Sherlock Holmes  シャーロック・ホームズ  Pastiche  パスティーシュ

 
         レガッタの街  
  

5.現場検証と使用人たち

 クロケット荘は晩餐どころではなくなった。テイル夫人,マーガレット,クリス,そして客のバッキンガム,ペリー,ジリング,ハーディは居間に集まった。テイル夫人は無感情な様子で静かに座っている。マーガレットはクリスの肩によりかかって、すすり泣いていた。四人の客人たちは、それぞれブランデーを手にしたり、煙草をふかしたりして、居間はシンと静まっている。
 使用人達は、テイル夫人から教授が亡くなった事を知らされると当惑顔で、台所に集められた。執事が馬丁に言いつけて警察に連絡すると、存外早く刑事がやってきた。知った顔だ。スコットランド・ヤードのブラッドストリート警部である。
 「ここに向かう道すがら、馬丁から聞きましたよ。ホームズさんとワトスン先生が殺人現場に居合わせたなんて事も、あるのですね。」
 背が高く、見事な栗毛ながら少し額のひろくなった警部は、立派な口髭の下で笑顔になりながら言った。いつもの落ち着いたよく通る声で、綺麗な喋り方をする。ホームズが眉を下げた。
 「僕は君がここに居る事の方が意外だがね、ブラッドストリート君。」
 私達は二階の事件現場に立ちあった。教授の遺体はまだ絨毯の上に横たえられたままになっている。現場保存のために、私達は椅子に座る事なく立っていた。
 ブラッドストリートの言う所によると、先週マーロウで強盗事件が発生したらしい。犯人はすぐに捕まったものの、マーロウの留置所から脱走した。すぐに非常線が引かれたのだが、マーロウの西隣町ここヘンリー・オン・テムズには、わざわざスコットランド・ヤードの警部 ― すなわちブラッドストリートが派遣された。
 何せ週末にはレガッタ観戦に王室や貴族の人々が集うのだ。何か間違いがあってはいけない。しかし、マーロウの脱走犯は午前中に無事つかまったらしい。ブラッドストリートはヘンリーの警察署に泊まり、明日の朝ロンドンに戻る予定だった。

 「さて…幸い、ドクターがお二人もいらっしゃるので、早速状況を聞きましょう。」
 ブラッドストリートは私とクーパーに向き直った。すると、クーパーは教授の遺体を覗き込むように、しゃがんだ。私達もそれに倣う。
「死因は恐らく、刃物で喉を切られたことによる失血です。見て下さい。」
クーパーはホームズから渡されたピンセットで、教授の真っ赤になった襟をどけた。
「ワトスンの意見は?」
「同じだね。傷口は頚動脈には達していない。主に気道を傷付けられたと思う。」
「つまり…」
ブラッドストリートは医者二人と、ホームズを見回しながら言った。
「被害者の死亡時刻は午後八時十八分とはっきりしている。頚動脈は無事なものの、気道を切られた失血が原因だとすると、切られてから幾らか時間が経ってから死亡したということになりますか。」
「恐らく。」
私とブラッドストリートが異口同音に答えた。
 ホームズはクーパーから戻されたピンセットで教授の襟をどかせながら、丹念に傷口を覗き込んでいた。それが済むと、遺体の右手やら左手やら、ズボン、靴などを調べてから、ブラッドストリートに頷いてみせた。
 「担架!」
 ブラッドストリートに呼ばれた巡査たちが白い布で教授の遺体を覆うと、担架に載せて運び出して行く。階下でマーガレットが泣きながら何事か騒いでいたが、クリスが宥めようとしているらしい。
「さてと、部屋の状況ですが…。」
 ブラッドストリートはまず南側の窓を調べた。
「鍵がかかっていますね。鎧戸も降りているし…開けても大丈夫ですかホームズさん。」
 ホームズはもう調査済みなので、頷いた。警部はガラス窓を開け、鎧戸を開けると、下を覗き込んだ。「よじ登れるような手がかりはないし、この通りがっちりしまっていたのですから、窓からの侵入は無理ですね。ドアですが…」
 警部は部屋を横切ると、ドアを指差した。
「これ、どうしたんですか?爆薬でも仕掛けたみたいですけど。」
するとホームズが答えた。
「鍵がかかっていて、どうしても開かなかったから止む無くライフルで吹き飛ばしたんだ。ほら、そこの巡査が持っているウィンチェスターさ。」
