Sherlock Holmes  シャーロック・ホームズ  Pastiche  パスティーシュ

 
         レガッタの街  
  

7.営業担当、副編集長

 赤毛のバッキンガム青年は、当惑しきったような表情で椅子に腰掛けた。しきりと額の汗をハンカチで拭っている。まず、警部が質問を始めた。
 「バッキンガムさん、今日は何時ごろクリケット荘へ来ましたか?来てからの行動も一通り説明して下さい。」
「僕がここに来たのは、五時ごろだったと思います。」
バッキンガムはホームズと私をみやった。
「歩いてきたのですが、庭の東屋でホームズさんとワトスン先生にお会いして、少し話をしました。(ここでブラッドストリートが私達の方に振り返ったので、頷いてみせた。)それから…この母屋に入りまして。執事が玄関で迎えてくれました。時間的にはちょっと…早かったのですが。ミス・テイルに挨拶をしたかったのですが、もう自室に引き取られたみたいで。…それから、時間を潰すために居間で新聞を読んだりして過ごしました。」
「誰かと一緒でしたか?」
 警部の質問に、バッキンガムは瞳をウロウロさせてから、すこし口ごもりながら答えた。
「ええ…ペリーさんや、ジリングさんがいました。六時ごろにペリーさんが二回に行きましたが、ジリングさんがずっといっしょでした。それで七時ごろにクリス君とホームズさん、ワトスン先生、クーパー先生がいらして、ビリヤードをする事に…。」
「その間、教授の書斎に入りましたか?」
「いいえ。」
「書斎に入る人を見ましたか?」
「いいえ。」
 バッキンガムは小さな声で否定した。ブラッドストリートはちいさくフム、と言ってホームズの方に振り返り、質問を促した。するとホームズは、気のない様子で左手の爪などを見ながら、バッキンガムに尋ねた。
 「バッキンガムさん、クリケット荘に来てから、書斎には入らなかったとおっしゃいましたね。」
「ええ。」
「教授にも会っていない。」
「はい。」
「僕なら、そんな嘘はつきません。あなたは、五時十五分に教授の書斎に入ったはずだ。」
 バッキンガムが息を呑んだ。ブラッドストリート警部と私も、息を殺してホームズに見入った。ホームズの灰色の瞳が、嬉しそうに輝いている。
「別に驚くほどの事ではありませんよ、みなさん。晩餐は八時過ぎに始まるというのに、四人の客は三時間も前から押しかけてきている。食事の前に何かあったと考えるのが妥当でしょう。
 まず執事の証言から、教授が三日前にバッキンガムさん、ジリングさん、ペリーさん、ハーディさんに手紙を出した事はおよそ予想がつく。そして、教授の机の上にあったメモ。『 5 / Q / H / 6 』というのは、時刻を表わしていたんです。五時,十五分(Quarter),三十分(Half),六時という具合にね。バッキンガムさんは五時ごろに到着しているから、十五分の約束だったと考えるのが妥当だ。
 そんな訳で、バッキンガムさんが教授からの手紙で、五時十五分に書斎に入るように指示されていた事は想像に難くない。これは殺人事件ですよ、バッキンガムさん。偽証は重大な罪だ。第一、あなたの名誉の為になりませんから、今の内に言うべき事は言っておかなければ。」
「あ、会いましたよ、テイル教授に!」
 バッキンガムは髪の色と同じような顔色になって、椅子からピョコンと立ち上がった。額からは汗がダラダラと流れ落ち、舌が上手く回らないのか、次の言葉が出てこない。
「そうでしょうね。どうぞ、続けて下さい。」
 ホームズは穏やかに言うと、座るように手で合図した。するとバッキンガムは、へたり込むように椅子に腰掛け、ホームズが口を開く前に喋り出した。
