がりの中に沈み込もうとする聖堂は黒い巨大な物体にしか見えなかった。
 リシャールが銃士達を案内したのは、丘の中腹に見えた、小さな石造りの建物だった。屋根は取って付けたような木製になっている。背後には、不相応に大きな馬小屋があった。
「ここはかつて、修道院だった頃の一番外側だったそうです。巡礼の宿泊施設があったらしくて、それで馬小屋が大きいのですよ。この建物も、かつては宿舎だったとか。」
 リシャールは建物から出てきた馬を従者に渡すと、そう説明した。従者は背こそ低いが骨のがっちりした男で、銃士達やその連れににこにこしながら挨拶をした。名前はボメルと言った。
「この建物は、昨日から私と部下が宿泊に使っていまして、通称『本部』。」
リシャールは銃士達を中に招き入れながら続けた。
「何せ古い建物ですから不自由をお掛けしますが、ご辛抱願いますよ。さあ、ここが食堂です。」
 一階のだだっ広い部屋には、大きなテーブルと粗末な椅子が並んでおり、やけに高い位置に窓がついている。
「小さいながらも炊事場がありますので、従者に任せましょう。食料はたっぷりありますので、ご心配なく。…料理の上手な従者は居ますか?どうもボメルはそっちがからっきし駄目で…」
アラミスが笑いながら答えた。
「それなら、私のバザンに任せて下さい。料理の腕は宮廷料理人並みですよ。」
「それは助かった。」
リシャールは燭台に灯を点した。更にボメルが暖炉の火を強くすると、この貨幣法院特別捜査官の姿が照らし出された。
 トレヴィルは四十歳くらいだと言っていたが、いくらか若く見える。よく日に焼けた顔と手をしており、笑うと白い歯が印象的だ。背が高く、肩幅の広いがっちりした体つきで、筋肉のついた逞しい男だ。頬骨が高く、髪は流行とは逆に短く刈っていた。
 ボメルの案内で三人の従者達が荷物を抱えて階段を上っていくのを見ながら、リシャールが自ら桶に水を張り、三人に勧めた。
「みなさんの寝室は二階です。人数分ありますよ。従者達には、三階が。」
「あなたの部下は?」
 アトスが手を洗いながら尋ねた。リシャールはグラスとワインを用意しながら答える。
「さっきの男と、峠の方へ抜ける道にもう一人詰めています。これから丸一日、この村を封鎖するために頑張るので、野宿ですよ。皆さん、どのくらいまで話をご存知で?」
すると、ポルトスがすかさず大きな声で言った。
「あなたが、枢機卿に引き抜かれた元銃士で、今は贋金造りの摘発をしてるって事です。」
アトスは眉を寄せたが、リシャールは明るく笑った。
「その通りですよ。詳しくご説明しましょう。ああ、ポルトス殿。足は大丈夫ですか?」
ポルトスは苦笑いした。
「たぶん、大痣ですよ。ブーツの上からぶつかったんだけど、多少擦っているかもしれない。」
「この膏薬をどうぞ。出血,打撲,火傷、色々な症状に効きますよ。」
 と、リシャールは懐から塗り薬を取り出してポルトスに渡し、椅子を勧めた。

 
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