 ブラッドストリートは部下の巡査が片付けようとしているライフルを見て納得した。
「あの大袈裟な武器はどこから出てきたんですか?」
「この家の銃器室から、クリス・テイル君が持ってきた物だ。」
 ホームズが説明すると、話題になったクリスが下のホールからクーパーに呼びかけた。
「クーパー先生!すみません、ちょっと来て下さいませんか?」
「どうした?」
「マーガレットの気分が悪いみたいなんです。ぐったりしてしまって…」
クーパーが振り返ると、ブラッドストリート警部は頷いた。
「どうぞ行って下さい。ここはホームズさんとワトスン先生に詳しい事をお聞きしますから。」
 クーパーが階下に降りて行くと、私達三人は現場の検証を再開した。
「とは言っても…」
ブラッドストリートが腕組みした。
「私の見る限り、今の所はさほど得るべき物もないと思いますが、ホームズさんはどう思われますか?」
 ホームズはもう一度書斎をぐるりと見回してから、ちょっと右手の人差し指を唇に当てて彼の見解を述べ始めた。
 「まず、自殺ではないと言う事は明らかだろう。あんな下手な自殺の仕方はないからね。(ブラッドストリート警部は深く頷いた。)
 と、なると何者かによる殺人だ。この書き物机を見ると ― 机上の論文原稿に最初の血痕がついたのは間違いない。机上の血痕はかなりの量だ。それから、この椅子の背もたれ,肘のせにも血痕がある。しかし、座面にはない。と言う事は、テイル教授は椅子に座り、机に向かっていた。そして刃物で喉を切りつけられたと考えられる。では、犯人は犯行時どこに居たのか ― 詳しく検死解剖して傷口の角度を調べればはっきりするだろうが、まず机に向かっている人間をこうして ― (ホームズは机の椅子とは反対側に立ち、椅子にむかって腕を伸ばして振ってみせた) ― 机越しに切り付けようとするのは難しい。それよりも (今度は椅子の背後へ回った)こうして、被害者の背後から刃物で喉を掻き切る方が確実だ。
 喉の傷は、体の中央から右方向へ、外に向かって刃が通っていた。この血痕からしても…机上はともかくとして、椅子も右側の方に血痕が多いし、椅子の位置も右側に動いている事が分かる。つまり、犯人が右手に刃物を持ち、背後から教授の喉を切った事になる。
 絨毯に残った血痕を見ると、教授は一旦椅子から落ち、絨毯にうつ伏せに倒れていたようだ。見たまえ(ホームズは椅子のすぐ右脇を指差した。そこには大きな血痕があり、半ば糊化していた)。教授はこの場所に長い間うつ伏せに倒れていたのだろう。そして、助けを求めて、ドアに向かって這いずった。切れ切れになっている血痕がそれを物語っている。
 問題は、犯人がどうやってこの部屋に入ったかだ。窓は閉め切ってある。ドアから入ったと言って間違いないだろう。」
「鍵がかかっていたのですよね?」
ブラッドストリートが尋ねた。
「それは執事が教授を呼びに来た時だ。犯人が入室した時は分からない。まず、考えられるのは教授が尋ねてきた犯人を招き入れた ―」
「待って下さい。犯人は教授の顔見知りだと?」
「恐らく。教授は机に座った状態で切り付けられているんだ。つまり教授はこの椅子に座ったまま、犯人に対面した事になる。立ち上がっても居ないし、これといった抵抗もしていない。もし、教授がドアを開けたのではないとしたら ― 最初から鍵は開いており、犯人は何の苦もなく入室できた。もしくは、鍵がかかっていたとして、犯人がみずから鍵を開けて入室した。この場合は、ますます教授が犯人に対して警戒心を持っていなかった事になる。」
「合鍵についてはご存知ですか?」
「執事は合鍵があるといっていたが、無くなっているらしい。」
 ブラッドストリート警部は眉を寄せ、細かく頷いた。
「なるほど。それは怪しげな話ですね。まず、使用人達から話を聞きましょう。台所に集めていますので。いらっしゃいますか?」

 「その前にもう一つ、机の上のものが少し気になるな。」
と、ホームズは血痕でベタベタになっている、教授の書き物机の上を指差した。警部と私が回り込んで、ホームズの両脇から机上を覗き込むと、ホームズの指差す所に粗末な紙のメモ用紙があった。ブラッドストリートが手袋をした手でメモ帳を取り上げた。
