レミントンの一集落バルゲットでは、馬を下りたダニエルが、手綱を持ったまま地域の代表をつとめるウェインの家の門前に向かった。昨日、ハルとデイヴィッドを牛の救出に駆り出した農夫が、ウェインだ。意外にも、その家の主人は、門前で何人かの男と額をつきあわせて何事かを相談している最中で、近づいてきたダニエルを見ると、駆け寄ってきた。
 「ダニー!よかった、今、お城に使者をやろうとしていたところだ。いらしたという事は、もう知らせが行ったのですか?」
 ダニエルは驚いて聞き返した。
「いや、そういう訳じゃないが…何かあったのか?」
「実はさっき、西側の排水路で、死体が見つかったんです。水車小屋の点検に行った連中が、途中でみつけて、慌てて知らせてきまして…」
 そう言われて、ダニエルとハルはウェインの背後に居る、農夫たちをみやった。寒い中、数人は服から水をしたたらせ、体を震わせている。ダニエルは、形の良い眉を寄せた。
「死体って、まさかラリーか?」
 すると、ウェインは逆にきょとんとした顔つきになった。
「ラリーさん?お城のラリーさんですか?」
 背後で震えていた農夫のひとりが首を振り、ボソボソと言った。
「いいえ、まさか。ラリーさんじゃなかったですよ。ラリーさんなら、見間違えない。」
「知らない人か?」
 ダニエルが彼らに確認すると、小さな仕草で頷いた。
「死体は今、どこに?」
 ウェインが答える。
「見つけた所にあります。今は見張りがいます。運んだ方が良いのか、どうしようか困っているのですが、とりあえずダニーに知らせようということになりまして…」
 ハルがダニエルの背後から言った。
「動かさずに、現場を見た方が良いな。」
 ダニエルは、振り向かずに頷いた。
「そうですね。ウェイン、案内して。ぼくが見る。」
 ウェインによると、その西側の水路というのは、歩いてすぐの場所だと言う。ダニエルとハル、ついてきたスパイクと、ダニエルの従者は、馬をおいて現場へ向かった。