「ホームズさんのおっしゃる通りです。今日の晩餐に呼ばれたのは一週間ほど前ですが、一昨日に教授の手紙を受け取ったんです。食事の前に話があるから、五時十五分に書斎に来てくれと書いてありました。執事の案内は不要で、時間になったら書斎に来れば良いと…ようするに内密で話しがあるらしくて。」
「それで、あなたは五時十五分に書斎へ?」
「ええ、言われた通り書斎に行きました。教授はいつもの書き物机に座っていて、それで…話を…」
 バッキンガムはここで言葉を濁してしまった。ホームズが静かな声で促した。
「話の内容は?…言いにくそうですね。まぁ無理もない。当ててみせましょう。ミス・テイルとの結婚についてではありませんか?」
 さっきまで真っ赤な顔をしていたバッキンガムは、今度は真っ青になって頷いた。ホームズは小さく頷いた。
「そうでしょうね。ミス・テイルの証言から、教授は孫娘の結婚相手について何らかの結論を出したと言う事が分かっています。そこから考えられるのは、四人の求婚者を晩餐の前に呼び出し、それぞれに求婚に関する答えを伝えた…それで、バッキンガムさん。教授は何と?」
 バッキンガムは泣きそうな表情になって、小声で答えた。
「『マーガレットとの結婚の件だが、申し出は嬉しいが、お断りする』と、おっしゃいました。」
 すると、食堂にいた誰もが黙ってしまった。何とも言えない雰囲気で、空気が薄くなっているような気がする。その雰囲気に焦りを感じたのか、バッキンガムはもたもたと口を開いた。
「あ、あの。私は教授を殺してなんていませんよ!部屋を出る時、生きていたんですから!ホームズさん、信じて下さいよ!」
「まぁ、落ち着いて。教授との会談は何分くらいでしたか?」
「さぁ、多分五分もかからなかったと…」
「結婚を断られる理由に心当たりは?教授に問いただしましたか?」
「そりゃ、どうしてと尋ねましたよ。私はミス・テイルを心底妻にしたいと願っていたのですから。でも、教授は理由については説明する必要はないとおっしゃって…」
「あなたの金銭的な問題のせいではありませんか?」
バッキンガムの顔にさっと凄みがさして、声に怒りが加わった。
「一体、誰がそんなことを…」
「警察ですよ。」
 ホームズはケロリとしているが、ブラッドストリートは驚いてホームズに見入った。ホームズは涼しい顔である。
「警察諸君の捜査能力も最近は中々なものでして。殺人ともなれば、関係者の出身、学歴、仕事、食べ物の好みからナイトキャップの色まで、何でも調べ上げます。バッキンガムさんがエールの取引上のトラブルで、多額の負債を負っているのはもう調査済みですよ、ねぇ警部。」
 事も無げにホームズは言うので、警部はいかにもという顔で頷くしかなかった。
「そうですか…」
 バッキンガムは意気消沈して、赤毛の頭を少し掻いた。殺人はさっき起きたばかりなのだから、警察がそんなに早く情報を入手しているはずがないとは、気がつかないらしい。
「確かに私が、金に困っている事は事実です。でも、でもどうにかして返済しようとしていますし、仕事もまじめにこなしていますし、それに、それにミス・テイルと結婚すれば…」
「親の遺産が手に入る?」
 ホームズとブラッドストリートが異口同音に尋ねた。バッキンガムはしまったという表情で一瞬黙ったが、だからと言って教授を殺してなんていない、とんでもないと言い繕うのに終始した。そして教授との会談後は、ペリーとジリングと一緒に居間にいたし、六時以降もビリヤードが始まるまでジリングと一緒だった、彼に確認してくれと何度も言った。
 結局、彼からはそれ以上の事は聞き出せず、警部がバッキンガムにしばらくは町を離れない様にと命じ、彼の住所を確認して終わった。

