ハルが次の言葉を探そうとした一瞬 ― 
 空気を切り裂くような音が響いた。

 突然ダニエルを押さえていたカペッロが、「ぎゃっ」っとかん高く叫び声を上げたかと思うと、弾き飛ばされるように倒れた。ハルの視界の隅に、カペッロの左胸付近に立った矢羽根がとらえられた。
 それと同時にハルは身を低くすると、驚いて僅かに隙の出来たリベイラの顎を左肘で突き上げ、そのまま長剣を奪って斬り倒した。

 「ダニー!」

 ハルが振り向きざまに叫んだとき、倒れたカペッロに変わって、トレスが短剣をダニエルに突き立てようとしていた。倒れていたダニエルが、残りの力を振り絞って地面から跳ね起きると、トレスの足に食らいつき、そのまま共に地面に倒れた。
 トレスにはニコラスとパコという加勢がいる。しかし、ハルは身を低くして二人には見向きもせず、ダニエルとトレスの元へ突進した。カペッロを倒した矢は、背後の塔の上から放たれている。同じ方向から、次々と放たれた矢がニコラスとパコを倒していた。
 トレスは体を起こし、足に食らいついたまま倒れているダニエルの背に、今にも短剣を突き立てようとしていた。ハルはそこへ猛然と駆け寄ると、トレスの顔を思い切り蹴り上げ、気絶させ、すぐさま跪いてダニエルを抱き上げた。その手に真っ赤な血がべっとりとつく。ダニエルはぐったりとしていた。

 城内が騒がしくなってきた。どうやら、外から何人かが駆け込んできたらしい。しかし、ハルはそれを確認せずに、ダニエルの両膝に腕を差し入れると、彼の体を腕に抱き上げて、回廊へと走った。
 ハルがダニエルを抱え上げたまま走り始めてすぐに、塔の真下へと達する。螺旋階段の上から、ドタバタと人が落ちるように駆け下りてきた。物すごい勢いで一階の踊り場に飛び出したところで、ハルとぶつかりそうになった。
 塔から降りてきた、全身ドロだらけの長身の男 ― 左手に弓矢を掴んだデイヴィッド・ギブスンにハルは、
「くすり!」
と叫び、そのまま走り去った。
 デイヴィッドはびっくりしてハルの背を見送ったが、廊下の向こうから血相をかえて駆けつけてきた小姓のロブが、
「ああ、ダニー!どうしよう!」と叫んだので、やっと我に返った。
 ハルの言う『くすり』とは、レディ・ジェーン・フェンダーの、有名なべらぼうにしみる傷薬のことだろう。

 ダニエルの負傷に、ハルは珍しく取り乱していた。けが人を抱えたまま走り出したまでは良いが、どこへ向かっているのかは自分でも分かっていなかったらしい。幸い、城内にウェインなどの村民や、レミントン城のミッジら数名がかけつけ、ハルにけが人を運び込むところを指示し、女性達を呼びにやり、なんとか城としての機能を取り戻し始めた。
 ダニエルは出血と痛みでわずかに気絶していたが、すぐに意識を取り戻した。傷は出血こそしているものの、深くはなく、洗浄と縫合、デイヴィッドが提供した薬ですばやく治療が行われた。
 息を吹き返した城内には人々が集まり、大騒ぎとなった、やがて、『ストークの窪地』の竪穴から救出されたラリーと、ヒューも運び込まれてきた。ヒューは光をひどくまぶしかがって、しばらくは目を開けられない様子だったが、それ以外は空腹と疲労だけで、元気な様子だった。
 一方、ラリーは意識を失ったままだったが、どうやら命は取り留めるのでは無いかというのが、結論だった。

