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         チェスナット荘の殺人 
  

7.チェスナット荘の夕暮れどき  ドクター・ワトスンの観察 その2

 お茶会が終わると、チェスナット荘の人々と入れ替わりに、庭から回ってきたホプキンズが、居間に入ってきた。彼は手帖をポケットに押し込みながら、新しい収穫は無いといった。ただ、レン氏の顧問弁護士トゥルーマン氏がバリーズベリーに到着するという知らせがあったらしく、親切にも警官を迎えにやらせていた。
「先生はどうですか?何か収穫はありましたか?」
 ホプキンズは期待を持って私に尋ねた。
「いや。べつにこれといって特別なことはないね。ダイアナだけは犯人を確信しているようだが。」
「ああ、イライザとバリー・ジョンソンですね。確証もなく感情論でそう言っているようですが…意外と真実を突いていたりするのでしょうか。」
「さぁ。」
 私は居間に残ってソファに腰掛けたまま、ぼんやりとフランス窓に目をやった。あいかわらず、レースの向こうに、巡査が突っ立っている。ホプキンズが私の向かいに腰掛けた。
「ホームズさんは、動機が一番強い人物が犯人だと確信していますが、たしかに遺産相続面での動機だとすると、イライザとジョンソン親子にはそれがない。でも、やはり恨みというのも重要な動機ですよ。イライザを見ましたか?ダイアナには散々ひどい事を言われながら、平気な顔をして受け流しているじゃないですか。意外としたたかなのかもしれませんよ。・・・ワトスン先生?」
 私の視線がフランス窓の外の庭へ釘付けになった。背の高い若い紳士が庭に現れ、声をかけようとする巡査を無視し、窓に向かってくる。ホプキンズも私の視線を追って、それに気づいた。
「ああ、うわさの男ですよ。バリー・ジョンソン。戻ってきたんだ。つかまえましょう。」
 ホプキンズは立ち上がり、フランス窓を開けて外の紳士に声をかけた。

 フランス窓から入ってきた背の高い若い男 ― バリー・ジョンソンは、彼を見た誰もが言ったとおりの、美男子だった。なんといっても目を惹くのは、長い睫毛とその下に濡れたように輝く瞳の美しさだった。表情はやや不機嫌そうで、女性にはそういうところが人気があるのだろう。服装はこれといって高そうなものを着ているわけではないが、こざっぱりとして、粋に着こなしている。帽子を取り、コートを脱ぐ手の形の美しさが、ひどく印象的だった。
 しかし、居間に招き入れたホプキンズに対しては、心底面倒くさそうな様子だった。
「まだ何かお話でも?」
歌手のように美しい声をしている。ホプキンズは肩をすくめた。
「ええ。それよりジョンソンさん、殺人の捜査中なのです。勝手に外出しないで下さい。」
「ちょっと電報を打ってきただけじゃないですか。」
 そう抗弁しながら、ジョンソンは、私をうろん気に見やった。私は手を差し出しながら自己紹介した。
「ドクター・ワトスンです。」
「どうも。」
 ジョンソンは特に表情を変えることなくうなずいた。
「そろそろ登場すると思いましたよ。シャーロック・ホームズさんはどこです。」
「こちらにはまだ。私が代わりにお話を伺いたいのです。」
 ホプキンズが憮然として割り込んできた。
「それより、ジョンソンさん。どこへ電報を?」
「しつこいですね。仕事仲間ですよ。これでも仕事に忙しいんでね。同僚にしばらく仕事に集中できそうもないから、色々たのんできたんですよ。」
 ジョンソンはそう応えながら、さっきまでベッドシャムが座っていたソファにドサっと座った。そしてすっかり冷えてしまっているポットを取り上げると、無造作に空いているカップにお茶を注ぎ、何も足さずに一気に飲み干した。そして、挑むようにその美しい顔を私に向けた。
「それで?何か用ですか?ぼくの身なりを観察しただけで、殺人の証拠でも?シャーロック・ホームズさんならたちどころに見つけ出すとか?もう鳥類学者ごっこも終わりでしょうから、拝聴したいですな。」
