Sherlock Holmes  シャーロック・ホームズ  Pastiche  パスティーシュ

 
         レガッタの街  
  

6.夫人,孫たち,軍医

 ブラッドストリートは、居間にテイル夫人とクリス、マーガレット、クーパー、そして四人の客達を待たせてあったので、順々に食堂に呼び出して、事情を聞こうという事になった。もちろん、ホームズにも同席する。警部はまず先に簡単に居間に行って全員に説明すると言うと、笑いながら付け加えた。
「それに、ホームズ先生のお立場も説明しませんとね。スコットランド・ヤードの協力者という立場を。」
 ホームズと私は先に食堂に入って待つ事にした。警部と関係者を待っている間に、ホームズが言った。
「四通の手紙…四通の手紙か。」
「五通だろ?」
私がメモ帳を繰りながら言うと、ホームズは首を振った。
「いや、四通だよ。体裁に違いがあった。テイル教授は珍しくみずから郵便局に行って手紙を出そうとしたんだ。体裁の違う一通も含めて、何か重要な手紙だったに違いない。それに四通の手紙…興味深い数字だとは思わないかね?」
 そこに、ブラッドストリートが巡査と、そしてテイル夫人を共に入ってきた。
 椅子に腰掛けたテイル夫人は、一見昼間に会った時と別段変ったような様子はなかった。この屋敷で、ついさっき自分の夫が喉を掻き切られたとは、到底思えない。彼女は質問を促すように警部を見据えた。
 「とりあえずのお話を伺いますので、簡単に済ませます。テイル夫人、あなたは今日の午後のお茶の時間、一度居間にいらしてから、晩餐の時間までどこで何をしていましたか?」
 ブラッドストリートの質問に、テイル夫人 ― 未亡人は静かに、落ち着いた声で答えた。
「自室で本を読んでおりました。ですが、少し頭痛がしたので、女中に鎮痛剤を持ってこさせて横になりました。起きたのは晩餐の直前、八時ごろ。それまで部屋からは出ておりません。」
 警部は控えていた巡査に目で合図すると、巡査は食堂から出ていった。女中に鎮痛剤の事を確認しに行ったのだろう。警部は質問を続けた。
「自室でお休みの間、何か気付きませんでしたか?物音や、人影、話し声など…」
「お客様がいらっしゃる馬車の音や、話し声、マーガレットのピアノの音などは聞こえましたが。他は特にありません。」
「そうですか。ええ…個々最近、亡くなった教授に何か変った様子等ありませんか?どんな些細な事でも良いのですが。」
「夫の事は何も存じ上げません。」
「はぁ…」
 ブラッドストリートはポカンとしてホームズをみやったが、ホームズは肩をすくめるだけだった。警部はこれ以上の情報は得られないと判断して、テイル夫人に自室に戻って構わないと言った。

