レミントン城内には男がほとんど残っておらず、小姓一番年少のロブしかいなかった。ダニエルは、ロブに母オリヴィアの元に行くように命じた。マニュエルの死体が発見されたこと、領内の人員を動員して捜索が始まることを伝えさせるためだ。
 ロブが婦人たちのもとへ向かうと、ハルもテーブルを運ぶのを手伝いながら尋ねた。
「レディ・ロリマーへの報告、小姓で良いのかな。ダニーが自分でした方が良くはないか?」
「大丈夫ですよ。」
 ダニエルはにっこり笑いながら応えた。
「母は動じない性質ですから。別に騒いだりせず、黙って待ちます。それより、カペッロたちに知らせないと。これを台所に置いてから行きましょう。ところでハリー?…」
 ダニエルが少し首をかしげながらハルの顔をじっと見た。ハルはどきっとして、顔を上げた。相変わらずダニエルは穏やかに微笑んでいる。領内に客人の従者が死体となって転がり、執事とその従者が行方不明。そんな事態に見舞われた若い領主とは思えないほど、超然とした美しさでハルを見ている。
「ぼくに何かお訊きになりたいことがあるのでは?」
「いや。今はべつに。」
 ハルは即座に答えた。すると、ダニエルは反対側にまた首を少しかしげた。
「そう。ぼくはてっきり、何か訊きたいことがあるから、今朝の外出におつきあい下さったのだと思ったのですが。死体でそれどころじゃなくなりましたからね。もしかしから、サー・デイヴィッドとは別行動になっているのも、何か関係しているのかもしれないかと…ぼくの考え過ぎですね。」
「考え過ぎだ。」
「今はね。」
 ダニエルはもう一度ニコっと笑うと、中庭から回廊へと歩き出した。

 ハルとダニエル、二人してテーブルを抱え、城内を歩いてゆくと、二人の若い男とはちあった。城の男達は全員捜索に出ており、ほかにはオリヴィアなど女性達のところにロブが居るだけなので、つまり彼らは、客人のうちの二人 ― 学者達の従者兼見習い写本師の、ニコラスとパコだった。
 二人はやってきたダニエルとハルを認めると、おじぎをしながら、いぶかしげに尋ねた。
「あの…何かあったのですか?中庭に皆さんお集まりで…お出かけですか?何かお手伝いしますか?」
 パコが尋ねると、ニコラスも頷いてみせる。ダニエルは抱えていたテーブルを床に置き、首を振って答えた。
「いや、実は事件があって。捜索隊を出したんだ。二人とも、マニュエルを最後に見たのは、いつだ?」
「さぁ…昨日の朝かなぁ。台所で食事をしているのを見かけましたが…すぐにいなくなってしまいました。それっきりです。」
 パコがそう答えると、ニコラスが眉を寄せながら口を出した。
「事件ですって?マニュエルが関係あるのですか?」
「残念ながら、遺体で発見された。」
 二人は息をのんで絶句した。ダニエルが続ける。
「バルゲットという集落の水路で、今朝早く発見されたんだ。昨日の朝、マニュエルはどんな様子だった?」
「さぁ…」
パコはひどく当惑したような表情で首をかしげた。
「最近、まともに仕事もしなくて。トレス様のお世話も、私とニコラスで分担しているのです。先生たちはきっと、マニュエルを解雇して、国に戻すつもりだと思いますよ。だから私たちもあまり関わりを持たなくて…昨日の朝も、ただ朝食を終えて、台所から出て行くのを見ただけですから。私たちが来ると、急いで行ってしまいました。話しをしたくない様子で。」
「ここ最近、ずっとああでしたから、私も気にしませんでしたし…」
 ニコラスも同じように当惑しているようだ。ダニエルは小さく頷いた。
「分かった。写本作業は?」
「休憩中です。」
「よし、写本室に戻って、三人の先生方に、マニュエルが遺体で発見されたと知らせてくれ。ぼくと皇太子殿下もすぐ行くから、写本室でお待ち下さるようにと。」
「遺体はいま、どこに?」
「教会の集会所に運んだ。あとで先生方をぼくが案内するから。もういいよ。」
 ダニエルが手を振ると、二人はまた小さく礼をして、足早に写本室へ向かった。