「ホームズが来たら、すぐにお引き合わせしますよ。私からは、つまらない質問をさせてください。」
 私は目一杯にこやかな笑顔を作り、仰々しく手帳を開いた。相手が人を食ったような態度で居る以上、こちらもあまり慎み深く居る必要もないだろうし、そもそもなんとなく腹が立ってきた。
 「事件の夜は夕食後、バーボンを少し飲んで、十一時過ぎに寝室に引き取ったそうですね。その後、朝の騒ぎまで目を覚まさず、特に物音も聞いていないとか。」
「そうですよ。」
「レンさんを殺す犯人にも心当たりがない。」
「ないですね。」
 ジョンソンは左袖について塵を右手で払うようなしぐさをしながら、適当に答えた。
「あなたが犯人だと思っている人が居ることに関しては?」
「ああ、知っていますよ。私と母が犯人だというのでしょう。くだらない。話になりませんね。レンさんを殺して、私たち母子に何の得があるって言うのです。」
 ジョンソンは動じる様子もない。私はさらに肉薄した。
「このチェスナット荘で暮らすのは、居心地悪くありませんか?」
 背後で、ホプキンズが息を飲む気配がした。ジョンソンの右手が止まった。そしてちらりと視線をあげて私を見ると、最後の一つの塵をゆっくりはらい、おもむろに顔を上げた。
「なるほど、さすがに戦地帰りの軍人だ。はっきりした物言いですね。」
「恐れ入ります。」
「いいですよ。」
 ジョンソンは体を起し、姿勢を正して座りなおすと、前かがみになって、挑むような目つきで答えた。
「疑問はごもっとも。母が先代と結婚したときから、この家では母も私も歓迎されざる住人でしたよ。しかも、先代が亡くなった後も、いい歳して母にくっついてチェスナット荘にずうずうしく住みつけば、誰だって不思議に思うでしょう。
 いいですか。まず第一に、私は周りの人間がなんと言おうが、気にしない性質です。第二に、ここに住んでいれば家賃が浮く。経費が浮く。経済活動っていうのは、そういうものです。貿易の仕事に行くにも、週に一度事務所に行けばよいのだから不便はないし、そもそも世の中には電信って便利なものがある。第三に、私はこのたび亡くなったレンさんには、事業における資金援助をしてもらっていたんだ。それを繋ぎ止めるためにもそばに居たほうが良い。第四に、母を、こんな悪意に満ちた家に独り残す気にはなりませんからね。どうです?以上がこの針の筵のごとき屋敷に私が住む理由です。ご満足ですか?」
 ジョンソンは私の反応も確かめずに立ち上がると、帽子や手袋を持って、さっさと居間から出て行った。
 残されたホプキンズと私は、唖然として顔を見合わせた。
「うわぁ、訊く方も訊く方ですけど、あのジョンソンの答えも凄いですね。いちいちそりゃ違うと反論したくなりましたよ。」
「でも、一方で正論でもあるな。」
 私は苦笑しながら立ち上がった。美男のバリー・ジョンソンは、単純な男ではなさそうだ。

 チェスナット荘のおもだった住人の中で、私が話を聞いていないのは、ダイアナの弟で、弁護士のオスカー・ウェストマンだけだった。ホプキンズによると、彼はレン家の法律書類を確認するために、書斎にこもっており、お茶は辞退したとのことだった。
 もともとウェストマンは先代のジョン・レン氏の遺産相続において活躍したのだが、殺された当代レン氏の遺言は預かっていない。それは今まさにロンドンからバリーズベリーに向かっているトゥルーマン弁護士が持っているはずだ。ともあれ、レン氏ほどの裕福な名士が突然亡くなったとなると、面倒な法律上の手続きが必要だろう。ウェストマンはそういった煩雑な作業を円滑に行うための準備をしているとの事だった。
 私を従えたホプキンズがウェストマンの書斎のドアをノックすると、入るように促された。それは、書斎と言っても元々は寝室だったのだろう、小さな部屋だった。チェスナット荘の主人の書斎ではないので、ウェストマンはこの程度で満足しているらしい。ホプキンズが、その小さな書斎の主に声をかけた。
「ウェストマンさん、良いですか?こちら、ドクター・ワトスンです。捜査に協力していただいています。」
