翌朝、デイヴィッドは騒々しく起こされた。ネッドがデイヴィッドの部屋に駆け込んできて、いきなり叫んだのだ。
 「大変だ、デイヴィッド!」
 デイヴィッドは毛布をかぶったまま、どうせろくな話じゃあるまいと、無視を決め込んだ。しかしネッドはかまわずに続けた。
「ハルが、起きてる!」
 デイヴィッドは数秒考えた。そして跳ね起きた。
「いま、何時だっ?!」
「いや、お前が寝過ごしたわけじゃないよ。」

 実際、デイヴィッドが起床するのに遅すぎる時刻ではなかった。ネッドの背後から、レミントン城の小姓が入ってきて、愛想良く挨拶しながら、デイヴィッドの身支度を手伝い始めた。ゆうべからデイヴィッドの世話をしているこの小姓は十二歳で、呼び名をロブと言う。なんでもサー・ジョージの古い友人の甥とのことだった。
 ロブがかいがいしくデイヴィッドの身支度を手伝う一方、ネッドも一応は騎士の従者のくせに、ただ突っ立って、今朝の珍事をぺらぺらとしゃべり始めた。
 ネッドやスパイクを含めたロンドンからの輸送隊員たちは、レミントン城内の大部屋に、ベッドを用意された。大部屋とは言え、暖かくて居心地の良い部屋で、みな満足だった。夕べの宴会が終わった後、だれもがその部屋でぐっすり眠っていたのだが、明け方になってひとりの従僕がスパイクを起こしに来た。ネッドは寝床にもぐりこんだままぼんやりと聞いていたのだが、なんでもサー・ダニエルと皇太子が、遠乗りに出かけると言う。そこで、皇太子の随身として、スパイクが指名されたのだ。
 スパイクはこういうとき、黙って行動する男だ。さっさと寝床から出ると、身支度をして大部屋から出て行った。ネッドはベッドの中でやりとりを聞いていたが、ハルがこんな朝早くから起きているという異変に気付き、これは逃してなるものかと、飛び起きた。普段から怠惰な生活を送っているが、サー・ジョン・フォールスタッフの従者は同時に物見高くなければ勤まらない。
 ネッドはバタバタと着替えると、厩舎に行ってみた。まだ夜も明けきらず薄暗い。酷く寒いが、厩舎の馬丁たちは白い息を吐きながら仕事をしている。もうハルとダニエルは出発した後だったが、馬丁たちが、その遠乗りの目的が、未だに帰ってこないラリーの所在確認だと教えてくれた。ネッドはその後、デイヴィッドの寝室に直行したというわけだ。