 バッキンガムが退出する時、ブラッドストリート銃器室に関する指示をメモ帳に書き付けて立ち上がり、バッキンガムが開けて出ていったドアからホールに顔を出して、巡査を手招きした。
「ジョンソン、このメモを上に詰めているエリスを探して渡してこい。」
 巡査が頷いて階段を上がっていく。ドアを閉めた警部は、首をかしげながら私達の所に戻ってきた。
「ホームズさん、どう思います?あのエール屋さんは。」
「どうもこうも…」
ホームズは眉を下げて苦笑した。
「最初は『真実を喋っていません』という証人の見本。そしてちょっと突っつくとペラペラと話してしまう哀れな男の見本だったね。」
 そう言いながら窓のカーテンを少しずらすと、玄関からドタドタとバッキンガムが出て行くのが見えた。
「ホームズさん。殺害その物の検証や殺害時刻も大事ですが、動機も見落とせません。その点は同意いただけますよね。」
「もちろん。テイル家には莫大な遺産がつきまとうからね。」
「教授が死んで利益を得るのは、まずテイル夫人。夫婦仲も悪かったのだから、遺産と合せて二重の利益を得る。それから、クリス。彼は早く遺産を手にして事業を起こしたかった。そしてマーガレット。遺産は手に入るのは勿論、彼女自身が望む相手との結婚もできる ― 」
「三人の内の誰かだと?警部は誰だと思うのかね。」
 ホームズはブラッドストリートを試すように、微笑みながら尋ねた。警部はちょっと首をひねると、
「クリス…ですね。こういうケースはだいたい。」
と呟いたが、表情は冴えない。バッキンガムの様子も気に掛かっているのだろう。
「分かっていますよ、ホームズさん。クリスにはアリバイがある。彼はお茶の後川に戻り、ボートハウスで片付けをしている …もちろん、裏を取ります。それからお二人に会って、一緒に町を一周してからクリケット荘に戻ってきた。それから着替えて、ビリヤードをしている。どうも教授を殺害する機会がない様に思えます。それに…」
 ブラッドストリートは顔を私達に真っ直ぐに向けると、いつもの良く通るきれいな声で言った。
「教授の死に際の言葉が気になりますね。『クーパー』と言い残している。普通に考えれば、犯人の名前ではありませんか?」
「しかし、犯行は右手だ。クーパー君は左利なのだよ?」
 私が言葉を挟むと、警部は頷きながら返した。
「でも、クーパー先生に右手が無い訳じゃない。それに彼はレガッタの選手だったのですよね?あれは両腕を均等に鍛えるスポーツだ。左手での犯行はそれだけで目に付く。わざと右手を使ったとも考えられませんか?」
 ブラッドストリート警部の言う事はもっともだった。ホームズは小さく頷くと、一瞬私を見てから口を開いた。
「確かに、君の言う通りだよ。クーパー君の犯行は否定しきれない。」
「それどころか、リストの上の方にあげておくべきでしょう。被害者が死に際に、必死に伝えようとした言葉。それが『クーパー』であることは、重要な手がかりです。」
「でもクーパー君には動機がない。」
「そうですね。」
 私たち三人はしばらく黙って、それぞれの思考を巡らしていた。しばらくして、ドアの外で足音がした。ドアをノックする音がしたので、警部が入室を促すとさっきの巡査が顔を出した。
 「警部、エリスにメモを渡してきました。すぐに執事と打ち合わせると言っています。」
「分かった。ジョンソン、次の順番の人を連れてきてくれ。」
 クーパーに関する会話はここまでとなった。