 デスクの向こうに座っていた青年が、立ち上がった。色の浅黒い人物だと聞いていたが、窓を背にしているため、その表情はさらに暗い。しかし、声は明るく、はきはきとしたものだった。
「はじめまして、ドクター・ワトスン。ウェストマンです。お会いできて光栄です。今度の事件、シャーロック・ホームズさんが捜査に加わってくださるそうですね。さっき、姪たちが楽しそうに報告しに来ましたよ。心強いです。よろしくお願いします。」
 私は差し出された手をデスク越しに握り返した。
「この度はご愁傷様でした。ホームズは所用があって、まだこちらには来ていないのです。」
「いらしたら、ぜひご紹介ください。」
 ウェストマンは少し笑って、私とホプキンズに椅子をすすめながら腰掛けた。
「それで刑事さん、まだ何かお聞きになりたいことが?」
「いえ、ドクターが少し。」
 ホプキンズが促すので、私は手帳を開きながらたずねた。
「事件当夜のことは、ホプキンズ君から聞いています。栃の実が屋根に当たるような音と、姪御さんたちが夜中に廊下に出て話していたのをお聞きになった以外は、特に何もなかったそうですね。」
「ええ。」
 ウェストマンは特に表情を変えることなくうなずいた。
「では、やや立ち入ったことをお聞きします。レンさんの遺言のことなのですが…」
「残念ながら、私の管轄ではありません。トゥルーマン弁護士に聞いていただけますか?」
「レンさんが新しい遺言書を作成なさっていたことは、ご存知でしたか?」
「いいえ。」
 ウェストマンはため息をつきながら背中を背もたれにあずけた。
「私は知らなかったのです。事件のあと、刑事さんから聞いて初めて知りました。アイリスとベッドシャム君に確認したら、その通りとのことで、驚きましたよ。」
「しかし、レンさんがサインをする前に殺されてしまい、新しい遺言書は無効になりましたね。」
「ええ、そう聞いています。」
 私が観察した限り、ウェストマンに特に何かを隠しているような気配はない。彼は続けた。
「しかし、新しい遺言書であっても、姪たちにきちんと遺産が行き、このチェスナット荘を守ることが出来るような内容でしょう。私はレンさんの人柄をよく理解していますから。」
 私はふと、新しい遺言書の内容で疑問に思っていた件について、ウェストマンの意見を聞いてみようという気になった。しかし、私が口を開く前に、ホプキンズが私と同じ疑問を持っていたらしく、口を開いた。
「新しい遺言書と、従来の遺言書の違いは、アイリス嬢と、ベッドシャム君の相続についてですよね。」
 にわかに、ウェストマンの表情が曇り、心配そうな目つきで訊き返した。
「ええ、アリリスとベッドシャムくんからそう聞いています。」
「従来の遺言だと、アイリス嬢は無条件で財産の三分の二を相続できます。しかし、新しい遺言書では、アイリス嬢がベッドシャム君と結婚することが、その条件に加わりました。もし、結婚しないとなったら、遺産は三分され、アイリス嬢、マグノリア嬢、そしてベッドシャム君で分配されることに。レン氏がベッドシャム君を息子のように思っていたというのは、分かりますが、結局アイリス嬢とベッドシャム君は結婚の約束をしているのだから、わざわざ条件を加える必要は無いと思うのです。どうしてこんなことをしたとお思いですか?」
 ウェストマンは眉をしかめ、何か思いつめたような表情になった。彼はしばらく考えていたが、長く息を吐き出し、声を潜めるように言った。
「それは…アイリスとベッドシャム君の仲を裂き、財産を横取りするような不届きな男が、アイリスを奪うような挙に出ることを危惧したのでしょう。」
 私が慎重に尋ねた。
「レン氏がそのような事態を心配するような状況にあったのでしょうか?」
「ありません。」
 ウェストマンは低い声だが、即座に否定した。
「アイリスもベッドシャム君も互いに愛し合っていますから、その心配はありません。なんといっても、アイリスはバリーズベリーとチェスナット荘を何よりも大事にしています。それを人に奪われるような真似は、決してしないでしょう。」
