デイヴィッドは思い切り眉を寄せ、低い声で聞きかえした。
「セウタ…?まさか、あの、アフリカのセウタか?」
「ええ、あのアフリカのセウタです!」
 リベイラは吹っ切れたような表情で顔を上げ、強い口調で言った。
「セウタ全体の地図に、海岸線、港の形や、深さ、それから要塞の見取り図や、地下トンネルなどが、詳細に記載されているという、セウタの地図ですよ!」
 デイヴィッドは、いささか呆然とした。セウタ、セウタと、その地名が頭の中で何度も鳴っている。全体の地図に、海岸線、港の形、深さ、要塞の見取り図に地下トンネル…!

(いや、そんなはずはない!)
 必死の形相でデイヴィッドを睨みつけるリベイラの顔を見ながら、デイヴィッドはわずかに首を振った。

 セウタは、アフリカ大陸の北端,ジブラルタル海峡南側にある、細長い半島の町だ。八世紀ごろからムスリム国が進出し、現在はイベリア半島に残った最後のムスリム国グラナダ王国の支配下にある。
 当然、軍事上,商業上、非常に重要な場所で、既にジブラルタルまで支配下に入れたカスティーリャ王国が、のどから手が出るほど欲しがっている対岸の要衝。それが、セウタなのだ。しかし、カスティーリャは前世末まで内乱を抱えており、セウタ攻略などには手が回らない。そのようなわけで、グラナダ王国はいまだにセウタを死守し続けている。
 つまり、セウタはグラナダ王国にとって生命線の一つであり、その詳しい地図がそう簡単にキリスト教国に出るはずがない。しかも、ここイングランドなどに…

 「あるわけが無いだろう。」
「それが、あるのです、サー・デイヴィッド。ここはレミントンですよ。亡きサー・ジョージの御領地なのですから。」
 突然、デイヴィッドの脳裏に、二日前の晩、ピュージーの宿屋で聞いた歌が、よみがえった。あの金髪と、黒い巻き毛の二人組,リックとバックが、リュートとタンバリンを鳴らしながら歌っていた…

 西へ東へ行くは サー・ジョージ・ロリマー
 今日は決闘 明日は恋
 山をも越えるその勇姿 海をも渡るその勇気
 北へ南へ行くは サー・ジョージ・ロリマー
 明日はどこへと尋ねれば アフリカ ローマ どこへでも
 きっと会えるさ いつの日か きっと微笑むサー・ジョージ…


 「まさか、サー・ジョージが・・・?」
「ええ、サー・ジョージが。いいですか、サー・デイヴィッド。サー・ジョージがお若い頃、冒険の旅を繰り返していたという話はご存知ですよね?」
「でも、アフリカまで行ったというのは、お伽ばなしのたぐいだろう?」
「いいえ、それが本当なのです。」
 リベイラの頬に赤みが戻ってきた。そして彼ははじめてしっかりとした口調で語り始めた。

 「サー・ジョージがイベリア半島で冒険の末、とうとうアフリカにまで行ったというのは、本当の話なのです。ジブラルタルから、船でセウタに入り込んだそうです。もちろん、騎士という身分は隠し、たった一人の従者とともに変装し、物売りに身をやつして。
 セウタに入り込むや、持ち前の勇気と機知と行動力で、既存の地図を手に入れ、漁師たちと仲良くなって港や海岸線の情報を加え、さらに自らセウタの要塞に潜入して、詳細な見取り図と地下トンネルを文章と図面に残したのです。
 サー・デイヴィッドなら、そのセウタの地図の重要性がお分かりでしょう。カスティーリャはどんな手を使ってでもこの地図を手に入れたいし、グラナダ王国は絶対にそれを阻止したい。双方とも、セウタの地図を手に入れるためなら、多少荒っぽい真似をしようが、ものすごい金を使おうが、構わないはずです。他のヨーロッパ諸国だって、喉から手が出るほど、セウタの地図を欲しがりますよ。
 地図を持っている人なり、国なりが、それをどう使うか。いくらでも考えられます。実際にセウタを攻略するも良し、取引の材料にするも良し!お分かりでしょう?さっき写本室でお会いになった学者、カペッロとトレス、三人の従者達は、みんなカスティーリャ人です。貴重な蔵書を、学術的な目的で写させてもらうというのは、ただの建前で、本当はセウタの地図を探しているのです。」
「学者なのに?」
 「ええ、確かにあの三人は立派な学者ですが、本当は密偵なのですよ!しかも、カスティーリャの中でも、摂政である、王母カタリナ様に敵対する勢力の手先です。ご存じの通り、王母カタリナ様は、イングランドのヘンリー四世陛下の妹君で、皇太子殿下にとっては、叔母上にあたります。
 カスティーリャの反王母の勢力、すなわちイングランドの影響を排除しようとする連中が、セウタの地図という大きな武器を入手しようと、送り込んだのがあの連中なのです。」