 「まぁ、あれだな。デイヴィッド。」
 ネッドはデイヴィッドの部屋の暖炉の火に当たりながら、あくび交じりに言った。
「ハルはここの可愛い領主さんに惚れちまったんだな。さもなきゃあいつがこんな朝早くに起きるはずもないし。」
「あの二人、夕べは何時まで起きていたんだ。」
 デイヴィッドが着替えをしながら言うと、ネッドは首をかしげた。
「覚えてないな。俺もかなり酔っ払っていたし…。でも、デイヴィッドが寝てからもかなり歌っていた。あの可愛い領主さん、本当に歌も楽器も上手いな。ハルはそこにも惚れたんだろ。…なぁ、お前ら喧嘩でもしたのか?」
「べつに。」
 デイヴィッドは短く答えたが、ネッドはニヤニヤしながら続けた。
「先に謝っちゃえよ、デイヴィッド。ハルが、かわいそうじゃないか。」
 デイヴィッドは着替える手を止めてネッドをにらんだ。
「かわいそうなのはハルか?」
「やっぱり喧嘩したんだ。」
 ネッドはゲラゲラ笑い出した。
「馬鹿だなぁ、お前。デイヴィッドにはハルがかわいそうだと言い、ハルにはデイヴィッドがかわいそうだって言うに決まっているだろう。まぁ、よりかわいそうなのはデイヴィッドの方かもな。お前は朝から不機嫌で俺にからかわれているのに、ハルはここの可愛い領主さんと、楽しくお出かけだ。」
「さっきから可愛い、可愛いって、失礼だぞ。レミントンの領主で、由緒ただしいロリマー家の当主だ。しかも俺たちより七つくらいは上なんだからな。」
「でも、お前だって可愛いと思っているんだろ?」
 ネッドがとぼけた声で言うと、デイヴィッドの着替えを手伝っていたロブが笑い出した。それを見たネッドが勢いづく。
「ほら。みんな可愛いって思ってる。なぁ、デイヴィッド。お前に足りないのは可愛げだよ。」
「悪かったな、仏頂面で。」
 デイヴィッドは洗面器の水に勢い良く顔を突っ込んだ。
「顔つきだけじゃなくてさ、人当たりにも可愛げってのは大事だぜ。これはサー・ジョン(フォールスタッフ)の受け売りだけどさ。デイヴィッドは良い騎士だが、ただ可愛げだけがない。警戒心が強いんだかなんだか知らんが、もう少し愛想良くして、人の心を獲るみたいなところがあっても良さそうなもんだ。その点、ハルはお前と違って、人なつっこいな。
 サー・ダニエルは顔も綺麗で、可愛げがあって、愛想も良い。しかも気前良く俺たちも宴会に入れてくれたんだ。とどめに、あれだけ歌も楽器もできれば…ハルのやつ、ロンドンまで連れて帰るかもな。…デイヴィッド、おまえ大丈夫かぁ?仏頂面で無愛想で、しかも音痴なんだぞ。その上喧嘩までするなんて。元婚約者だからって油断していると…」
「うるさいな。」
 デイヴィッドは、笑いを必死にこらえて顔を真っ赤にしているロブからタオルを取ると、乱暴に顔を拭き、それをネッドに投げつけた。
「こんな所で無駄口きいてないで、少しは手伝ってこい。大人数で世話になっているんだ。」
「その前に朝飯。ここの料理は本当に旨いからなぁ。それから働くとするか、デイヴィッドと一緒に。」
「…なんだと?」
 デイヴィッドは腰に長剣をつける手を止め、ネッドを睨んだ。ネッドはひるまずに、肩をすくめた。
「お前、ハルとあの可愛い領主さんに、はめられたんだよ。」

