レミントンの領主だったサー・ジョージ・ロリマーは、死後まだ五年ほどしか経っていないのに、伝説上の人物と化していた。むしろ、生前から伝説化していたとすら言われている。

 ロリマー家の三男で相続する土地もなく、十五歳でブラック・プリンスのカスティーリャ遠征に参加したというのが、その伝説の始まりだった。その後イベリア半島を単身駆け回って活躍し、多くの騎士道的な物語を残している。
 サー・ジョージがわずかな随身のみを引き連れて、各地でありとあらゆる悪党を退治したとか、名うての騎士に勝負を挑んで連勝したとか、そういう勇ましい話が多く、イングランド騎士の名声を大いに高めた。つぶさに伝説をさがせば、そのうち悪竜をやっつけたことになりかねない。
 そんなサー・ジョージであるだけに、美しい姫君とのロマンチックな噂も多かった。彼は非の打ち所のない騎士であると同時に、とても美男子だったといわれている。

 サー・ジョージが結婚したのは1380年。イベリア半島で自由気ままに、放浪騎士道生活を送っている時期だった。妻は、ポルトガル王国のさる貴族の娘で、オリヴィアといった。サー・ジョージはこのオリエンタルな顔つきをした妻をとても愛していた。二人が結婚した翌年、サー・ジョージのひとり息子,ダニエルが生まれている。
 サー・ジョージは妻の実家の所領を拠点にしながら、また騎士道的な冒険に出ようとしていたが、ほどなくポルドガル王家の宮廷に召しだされた。
 十三世紀末、イングランドとポルトガルは同盟関係となったが、それから約百年後の1386年にウィンザー条約が結ばれて正式な同盟となり、これを確固たるものにするために1387年、ポルトガル国王ジョアン一世が、イングランドのランカスター公爵ジョン・オブ・ゴーント(当時のイングランド国王リチャード二世の叔父)の娘,フィリッパを娶ることになった。このとき、サー・ジョージはかねてから交流のあったランカスター公爵から、フィリッパ付きの騎士に任命されたのである。イングランド人騎士であることに誇りを持っていたサー・ジョージは、これを喜んだ。

 イングランド,ランカスター公爵家から輿入れしたポルトガル王妃フィリッパは、才女という評判がたかく、またたくまにポルトガル宮廷の中心となった。国王ジョアンとの仲も極めて良く、たくさんの子に恵まれた。
 サー・ジョージは、王妃フィリッパが理想とするイングランド騎士の典型であり、なおかつポルトガル人たちへの尊敬心も持った度量の広い人物だったため、彼もまた宮廷の人気者となり、国王夫妻にとっては君臣の関係を超えた友人となった。もとより、サー・ジョージ最大の美質のひとつが、その友情の質と量であった。一方、オリヴィアもまた王妃フィリッパのお気に入りの友人となり、必然的に息子のダニエルもポルトガル王家に可愛がられながら成長した。

 ところが、フィリッパの輿入れから六年後、サー・ジョージは突如イングランドへ帰国することになった。
彼の実家の領地であるレミントンを治めていたロリマー家の男子がにわかに絶えてしまい、ポルトガルで気ままに暮らしていたサー・ジョージがこれを継がねばならなくなったのだ。
 ポルトガル国王夫妻は、ロリマー一家の帰国をいたく悲しんだ。彼らの子供たちの教育のためにも、ぜひともサー・ジョージには力を尽くしてもらいたいと熱望していたし、息子のダニエルも将来はポルトガルの貴族の娘と結婚して、よき騎士になるであろうと、期待されていたからである。しかし、ロリマー家の所領を失うわけにも行かない。サー・ジョージ夫妻はイングランドへ行っても、ポルトガル王室との友情は決して忘れず、文物の行き来を頻繁にして、両国の友好のために尽くすと約束し、長く慣れ親しんだポルトガルをあとにした。