 「これは…日常的なメモですね。後ろ側に折り込まれているのは、多分過去のメモでしょう。ああ、その日にある事、やる事をメモしているんじゃありませんか?」
 ブラッドストリートが後ろに折り込まれたページを繰った。なるほど、『原稿送付』や、『推敲』などが走り書きされている。クーパーがクリケット荘に来る日だったのだろう、『C来る』と書いてあるページもある。
「書いた本人にしか分からないメモもありますね。…たとえば…『eight, last C3.5:O2.7』とか『2past C4:O2』とか…何の記号でしょうかね。その下には…『four, last WA2.5:other7』、『2past WA8:other3.5』…生物学者ってこういうメモが必要なものでしょうか。どちらかと言えば数学者っぽいですな。」
 私はブラッドストリートがそういう間に、メモの内容を書き写したが、確かに不可解なメモだった。ところどころ血で汚れているが、読めないというほどではない。
「それで、さっき一番上になっていたページは?」
私が促すと、今度はホームズが読み上げた。
「『原稿』、『客』…これは僕とワトスンの事だね。それから…『晩餐』…」
「そこまでは今日の出来事で分かりますが、また分からないのが出てきましたよ。」
と、警部が首をかしげた。
「なんでしょう、この『5 / Q / H / 6』って…?」
 ホームズはメモを覗き込んだまま、黙っている。左手を腰に当て、右手の人差し指を唇につけたその仕種は、何か考えて込んでいる様子だった。しかし、私がメモの内容を書き写し終えると、僅かに首を振って、メモから視線を外した。
 それを察したブラッドストリートは、メモを机上に戻した。
 「ともあれ、関係者に話を聞けば、メモの内容も分かってくるでしょう。下に降りましょうか。」
 ブラッドストリートはそう行って出て行こうとする。私は彼を引き止めた。
「ちょっと警部。気になる事があるのだが…」
「何です、ワトスン先生。」
私は警部に合図して、ホームズの傍に来させ、小声で説明した。
「テイル教授が事切れる直前、彼は必死に私に何かを言おうとしていた。」
「おお、それはいわゆるダイイング・メッセージですね?何と言ったのです?」
「一言、『クーパー』…と。」
「クーパー?さっきのお医者さんですよね?ワトスン先生のお友達の…」
 警部は私とホームズの顔を順々に見回した。
「その…確かなのですか?『クーパー』と言ったというのは。」
「確かだ。僕も聞いた。」
 ホームズは表情を変えずに言った。
「そうですか。つまり…どう言う事でしょう。被害者が言いたかったのは、『犯人はクーパーだ』…と?」
「私をクーパーだと思い込んで、呼びかけたのかもしれない。」
「もしくは、クーパー君に何か言いたかったのかも。ともあれ、ブラッドストリート警部。テイル教授の喉を掻き切ったのは右手だ。さて、クーパー君の利き手は?」
私がホームズの問いに即座に答えた。
「左だ。彼は左利きだよ。」

 二階の書斎には、現場保存のために巡査が詰めているので、ブラッドストリートはホームズや私と共に一階の台所で使用人達から事情聴取をした。
 クリケット荘には、執事夫婦を筆頭に、馬丁、庭師、女中が住み込んでおり、みな一様にとまどった表情だった。テイル教授はお茶の時に一度居間に顔を出したが、それ以降教授に会った者はなかった。普段から、執事以外の使用人とはほとんど交流がなかったらしい。とりあえず執事以外は全員、寝室のある離れに戻した。
 ブラッドストリート警部が執事に改めて尋ねた。
 「テイル教授は今日、お茶の時間に一回居間に顔を出しているが、その後の事で何か分かるっている事はすべてここで証言してくれ。」
 すると執事は、頭の中で確認しながらなのか、ゆっくりとした口調でこう述べた。
「お茶の時間にお客様にご挨拶をしに降りていらした旦那様は、控え室に居りました私に、お茶を書斎に持ってくるように命じました。そこで私は台所へ行き、盆に小さなポットとカップを載せ、二階の書斎へお届けしました。書斎に入ると教授は机で書籍を見ていました。私はお茶を机の上に置くと、すぐに退室しました。その後、旦那様のお姿は見ておりません。」