 小さな書斎に、しばらく沈黙が訪れた。あきらかにウェストマンの気持ちは重苦しいものになっている。私にはウェストマンの言葉の裏には、何か彼にとっての満たされない気持ちがあるような気がしてならなかった。そう思ったとたん、私はウェストマンもまた、独身の好男子であることに気づいた。ダイアナの十二歳年下の弟である弁護士は、信頼されていたレン氏亡き後、どうするのだろうと気になった。すると、ウェストマンは私の心を読んでいるかのような反応を示した。
「私はレンさんに雇われてここに住んでいたようなものです。しかし、レンさんがこんな形でお亡くなりになった以上、私はもう用済みです。」
「でも、妹のダイアナさんや、姪御さんたちには信頼されているでしょう。」
 私が言っても、ウェストマンは首を振った。
「今回の件における相続事務に片がつけば、私は用済みです。前から考えていたのですが、以前のようにバースに戻って、また一般民事の仕事に就こうと思っているのです。無論、今すぐというわけではありませんが、いずれ…」
 ウェストマンは言葉をしめくくることなく、ぼんやりと窓の外に目をやった。別に何か目をひくようなものがあるわけではない。ただどんよりとした曇り空があるだけだった。
 私は、ホームズが「鳥類学者ショーン・ヒープス」としてチェスナット荘のお茶会に参加したとき、彼がウェストマンに対して持った感想を思い出した。ホームズが見たところ、ウェストマンはアイリスに愛情を抱いている。私は今、目の前で黙りこくってしまった男を観察しながら、ホームズの見解は誤っていないと思った。ただ、これもホームズと同意見だが、ウェストマンのアイリスに対する愛情は、彼女を手に入れたいという強い欲求ではなく、もっというなれば ― 高貴な ― 中世の騎士が高貴な女性に捧げるような無償の愛に近いような気がした。
 もしかしたら、ベッドシャムはウェストマンのそういう気持ちに気づいており、アイリスにさきほどのように「結婚に関してはアイリスの思うように」といったことを口にしたのかもしれない。何にせよ、彼らはいずれもアイリスに対して、彼らなりの愛情を抱いているのは確かなようだった。

 その後、私はホプキンズに案内されてチェスナット荘の使用人たちとも話してみた。
 殺人のあった夜については、有用な情報を引き出すことは出来なかった。誰もが上の階で寝入っていたし、物音といえば風と、栃の実が屋根に当たる音だけ。アイリスとマグノリアが階下におりたことも誰も気づかなかった。そして執事のチャントは、当主のレン氏が最後まで一階の居間にとどまり、フランス窓の戸締りをするというのが、普段の習慣だったことを繰り返し説明した。
 私はそれを聞きながら、チャントはこのレン氏の習慣を知っていたものが犯人だと暗にほのめかしているのだと思った。独りで夜中までフランス窓のそばでタバコを吸っているというレン氏の習慣を知った上で、彼を撃ち殺したという仮定だ。
 チャントに限らず、使用人たちによれば、この屋敷での生活は規則正しく、いつも判でおしたように同じことの繰り返しだと言う。むろん、使用人たちもこの屋敷の住人の習慣は熟知しているのだから、彼らにも殺人は可能だろう。ただ、チャントをはじめとした彼らは暗に、イライザとジョンソンの親子が、レン氏の習慣を知った上で、殺したのだと仄めかしているということは、はっきりしていた。
 そして、彼らは一様に二人の姪― アイリスとマグノリアを愛しており、彼女たちが無事にレン氏の財産を相続し、このバリーズベリーを末永く治めて欲しいという強い希望を持っていた。それは、私が使用人たちに主人の不幸の見舞いを述べると、礼とともに、かならず「アイリス様が居れば大丈夫です。マグノリア様もあれでしっかりしていますし」という、答が返ってきたことからも分かる。

 私はホプキンズと、最初に入った玄関ホールにもどってきた。もう屋敷内には用も無いので、チャントから帽子や上着を受け取り、二人して外へ出た。
