Sherlock Holmes  シャーロック・ホームズ  Pastiche  パスティーシュ

 
         レガッタの街  
  

8.不動産業者,古文書学者

 次の参考人―ヴァンス・ペリーが入室するまでは、やや時間が掛かった。巡査のジョンソンが言うには、ペリーとハーディはずっと居間にはおらず、探しに行ったのだ。何の事はない、二人とも二階の図書室に居た。
 軍人のごとき堂々たる容姿のペリーは、順番が後ろにされたのが不満な様子で、早く済ませてくれと言わんばかりの態度だった。
 今度は警部ではなく、ホームズが先に口を開いた。
「ペリーさん。あなたは三日前、テイル教授の手紙を受け取った。晩餐の前に話があるから、五時に書斎に入れと、指示された。そうですね?」
 ペリーはちょっと面食らったような表情になって息を呑んだ。一方、ホームズはやや得意げな表情をしている。警部が「どうなんです」とペリーに促すので、禿げ頭の不動産業者はしぶしぶながら頷いた。
「ホームズさんの言われる通りですよ。どうして分かったんです?」
ホームズは満足そうに微笑んだ。
「教授がミス・テイルへの求婚者四人を手紙で早く呼び寄せた事は分かっていますし、机上のメモにはその時刻も書かれていた。あなたが凄い勢いの馬車で駆けつけた時、五時を少し回っていましたから、約束の時間に遅れて、焦っていたという訳です。」
 ペリーは鼻で笑った。あまり愉快な気分ではないらしい。
「名探偵さんが居るのなら、私に尋ねる事なんてあるのですか。」
「ありますよ。」
ブラッドストリート警部が口を開いた。
「ペリーさんは、クリケット荘に到着するとすぐに、テイル教授の書斎に入ったのですね?」
「いかにも。」
「教授とはどのようなお話を?ええ、殺人事件の捜査上必要な事なんです。お答え下さい。」
 ペリーは相変わらず不快そうな表情だったが、やがて溜息をついて答えた。
「ミス・テイルへの結婚の申し出を、断るとおっしゃいました。」
 ペリーは短く答えると、また黙ってしまった。この中年の不動産業者は、彼なりに傷ついているらしい。その後はどうしたかと尋ねても、教授との会話はそれっきりで、書斎から退出したというのだ。すると、ホームズがまた質問した。
「話を少し戻しますが…。ペリーさんが五時過ぎにクリケット荘に駆け込んだ時、ミス・テイルと話しませんでしたか?あなたが中に入ると、すぐにピアノの音が止んだのですが。(ペリーは仏頂面のまま頷いた。)どんな話を?」
この質問はペリーの気分を損ねたらしい。
「失礼な物言いだな、ホームズさん。ミス・テイルには、せいぜい挨拶をするぐらいですよ。それとも、私が不動産売買の話をお嬢さんにするとでも?」
「まぁ、まぁ。それで、その後は?」
 警部が取り成すように尋ねると、ペリーは立派な口髭の右側をピンと撥ね上げて答えた。
「ミス・テイルは晩餐まで休まれるとかで二階に行きましたよ。私はすぐに教授の書斎に入ったし、出てから後はしばらく一階の居間で新聞を読んでいたが、六時頃からは二階の図書室でハーディ君と話していました。」
 警部と、ホームズ、そして私がじっと無言でペリーを見詰めると、彼は呆れたように嘆息した。
「なんです、ハーディ君との話の内容ですか?今度こそ仕事の話ですよ。修道院の売買に、彼が口を出しているんでね。古文書の整理が終わるまで、売買契約と引き渡しは待ってくれと言うのです。つい、今さっきも彼と図書室でその話の続きをしていたところですよ。」
「ビリヤードをしていた時ですがね。」
突然、ホームズが違う質問をしたので、ペリーは少し驚いた顔をした。
「ビリヤードがなんですって?」
 ホームズはポケットから紙巻煙草を取り出すと、指先でもてあそびながら質問を続けた。
「カット・スロートをしていた時ですが、あなた達のテーブルで二番目に持ち玉をポケットされたのは、ペリーさんあなたでしたね。確かハーディ君に落とされた。」
「ええ。そうでしたね。私はそもそもビリヤードなんて得意ではないのですよ。」
「早々にゲーム・オーバーとなったあなたは、玉突き部屋を出ましたね。」
 ホームズの質問の意図を知ったのか、ペリーは注意深く頷きながら答えた。
「確かに。居間に行って、置きっぱなしにしていた煙草を取ってからまた玉突き部屋に戻りましたよ。」
「その時、何かに気付きませんでしたか?」
「何かとは?」
「今の僕には分かりません。書斎に入る人影とか、階段を上る人とか、銃器室に誰か居たとか、人の話し声とか…」
「いや。」
 ペリーは鋭く言って、ホームズの言葉を遮った。しかし、次の言葉が出ない。私達は息を詰めて、次の言葉を待った。ペリーは一度唾を飲み込んでから、やっと言った。
 「特に何も気付きませんでした。」
 ペリーは少し顔を赤らめ、禿げ上がった額には汗が浮き出ている。本当だろうかとホームズは聴き返したそうな表情だったが、それを言おうものならペリーは怒り出しそうだ。結局、彼への事情聴取はこれで終わりになり、放免となった。