 デイヴィッドは朝食後、レミントン城内の中庭で、ベンチに腰掛け、荷物の山を眺めていた。いずれも、昨日ロンドンから彼と一緒に来た荷物である。まだ荷解きもしないまま、荷車の上に積まれ、布の覆いがかけられている。その荷車の一台一台の周りには、ロンドンからの輸送隊員と、荷解きを手伝おうと集まったレミントン城の使用人たちが、所在無げにたたずんでいる。いずれも、『上からの指示』を待っている状態だった。
 「それで…俺にどうしろと?」
 デイヴィッドが言うと、彼の前に突っ立て腕組みをしているネッドが代表して答えた。
「だからさ、運んできた荷物の一覧表があるんだろう?それと、それぞれの荷物の荷札を確認して、荷解きに回すんだよ。サー・ダニエルへの荷物、奥様への荷物、厨房とか、武器庫とか、あて先も色々だろう?ポルトガルとか、イングランドのほかの町への回送もあるって聞いたぞ。それからほら、ここから、ロンドンに持ち帰る物もあるだろうが。空いた荷台に、逆に持って帰るものを積んで…ロンドンのどこの誰さまへ回すかも、間違えないようにな。」
「でも、ラリーが帰ってくれば…」
 デイヴィッドが気乗りしない様子でいるが、ネッドやその後ろに居る連中は納得しない様子だ。
「ラリーさんだって、いつ帰ってくるか分からないじゃないか。さっさとやらないと、お前もハルも、ロンドンに帰る日になっちゃうぞ。」
「そうだけどさ…」
「『明日出発だから、すぐに荷造りして、しかも間違えるな』なんて言っても無茶だぞ。だから早くやるべきなんだ。」
 珍しくネッドが正論を言う。後ろの方で、みんな同感だという顔でうなずいた。デイヴィッドはどうにも乗り気がせず、生返事をする。
「ああ、うん…」
「お前ら騎士さまだけ先に帰って、荷物はあとで来いとか言うなよ。瞬く間に盗賊に襲われるからな。」
「でも…」
 デイヴィッドは困ってしまった。普段から従者を寄せ付けず、こまごまとした事も自分でするし、おおかたの物事はこなせる生活をしているつもりだが、元来が伯爵家六男の、貴族育ちなのだ。大量の荷物の配送指揮などという実務が、できるとはとても思えない。かといって、ネッドたちは文字が読めるかどうか怪しいため、リストとの照会に不安がある。そもそも、そのリストも、英語,フランス語,ラテン語,一部ポルトガル語が混じっているのだ。そうなると、執事のラリーが不在である以上、ハルとダニエルに置いてけぼりを食らったデイヴィッドが対応するしかない、というのがネッドたちの言い分だった。
「第一、 リストはお前が持っているし。」
 ネッドがそう言ったのがとどめだった。確かに昨日、荷解きをあきらめようという話になったとき、三人の騎士の中で最後にロンドンからの荷物リストを手にして、懐にしまったのはデイヴィッドだった。そして今、彼はそれを手に持って呆然としている。ネッドによれば、ハルとダニエルは、この面倒な仕事をデイヴィッドに押し付けて、逃げてしまったのだと言う。
 「あきらめろよ。あの二人にはめられたお前が迂闊なんだ。」
「そうかもな…」
 デイヴィッドは、夕べのハルとダニエルの様子を思い出して、ため息をついた。
「ラリーさんじゃなくても、せめてヒューでも居ればなぁ。」
 ネッドの背後から、城の若い従僕、ミッジが、のんびりと声を上げた。デイヴィッドがその一言に反応した。
「ヒューって?この仕事を頼めるのか?」
「ええ、まぁ。ラリーさんの従者で、読み書きも出来るから。いつもラリーさんのお手伝いもしているので、ヒューが居れば、かなり助かると思いますよ。」
「今、どこに?」
「そりゃぁ、ラリーさんと一緒ですよ。ラリーさんの従者なのだから。」
 ミッジはやや呆れたような声で答えた。
「おい、大丈夫かよ、デイヴィッド。とぼけていないでさ、始めようぜ。」
 ネッドがそう言ってせかす上に、背後の連中も一同にうなずくので、デイヴィッドも仕方なしに腰を上げた。
 「うん、じゃぁ…ちょっと見てみるか…」