 サー・ジョージが先祖伝来の所領レミントンに戻ると、領民は諸手を挙げての大歓迎だった。サー・ジョージのうわさはイングランドでも高かったし、なんといっても彼らはひと目サー・ジョージとその家族を見ただけで、彼らを気に入ってしまったのだ。サー・ジョージにはそういう不思議な魅力も備わっていた。
 若い頃はさんざんイベリア半島を縦横無尽に駆け回り、騎士道的冒険に明け暮れていたサー・ジョージ゙だが、自分の領地を持つようになると、今度はその運営に夢中になった。水はけの悪い土地柄だったレミントンに、灌漑施設と、土木工事を施し、牧畜のほかに新たな農地の開墾に力を尽くした。サー・ジョージはポルトガル王家とのよしみで、貿易でも財を成しており、その利益をレミントンの領民のために惜しげもなく使った。
 このため、レミントンはサー・ジョージが帰ってきてから何年もしないうちに、以前とは比べ物にならないほど、物成りが良くなった。噂に高いサー・ジョージの騎士道物語を聞こうとする来客も多く、必然的に商品交流も頻繁となった。レミントンは片田舎の農村だが、同時に非常に活気のある地域になったのだ。

 しかし、そんなレミントンとロリマー家にとって不幸なことに、サー・ジョージがほどなく病に倒れた。
 1399年、イングランド王家では国王リチャード二世を、ランカスター公爵の長男,ヘンリー・オブ・ボリンブルクが追い、ヘンリー四世として即位するという大事件が起きたが、このときもサー・ジョージは病に伏しており、どちらに味方することもなかった。
 もっとも、サー・ジョージはランカスター公爵家と親密にしていたため、ヘンリーに味方したであろうというのが、大方の見解だった。
 ランカスター公爵は政変の直前に亡くなったが、その少し前に、サー・ジョージは病をおして、レスター城で死の床にあるランカスター公爵を見舞った。いまの皇太子ハルと、その親友サー・デイヴィッド・ギブスンがサー・ジョージに一度だけ会ったのは、このときである。

 当時、ハルとデイヴィッドもまた、ハルの祖父であるランカスター公爵を見舞うために、レスター城を訪れていた。彼らをつれてきたのは、デイヴィッドの次兄スティーヴン・ギブスンである。
 もちろん、ランカスター公爵とサー・ジョージの会見に同席したわけではない。当時まだ十二歳の少年だったハルとデイヴィッドは、サー・ジョージが帰る間際に、控えの間で紹介された。
 少年たちはサー・ジョージの伝説を散々聞かされていたが、一方で長いあいだ病と闘っているという話も知っており、いくらか衰えた姿の騎士を想像していた。しかし、実際に会ったサー・ジョージは、まるで花嫁探しの旅にでも出て行きそうな、溌剌とした青年に見えた。少年たちの共通した認識では、その笑顔の爽やかさが、印象の第一だった。
 サー・ジョージは少年たちの肩に大きな手を置いて、将来の騎士たちを言葉で励ましたようだが、二人ともその内容を覚えていない。とにかく、背が高く、手があたたかく、美男子で、輝くような笑顔が、サー・ジョージの印象として記憶に焼きついた。
 ランカスター公爵はその後一ヶ月ほど後に没したが、サー・ジョージは翌年 ― つまりランカスター公爵の長男ヘンリー四世が即位し、ハルが皇太子になってからレミントンで亡くなった。
 亡くなる直前、サー・ジョージはハルとデイヴィッドに贈り物をしている。ポルトガルから取り寄せたという、美しいトルコ石のはいった拍車だった。立派な騎士になるようにとの励ましだったのだろう。皇太子と、伯爵の六男に同じものを贈ったのは、サー・ジョージが友人というものの本質が何であるかを理解していたからだろう。

 ハルとデイヴィッドが、この1407年2月に、レミントンに行ってみようという話になったのには、べつにこれと言った理由もない。ただなんとなく、気晴らしに遠出がしてみたいというハルの気分と、何かの偶然でサー・ジョージの話題が出て、あとを継いだサー・ダニエルと、その母オリヴィアをレミントンに訪ねてみようなどと、軽く考えただけだった。
 最初は二人だけで駒を並べて身軽に出かけようと相談していたのだが、皇太子とデイヴィッドがレミントンへ行くらしいという噂が立ったとたん、とんでもないことになった。この話を耳にした大勢の人間が、ロリマー家に届けて欲しいといって大量の贈り物を二人に託し始めたのだ。サー・ジョージとはカスティーリャで会ったことがあるとか、一緒にうまい酒を飲んで意気投合したとか言う連中がウヨウヨ現れる。
 しかも逆にロリマー家から引き取ってきて欲しい文物まで大量に委託されるという具合で、あっという間に二人の気軽な小旅行は一大輸送作戦になってしまった。
 さらに、ウェストミンスター付近の貴族や聖職者たちのみならず、城外にもそのうわさは素早く広がり、サー・ジョージを慕う人々が同じような行動に出た。中には、シティの商人連中もいるようで、ハルとデイヴィッドが届け、なおかつ持ち帰るべき荷物がとんでもない量に膨れ上がった。
 この事態にハルもデイヴィッドも閉口した。レディ・ジェーン・フェンダーが同様の依頼を持ち込んだときもそうだ。