 やっと太陽が顔を出した。しかし、その力はまだ弱い。バルゲット集落の西側には、地上に露出した形で水路がもうけられていた。ダニエルによると、サー・ジョージがポルトガルから帰国してから整備した、比較的新しい設備だと言う。
 道すがら、ウェインたちが説明するには、水路の水量が妙に少なく、水車の動きが悪いことから異変に気付いたのだと言う。そこで夜も明けない内から、数人の農夫が連れ立って様子を見に行くことにした。おそらく、水路の途中に何か大きなゴミや、猪か鹿の死体でも引っかかっているのだと思い、水車小屋から少し上流に歩いてみると、案の定、大きな塊が水路をふさいでいる。
 農夫たちは動物の死骸かと思ったが、実際は人間だった。彼らは驚き、数人の見張りを置いて、バルゲットの代表であるウェインに知らせた。そこに、ダニエルとハルが到着したというわけだ。
 そして今、ダニエルとハルも、その水路の障害物を見るに至った。
 傍らには、男が二人、突っ立っている。
「ご苦労様。この遺体、触ったかい?」
 ダニエルが足下の黒い塊をちらりと見ながら尋ねると、見張りの農夫たちは低く、かすれた声で答えた。
「最初に、本当に死んでいるかどうか確かめるために、仰向けにしました。それだけだよ、ダニー。死んでいると分かったから、このままにしようと思って。水流でまたうつぶせになっちまった。」
「わかった。もういいよ。」
 ダニエルは、案内してきたウェインに、水車小屋へ見張りの連中と一緒に行き、火をおこして暖を取るように命じた。ハルはそれを眺めながら、こういう細かい気配りが、領民からダニエルへの情愛をさらに強めているのだと、ぼんやり考えていた。
 「さてと…ハリー、見ますか?」
 ダニエルが目をやっている黒い塊を見ながらつぶやいた。川幅も広くない、小さな水路だ。深さはせいぜい二フィート以下だろう。死体は、その水路の南側の陸側に両足の先がつき、体のほとんどが水の中にある。黒いコートのようなものを来ており、肩からのケープが水流でまくれ上がり、死体の顔を隠している。
 「まず、引き上げた方が良さそうだな。」
 ハルがつぶやくと、背後で控えていたスパイクが、黙って水路に足を踏み入れる。ダニエルの従者もそれに続き、二人で死体の両脇を抱え上げた。ハルとダニエルが両足を持ち、四人がかりで重い死体を岸に引き上げた。死体を仰向けにしてケープを顔からどけてみると、その青白い顔が見えた。その顔を見たダニエルが、小さく息を吐いた。
「顔見知り?」
 ハルが尋ねると、ダニエルは頷いた。
「ええ。マニュエルです。」
「マニュエル…」
「昨日ご紹介した、カスティーリャ人学者、トレスの従者です。」
「ああ…では最近、なかなか所在が分からないとか言う男だ。でもダニー、実際は遊び歩いているような様子はないって、昨日言っていたけど…」
「ええ。こうなると、ますます何か事情がありそうですね。」
 そう言って、ダニエルは死体を調べ始めた。巻き毛の金髪が濡れてべったりと額にはりついているが、頭部に怪我はない。顔にも争ったような痕はない。ダニエルは、死体の頭を動かしながら、首の辺りを仔細に観察している。
「検視官は?」
 ハルが尋ねると、
「ぼくです。」
 ダニエルは死体を見つめたまま答えた。
「きみが?」
 ハルは思わず聞き返した。普通、検視官は騎士がつとめるものだが、ダニエルのような領地持ちがこの役職に就くのは珍しい。それを察したのか、ダニエルは美しい眉を下げながら、顔を上げた。
「実はそうなのです。この地域で検視官を務めていた騎士がもう引退するという時、どうしても後継者が居なくて。仕方が無いのでぼくにお役目が回ってきたのですよ。父が亡くなってすぐだったので、断りたかったのですが、どうしても他にいないと言われて…ああ、これだ。」
 ダニエルは濡れた死体の衣服を調べていたが、ベルトを緩めて腹部を見てみると、そこに大きな青痣ができていた。
「どうやら、正面からここを殴られましたね。痕から言うと・・・拳だな。」
 ダニエルが自分の右手でこぶしを作り、痣に当ててみると、痣はやや大きいが、形はそのまま合致しそうだった。
「ぼくより、手が大きく…おそらく右利き。他に争った形跡もないので、至近距離から一撃を食らわせ、倒れそうになったところで、首を掴んで、水路に頭を突っ込んで…」
 つぶやくように言いながら、ダニエルは死体になっているマニュエルの胸を手のひらで押してみた。
「肺に水がはいっているようだから、水死でしょうね。」
「別の水場という可能性は?」
 ハルが尋ねると、ダニエルは簡単に首を振った。
「ないでしょう。どうやら、ぼくらや見張りの連中がつけた以外の足跡が見られない。重いものを引きずった跡もないということは、殺害現場はここと考えるべきです。殺されて…せいぜい六時間程度しか経っていないように見えますね。…移動させましょう。」
 ダニエルは従者に、遺体を麻布に包み、馬かロバと、荷馬車を使って運ぶように指示した。スパイクもこの手の作業には慣れているので、残ってその作業を手伝うことにした。
 レミントンの教会は、城から少し離れている。ダニエルは、従者とスパイクに遺体をその教会に隣接する集会所へ運ぶように指示した。
 次に、ダニエルはハルと共に水車小屋に向かった。中で待機していたウェインをはじめとする農夫達は、不安そうな表情をしている。ダニエルは彼らを安心させるように、穏やかに説明した。
「遺体は、教会の方へ移動させた。明らかに事件があったようだ。ウェイン、出来るだけ人手を集めて、捜索をしてくれ。」
「何を探すのですか?」
 ウェインは緊張した面持ちで尋ねた。
「ここ数日のうちに、レミントンで見慣れない、そして怪しい人物の目撃情報、もしくはその当人。それから、ラリーと従者のヒューを探してくれ。」
「ラリーさん、どうかしたのですか?」
「四日前に水路点検に出かけたまま、連絡もなく帰ってこないんだ。」
「それは…」
 ウェインは同僚の農夫たちと顔を見合わせた。
「分かったよ、ダニー。なに、畑仕事はまだ暇だ。動ける連中を全員動員して…それから、犬も連れて行く。何か分かったら、お城に知らせればいいな?」
「そうだ。たのむよ。そちらの指揮はお前に任せる。」
 ウェインは力強く頷くと、農夫たちとともに飛び出していった。ダニエルは城へ戻るべく、ハルを促して歩き始めた。

 二人はバルゲットに戻ると馬に乗り、もと来た道を、レミントン城へ向かって歩き始めた。スパイクとダニエルの従者は、荷馬車を調達するため、後から出発して城には寄らず、直接教会へ向かうことになっている。
 朝の光が周囲を照らし始め、時おり出会う住民たちが、帽子を取って領主とその客人に向かって挨拶をした。彼らはウェイン指示で、大がかりな捜索にかり出されるだろう。
 ハルはダニエルの側に駒を寄せ、低い声で尋ねた。
「マニュエルを殺した犯人に、心当たりでも?」
「あるように見えますか?」
 ダニエルは困ったような笑顔で、聞き返した。ハルはうなずいた。
「見えるね。あの腹部の痣。あの位置に、あれほど強く拳を叩きつけるなら、相手は正面の、至近距離に居たはずだ。その上で、あれだけまともに喰らっていると言うことは…」
「顔見知りだったのでしょう。」
「そう、そして執事のラリーは目下、行方不明。バルゲットには彼を探しに来たのに、死体が発見されてしまった…。犯人がラリーなんじゃないかと疑っているのでは?」
「さぁ…どうでしょうね。」
 ダニエルは遠くに視線をやった。
「ハリーとサー・デイヴィッドがこちらにいらっしゃるという話が出た頃から、リベイラの様子がおかしいということを、ラリーにも話していました。その点は、彼も気に留めていたと思います。でも、死んだマニュエルのことは、何も。マニュエルとラリーの行方不明に、関連性があるかどうかは、何とも言えないでしょう。」
「でもダニーは、ウェインたちには、マニュエルを殺害した怪しい人物と、行方不明のラリーとヒュー,双方の捜索を命じた。」
「確かに。ラリーが、途中で何かのトラブルに巻き込まれ、マニュエルの死体もその関連だとも考えられます。もちろん、ラリーもヒューも、無事だと良いのですが…」
「もしかしたら、城へ戻っているのかも知れない。我々とは入れ違いに。」
 ハルがそう言うと、ダニエルは柔らかく微笑みつつも、瞳には不安の色が浮かんでいた。
「ええ、そうであるよう、願っています。」
 つまりダニエルは、ラリーもまた、マニュエルのような死体になって、どこかに転がっているのではないかと恐れているのだ。ハルはダニエルの美しい横顔を眺めつつ、それは口にせず、黙って駒を進めた。

