「なるほどね。」
ホームズは観察し終わった宝石箱を無造作にベッドに放り出した。
「それで?」
「飲み込んだからには、吐き出させねばなりません。私はすぐに鞭が良いと思いました。」
「鞭?」
「ええ、乗馬用の鞭です!あれなら軟らかくてしなやかで、弾力もあるし、細いので犬の喉に差し込んで吐き出させるには最適でしょう?そこで、私はすぐに一階のコンシェルジェの所に行きまして、今日デズモンド様が乗馬をなさるのだが、鞭を壊してしまったので貸してくれと頼みました。ホテルではよくある事ですよ。」
「ヒルズさん自ら下へ行ったのですか?」
「ええ。どこで情報やら噂やらが広まるか分かりませんからね。マルをデズモンド様にお願いして、私が行きました。それで、鞭を持ってここに戻り…」
「待ってください。」
ホームズが右手をあげて、ヒルズを制止した。
「鞭は、すぐに渡されたのですか?」
「いえ…」
ヒルズは拍子抜けしたような顔で少し考えた。
「5分くらい待たされました。コンシェルジェが調達している間…いや、5分もかからなかったかもしれませんね。とにかく、私は鞭を持ってこの部屋に戻りますと、今度は犬が居ないのです!」
そこで、ホームズは若きリンゼイの方に向き直って、また眉を上げた。
「いや、その…」
リンゼイは両手を絡ませながら、たどたどしく説明した。
「まだマルは飲み込んではいないのじゃないかと思って、捕まえて、無理やり口をあけさせようとしているうちに、嫌がって、暴れて…走り出してしまって。それで思わず助けが要るかと思って、ベルを鳴らしてボーイを呼んで、そうしたらこのロビーがすぐに来てくれて、彼がドアを開けたすきに…」
「外に出て行った。」
その場に居た全員が声をそろえて言った。そうして一斉にため息が漏れた。
 ホームズは、きっちりと制服を着込んだ、十代と思しきベルボーイに質問を始めた。
「ロビー、きみはいつもリンゼイさんのお世話を?」
「はい。お泊りのときは僕がいつも担当しています。」
「今朝もだね?」
「はい。」
「ヒルズさんが来たとき、君は給仕をしていたそうだが?」
「はい。でも朝食を置いてすぐに部屋を出ました。」
「それからベルで呼び出された?」
「はい。ノックをすると、デズモンド様が入るように仰いますので、ドアを開けました。すると、犬が…マルが、僕の足元をすり抜けて、廊下に飛び出したのです。」
「後を追ったかい?」
「はい、デズモンド様が捕まえてくれと仰いましたので。でも、裏階段への扉が運悪く開いていて。マルはそこから消えてしまいました。上も下も探しに行きましたが、どこにも姿がありませんでした。」
「裏階段の扉はいつも開いているのかい?」
「いいえ。でも、朝はスタッフがよく通るでの、時々開いています。」
「なるほどね。」
 ホームズはこぶしで軽く顎を叩きながら、考え始めた。すると、ヒルズが少し声を低くして口を開いた。
「ロビーにだけは、マルがサファイアを飲み込んだ事を説明して、外も探させました。でも2,30分探しても見当たらないので、あなたに相談することに。私がすぐにお手紙を書いてお宅に送り、念のためもう一度付近を捜してからお邪魔したのです。」
 ホームズは寝室を出て、居間をぐるりと見回すと眉を下げてリンゼイとヒルズを順々に見やった。
「とりあえず、今夜のポントレイ嬢との食事は取りやめてはいかがです?僕も今夜までに犬を…いやサファイアを回収する自信がありませんのでね。」
「いや、それは!」
ヒルズがまた叫んだ。
「可能の限り、避けたいのです。その…令嬢の方はともかく、急に取りやめとなりますと、サー・ウィリアムには事情をお話しせねばなりますまい。」
「お話しになったらどうです。リンゼイさんのお父上でしょう?」
「ホームズさんはサー・ウィリアムの気性をご存じないから、そんなことを仰るのですよ。それはそれは厳しいお方でして。大事な指輪に犬に平らげられた上に、それを犬の…その…消化器官の…ええ、出口!出口から回収しただなんて報告したら、どれ程お怒りになるか!犬を殺しかねませんし、ここだけの話デズモンド様への財産分与も延期なされかねません。」
「財産分与?」
意外な言葉が出てきたので、私が思わず聞き返した。
「はい。サー・ウィリアムはデズモンド様がご成人なさった後も、財産の分与は行わず、株式取引などもお任せにはなっていません。一切。それが、今度の結婚を期に、一部の財産分与をなさるおつもりなのですよ!お珍しい事に…」
ホームズが「なるほどね」とでも言いたげな顔つきで私を見るので、私も微笑を禁じ得なかった。つまり、大富豪のサー・ウィリアム・リンゼイは厳格でかつ締り屋という訳である。最低限の人しか雇わず、子供も甘やかさず、30歳を過ぎても経済的な自立もさせておらず、相変わらずその支配下に置いているのだ。デズモンド・リンゼイの自信のなさそうな立ち居振る舞いも、多少理解できよう。それにヒルズというこの執事は、やたらと甲高い声でわめいているが、結局はこの頼りない若様に同情的なのである。
「嘘も通じませんか?ご子息は急に熱を出されたので、令嬢とのお約束を延長した、とか。」
「いやいや!」
ヒルズはまるで身震いでもすかのように、頭を振った。
「その手の策は通じません!何もかもお見通しの方ですからね。嘘を見抜くことにおいては天才でいらっしゃいます!」
「そりゃ、僕も一度お会いしたいですな。」
「ホームズさん、感心している場合ではありませんぞ!何としても今夜までにサファイアを回収しなければ、様々な方面で大変なことになるのですから!」
ヒルズがとどめをさすように言った。当のデズモンド・リンゼイは押し黙ったまま、落ち着かずに視線を泳がせている。
 「ええ、まあ…そうですね。とりあえずですね。」
「はい、とりあえず?!」
「ヒルズさん、そこに置いてある乗馬用の鞭をコンシェルジェにお返しなさい。もう無用の長物ですよ。」
 何か魔法のような解決方法が提示されるとでも思ったのか、ヒルズはひどく落胆したような顔をした。ホームズはそれには全然構わずに続けた。
「ロンドンに指輪の他に用は?」
「もちろんありますよ、いくつかの商店とドレスメーカー、弁護士事務所にも行くつもりですが…」
「では、その仕事をなさい。僕らも仕事にかかります。リンゼイさん、あなたにも今日の用事があるでしょう。」
「ホームズさん、犬…いや、サファイアを見つけ出す目途が立っているのですか?」
ヒルズが尋ねたが、はぐらかす様にホームズは、
「さあ、どうでしょうね。」
と言いながら手袋と帽子を着けると、さっさと部屋から出て行こうとする。リンゼイとヒルズが揃って縋るような目で私を見るので、私は肩をすくめた。
「相手は、犬ですからね。」


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