 次に入ってきたのは、アルフレッド・ジリング。地元新聞ヘンリー・オン・テムズ・テレグラフの編集者で、レガッタのスチュワードをしている男だ。大柄な彼は若白髪交じりの髪には 不釣り合いな若々しい顔つきながら、決まり悪そうに言った。
「やれやれ、この平和なヘンリー・オン・テムズで殺人事件とはね。」
 警部に指し示された椅子に腰掛けると、彼は手に持っていた上着を膝に置き、少し弱ったような声で言った。
「こんな時に限って編集長が夏期休暇を取っているのです。私はレガッタの仕事があるのでただでさえ忙しいのに。駆け出しの記者に担当させますよ。」
「捜査を妨害するような記事は控えるように、指導しておいてください。」
 警部が苦々しく言うので、ジリングは眉を下げて苦笑した。ジリングは庭で私たちに会った時は調子よく喋り、クリスには軽薄などといわれていたが、こうなるとさすがに神妙な様子だった。
 警部がバッキンガムにしたのと同じ質問をすると、ジリングは顔つきこそ警戒しつつも、迷うことなく答えた。
「クリケット荘には五時過ぎごろ到着しました。馬車で来たのですが、街でハーディ君がてくてく歩いているのを見つけたので、一緒に乗せてね。門を入るとすぐにホームズさんとワトスン先生にお会いしましたから。」
 副編集長が言うので、ホームズと私は揃って頷いた。
「それで、この家に到着すると、しばらくは居間で煙草をふかしたり、新聞を読んだりしていました。そして五時三十分…」
 ジリングはここで私達の顔をぐるりと見回した。そして迷惑そうに言った。
「そんなに期待感一杯の顔で見つめないで下さいよ。分かっています、バッキンガム君のあの様子を見れば、内密に教授の書斎に行った事を白状したのなんて、察しがつきますよ。ええ私も一昨日、教授からの手紙で早めに来るように指示されました。私は五時三十分に書斎に入れという指示だったんです。」
「それで、教授とどのような話を?」
 ブラッドストリート警部が尋ねると、ジリングは肩をすくめた。
「ミス・テイルとの結婚の話ですよ。お気持ちは嬉しいが、と断られました。」
「教授は理由を言いましたか?」
「嫌な事を訊きますね、警部。」
 ジリングは少し眉を寄せたが、渋々答えた。
「私には別にこれと言って難点はないが、肝心のミス・テイルがお嫌とか。それなら仕方ないとは思いますが、もう一度ミス・テイルと教授には考えていただきたいと、申し上げました。」
「それで、教授は?」
「『無駄だと思うがね』と、素っ気無い返事でした。」
「それから、どうしました?」
「それから?いいえ別に何も。書斎を出ました。」
「教授との会見は数分で終わったのですよね?それからビリヤードが始まる七時ごろまでは、どこで何を?」
「また居間に戻ると、バッキンガム君が居て新聞を読んでいました。そのまま私も居間でずっと新聞を読んだり、煙草をやったりしていました。」
 それから、ビリヤードに参加したと言う訳だ。ビリヤードでは一番早く持玉をポケットされてしまったので、ジリングは居間へ行ってブランデーを注いだりしたと言う。
「その時、二階には行きませんでしたか?」
 警部が鋭く尋ねると、落ち着いていたジリングの表情が強張った。
「行きませんでした。私は玉突き部屋の隣りの居間へ、ブランデーを注ぎに行って戻っただけです。廊下越しに、ハーディ君にブランデーは要るかと呼びかけましたから、彼に確認してごらんなさい。」
「そうしましょう。」
 警部はそう言ったが、ジリングの不安は取除かれないらしい。顔つきこそ落ち着いているが、目の表情が不安を表わしていた。私達の顔を見回して、「他には?」と言いたそうだが、警部にもホームズにもこれと言った質問点もない。バッキンガムと同じように、住所を確認してしばらく町を離れないように要請した。
 「そりゃ、離れませんよ。私はレガッタのスチュワードですからね。」
 ジリングは肩をすくめながらそう言うと、食堂から出て行った。



 
→ 8.不動産業者,古文書学者
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主な登場人物

 シャーロック・ホームズ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 探偵

 ドクター・ワトスン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 医者,ホームズの友人

 クーパー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ワトスンの旧友,海軍軍医

 テイル教授 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ クーパーの恩師,クリケット荘の主

 テイル夫人 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ テイル教授の妻

 クリス・テイル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 教授の孫

 マーガレット・テイル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 教授の孫,クリスの妹

 エバンス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ クリスの友人,マーガレットの恋人

 バッキンガム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブリュアリーの営業担当者

 ペリー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 不動産業者

 ジリング・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 新聞の副編集長

 ハーディ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古文書学者

 ブラッドストリート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ スコットランド・ヤードの警部

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