 巡査が次の参考人を呼びに行っている間に、ブラッドストリートは呆れてホームズと私に尋ねた。
「『夫の事は何も存じません』…ですって。どうなっているのですか?」
ホームズは苦笑いをしているので、私が答えた。
「聞いた話ですが、テイル夫妻は長い間不仲だそうです。このクリケット荘内でもまったく交渉を持たないほどの…」
 私が言いよどむと、ブラッドストリートは飲み込み顔で頷いた。
 ドアがノックされ、ブラッドストリートが入室を促すと、マーガレットがクリスの腕によりかかりながら入ってきた。
 まず、クリスが口を開いた。
「済みません、警部。マーガレットだけが呼ばれたとは思いますが、妹は少々気分が悪くて。僕がつきそっても構いませんか?」
 マーガレットは真っ青な顔をして、少し手を震わせている。クリスも顔色は悪いが、落ち着いてはいた。良く喋るのでやや軽率な印象を持たれるクリスだが、妹に対する思いやりはしっかりしていた。
「構いません。どうぞお座り下さい、ミス・テイル。」
 警部が言うと、マーガレットは兄が引いた椅子に腰掛け、クリスは傍らに立った。
「どうも。手短にすませますので。ミス・テイル。今日のお茶のあと、晩餐のために食堂にいらっしゃるまで、どこでなにをしていましたか?」
「家におりました。」
マーガレットは少し唇を噛んでから、そう答えた。
「ええ、ずっと家の中に。お茶が終わってから、すぐにピアノの練習のために音楽室におりました。しばらくピアノを練習していましたが、お客様たちがいらして…そう五時頃だったと思いますが、それでピアノはやめて自分の寝室で本を読んでおりました。」
「その間、誰かに会ったり、テイル教授に会ったりは?」
「祖父を見たのは、お茶の時が最後です。」
「なるほど。」
 ブラッドストリートは頷くと、ちょっと額を抑えてからもう一つ質問をした。
「ミス・テイル。最近、テイル教授に何か変った様子はありませんでしたか?どんな些細な事でも構わないのですが…。」
「私、学校の寮におりますので…ここには一昨日戻ったばかりで、祖父には別段変った事は…。」
 「失礼ですが、ミス・テイル。」
 ホームズが口を挟んだ。祖父の殺害にショックを受けている若い女性に対してなので、努めて優しく話し掛けているのが分かる。
「不躾な質問をお許し下さい。殺人事件となると、どんな事に関連性があるかは分かりませんので…。あなたがヘンリー・オン・テムズに戻ってきてから、テイル教授はあなたの結婚相手について何か言いませんでしたか?」
 ブラッドストリートが「へぇ」とでも言いたそうな表情でホームズを見遣った。クリスは少し表情を曇らせたが、何も言わずに妹の返事を待った。
「いえ…」
マーガレットは少し驚いたような顔でホームズに見入った。
「具体的には何も…ただ…」
「ただ?」
「一昨日、私がこちらに戻って来て祖父に挨拶をしに書斎に行きますと、一言『お前の事で私も心を決めたぞ』と祖父が言いました。私が何の事かと聞き返すと、いずれ話すとだけ…。」
「それは、あなたの結婚に関する事だと?」
 ホームズがもう一度尋ねると、マーガレットは僅かに頷いた。
「祖父は、私に関しては結婚の事しか興味はないでしょうから…。」
 マーガレットに言える事は、これ以上なかった。ブラッドストリートは彼女に休んで構わないと言い、クリスが妹を寝室まで送りに一緒に出ていった。