「さてと。ワトスン先生、いかがですか?何か参考になりましたか?」
 ホプキンズが言った。もうだいぶ日が傾き、夕暮れ時を迎えていた。
「さぁ、どうだろう。犯人像につながる材料が増えたとも思えないし…まぁ、ホームズの意見を聞いてみるさ。」
 そのとき、門のほうから馬車が近づいてきた。玄関先に止まると、私たちの目の前に恰幅の良い、中年の男性が降りてきた。持っているかばんで、すぐに医者だと分かった。この医者はホプキンズを見るなり、少し微笑んで見せた。
「やぁ、刑事さん。どうですか、捜査は進展しましたか?」
「こんにちは、メインホルム先生。残念ながら新しいことは何も。ご紹介します、こちら、ドクター・ワトスン。捜査の協力者です。」
「はじめまして。ご本は読んでいますよ。」
 メインホルム医師はにこやかな顔つきで、私に手を差し出した。そういえば、最初にレン氏が命を狙われているのではないかと心配して、ホームズに相談をした事を知っていた数少ない人物は、アイリスと、ベッドシャム、そしてこの主治医のメインホルム医師だった。だからこそ、私の名前を聞いただけで、ホームズの本を書いている医者だと分かったのだろう。
 ドクター・メインホルムは、通常の診療を終わらせたあと、チェスナット荘の婦人方の様子を見に来たのだという。私は、その前に少し話ができないかともちかけると、相変わらず愛想の良い顔で快諾した。ホプキンズはまた部下報告のとりまとめと、ロンドンへの途中経過報告のために、私を残して屋敷の中へ戻っていった。そこで、私はメインホルムと連れ立って庭に出ると、一番奥にあるあずま屋に彼を誘い、ベンチに腰掛けて話してみることにした。

 広い庭の端にあるしゃれた白いあずま屋から眺めてみると、夕焼けに映えるチェスナット荘は穏やかにたたずみ、平和そのものだ。周りを見回っている巡査の姿さえなければ、ここが殺人の現場になったとは想像すら出来ないだろう。
 「ご婦人二人に処方されているのは、同じ睡眠薬ですか?」
 私が尋ねると、メインホルムは即座にうなずいた。
「ええ、二人とも不眠症になやまされているからね。」
「でも、特に悪いところもなさそうですが。」
「そうですよ。」
 メインホルムはにやりと笑いかけた。
「ダイアナもイライザも、健康そのものだが、あの年齢の女性にはありがちの気鬱でね。特にダイアナがひどい。でも、それだけのことであとは夜ちゃんと眠り、食事をして、だらだらと喋っていれば大丈夫。」
「つまり、二人とも睡眠薬を服用して眠っているわけで…夜中の物音には気付かなかったというのは、本当のようですね。」
「ええ、そうでしょう。二人とも同じ量の薬ですし、熟睡していたと思いますよ。」
 ダイアナはあのようにイライザを忌み嫌って悪口を言っているが、医者に言わせれば同類ということになる。私はちょっと可笑しくなって、顔を伏せた。すると、メインホルムが口を開いた。
「レンさんがシャーロック・ホームズさんに相談してみると言って、アイリスやベッドシャム君とロンドンに行ったことは知っています。その時、ドクターもいらしたのですか?」
「いえ、私は出ていたので、レン氏にお会いしたことはないのです。」
「そうですか…」
 さっきまで愛想良く笑っていたメインホルムだが、殺人被害者となった患者のことを思うと、さすがにつらそうな表情になった。
「良い人でしたよ。このバリーズベリーの人々にも好かれて。」
「長いお付き合いでしたか?」
「ああ。私が学校を出て、親の診療所を手伝うようになった頃から、診ていたからね。」
「何か既往症はあったのですか?」
「いや、別段深刻なものは特になかった。ただ、あの年代の人なら珍しくない、不整脈があったがね。」
 私は手帳の最初の方を繰ってみた。
「最初にレン氏が命を狙われて居るかもしれないと危惧したのは、夕食後のスコッチにアヘンを盛られた時ですね。その時、診療したのがメインホルム先生だったそうですが。」
「そのとおり。」