 そもそも。
 『ストークの窪地』の竪穴に閉じ込められていたデイヴィッドが、どうして城の塔の上に現れ、カペッロたちを次々に射貫いたのか。

 どうやら竪穴からの脱出が困難であることを悟ったデイヴィッドは、マントを脱ぎ、倒れているラリーの体にかけると、かなり短くなったロウソクのあかりを見つめながら、思わずため息をついた。
 そのとき、ふと横たわったラリーに目が行った。さっき、自分が彼の体にかけたマントが、一部上にむかって突き出している。よく見ると、マント内側のポケットに、何か固くて細長い物が入っているのだ。デイヴィッドがポケットを探って取り出してみると、小さなたて笛だった。
 レミントンへ向かう途中、ピュージーの宿屋で、旅楽師のトム・リックと、マイク・バックから預かった笛だ。彼らへの贈り物 ― リュートと、ハーディガーディのお礼ということで、ジョン・ダンスタブルに渡すように頼まれた。デイヴィッドは、ためしにそれを吹いてみることにした。
 どうせ無駄なのだから止めてくれと言うヒューを無視して、デイヴィッドは思い切り吹き鳴らしてみた。本来は合図用のホイッスルではなく、音楽を奏でるための笛だが、デイヴィッドには演奏技術がない。そんなことには構わず、思い切り高い音を吹き鳴らしてみた。音は、ヒューのホイッスルと、大した違いがない。つまり、誰かに気付いてもらえる見込みがあるようには思えなかった。
 ところが、地上では反応があったのだ。ストークの窪地とは大分離れた所で、犬がやたらと吠え始めた。それどころか、レミントンのそこかしこで、犬たちが一斉に興奮し始めたのである。領内に捜索のため散らばっていた男達は、連れていた犬の変化に驚いた。やがてある捜索隊が、犬が興奮して飼い主達を連れて行こうとする場所が、『ストークの窪地』であることに気付いた。どの捜索隊も居ない地域だ。吠えて興奮する全ての犬たちは、あきらかにそちらに向かって、飼い主達を引っぱっていったのだ。
 一時間もたたずに、捜索隊は次々とストークの窪地へと集り、やがて捜索隊に加わっていたネッドが、手綱が切られたまま、さまよい歩いている黒い馬 ― デイヴィッドの乗馬である、フールハーディを発見するに至った。そして彼らは、ストークの窪地中央にある深い竪穴に向かって、犬たちが吠えまくることを確認した。大きな岩で塞がれていた竪穴の入り口を開け、長いロープを使って、下まで降り、とうとう竪穴底の遭難者達を発見したのだ。
 ロウソクの火が尽きる直前に地上に助け出されたデイヴィッドは、全身泥だらけで、リベイラに刺された肩の怪我や、他にも無数の傷を抱えていたが、それには構わずにフールハーディにまたがり、単身真っ先にレミントン城へ駆け戻った。

 ほぼ無人のように静まりかえった城内に飛び込み、回廊の端から目にしたのは、中庭で絶体絶命の事態に陥っているハルとダニエルだった。ダニエルは流血して倒れ、ハルはデイヴィッドの長剣を持ったリベイラに背後から押さえられている。
 デイヴィッドは急いで、前日に案内されたばかりの塔を駆け上がった。途中の武器庫から適当な弓や矢をひったくるように拝借すると、屋上に出た。そして注意深く中庭の様子を確認する。
 デイヴィッドにとって、この距離は問題ではなかった。しかし、的が小さい。最初に倒すべきはカペッロ。ダニエルを足元に押さえ込んでいる。ダニエルを傷つけないためには、僅かなズレも許されない。それでも、デイヴィッドは素早く弓矢を構えると、カペッロの左胸を正確に射貫いた。
 ハルの背後で、その動きを封じているリベイラは無視した。カペッロが突然倒れた時点で、ハルがどうにかするはずだ。トレスには、力を振り絞って跳ね起きたダニエルが組み付いている。デイヴィッドが素早くニコラスとパコも射倒すと、その頃にはハルがトレスを蹴り倒していた。
 それを確認するや、すぐにデイヴィッドは塔から駆け下りた。そして踊り場に飛び出したところで、ダニエルを抱え上げて走ってきたハルとぶつかりそうになり、「くすり!」と怒鳴られたというわけだ。