 クリスが戻るのを待つ間、ブラッドストリートがホームズに尋ねた。
「ミス・テイルの結婚が、何か関連を持っているのですか?」
 そこで、ホームズはテイル家の人々について、知っているだけの事を話した。
 不仲の夫婦。アメリカで病死した息子。莫大な遺産を残された二人の孫。その遺産を自由には出来ない事情。兄は事業を起こしたいが資産を管理する祖父は大反対。妹には愛する男が居るが、祖父が許しそうにないこと ― そして祖父テイル教授が彼女の結婚相手を決めるであろうと言う事情 ―。
 「遺産ですか。」
 ブラッドストリートはメモを取りながら呟いた。
「動機の点では、ここが怪しいですね。その点で行くと、クリス君は…」
 その時、丁度クリスが食堂に戻ってきたので、ブラッドストリートは事情聴取を再開した。
「あなたにも、まずは妹さんと同じ質問をさせていただきます。今日、お茶の時間以降はどこでなにをしていましたか?」
 クリスは椅子には座らず、立ったまま一瞬ホームズと私を見遣ってから答えた。
「僕は午後からずっと、川でボートの練習でした。お客さんがあると言うので、お茶の時間だけ抜け出したので、荷物とかは川のボートハウスに置きっぱなしだったんです。それで、お茶の後は川へ戻り、ボートの手入れや荷物の整理、チームメイトや監督とメンバー調整やら、作戦会議やらで、ずっと川の方へ居ました。」
「彼らは、それを証言してくれますか?」
「ええ、もちろん。五時半過ぎにはもう僕の出る八人漕ぎの選手が引き上げる事になったので、僕も荷物を纏めてあがりました。そうしたら、川岸にホームズさんとワトスン先生がいらしていて。晩餐までもまだ時間があったので、三人でのんびり川縁を散歩したりして、ゆっくり家に戻りました。」
「何時ごろですか?」
「確か…七時少し前でした。」
 ブラッドストリートが私の顔を見遣るので、私はその通りだと頷いた。警部はクリスに向き直った。
「それで、ここに戻ってからは?」
「直ぐに自室でホワイト・タイに着替え、下に降りました。晩餐は八時過ぎからなので、時間が余っていて…それで、ホームズさん、ワトスン先生や、他のお客さん達と一緒にビリヤードをしました。ゲームが終わる頃に丁度晩餐の時間になって、食堂に行ったらあんな騒ぎになって…」
「その間、教授にはお会いになりましたか?」
「いいえ。お茶の時に見たのが最後です。」
「ビリヤードは一時間ほどやっていたのですよね。その間、玉突き部屋を出ましたか?」
クリスはきょとんとしてブラッドストリート警部に見入った。
「ええ…多分出なかったと思いますが…」
「多分?」
「いや、そのカット・スロートをしていて…」
「喉切りですって?!」
「ゲームの名前ですよ。」
 クリスは眉を寄せて、助けを求めるようにホームズを見遣ったが、彼は黙っている。クリスが続けた。
「とにかく、プレイ中はでませんでした。僕の玉がワトスン先生に落とされたのは最後の方で…勝負の行方を見ていましたから。あの…祖父は、ビリヤードをやっていた時間に殺されたのですか?」
「それは、まだ何とも言えません。検死解剖がまだですから。ただ、クリスさん。」
ブラッドストリートは低い声で言った。
「あなたは微妙な立場にあります。事業を起こそうとしていたあなたは、遺産の使い方をめぐってテイル教授と意見がぶつかっていた。そして教授が死んだ今、かねてから望んでいた遺産を自由に出来る事になったのです。つまり ― 動機の点であなたは微妙な立場なのです。お分かりですね。」
「つまり、マーガレットや祖母もですか。」
「まぁ、例外ではありません。」
「馬鹿馬鹿しい。」
クリスは不機嫌そうに呟いた。
「そりゃ僕は祖父とは相性が悪かったから、疑われても仕方がありませんが。祖母やマーガレットに嫌疑をかけるのは的外れですよ。」
「嫌疑が晴れるかどうかは、これからの捜査次第です。…ホームズさん、何かありますか?」
 ホームズはしばらく自分の爪先を見つめていたが、ふと思い出したように顔を上げた。
「クリス、あのライフルだけど。」
「ライフル?ああ、鍵を壊したウィンチェスターですか。」
「君は、使い慣れているのかい?」
「ええ。学校の仲間とよく狩猟に行きますから。この家のライフルとほぼ扱いは同じですし。」
「銃器室のドアだが、鍵は?」
「鍵?開いていましたよ。…あれ?」
 クリスはハタと気付いてホームズに見入った。
「そうだ、変ですね。僕が急いでライフルを取りに行った時、銃器室の鍵は開いていましたよ。室内のケースには鍵が無いので、普段はドアに鍵をかけていたはずです。どうしてだろう…執事が知っているのではありませんか?」