 メインホルム医師は緊張した面持ちでうなずいた。
「アイリスとベッドシャム君からの連絡で、すぐにチェスナット荘に来てくれといわれて。レン氏の具合が悪いということで。私が診たときはもう、だいぶ落ち着いていたが。心臓だな。しかし、私は心臓に疾患のある人がアヘンをやったときの症状に似ていることに気付いた。」
 私もうなずいた。これはよくある話で、私も何度かそういう患者を診たことがある。メインホルムが続けた。
「たまたま、レン氏が飲んでいたスコッチが少量残っていたので、匂いと味をみたが、やはりアヘンだったようだ。誰かが故意に盛ったのだよ。」
「しかし、警察には通報しなかったとか。」
「ええ、私は通報を薦めたが、レン氏が嫌がりましてね。アイリスやベッドシャム君も心配していたのだが、結局シャーロック・ホームズさんに相談することになったと。そのことも秘密にしておいてくれと、頼まれましたよ。」
「実際、秘密にされましたか?」
「ええ、もちろん。アイリスやベッドシャム君とも、その後この件については話していないし。」
「そして、とうとうレン氏が射殺されるに至った…。」
「ええ。」
 メインホルムは短く答えて黙り込んだ。
 そろそろ、日が沈み、辺りが暗くなってきた。手帳を見ても、暗くて読みにくいだろう。しかし、私はレン氏の遺体の状況を覚えていた。
「犯行時刻は、夜十一時から一時くらい。デリンジャーで二発。一発目は胸を反れ、致命傷にはならず。かなりの出血があり…つまり、一発目を受けてから、レン氏はしばらく生きていたということですよね。」
「そう。意識は失っていたと思うが。」
「そして、額に二発目。これが致命傷ですね。」
「嫌な話ですよ。一発目を撃った犯人は、しばらくレン氏を放置して、かなり経ってから、もう一発撃った。悪魔の所業ですな…」
 太陽が沈み、辺りが暗闇へと変わっていく。あずま屋の中にうずくまったメインホルム医師の表情は読み取ることが出来ない。しかし、その陰鬱な声は、彼の心境を表現していた。口には出さないが、彼もまた警察と同じようにチェスナット荘内部の人間が当主を殺したと思っているのだろう。しかも、残忍なやりかたで…

 私は夜の闇に沈もうとするチェスナット荘をあとにした。馬車をつかまえ、一度留置所に寄ってみると、再訪した私を、マクビー巡査は歓迎していなかったが、ホプキンズ警部が私とホームズの面会を拒否するべからずと厳命してくれていた。
 ホームズは食事を済ませたらしい。事務所で私がマクビー巡査に声をかけたのが聞こえたのか、一番奥の牢屋にいってみると、もう鉄格子の目の前で椅子に座って待ち構えていた。
「やぁ、ワトスン。来てくれたね。本当にありがとう。人間、食事も睡眠も必要だが、やはり一番大事なのは心から信頼を寄せる親友の存在だ。」
 ホームズはずっとこの調子だ。なんだかくすぐったくて、こっちは調子を崩しそうだが、不幸な行き違いで逮捕,留置された彼に同情して、調子をあわせてやることにした。
「もう少しの辛抱さ、ホームズ。チェスナット荘で話を聞いてきたよ。早く知りたいだろう?」
「もちろんさ!でもきみ、食事はまだだろう?疲れているだろうに…」
「いいんだ。チェスナット荘でお茶ももらったし。」
 私は明かりを引き寄せると、手帳を繰って、チェスナット荘で見聞したことを、順番に、感想も交えながら説明した。かなり長い説明になったが、ホームズは辛抱強く聞いていた。普段なら、私の調査の不備をいちいち指摘したり、勝手に推理した内容を断片だけ口にして煙に巻いたりするのだが、今回はじっと黙って、辛抱強く、そして時々うなずいたり、「なるほど」と合いの手を入れたりと、私が話しやすいように気を遣ってくれた。
 私があずま屋でメインホルム医師と話したところで報告を終えると、ホームズは大きく息を吐き、優しげに微笑みながら口を開いた。
 「本当にありがとう、ワトスン。きみの調査は最高だよ。まるでぼく自身がチェスナット荘に行って見聞きしたようだ。きみはぼくの相棒として、かけがえの無い男だよ。」