 凍るように冷たい地面に蹄の音を響かせながら駒をすすめるハルとダニエルの左手から、朝日がのぼり始めた。しかし雲が多く、その光に力がない。ぼんやりと明るくなりはじめた畑を見回しながら、ハルは白い息を吐いた。
 「ダニー、ここの排水は、どんな仕掛けで行っているんだ?」
 ダニエルは、ハルを少し高い場所に案内すると、そこから地平の方を指差した。
「ここから見ると、向こう側がすこし低くなっていますよね。あの辺りには確実に、大規模な地下排水溝が配されています。」
「地下に?」
「ええ。地上の水路程度では、地下水の影響を排しきれないほど、ここは水が出るんです。あのあたりなら、見渡す限り、地下十フィート付近に、直径二フィート程度の地下水路を通して、地下水を集めて、川へ排出しているでしょう。」
「十フィートは深いなぁ…かなりの大工事だ。」
「ええ。でも、それくらい深くないと、用を成さないのです。」
「それを、先代のサー・ジョージの時代に作ったの?」
「いや、まさか。」
 ダニエルは朝もやの中で綺麗に笑った。
「それこそ何百年も前から、ここにはそういう排水施設が作られ続けているのです。まぁ、話によっては古代ローマの進んだ建築技術を駆使したとか言われていますが、それは伝説に近いですね。とにかく、それくらい昔から、ここレミントンの土地には、縦横無尽に地下十フィート付近の水路がめぐらされていて、今やそれがどこをどう通っているのか、誰も把握できていません。
 ここ何十年ほど、歴代の領主が熱心だったのは、水路の正確な位置の把握と補修、竪穴の整備です。」
「竪穴…つまり、水路建設のために地上から入る竪穴か。」
「ええ。もちろん、そういう意味もありますが、多くの竪穴の下には、水路が集まる、いわば『溜池』がある場合が多いのです。ですから、竪穴自体は水路よりもさらにずっと深いところまで、掘られていますし、中にはその底の部分が広く作ってある場合もあります。たぶん、水路の破損や、障害物の除去作業の便宜のために、そうなっているのでしょうね。
 ところが、その竪穴が曲者なのです。水路がどこをどう通っているのかも把握できていない以上、竪穴と溜池の位置も正確には分かっていません。畑仕事をしていて、大きな岩を発見してそれを移動したら、下に深い穴がぽっかり開いていて、その下二十フィートに溜池があったりする。」
「危なくないか?」
 ハルが驚きながら聞き返すと、ダニエルはうなずいた。
「危ないです。かなり。ただの無造作な穴だったら、誰もが危険だと思うから近寄らないようにして、安全対策を取るのですが。やっかいなのは、いかにも安全そうな竪穴もあることなのです。たとえば、入口から底までが緩やかな坂になって、そのトンネルの上下左右も石や板で補強されていたりすると、うっかり迷い込む恐れがあるんです。古いですから、急に何フィートも下に落ちかねないし、うっかり入口が塞がれたりしたら、もう出られない。こうなったら叫んでも壁を叩いても、地上の人には気付いてもらえないから、絶望的ですよ。
 昔、そういう閉じ込め事故がよくあったそうです。ですから父などは、この危ない竪穴を丹念に探し出しては埋めたり、目印をつけて領民に注意したり、水路保全に使えそうなものは穴を補強したりしていました。その作業を、今でも続けています。」
「じゃぁ、お宅のラリーが帰ってこないということは…」
 ハルが伺うようにダニエルを見ると、彼は心配そうに眉を寄せてうなずいた。
「ええ、水路の点検作業中に、そういう危ない竪穴にとじこめられる事故に遭った可能性も、否定できないんです。」
「でも、独りで行ったわけではないだろう?」
 ハルは、徒歩で自分たちについているスパイクと、ダニエルの従者を見やりながら言った。
「ええ、もちろん。ヒューという、従者が一緒に行っていますから、事故は考えにくいのです。それに、誤って竪穴水路に閉じ込められた時のために、ホイッスルをもたせています。ヒューが持っているはずですよ。」
 ダニエルは馬の腹を軽く蹴って、進み始めた。ハルがそれに続き、スパイクとダニエルの従者がついてくる。

 四人は朝もやのたちこめる農閑期の道を、淡い朝日の中で進んでいった。ダニエルはその小柄な体つきにふさわしく、小さく大人しい雌馬に乗っていた。ハルが聞いていた話では、サー・ジョージはどんな荒馬でも簡単に乗りこなしてしまう、乗馬の名人ということになっている。この点でも、このサー・ジョージの息子は父親とは対照的のようだ。
 しかし、ところどころで出会う領民たちへの優しい言葉や、領民たちから注がれる愛情のあるダニエルへの言葉には、彼がこのレミントンにとってかけがえのない、大事な領主であることがあらわされていた。ハルはそんな姿をながめながら、こういう平和で穏やかで、領民の日々の生活に心を砕く騎士の生活も良いものだと思った。それが自分に向いているかどうかは別として ―

 やがて、小さな集落が見えてきた。ダニエルはハルに振り返った。
「あれがバルゲットという集落です。ラリーが水路の点検をする時に、拠点にしていますから、今回も寄ったはずです。運がよければここに居るだろうし、消息くらいは分かるでしょう。」
 彼はそう言ってハルを促し、集落へ向かった。



→ 7.デイヴィッド・ギブスンが、多大な労苦の末に厩へ呼び出される事



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6.驚天動地の知らせが、デイヴィッド・ギブスンのもとにもたらされる事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  サー・ジョージの贈り物
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