Sherlock Holmes  シャーロック・ホームズ  Pastiche  パスティーシュ

 
         フィールズ校の初夏 
  

フィールズ校の初夏 3

 私は次に、校舎の数学教官室に向かった。ウィックス先生の部屋を見るためだ。校舎まではアンドリュー・クルス寮から二十分ほど歩く。その道すがら、私はコーク先生にヘンダーソンの同室の学生達について、話してくれと頼んだ。
『特別な事ではなく、普段どういう生活をしているかで構いませんから。』
 私が言うと、コーク先生は曇り空を少し睨んでから、口を開いた。
『そうだな。まず、三年生から言うと、カークとネイはヘンダーソンとは仲の良い学生だ。悪ふざけはしても、本当にヘンダーソンが窮地に陥るような事をするとは思えない。しかし、まぁ若者のすることだから、何とも言えんがね。』
『カークとネイは、スポーツはどうなんですか?つまり対抗戦では…』
『いや、二人ともそれほど得意ではないから、出場はしていなかった。むしろ、ヘンダーソンの応援をしようと、意気込んでいたな。』
『その他に何か…こう、日常生活とか…』
『そうだな。』
 コーク先生は初夏の美しい学校の中庭を眺めながら、少し考えた。
『カークは演説が得意でね、弁論部に所属していて、上の学年とも堂々と渡り合うという評判だ。読書はもっぱら弁論集で、発音練習と称して音読するから、時々寮生から苦情が来る。』
『なるほど。』
『ネイは勉強も普通程度の生徒だが、ピアノが上手だ。親戚に本職のピアニストが居るとかで、よく音楽室のピアノでベートーヴェンやバッハを弾いているよ。学校行事などでも良く弾くし、最近は礼拝堂のパイプ・オルガンにも手を出している。
 とにかく、カークもネイも、ヘンダーソンのノート紛失については、何も知らないの一点張りだ。特に怪しい点も見当たらないし。』
『同室の下級生はどうですか?』
『ただ一人の二年生は、ワイドストリート。インド生まれの快活な生徒で、サッカーが得意だ。』
『対抗戦にも?』
『もちろん。中心選手の一人だよ。まぁ、いかんせんわがフィールズ校は弱いがね。ともあれ、ワイドストリートは次期主将候補だ。』
『ヘンダーソンとの関係は?』
『同室で、スポーツが得意なもの同士だから、仲は良いらしい。最初にヘンダーソンが幾何のレポートを紛失して、ラグビーの試合に出られなくなったとき、駆けずり回ってサッカーに登録できるようにしたのが、ワイドストリートだからね。結局、再度の紛失で無駄になったが…』
『なるほど。』
『勉強は少々苦手だが、中々しっかりした生徒だよ。小火騒ぎの時も活躍してね。』
『小火ですか?』
 私は驚いて聴き返した。もしアンドリュー・クルス寮で火事があったなんて事が両親に知られたら、そんなところにシャーロックを置いておくわけには行かないなどと、つまらぬ騒動になってしまう。しかし、コーク先生はその心配は無い事を教えてくれた。
『運動場の脇などで、暖を取るためによく焚き火をするだろう。その不始末があってね。普通、火を炊くのはグラウンドキーパーの仕事だが、ワイドストリートもよくそれを手伝って、火を起こしてしていたりしたんだ。それでグラウンドキーパーとは仲良しだった。年初のある晩、その焚き火の不始末でグラウンド脇の下草などを焦がした。丁度、ワイドストリートたち二年生が通りかかり、消火活動に走ったんだ。そこでグラウンドキーパーの用具小屋に詳しいワイドストリートが、皆を指揮して、早いうちに消火に成功したというわけだ。』
『そうでしたか。それは本当に良かった。』
 私の安堵の意味を、コーク先生が理解したかどうかは分からない。しかしここで、コーク先生は少し肩を揺らして笑い始めた。
『ところが、その英雄的なワイドストリートにも、弱みはある。なんでも許婚が居るとかで、よく学生達にからかわれている。』
『彼は貴族なのですか?』
『地主の子だよ。何でも親同士がワイドストリート本人の生まれる前に整えた婚約らしくて、五つ年上の婚約者が月に一回は面会に来る。』
『それは格好のネタですね。』
『確かに。』
 コーク先生も肩を揺らして笑った。十四歳の男子学生の元に、十九歳の女性が毎月面会に来るとは、ロマンチックを通り越して少々滑稽だ。これで同級生達に『からかうな』と言う方が無理だ。

 コーク先生は笑いを押さえ込みながら、続けて一年生の話を始めた。
『一年生は二人がヘンダーソンと同室だ。まず、ジェラルド・ソウズ。なかなか勉強は良く出来る、大人しい生徒だ。ああ確か冬に、盲腸炎になったな。でも入院しても勉強の遅れはすぐに取り戻せたらしい。あまり友達とワイワイやるタイプではなくて、いつも図書室か自習室で本を読んでいる。』
『対抗戦とは縁が無いですか。』
『そうだな。ああ、いや。両親の希望では体を鍛えたいとかで、ボート部に所属している。でも、選手になれるほどではないな。補欠だよ。それよりもチェスが得意だ。入学早々、校内チェス大会があったのだが、並み居る上級生を打ち破って、上位八人に残ったくらいだ。』
『ヘンダーソンとは?』
『そう…ソウズは大人しいし、あまり接点もないし、学年が二つ離れているから、特に親しいという事はなさそうだ。といって、問題があるわけでもなさそうだがね。』
『そうですか。それから、もう一人。』
『ホームズ君、きみの弟だろう。』
『ええ。でも、シャーロックの学校での様子は知りませんからね。どんな生徒です?』
『そうだな…』
 コーク先生は少し困ったように眉を下げたが、すぐに笑って口を開いた。
『成績はすこぶる優秀だし、生活態度もきちんとした、模範的な生徒だよ。特に化学が得意だから、よく私に許可を取って化学実験室を使っている。スポーツも良く出来るのだが、球技は好きではないようだね。』
『団体スポーツが向いていないんですよ。』
『面白い子だが、意外と友達が少ない。せっかく話し掛ける生徒は居るのに。』
『大人たちに甘やかされて育っていますからね。同年代の親戚も居なかったし。それで、ヘンダーソンとの関係はどうです?』
 私が尋ねたとき、我々は丁度校舎の一角に入ったところだった。コーク先生は暗い廊下を歩きながら、ウィックス先生の居る数学教官室を指差した。
『あっちだよ。そうだな…ヘンダーソンは同室のよしみもあるし、ラグビー部に熱心に誘ったようだ。ホームズ君は断ったがね。さあ、ここだ。』
コーク先生は足を止めると、数学教官室のドアをノックした。



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