 ダニエルとハルは、一路レミントン城へと戻ってきた。到着するなり、中庭にたくさんの軽食と水筒を用意させた。そしてミッジをはじめとする、城の従僕など、男たちを中庭に集め、マニュエルの死体発見を知らせた。彼らは一様に驚いた様子で、互いの顔を見合わせたり、不安を口にしたりしている。
 ダニエルは、彼らを落ち着かせると、手分けをしてレミントン領内を捜索するよう、指示を出した。探すのは、不審な人物や、マニュエルの目撃情報、ラリーとヒューの行方だ。この若く美しい領主は、むやみに騒がず、落ち着いて指示された捜索作業に専念するよう、彼らを促した。
 ハルはその様子をダニエルの後ろの方で見ていたが、なかなか立派なものだと感心していた。ダニエルのことを、女の子のように可愛らしく、領民に大事にされているお姫様のように思っていたが、その認識を改めるべきだと思った。
 ダニエルは、複雑な水路を細かく調べることの重要性を説明した。不審人物が隠れていたり、ラリーとヒューが事故に遭っている可能性もある。農閑期ということもあるので、手の空いている村の男子を極力協力させる。
 とにかく人手が必要なのだ。そこで、ハルはロンドンから連れてきた輸送部隊の連中にも、手伝うように口添えした。もちろん、彼らは勇んだ表情で協力に同意する。何か情報を掴んだら、軽々しく行動は起こさず、かならずレミントン城のダニエルに通報するよう、最後に念を押した。
 男達は幾つかの組を作ると、用意された軽食や水筒を持って、それぞれ中庭を出て行く。
「任せとけよ、ご両人!俺たちが協力すりゃぁ、すぐにでもならず者をとっ捕まえてやるさ!」
 ダニエルの指示を受けて、捜索に取りかかるべく、中庭の男達が動きはじめると、ネッドは興奮で顔を赤くしながら、ハルとダニエルに向かって言った。
「それは心強いね。頼むよ。」
 ダニエルが穏やかに微笑みながら応えると、ネッドはすこし面食らったようだった。ネッドのような男ですら、美男子のダニエルに微笑まれると、こういう反応をするのが、ハルには可笑しかった。
「がんばれよ、ネッド。お世話になった分、しっかり働け。」
 ハルがそう言うと、ダニエルがハルを回廊へと促した。
「さぁ、ハリー。マニュエルのことを、学者先生たちに知らせないと。写本室へ行きましょう。ああ、これくらいは、台所に持って行ってやらないと…」
 ダニエルは中庭に残された幾つかの小さなテーブルを集め始めた。この領主は、昨日も泥の中で牛の救出に精を出していたくらいだから、こういう仕事が苦にならないらしい。ハルも手伝おうとしたその時、ネットが中庭を最後に出て行く組と合流してようとして立ち止まり、振り返りながら怒鳴った。
「そうだ、ハル。デイヴィッドはどこへ行った?」
 ハルも足を止めた。
「いないのか?」
「今朝まではいたよ。ここで、俺たちと一緒に荷物の仕分けをしていたのに、昼前にふいっといなくなっちまいやがった。おかげで荷物は放りっぱなしだ。デイヴィッドの暴れ馬も厩には居ないから、出かけたはずだ。ハルのことを追いかけたんじゃないのか?」
「いや。俺は見ていない。」
「おい、お前らさっさと仲直りしろよ。お互い、何かと困るだろうが。」
 ネッドはそう言い捨てて、走り出した。ハルは眉を寄せ、ネッドの背中を見送った。口の中でいまいましそうに小さくブツブツとつぶやいていたが、気がつくと回廊への扉を開いたダニエルが、穏やかに微笑みながらハルを見つめていた。



→ 11. 皇太子ハル、レミントン城の中庭で難しい判断を迫られる事

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10.はからずも、若くて美しい検死官が活躍すること
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