 ダニエルがハルの方を振り返った。
「どう、思われます?あの二人。」
「驚いたような顔はしていたけどね。あの程度かなぁ。それに…」
 ハルは肩をすくめた。
「従者っていうのは、同僚同士仲良くするものだが。その割には、マニュエルの怠慢をそれほど不満に思っているようでもない。」
「彼ら、ここでは客人ですからね。従者同士でもめても、大した実りはないでしょう。」
「遺体で発見されたと聞いても、落ち着いているように見えたけど。」
「さぁ、それはどうでしょうね。」
 ダニエルが少し首をかしげると、台所の方から、水音や、桶のぶつかる音がするのが聞こえた。「さぁハリー、まずこれを片付けましょう。」
 そう言って、ダニエルはまたテーブルを持ち上げると、ハルを促し、台所に入って行った。ひっそりとした台所だが、奥の水場から、音がする。二人が入ってみると、そこには老婆が一人、洗い物をしていた。それもそろそろ、終わりらしい。
「ネリー、中庭に出した食べ物と、水筒は全部持っていったから。テーブルを引き上げてきたよ。ちょっと良いかい?」
 ダニエルが声を掛けると、老婆は振り返って、手は止めずにちょこんと礼をして見せた。
「まぁ、ダニー自ら、申し訳ありません。皇太子殿下までお手伝い下さるなんて!聞きましたよ、死体が出たんですって?ラリーさんは帰ってこないし…何か物騒なことが起こっているんですかねぇ。」
「その死体だけどね、ネリー。マニュエルだったんだ。」
 ダニエルが言うと、ネリーは身震いした。
「まぁ!あの学者さん達の従者でしたっけ?助手でしたっけ?」
「そのマニュエルが、昨日の朝、ここで食事をしているのを目撃されている。」
「ええ、ええ!そうそう!食べに来ましたよ!最近はご主人のお世話もろくにしていないし、姿も見えないって聞いていましたけどねぇ。そんな不真面目な子には見えないし、何だか上の空で、心配そうでしたよ…」
 老婆はダニエルが訊きもしないのに、色々としゃべった。
「その時、彼と何か話したかい?」
「さぁねぇ…」
 ネリーは少し考えた。
「まぁ、挨拶くらいはしましたよ。寒いですね、とか、今日あたりお客様がみえるとか…でも、ああ、一つだけ…」
 ネリーは囁くように言った。
「近々、ポルトガルへ物を送る予定はあるかって訊かれましてね。そりゃ、そんなことはしょっちゅうですから、ラリーさんにお訊きしたら、って言ったんです。」
「そうしたら?」
「べつに、それっきり。何とも言わずに食事を終えて、出て行こうとするんです。でもラリーさんはお出かけになったっきりでしょう?あたしも、マニュエルさんがラリーさんを見つけ出してくれると助かるなぁと思って。きっと水路の点検に出かけて、どこかで事故にでも遭ったのかもしれないとか、そんなことを話しましたけど。」
「それで、マニュエルはなんて?」
「いいえ、何も言わずに、出て行かれましたよ。出るときに廊下で、ニコラスさんとパコさんに会ったけど、仲間だって言うのに挨拶もせずに行ってしまいましたわ。」
 ダニエルはハルと顔を見合わせた。

 台所をあとにして回廊を戻りながら、ハルがダニエルに尋ねた。
「たしか、マニュエルはカスティーリャ人であるトレスの従者なんだろう?」
「ええ、そうです。」
「じゃぁ、マニュエル自身は?ポルトガル人だった?」
 ダニエルは首を振った。
「いいえ、ポルトガル人だとは言っていませんでした。もしポルトガル人だったら、ぼくや母の知り合いの話でもしたところでしょうけど、そんなことは一度もなかった。ポルトガル人のリベイラとも、特に同郷のよしみで親しくしているような様子もなかったし。でもまぁ、パリの大学でトレスに仕えるようになったらしいから、どこの出身でもおかしくはないでしょうね。」
「でも、マニュエルはポルトガルとの通信を気にしていた…。何だろう。」
「中庭を突っ切りましょう。写本室へは近道です。」
 ダニエルはそう言いながら回廊の半ばに据えられた扉を開き、中庭へと足早に出た。それを追おうとしたハルは一瞬、回廊の奥でひとけが動いたような気がして足を止めた。
 しかし、誰も居ない。ダニエルの方へ振り返ると、彼はもうガランとした中庭へと歩を進めている。ハルがそれを追うと、中庭の向こう側から、カスティーリャ人の学者,背の高いカペッロと、もじゃもじゃ頭のトレスがマントを羽織って小走りにかけてくるのが見えた。
「サー・ダニエル!」
 カペッロは青ざめた顔で、呼びかけつつ、ダニエルに駆け寄った。
「聞きましたよ、マニュエルが死んだのですか?本当ですか?遺体は今、どこに?」
 おろおろと矢継ぎ早に喚くカペッロをなだめるように、ダニエルはゆっくりと彼に近寄りながら小さく手をあげた。
「まず、落ち着いて下さい。詳しい話は…」