 城内はしばらく騒然としていたが、やがてデイヴィッドが身なりを整えてダニエルのもとを訪ねた頃には、ようやく落ち着きが戻ってきた。
 ダニエルの寝室には、先客が居た。母親のオリヴィアだ。ダニエルはベッドで横にはなっていたが、枕を立てて体を起こしている。オリヴィアはちょうど、侍女を連れて寝室から出て行こうとしているところだった。
 デイヴィッドは丁寧に挨拶をした。
「このたびの騒動は、どうやら皇太子と私が訪れたことがきっかけになったようです。大変なご迷惑をかけた上に、サー・ダニエルにまで危害が及んでしまいました。お詫び申し上げます。」
 するとオリヴィアは軽く笑いながら手を振った。
「とんでもない。本を正せば、私どもが一年もの間、ならず者を客人として扱っていたのが悪いのです。殿下や、サー・デイヴィッドに何の責任もありません。あなたこそ、お怪我をなさったとか。」
「かすり傷です。たいしたことではありません。それよりも、ラリーの方が気になります。おそらく、明日には目を覚ますと思いますが。しばらくは療養が必要でしょう。」
 すると、ベッドからダニエルが声を発した。
「ええ、聞きました。四日間も閉じ込められていたのに、命が助かったのは本当によかった。サー・デイヴィッドが外に知らせてくださったそうですね。ヒューの話を聞きました。」
「私が知らせたというよりは…この笛のおかげですね。」 
 そう言いながら、デイヴィッドは例の笛を掲げて見せた。
「ロンドンのダンスタブルという男に渡すために、リックとバックから預かった笛を吹き鳴らしたら、どういうわけか、はるか遠くにいた犬が吠えまくり、ストークの窪地にみんなを引っ張っていったと言うのですが…」
 オリヴィアが、「では、ごきげんよう」と言って、侍女と共に出て行った。
「見せてください。」
 ダニエルがそう言うので、デイヴィッドは笛を渡した。ダニエルは笛を上から、下から、少し眺めると、すぐに歌口を咥え、いちど音階を吹くと、すぐに軽やかな踊りの曲を吹き始めた。デイヴィッドが竪穴の底で力一杯吹き鳴らした音とは全く違い、美しく、小鳥がさえずるような音色だ。
 短い曲を一つ吹き終わると、ダニエルは笛をデイヴィッドに返しながら言った。
「良い笛ですね。とても音の通りが良いし、音程もいい。普通に吹く分には、ただの笛です。」
「では、なぜ犬が?」
「吹き方によっては、犬笛のような音を出しているのかも知れません。」
「犬笛?」
 デイヴィッドが聞き返すと、ダニエルは頷いた。
「ええ。犬には、人間には聞き取ることの出来ない高さの音を聞き取る能力があると言われています。サー・デイヴィッドやぼくが今、耳にした笛の音は、もちろん人間に聞こえている音です。そして、サー・デイヴィッドが竪穴の底でこの笛を吹いたときに聞こえた音も、人間なら聞き取ることが可能な音域ということになります。それとは別に、犬にしか聞こえない高さの音も、同時に出ていたのかも知れません。」
「そういう話なら、狩猟犬の飼育係から聞いたことがあります。人には聞こえず、犬には聞こえる音ということですか。犬たちはそれに反応したということですか。」
「ええ、多分。ぼくが用心のために持たせたホイッスルは、外部の人間に危険を知らせるためのものですが、犬にしか聞こえない音というものは発していなかったのでしょう。
 でも、このリックとバックの笛は、犬を興奮させるような、何かもの凄い音、そして人間には分からない音を生み出していたのかも知れません。それも、サー・デイヴィッドがやったように、思いっきり吹いたときだけに。」
「なるほど。」
 デイヴィッドが納得して頷くと、ダニエルがニッコリと微笑んだ。
「つまり、リックとバックに助けられたということになりますね。」
「あの二人は、この笛が犬笛にもなるということを知っていたと思いますか?」
「まさか。リックとバックは狩りに興味がありませんからね。犬笛がどうとかは知らなかったでしょう。この笛が音楽用の笛であると同時に、犬笛にもなり得たのは、偶然だと思います。」
「そうか…」
 デイヴィッドは改めて笛をまじまじと見つめた。ダニエルは相変わらず穏やかに微笑んでいる。
「お座りになりませんか?サー・デイヴィッド。少しお話しましょう。」
「おけがは、大丈夫ですか?様子を見に来ただけなのですが。」
「大丈夫ですよ。本当はもう起きて歩き回りたいのですが、周りがあれこれと心配するので、今日は大人しくしていようと思っていますがね。」
 そう言って美しく笑うダニエルに勧められ、デイヴィッドはベッド脇の椅子に腰掛けた。



→ 13.デイヴィッド・ギブスン、細切れの情報をつなぎ合わせ、最後にひらめく

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12.神が作りたもうた全ての生物には人智を越えた力が備わっているという話
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  サー・ジョージの贈り物