 ジェーンは侍女と小姓たちに運ばせた大きな木箱二つとともに、デイヴィッドのところに乗り込んできた。デイヴィッドはうんざりしながら尋ねた。
 「きみも、サー・ジョージと楽しく酒を飲んだ仲間か?」
「そんなわけないでしょ。私を幾つだと思っているのよ。」
 ジェーンは冗談も通じないくらい、真剣な様子で荷物の目録を確認しながら答えた。
「どちらかと言うと、奥様のオリヴィア様と親しいの。私が出入りしていた聖アンジェラ修道院の施療院に、多額の寄付や、色々な薬も寄贈してくださっているのよ。ポルトガルから取り寄せた珍しい薬草もたくさんあって、助かるのよね。だから私も個人的に手紙のやりとりをして、医学書や薬を交換しているわけ。ええ、これで大丈夫。封をしていいわよ。じゃぁ、これが目録。なくさないでね。」
 ジェーンがそういって羊皮紙の目録をデイヴィッドに渡すと、背後で騒々しく小姓たちが木箱のふたを打ちつけ始めた。デイヴィッドはまたため息をついた。
「交換しているって言ったな。まさか、レミントンから持ち帰ってほしいものがその箱と同じくらいあるとか言わないでくれよ。」
「あるわよ。木箱四個分。」
「倍だ。」
「これが、持ち帰る分の目録ね。先にオリヴィア様とは手紙で確認済みだから、あとは詰めるだけ。でも、詰めるとき、ちゃんと目録と照らし合わせるようにして。」
「そんなこと…」
「大丈夫よ。レミントンには、ラリーっていう有能な執事がいて、何もかもちゃんと取り仕切ってくれるから。私や、聖アンジェラ修道院に届く荷物の目録にも、いつも最後にはラリーのサインがあるわ。帰りこそ気をつけてよ。油断して盗賊になって襲われたら、大損害だわ。」
「勘弁してくれよ。俺とハルはちょっと遊びに行くだけのつもりだったのに、こんな大量な荷物を引きずっていくなんて…」
「あら、話によると、ロンドンでも一番の護衛がつくそうじゃない。それほど安全な輸送隊がレミントンに向かうのに、その機会を逃す手はないわ。」
 護衛とは、どうやらハルとデイヴィッドのことを言っているらしい。

 デイヴィッドがしぶしぶジェーンからの依頼品を受け取り、荷馬車の追加手配をするために馬場に向かうと、先にハルが来ていた。彼も何人かから貨物を頼まれたらしく、荷馬車の担当者に説明し終えたところだった。デイヴィッドがハルにジェーンからの依頼を伝えると、ハルはニコニコしながら言った。
「そりゃ、彼女としては当然だな。ついでにもう一人、来たぜ。」
 ハルが言い終わらないうちに、ころころとよく太った若者が、両手で大きな木箱を一つかかえ、ドアを押しのけながら入ってきた。
「ああ、皇太子殿下、サー・デイヴィッド、こちらにいらしたのですか。良かった。まだ間に合いますよね。」
 小太りなその男は、木箱をそっと地面におろすと、まだ二月も半ばで寒さが厳しいというのに、ふうふう言いながら額の汗をぬぐった。公式文書製作係および天文係の、ジョン・ダンスタブルだ。
「まさかお前も、その荷物をレミントンへ持ってゆけと言うんじゃないだろうな。」
 デイヴィッドが睨むと、ダンスタブルは飛び上がりそうなくらい驚いた。
「ええっ?もちろん、そうですよ。イングランド一の強力護衛がつくそうじゃありませんか。お願いしますよ。」
「お前、サー・ジョージと仲良くするような年齢じゃあるまい。何か関係あるのか?」
 ハルが尋ねると。十七歳のダンスタブルはうれしそうにうなずいた。
「ええ。いま、トム・リックと、マイク・バックがレミントンに滞在しているんですって。手紙で、二月いっぱいは留まると言っていました。」
「誰だって?」
「トム・リックと、マイク・バックですよ。旅楽師の二人組です。」