 「怪しいですね…」
 ブラッドストリートの言う通りだった。最後の参考人ハーディを待つ間、食堂の警部、ホームズ、そして私は同じような感想を持っていた。するとホームズが頷いた。
「確かに。教授と書斎で話した事や、ハーディとの話などは憤慨しながらも歯切れ良く答えているのに、ビリヤード中に煙草を取りに居間に行った時に関しては、すこし言葉に詰まっていた。何かありそうだね。」
 ホームズがここまで言って紙巻に火をつけると、ノックされたドアが開き、ハーディが入ってきた。眼鏡を鼻の上に押し上げつつ、小柄な古文書研究家は無愛想な様子で警部とホームズを見回した。警部がクリケット荘に来てからの行動を尋ねると、ハーディは表情こそ気難しく無愛想だが、口調には意外にも協力的な響きがあった。
 「私は図書室に居ました。図書室は、二階で階段を挟んだ書斎の向かい側ですが。私はしばらく図書室で本を見ていました。」
「それから?」
ブラッドストリート警部が先を促すと、ハーディは肩をすくめた。
「他の三人も、教授の書斎に入った事をお話したのでしょう?ええ、私は六時丁度に書斎に入りました。もうご存知だとは思いますけど、一昨日に教授から手紙を受け取って、六時丁度に入室するようにと指示されていたのです。」
 すると、ホームズが紙巻を持った手を胸の高さに上げて発言した。
「六時丁度に呼び出されていた割りには、随分早くクリケット荘に到着しましたね。ハーディさんが僕らと庭で会ったのは五時少し過ぎでした。」
「予定が狂ったんですよ。私は修道院からゆっくり歩いてクリケット荘に向かっていたのですが、町でジリング君に会ったのです。彼が馬車に乗れというので、その通りにしたら、随分早く到着した。」
 ブラッドストリートが頷きながら、先に進めた。
「つまり、あなたは五時過ぎから六時丁度まで図書室に居た。…その間、物音を聞きましたが?」
「ええ。」
ハーディは眼鏡を押し上げながら、何気なく言った。
「何人か、二階の部屋に人が出入りする音がしましたよ。あの三人でしょう。」
「話し声は?」
「聞こえませんでした。図書室のドアは閉めていましたから。」
「そうですか、それでハーディさんが書斎に入った時は、どのような会話が?」
 警部の質問に、ハーディは少し嫌な顔をしたが、別に躊躇する事無く答えた。
「ミス・テイルとの結婚の話は、断るとの事でした。これという理由はおっしゃいませんでしたが。」
「それで、ハーディさんは納得を?」
「もちろん残念ですが、かといってどうしようも無いでしょう。ミス・テイルの結婚相手は、教授が決める。その教授に断られた以上、私に言う事はありません。まぁ、古文書学者なんてのは、独身の方が良いのかもしれませんがね。」
 私達三人はお互いの顔を見あわせた。ホームズが煙を大きく吐き出す。それから、警部が改めて尋ねた。
「それで、教授との話はどのくらい続いたのですか?」
「続くなんてものじゃありませんよ。ほんの数分で終わりました。」
「すると、七時ごろに下でビリヤードが始まるまで、まだ大分あった。どこで何をしていましたか?」
「また図書室に戻りました。ペリーが待っていて、それから長い間彼と図書室で話しました。」
「ああ、ペリーさんから聞きましたよ。」
ホームズが頷いた。
「修道院の売買契約について、ハーディさんがペリーさんに引き伸ばしを要請しているとか。」
「あの不動産屋は、大事な古文書の価値が分かっていないんですよ。ロンドンの弁護士とやらに修道院の土地と建物を売るつもりのようですが、もう直ぐにでも契約して、手数料を受け取る算段でしょう。修道会の方は別に売却を急いでいる訳ではないのに。要するにペリーが強欲なんですよ。」
「ペリーさんが図書室に来たのは、あなたを説き伏せるためですね?」
ブラッドストリートの言葉に、ハーディは苦笑した。
「説き伏せるなんてもんじゃないですよ。『修道院はすぐに売る。部外者のあんたは黙っていてくれ』の一点張り。もちろん、私は文化財の保護と研究の観点から、反論しましたがね。」
「口論になった?」
「ええ。多少は。別に怒鳴りあってはいませんよ。ただ、しばらく言合いが続きました。一時間近くも言い争っているうちに、他人の家だし少し頭を冷やそうと言う事になって、二人とも一階に下りました。」
「それは、何時ごろです?」
警部の質問に、ハーディは少し戸惑った。
「さぁ、時計は見ていないな。丁度、外からクリスと、ホームズさん、ワトスン先生が帰ってきた頃ですね。」
「七時少し前。」
私が言うと、ブラッドストリートは頷き、質問を続けた。
 「その、図書室でペリーさんと話している間、書斎の方で何か物音などしませんでしたか?」
「いいえ、気付きませんでしたね。私もペリーもいくらか熱くなっていましたから。」
「なるほど。それから下に降りて、玉突き部屋でビリヤードになった…。その間、玉突き部屋を出ましたか?」
「いいえ。私は勝っていましたから。ずっと玉突き部屋に居ました。」
「その間、ブランデーを飲みましたか?」
「えっ?」
 ハーディは虚を衝かれたような顔で聞き返す。その勢いで、鼻の上の眼鏡がズルッと傾いた。
「いいえ、確かシェリーが来てましたから(言いながらハーディは眼鏡を直した)。でも待てよ…そうだ、ジリングが、居間から大きな声でブランデーは居るかと聞いてきましたね。断りましたけど。それが何か?」
 つまり、ジリングの証言が裏付けされたという事だった。その後のハーディは、他の連中と行動を共にしている。他にこれといった証言は得られそうに無かった。他と同じように彼の住居を確認し、しばらくヘンリーを離れないようにと指示すると、ハーディは部屋を出ていこうとした。
 すると、ドアを閉めようとするハーディに、突然ホームズが呼びかけた。
「そうだ、ハーディさん!ティーカップはどうでした?」
「ティーカップ?」
ハーディはまた眼鏡を直しながら振り返った。
「ええ、そうです。あなたがテイル教授の書斎に入った時、教授の机の上にはティーカップや、ポットが置いてありましたか?」
 ハーディは一瞬考えたが、すぐに飲み込み顔で頷いた。
「ありました。と、言うより教授がお茶を飲んでいましたから。」
「あなたが退出した時も、そのまま?」
「ええ。教授がまだ飲んでいたと思いますよ。」
「下に降りてくる時はどうです?」
 ハーディは少し眉を寄せ、顎を前に出して訊き直したそうな表情をしている。ホームズがもう一度尋ねた。
「書斎を出てから、しばらくはペリーさんと二階の図書室で話していましたよね?それから七時少し前に下に降りてきている。その時、教授の書斎の前に何か置いてありませんでしたか?」
 ハーディはホームズの質問の意味を測りかねたようだが、しばらくして首を横に振った。
「いいえ、何もありませんでしたよ。」