 ハルがあっと思った時には既に、中庭の中央より向こう側で、カペッロがダニエルに体当たりしていた。
 その一瞬、カペッロのマントの下から、僅かに光って見えたのは短剣の刃に間違いない。

「ダニー!」
 ハルがとっさに叫ぶのと、ダニエルが一瞬、身を反らしたのは同時だった。ハルの目にも、僅かな血しぶきが飛ぶのが見える。

 まともには喰らっていない ― ハルはそう判断したが、既にバランスを崩していた足をカペッロが払い、ダニエルは石畳の地面に、ドサリと倒れた。
 ハルは中庭に数歩、出たばかりだった。カペッロがダニエルを刺したのとほぼ同時に、マントを払って右手で剣を抜こうとしたが、そのハルの手首が、背後からもの凄い力で掴まれた。
「動くな!」
 ぎょっとするほど、右耳の間近で声がした。そのときにはもう、右側の背後からハルの喉に長い刃物があてがわれ、左腰にやったまま掴まれた右手首と相まって、完全に動きを封じられていた。
 首を僅かに右に傾けると、すぐ後ろに立って長剣を喉元にあてているのは、ポルトガル人学者のリベイラだった。昨日見たあのオドオドとした様子は微塵もなく、鋭い目つきのまま、ハルの動きを封じている。

 中庭の半ばを見ると、うつぶせに倒れたダニエルが、顔をこちらにむけている。意識はあるようだ。しかし、その後頭部をカペッロが踏みつけ、その背筋にいつの間に抜いていたのか、長剣の切っ先をあてている。後ろから走ってきていたトレスがしゃがみ込み、倒れたダニエルのマントの下から彼の短剣を取り上げ、鞘を払った。
 その頃には、中庭の両側からやはり手に抜き身の長剣を持った従者のニコラスとパコも走り出てきて、用心深く距離をつけつつ、ハルの方へ剣を構えた。

 「何の真似だ?」
 状況を確認してから、そう声を発したハルに、カペッロが鋭く言った。
「用件を手短にお話しします。皇太子殿下、地図を渡して下さい。さもなければ、サー・ダニエルをこのまま殺します。」
 あのいかにも年長の学者然とした穏やかな口調が嘘のような、険しい声だった。その手が持った長剣の切っ先は、マントからわずかに覗いたダニエルの白い首筋にピタリと当てられている。よほど筋肉を鍛えていなければできない芸当だ。一方、ハルを背後から封じているリベイラの気配にも隙がない。ハルは注意深く聞き返した。
「地図とは何のことだ。貴様らは何者だ。ただの学者ではなさそうだな。」
「質問の後半に答える気はありません。地図とは、サー・ジョージが作った、セウタの地図です。地図を手に入れるために殿下はここにいらしたのでしょう。さぁ、渡して下さい。」
「セウタの地図なんて知らん。何か勘違いしているようだな。」
 ハルは内心ひどく驚きながら、カペッロを睨み付けた。
「とぼけて時間稼ぎはなしです。リベイラ!サー・デイヴィッドはどうだった?」
 カペッロは大きな声でハルの背後のリベイラに問いかけた。リベイラはハルに隙を見せない体勢のまま、大きな声で答えた。
「残念ながら、彼も知りませんでした。どうやら、本当にお二人は知らずにここに来ているようです。」
「デイヴィッドがどうしたって?」
 ハルが問いかけても、リベイラはそれには答えず、ただハルの喉元に突きつけた長剣の角度を変えてその柄を見せただけだった。それに構わずにカペッロがいった。
「分かりました、殿下。地図のことはもうお訊きしません。では、話を変えます。我々は今からこのレミントンを脱し、サウサンプトンへ向かいます。国外に出るまでの安全を保証していただきましょう。」
「取引を持ちかけているのか。相手を誰だと思っている。」
「イングランドのプリンス・ヘンリー・オブ・モンマス。あなたの忠実な臣下、サー・ダニエルは人質としてこのまましばらく我々にご同行してもらう。皇太子殿下には、我々が国外に出るまで、手出しを控え、無事を保証してもらいます。」
「馬鹿を言うな。セウタの地図なんてとんでもない物を話題にした上に、こんな狼藉を働く輩をそう簡単に逃がしてやるわけがなかろう。」
「応じないとおっしゃるなら、サー・ダニエルはここで死ぬことになりますよ。ちょうど今、男手は全て捜索に出払っている。あなたにとって状況が不利であることはお分かりでしょう。」
 ハルが口を開く前に、今度はカペッロの左足下から、ダニエルが声を絞り出した。
「勘違いするな、こっちは臣下だ。臣下を殺すと脅されて譲歩する皇太子殿下ではない。無事に逃れられると思うなよ…」
 その言葉の最後の方は、後頭部を踏みつけるカペッロの足に力が入り、かき消された。
「ロリマー家最後の男子が迂闊なことを口走って命を粗末にするものじゃない。さぁ、どうしますか、殿下。」