 デイヴィッドは、しばし息をするのも忘れて、リベイラの顔に見入った。
 本当にリベイラが言うようなセウタの地図が存在するとしたら、それは大変なことだ。セウタから遠く離れたイングランドにとっても、計り知れない利益をもたらす。ウィンチェスター司教が知ろうものなら、顔色を変えて入手に動き始めるだろう。同じように、カスティーリャの反王母・反イングランド勢力が、それを欲しがるのも当然だ。
 しかし、デイヴィッドはまだ自分に冷静になれと言い聞かせていた。辺りを見回し、人が居ないのを確認すると、リベイラの腕を引っぱり、厩の端にあったベンチに座らせ、自分もそれに向かい合った。
 「せっかく話してくれたのに悪いが、俄には信じがたい。」
「そうおっしゃいましても…サー・デイヴィッド、ことは急を要するのですが…」
「まず、そのサー・ジョージのセウタの地図を、サー・ダニエルはご存じなのか?」
「いいえ。サー・ダニエルはあの二人の学者も、私のことも、ただの学者と信じて、安心しきっているのです。」
「…お前は何者だ?」
 デイヴィッドはリベイラを睨んだ。
「お前こそ、正体は何だ。この一年間、カスティーリャの密偵と一緒に地図を探していたのだろうが。本当にポルトガル人なのか?」
リベイラは震え上がり、喘ぐように答えた。
「本当にポルトガル人ですよ!信じて下さい、私はしがない学者で、気楽に勉学に励んでいただけです!パリの大学で、あの二人に目をつけられたのが運の尽き、サー・ジョージの貴重な蔵書をたっぷり拝見できるって、だまされてイングランドまで連れてこられたのですよ!」
「ポルトガル国王夫妻の縁者が書いたって言う、お前の身元保証の手紙は?偽造したのか?」
「めっそうもない!」
 リベイラは腰を浮かせ、ますます悲鳴をあげた。
「本物ですよ!私の父も叔父も、ポルトガル王室侍従長さまのお世話をしていたことがあって、その俸給で私をパリに留学させることもできたのです。パリであの二人、カペッロとトレスから、サー・ジョージの蔵書を見せてもらうには、何か身元保証になる証が必要だと、相談を持ちかけられたのです。それで、国の親に頼んで、紹介状を送ってもらっただけで、そんな、偽造だなんて…!」
「そんなご立派なご身分で、なんだってカスティーリャの、反王太后、反イングランドの密偵に加担している。」
「私だって、好きでやってるんじゃありませんよ。あいつらに脅されているのです。連中に騙されて、レミントンに到着したら、国の母や妹たちへ送った私の手紙をいとも簡単に手に入れて、私の目の前にちらつかせたのです。そりゃ血の気が引きますよ!いいですか、故郷の母や妹の身の安全は、カスティーリャの密偵どもの攻撃範囲内なのです。私は言うことをきくしかありません!」
「どうも、信じられん。」
 デイヴィッドは、小さく息をつきながら首を振った。リベイラは哀願するような調子で訴えた。
「信じてくださいよ、サー・デイヴィッド。想像してみてください。もし、皇太子殿下が危険にさらされるとしたら、あなただって、敵の言うことをきくでしょう?」
 デイヴィッドは想像できないという顔をしている。
「ああ、わかりました。では、愛するレディならどうです?」
 ますます想像できないという顔をするので、リベイラは諦めた。
「とにかく、私はあの連中の言う通りにするしかありません。それに、サー・ジョージの蔵書にはポルトガル語の物も多く含まれますから、翻訳者としても私を利用しているのです。」
「サー・ダニエルにその状況を相談しなかったのか?」
「無理ですよ、サー・デイヴィッド。私は今の今まで、ずっと監視されていたのです。私につけられた従者はもちろん、カペッロとトレスの従者も、密偵なのですから。絶対にサー・ダニエルと二人きりにならないよう、ずっと監視されていたのですよ。下手なことをしたら、母や妹、もちろん私の命だって、ありませんよ。」
 デイヴィッドは大きく鼻で深呼吸をすると、低い声でさらに尋ねた。
「そもそも…カスティーリャの反王母・反イングランドの一派は、サー・ジョージが作ったというセウタの地図の存在を、どうやって知ったんだ。実在するとしたら、とんでもない代物だぞ。」
「そこは、私も詳しいことは知りません。ただ、カペッロやトレスが言うには、サー・ジョージがセウタに潜入したときにただ一人連れていた従者が、その後引退して、カスティーリャのどこかに住んでいたとかで、そこから出た話らしいです。」
 デイヴィッドはもう一度おおきく息を吐き出し、腰掛け直すと、拳で軽く自分の顎をたたきながら、リベイラの話を頭の中で整理した。