 ハーディが食堂から出て行くと、残されたホームズとブラッドストリート警部、そして私の三人は、お互いの顔を見あわせ、一斉に溜息をついた。ホームズが煙草の吸い指しを暖炉に投げ込むと、まず警部が口を開いた。
 「シンプルに考えるとして、犯人はハーディではありませんか?」
「警部は、動機の点でクリスを疑っていたのでは?」
「だからシンプルにですよ。生きているテイル教授に最後に会ったのはハーディです。彼が書斎を出る前に教授を殺し、廊下のティーカップは…そう…何か仕掛けか、共犯者か…。」
「そうすると、返り血が問題だ。」
ホームズが眉を下げて笑いながら反論した。
「椅子に座った教授の喉を、背後から斬りつけたとすると、どうしても犯人の服の前に血がつく。ハーディ君が書斎を出た後、すぐに図書室でペリー君と話し込んでいるんだ。血のついた服をどうしたのかが問題になるだろう?」
「そうですね…いや、何か血をよけるような物を上に着込めば…」
「ホワイト・タイの上に?教授に怪しまれるよ。」
「確かに。」
 ブラッドストリート警部は、ふぅーっと長く溜息をついた。ホームズは私を見遣って、少し笑った。


 → 9.凶器

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主な登場人物

 シャーロック・ホームズ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 探偵

 ドクター・ワトスン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 医者,ホームズの友人

 クーパー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ワトスンの旧友,海軍軍医

 テイル教授 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ クーパーの恩師,クリケット荘の主

 テイル夫人 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ テイル教授の妻

 クリス・テイル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 教授の孫

 マーガレット・テイル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 教授の孫,クリスの妹

 エバンス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ クリスの友人,マーガレットの恋人

 バッキンガム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブリュアリーの営業担当者

 ペリー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 不動産業者

 ジリング・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 新聞の副編集長

 ハーディ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古文書学者

 ブラッドストリート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ スコットランド・ヤードの警部

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