 クリスが食堂から引き取ると、ブラッドストリート警部は怪訝な表情でホームズに尋ねた。
 「ホームズさん、今回の凶器はナイフですよ。銃器室の銃は関係ないと思いますが。」
「凶器としての興味ではないよ。ただ、気になるんだ。今日お茶の時、僕らはあの銃器室のドアに鍵が掛かっていた事を確認している。それが、晩餐の時間には開いていた。不自然だと思わないかい?そこでだ…」
 言いかけた時、ドアがノックされて、次の順番であるクーパーが入ってきたので、ホームズは口をつぐんだ。
 クーパーの証言は非常に簡単だった。お茶の後、彼はあてがわれた客室で仮眠を取っていたのだ。それからは、七時前に私が彼の部屋を訪ねるまでは一度も部屋を出ていないし、教授にも会っていない。
「ビリヤード中はどうですか?」
警部が尋ねると、クーパーは少し考えた。
「そうですね…。僕の玉は最後の方まで残っていましたから。ずっと玉突き部屋に居ましたよ。」
「その時、何か気付いた事は?」
「ありませんね…。」
「先生は、テイル教授とは古いつきあいだそうですが。何かお気づきになった事はありませんか?去年とは違う点とか…。」
「いや。特にありませんね。教授はあまり色々話す人ではありませんでしたから。」
 ブラッドストリートは頷くと、質問を終了した。ホームズも何も尋ねる事はなかったようだ。クーパーはレガッタが終わるまでクリケット荘にとどまるとの事だった。結局教授のあの一言 ― 死ぬ間際に残した言葉については、触れなかった。
 クーパーが退出しようとドアを開けると、外に控えていた巡査が中に声をかけた。
「警部、監察医の先生がいらしていますよ。どうしますか?」
「しまった、もう来たのか。遺体は搬出してしまったからな…。そうだ、クーパー先生。」
 警部はドアの所で立ち止まっているクーパーに呼びかけた。
「申しわけありませんが、監察医に遺体の状況を説明していただけますか?」
「いいですよ。」
 クーパーはうなずくと、巡査と共に退出してドアを閉めた。

 「仮に犯行時刻が七時以降だとすると、クリスにはアリバイがあります。しかし…」
 ブラッドストリートはメモを見返しながらホームズに尋ねた。
「七時以降、七時半前に廊下に出されたポットとカップが偽装だとしますと、犯行はそれ以前とも言えますよね。一見、教授の喉に残っていた傷はあまり大きくはない…長い時間をかけた失血が死因だとすると、正確にいつ切られたのかの断定は難しいのでは?ワトスン先生はどう思われますか?」
「同感だね。今回の場合、お茶の時間に教授が姿を現わした時 ― 四時頃だったと思うが…それから我々が教授の死亡を確認した八時十八分までの四時間の間で、犯行時刻を特定しなければならない。正直言って、難しいね。大量出血のショックで死んだのなら、八時に切られてもおかしくないし、純粋な失血が原因なら四時半や五時に切られたと言う事も有り得る。私が知る限り、この範囲で特定する手段はないんじゃないかな。…ホームズ?」
 私が喋っている間、ホームズは何か考え事をしているようだったが、急に顔を上げるとブラッドストリートに言った。
「警部、巡査に言って銃器を調べさせて下さい。」
「ああ、銃器室の銃器をですか?どうしても気になるんですね。」
「そうさ。クリスがウィンチェスター銃を取り出した収納ケースの中身を、執事か誰かに協力してもらって、確認してもらってくれ。」
「分かりました。」
 丁度、巡査が次の参考人 ― ブリュアリーの営業担当者バッキンガムを連れてきた。



 → 7.営業担当、副編集長
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主な登場人物

 シャーロック・ホームズ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 探偵

 ドクター・ワトスン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 医者,ホームズの友人

 クーパー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ワトスンの旧友,海軍軍医

 テイル教授 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ クーパーの恩師,クリケット荘の主

 テイル夫人 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ テイル教授の妻

 クリス・テイル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 教授の孫

 マーガレット・テイル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 教授の孫,クリスの妹

 エバンス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ クリスの友人,マーガレットの恋人

 バッキンガム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ブリュアリーの営業担当者

 ペリー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 不動産業者

 ジリング・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 新聞の副編集長

 ハーディ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古文書学者

 ブラッドストリート ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ スコットランド・ヤードの警部

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