 レミントンの現領主である、ダニエルすら知らない、サー・ジョージの『セウタの地図』。その存在を知ったカスティーリャの反王母・反イングランドの一派が、地図を入手するために、密偵をこのレミントンに派遣した。その身分は表向きパリの大学で研究に没頭していた学者のカペッロとトレス。彼らは、パリでリベイラという恰好のポルトガル人を見つけ、彼の身元保証の確かさを利用して、レミントンに潜入した ―
 「それで、今までの一年間、じっと耐えていたのに、どうして俺に打ち明ける気になったんだ。」
 すると、リベイラはしゅんとしてしまい、小さな声で答えた。
「皇太子殿下と、サー・デイヴィッドがレミントンにいらっしゃると聞いて…これはもう、絶対にセウタの地図を手に入れに来るのだと思ったのです。そりゃそうですよ、お二人ほどの人が、ただ遊びに来るはずがないでしょう。」
「でもそうなんだ。」
「ああ…私はもう、気が気ではありませんでしたよ。もちろん、あの密偵どもも、殿下とサー・デイヴィッドは地図を手に入れに来るのだと考えていますから。内心、ものすごく焦っているのです。」
「お前は明らかに挙動不審だが、あの連中が動揺しているようには見えないな。」
「勘弁してくださいよ、私はしがない学者、あの連中は本物の、訓練された密偵ですよ!」
 「ちょっと待て。」
 デイヴィッドが鋭く視線を上げると、リベイラはビクっと身を硬くした。
「お前、ゆうべ俺にラリーのことを尋ねようとしていたな。この件と、この城の執事のラリーはどう関係する。」
「サー・デイヴィッド。私がいよいよもう駄目だと思って、こうして危険を冒してお呼び立てし、お話ししているのは、ラリーさんの事もあるからなのです。」
「そういえば、時間がないとか、急を要するとか言っていたな…」
「もしかしたら、ラリーさんは密偵たちの正体に気付いて、連中に殺されたかもしれません。」
「…なんだと?」
 リベイラは手を震わせながら、一生懸命に言葉を継いだ。
「いえ、確証があるわけではないのです。ただ、もう何日も行方が分からないし、それにトレスの従者であるマニュエルも姿が見えない。でも、一昨日の早朝、聞いてしまったのです。私と同室にトレスが眠っていたのですが、まだ皆が眠っている時刻にマニュエルがそっと入ってきて、小さな声でトレスに報告していたのを。
 始末をつけたとか、なんとか。私はぼんやりと目を覚ましてそんなマニュエルの言葉を聴いたのです。すると、私がまだ眠っていると思ったのか、トレスが、マニュエルに『場所は?』と聞きました。すると、『ストークの窪地の竪穴』というのが聞こえました。聞いたのはそれだけです。
 そのときはあまり気に留めなかったのですが、ラリーさんが水路の点検に従者のヒューと一緒に出かけたきり帰ってこないという話とあわせると、もしやラリーさんたちはマニュエルに殺されて、遺体は『ストークの窪地の竪穴』に隠したのではないかと、恐ろしくなって…!」
「それを早く言え!」
 デイヴィッドは唸りながら立ち上がった。つられてリベイラも立ち上がる。
「でも、最初からちゃんとお話しなけりゃ、サー・デイヴィッドだって私のことを信じてくださらなかったでしょう?」
「そもそも、どうしてラリーが殺されるんだ。」
「分かりません。ただ、ラリーさんは最近、書庫で写本をしている私たちの身分を疑っていたような節があるのです。私にポルトガル王家侍従からの紹介状のことを確認したりして…」