 ハルは注意深く視線を巡らした。どうにか活路を見いだそうとするが、ダニエルの上のカペッロも、ハルの動きを封じて喉元に刃をあてている背後のリベイラにも、まったく隙がない。
 背後のリベイラが続いて口を開いた。
「もう、この剣の持ち主はお分かりですよね。」
「ああ。見慣れた剣だ。馬にはこだわるくせに、道具には無頓着だから、そこらにありそうな普通の剣だ…」
「サー・デイヴィッドの長剣をお預かりしました。」
 リベイラは大きな声でカペッロに言った。
「サー・デイヴィッドは、さる水路の竪穴にご案内して閉じ込めてきました。自力での脱出は不可能です。殿下、このレミントンには無数の竪穴がある。どの穴かは、私たちが無事に国外脱出した時にお教えしましょう。どうしますか?」
 向こう側でダニエルを踏みつけているカペッロが僅かだが満足げに微笑んだ。しかし、ハルは冷静に言い返した。
「俺にそれを信じろと?」
「見慣れたサー・デイヴィッドの長剣が今、私の手に握られ、殿下の喉元にあることをお忘れなく。」
「なるほど。」
 ハルは小さく息をついた。
「今、まさにレミントンの住人が総出で捜索しているんだ。竪穴もしらみ潰しに調べるさ。」
 ハルの視界の端で、リベイラが少しだけ笑ったようだった。
「しらみ潰しに竪穴を捜索して、無事に発見する方に賭けるのも良いでしょう。サー・デイヴィッドのお命のあるうちに見つけられれば良いですが、確率からいって、その可能性は低いですよ。」
「その前に貴様を拷問にかけるさ。」
 リベイラは動じなかった。
「殿下こそ、私どもを何者とお思いですか?」
 ハルは少し笑った。
「どうやら、かなり訓練された密偵の類いだな。演技力も大した物だ。話から察するに、カスティーリャの反王母勢力とでもいったところか?…図星だな。拷問に掛けられても絶対に吐かない自信があるというわけだ。」
 ハルの大きな声に、カペッロも、リベイラも表情を消した。トレスや、ニコラス、パコも油断無くハルに剣の切っ先を向けている。一方、ダニエルは顔を地面にこすりつけたまま、目を閉じていた。意識があるのかどうか、ハルの位置からは判別できない。
 リベイラがハルの喉元の剣を構え直し、右手首を掴む手に力を込めながら言った。
「そろそろ、雨が降るころでしょう。雪解け水や、辺りの排水を集め、竪穴に流れ込みます。そうなったら、サー・デイヴィッドの命は確実に失われます。あての無い捜索に賭けるより、私たちを早く、無事に国外に逃し、正確な竪穴の位置を聞き出す方が、確実にサー・デイヴィッドを救い出せますよ。」
 ハルは長くため息をついた。
 今、この体勢で事態を打開できる方法が見当たらない。時間稼ぎもどの程度有効かわからない。そもそも、時間稼ぎをすることが、ダニエルの命にどう関わるかも気になる。それでもハルはゆっくりと口を開いた。
「デイヴィッドは、あれでも臣下だ。臣下の命を質に取って、皇太子と取引できると、本気で思っているのか?」
「それ以前に、親友でしょう?親友の命は惜しくありませんか?」
「それは ― 」
 ハルは目だけを動かしてリベイラをにらんだ。
「 ― どうかな…」


→ 12.神が作りたもうた全ての生物には人智を越えた力が備わっているという話


ハル&デイヴィッド トップへ 掲示板,もしくはメールにて
ご感想などお寄せください。

No reproduction or republication without permission.無許可転載・再利用禁止
Copyright(c)2003-2006 Kei Yamakawa All Rights Reserved.


11. 皇太子ハル、レミントン城の中庭で難しい判断を迫られる事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  サー・ジョージの贈り物