「教授は部屋を出てはいないのか?」
「ええ、私の知る限りは。」
執事は警部の質問に頷いた。
「旦那様は午後はほとんど書斎にこもって、執筆するのが日課でした。集中したいので、客とも面会したくないとおっしゃって。ですから、夕飯の時間になると、私がお呼びしに行くのです。ああ、でも…教授はドアの外にポットとカップを置いたと思います。」
「飲み終えた紅茶の?」
「はい、そうです。旦那様は使い終わった食器を傍に置いておくのがお嫌いでしたので、飲み終わるとご自分でドアの外の廊下に置いておく習慣でした。私どもが気付いた時にそれを下げるのですが。」
「今日も、置いてあったのかい?」
この質問はホームズが発した。やはり執事は深く頷いた。
「はい。置いてありましたので、私が下げました。」
「それは何時ごろだい?」
「さぁ…」
 執事は少し考えたが、やがてまた口を開いた。
「今日は少し遅かったですね。お客様たちや、クリス様がビリヤードをするために玉突き部屋に入った時、私はシェリーのデカンタとグラスをお持ちしたのですが、その時ホールから二階の廊下を見るとまだポットもカップもありませんでした。その後、私はしばらく台所で晩餐の準備に入っていましたが、そろそろ食堂のテーブルを準備しようと台所から出た時、ポットとカップが盆に載った状態で廊下に出ていました。時刻は…恐らく七時半ごろだと思います。ホールの置き時計が鐘を一つ打っていましたから。」
「ビリヤードを始めたのは、何時ですか?」
 ブラッドストリート警部がホームズに尋ねると、ホームズは何か考え込んでいて、質問を聞き逃したらしい。私が代わりにメモを取りながら答えた。
「確か、七時ごろからだ。晩餐が始まるまでまだ一時間ほどあるから、玉突きでもしようと言う事になったからね。」
「なるほど。ビリヤードが始まって三十分以内に、カップとポットを廊下に置いたのか。」
 警部も何か考えているようだったが、執事への質問を優先した。
「それで、七時半頃にポットとカップを下げた時、書斎のドアに鍵がかかっていたかね?」
「分かりません。ドアには手をかけていませんから。」
「そうだろうね。ドアの鍵は、いつもどうする習慣だった?」
「鍵については、掛けたり掛けなかったり…掛けないことの方が多かったですね。ごく稀に掛けるとしたら、書きかけの原稿を触られなくない時に、旦那様が自分で鍵を掛けて部屋を出るときぐらいでした。お部屋に居るときは掛けませんでした。」
「教授は自分の鍵を持っていたんだな?」
「はい。いつもお机の上においていたと思います。」
「ふむ。それが無くなっているな。合鍵も無くなっていると言ったな?」
「ええ、そうなんです。あそこに…」
執事は台所の壁に掛かっているキー・ボックスを指差した。
「あそこに、この屋敷の合鍵がすべてあるのですが、さっき取りに来たら無くなっていたのです。今朝は、確かにあったのですが…。」
「無くなっているのは、書斎の鍵だけ?」
「いえ、この家の合鍵はほとんどすべてを一つに束ねて、保管してあったのです。その束ごと、なくなっています。」
 ホームズは眉を上げ、少し鼻から息を吸い込むと空中を睨みながら何事か考えが発展しているようだった。しかし黙っているので、警部が引き続き質問をした。
「合鍵はよく使うのかね?特に書斎は…」
「いいえ。旦那様の書斎に関してはほとんど使った事がございません。」
「なるほど。ところで、この家に招かれた客たちの様子だが、君の奥さんは女中と一緒に台所仕事だったし、馬丁と庭師は二人で馬の世話をしていたから、お茶以降はテイル家の人々と、客達の様子は見ていない ― 君はどうだね?」
 すると、執事は困ったように眉を下げた。
「お恥ずかしい話ですが、このクリケット荘ではあまり使用人はお客様に構いませんので…お茶を差し上げた後は、お客様にはお好きに過ごして頂いております…。私はお茶の時間から玄関脇の控え室で帳簿つけや、出入り業者の請求書整理などをしておりました。五時ごろからお客様たちが相次いでいらっしゃいましたので、玄関でお迎えして以降は、特に気にしませんでした。皆さんがビリヤードをなさっている間も、最初にシェリーをお持ちした以外は晩餐の準備に掛かりっきりでしたので。」