 私はくすぐったいのを通り越して、顔に血が上ってきてしまった。それをごまかそうと額をこすり、わざと抑揚の無い声でたずねた。
「それで?ホームズ。きみの見解はどうだい?」
「そうだな…」
 ホームズはよくやる仕草のように、白い両手を合わせ、人差し指を唇につけて少し考えていた。
「そうだな、気になるのはチェスナット荘の住人のうち、若い方の連中だ。」
「二人の姪と、バリー・ジョンソンか。」
「それから、家族同然のマイケル・ベッドシャムに、ダイアナの弟,オスカー・ウェストマン。彼も若者の部類だろう。」
「そうだね。未亡人二人は?」
「ぼくの興味をそそらないな。この若者五人は、互いをどう思っているのだろう。まず、女子相続人であるアイリスを、愛しているが、愛されるだけの自信が無いベッドシャム。」
「…彼はアイリスには不釣合いだとは思っているが、でもアイリスを愛しているし、誠実で良い青年だと思うな。」
「それは同感だ。それに対し、アイリスはやや苛立っている。」
「そりゃそうだろう。結婚相手の男性には、自信を持ってもらいたいだろうからね。」
「その自信のなさは、ウェストマンがやはりアイリスを愛しているということを察知しているからじゃないかな。しかし、ウェストマンは決してアイリスとベッドシャムの仲を裂く気は無い…。」
「ジョンソンとマグノリアに関しては?」
「興味深いね。特にマグノリアは、折に触れてジョンソンをかばうような発言をしている。単に天真爛漫なのか、美男のジョンソンに好意を持っているのか、それとも…。ジョンソンにしても、彼自身が説明しただけの理由で、居心地の悪いチェスナット荘に留まるだろうか?何か、ワトスンには言わなかった理由があるんじゃないか?」
「あの二人の姪のどちらかに好意をもっているとか?」
「もしくは両方にか。それこそ、『好意』なんて上品な言葉では表現できない『たくらみ』かもしれない。アイリスもマグノリアも、莫大な遺産の相続者だ。」
「おいおい、ホームズ…」
「いやぁ、ワトスン。きみにも勝るとも劣らないあの美男子ぶりは、ばかにできないよ。ウェストマンは、そういうジョンソンのたくらみに気付いているとも、仮定できるかもしれない。自分の姪であるマグノリアや、愛するアイリスにジョンソンが近づくのは、許しがたいことだろう。
そして、何よりも興味深いのはアイリスだ。あの女子相続人…レン氏が遺言書を書き換える前に死んだことで、無条件で遺産の三分の二を相続することになる。レン氏の死で、一番利益を得るのは彼女だ。」
「確かに。でも、マグノリアも大きな利益を得ることを忘れちゃいけない。三分の一だって、たいしたものだろう。」
 そうは言ったものの、私も、どこか近寄りがたい感じすらする、アイリスの姿が脳裏に浮かんでいた。責任感が強く、容易には本心を明かしそうにない、若きアイリス・レン…
「アイリスは、何かを大事に守ろうとしているように見えるのだが。」
 私がいうと、ホームズは同意した。
「そうだな。彼女は何でも洗いざらい喋るタイプには見えない。ワトスンと話す機会も最低限に抑えているし、どうやら何か重大なことを知っていそうだが、それをひた隠しにしている。彼女は、ウェストマンの好意に気付いているかな。」
「分からない。彼女の男性への愛情は、公表しているベッドシャムへのものだけだ。あとは、マグノリアを保護者のように慈しみ、バリーズベリーとチェスナット荘を心から愛している。」
「よし!」
 ホームズは突然、手をパンとたたいた。
「明日、ここから出たら、真っ先にアイリス嬢とじっくり話すことにしよう。彼女の話に嘘はなさそうだが、かといって全てを話しているとも思えない。夜中に、マグノリアと下へ降りた話も、もう一度確認しよう。マグノリア嬢からも別口で話を聞けば、なにか見えてくるかもしれないよ。」
 ホームズはそういったが、計画は実行不可能となった。



 → 8. 再び真夜中の事件
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