「これがそれを裏付けるか?」
 デイヴィッドは、ラリーの書斎から持ち出した手紙をリベイラに渡した。リベイラはそれを一読すると、細かくうなずいた。
「ええ、ええ。そうです、これは…ええ、そうですよ、ラリーさんは、ポルトガル宮廷の知り合いに、私の身分を照会しています…やっぱり、疑っていたのですよ。だから、カペッロや、トレスが指示して、マニュエルにラリーさんと従者のヒューを殺させたんだ。だから最近、マニュエルはよく姿を消していたのですよ、きっと。ラリーさんを殺す機会を狙っていたんだ。」
「それで、『ストークの窪地の竪穴』って言うのはなんだ?」
「ここから北へずっと行ったところにある、荒地です。人があまり寄り付かないから、ストーク(コウノトリ)くらいしか行かないって由来らしいですが、そこに排水施設の竪穴があるはずです。」
「そこにラリーが閉じ込められていると?」
「マニュエルの口ぶりでは、そうではないかと。」
「場所は分かるか?」
「分かります。」
 リベイラは、初めて確信を持ったような口調になった。
「『セウタの地図』探しの手伝いをさせられている間じゅう、私はずっとこのレミントンの地形図や、灌漑・排水施設関連の書類を担当していたのです。サー・ジョージはよほどまめな性格だったらしくて、その手の土地や、施設の説明などの記録がきちんと残してあったのですが…それで、これが…」
 リベイラは懐から小さく、粗末な紙を引っ張り出し、デイヴィッドに広げて見せた。
「マニュエルの言うことが気になったので、昨日、ストークの窪地の地図を引っ張り出したのです。ほら、ここに竪穴って書いてありますでしょ?」
 デイヴィッドがリベイラの指し示す場所を見ると、確かにそこには『竪穴』という表記がある。さらに ―
「『竪穴 地下水路経路 深さ十ヤード 未確認 地下水あり ― 雨天増水の恐れあり 未整備 立ち入り禁止』…」
 デイヴィッドは顔をあげた。
「案内してくれ。行ってみる。」
 そう言ってマントを着けながら自分の馬房の方へ歩き始めた。リベイラも素早くついてきた。
「ええ、もちろん。私はもうここへ戻る気はありませんからね。きっと、カペッロとトレスは、私がサー・デイヴィッドに全てを打ち明けたのだと、そろそろ察していますよ。ポルトガルの家族を保護するよう、すぐに手配していただけますでしょう?」
 その点について、デイヴィッドに確証はなかったが、黙って頷いた。ウィンチェスター司教なら、ポルトガルでもすぐに動かせる密偵網を持っているだろうし、ポルトガル王室そのものがイングランドに友好的なのだから、困難ではないだろう。
 ともあれ、まずは行方不明のラリーを探すことが先決だと、デイヴィッドは思った。リベイラの話が、どの程度信用するに足りるかは、その後で確認しようと思いながら、自ら馬を引き出し、リベイラの案内で北へ向かった。



→ 9.セグゼスター伯爵の六男が、ロウソクの節約を強いられること

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8.サー・ジョージが、ヨーロッパ世界に大きな影響を与える物を遺したという話
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  サー・ジョージの贈り物