「家族か、客の誰かが、教授の部屋に入ったのには気付かなかった?」
「気付きませんでした。」
ブラッドストリートは残念そうに小さく息をつくと、ホームズに向き直った。
「私からは以上ですが、ホームズさん何かありますか?」
 すると、ホームズが執事に尋ねた。
「ここ最近、教授に変った事はないかね?」
「変った事ですか?」
「そう、初めての訪問者があったとか、普段はあまりしないような事とか…どんな些細な事でも構わないのだが。」
「そうですね…」
 執事は考え込んだ。
「旦那様はいつも決まりきった毎日でしたから…クリス様とマーガレット様が先日お戻りになっても、何も変らず…そうですね、ああ。そう言えば三日前にお手紙を出されました。」
「手紙?普段は出さないのかい?」
 ホームズが私に向かって人差し指を上げてみせながら言った。メモを漏らすなという意味だ。
「いえ、まったく出さない訳ではありません。でも、頻繁と言う事もなく。大学や、論文の出版社、それから新聞に掲載する小さなコラム記事などについては、手紙を時たまお出しになりました。普通は私がまとめて投函するのですが、三日前はご自分で投函しに行かれたのです。」
「自分で?」
「ええ。お昼過ぎに私が玄関を通りますと、丁度旦那様が手に持った封筒を数えながら出て参りました。私が『他の物と一緒に投函しましょう』と申し上げますと、『いや、散歩がてら自分で行ってくる』とおっしゃり、そのまま出て行かれました。普段、お庭以外はあまり散歩にも出られないので、珍しいなとは思いましたが…。」
「数えながらと言ったね。その手紙は何通あった?どんな手紙だった?」
「五通です。それは確かです。数えていらっしゃいましたし。そう…いつもお使いの白い封筒で、別段これという事はございません…ただ、四通は同じような体裁に見えましたが、一通だけはちょっと…雰囲気が違いました。」
「雰囲気?」
 ホームズが囁くように聞き返した。
「ええ。四通には通常サイズの封筒でしたが、もう一通だけは論文を送る時などに用いる、大きくて厚みのある封筒でした。他の四通とは別物…という感じでした。」
ホームズはなるほど、と言って指を唇にあてて少し考えたが、他には何かと尋ねても執事は何もないと言うので、この事情聴取は打ち切りとなった。

 執事が台所が出ていくと、ホームズとブラッドストリート警部、そして私は同時に声を発した。
「七時半!」
 しかも三人とも同じように眉をつり上げている。そして一斉に大きく息を吐くと、警部がホームズに勢い込んでいった。
「七時にビリヤードが始まった時は廊下にポットとカップは出ていなかった。そして、七時半に執事が廊下にポットとカップは発見した。つまり、少なくとも教授は七時の時点で生きていて、半までにカップとポットを廊下に出している。犯行時刻は七時以降にカップとポットを教授が廊下に置いてから、皆さんがドアを破った八時十五分ごろまでの間と言う事になる!」
「そう見えるね。」
 ホームズが冷ややかに言うと、ブラッドストリートは僅かに首を振りながら続けた。
「ポットとカップは犯行時刻を誤魔化すための偽装だとおっしゃるのですか?」
「可能性はある。」
「でも、ホームズさんとワトスン先生、クーパー先生、クリス・テイル、それから四人の客…(警部はメモを繰った)…バッキンガム、ジリング、ペリー、ハーディの八人は全員玉突き部屋に居たのでしょう?二階に上がって書斎前の廊下にポットとカップを置く事は出来ませんよ。外部からの侵入者が、教授の生活習慣を把握していたとは思えないし…もしくは孫のマーガレット嬢か、テイル夫人が…?それとも、執事が嘘を言っているとおっやるのですか?」
 ブラッドストリートは持ち前の美声で喋るので落ち着いているように見えるが、実の所状況把握は多少混乱しているらしい。ホームズは警部の肩を軽く叩いた。
 「まぁ、その辺りの検討は各人から事情を聞いてからにしよう。何か分かるかもしれない。」


 → 6.夫人,孫たち,軍医
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