 ダンスタブルの説明によると、音楽にも造詣の深かったサー・ジョージは、トム・リックとマイク・バックという二人組の旅楽師をとても可愛がっていた。この二人組は若い頃、ヨーロッパ大陸を股にかける大活躍をしたとかで、二十年前、ランカスター公爵の娘フィリッパがポルトガルに輿入れした際も、その余興人員としてポルトガルに行ったという。サー・ジョージと初めて会ったのはこの時らしい。
 サー・ジョージは彼らの音楽をとても愛し、援助を惜しまなかった。サー・ジョージがイングランドへ帰国してからも、リックとバックは拠点を同じくイングランドに移して旅を続け、何度もレミントンに長期滞在しては、サー・ジョージとその家族や、領民たちの耳を楽しませてきた。サー・ジョージ亡き後も、この習慣に変わりない。

 「リックとバックはよくダンスタブルにも来てくれましてね。」
 ジョン・ダンスタブルは、懐かしそうに言った。この場合の「ダンスタブル」とは、彼の故郷であるベッドフォードシャー,ダンスタブル村のことだ。
「私にとって一番古い記憶の一つが、村祭りで楽しく演奏するリックとバックの姿です。リックは歌が得意で、詩も抜群。バックは歌こそ苦手なようですが、楽器の天才で弾きこなせない楽器は一つもないというほどの腕前。いくつもの楽器をとっかえひっかえして演奏する様は、見ものですよ。
 いつの頃からか私は彼らと仲良くなりましてね。私の村にくるたびに、歌や楽器を教えてもらいました。村中のみんなにも、旅先での色々な話を聞かせてくれましたし、彼らを庇護してくれる素敵な騎士たちのお話も面白かった。中でも、サー・ジョージの話にはみんな夢中でしたよ。
 以来、リックとバックは私を可愛がってくれまして、珍しい楽器が手に入ると、プレゼントしてくれたり、貸してくれたりと、とても世話になったのです。それで、私も出来る限りのことがしたくて、ロンドンに出てきてから手に入れた良い楽器を、リックとバックに贈呈することにしました。」
「それが、これ?どんな楽器だ?」
 ハルが興味深げに、ダンスタブルが持ってきた大きな木箱を見下ろした。この皇太子はウェールズで育った頃に習ったハープが特技で、ほかにも多少音楽ができる。
「ああ、ごめんなさい。皇太子殿下にお見せしてから封をすれば良かったですね。最新式のハーディガーディと、装飾のきれいな小さなリュートです。両方とも、音がとても良いですよ。」
 荷物が増えてうんざりしているデイヴィッドに対し、ハルは上機嫌だった。
「よし、分かった。ちゃんとそのリックとバックに届けてやるよ。どんな人相の連中だ?」
「二人とも、年齢は四十くらいでしょうね。ランカスター公爵のお姫様がポルトガルに嫁いだとき、随行したのが二十歳くらいだと言っていましたから。リックはかなり目立つまっすぐの金髪で、あまり背格好は大きくないです。ああ、やや鼻にかかった声をしていますね。バックのほうは、痩せ型で背が高くて ― サー・デイヴィッドよりちょっと大きいくらいです。髪は黒くてすごいくせ毛。目つきが悪くて無口だけど、優しい人ですよ。」

 レミントンへの出発の前日、もう荷物は増えないだろうと思った頃に、今度はハルとデイヴィッド二人して、ウィンチェスター司教に呼び出された。二人が大法官の執務室に入るなり、ハルが
「叔父上まで何か持って行けなんておっしゃるんじゃないでしょうね?」
と言うと、ちょうど執務室から退出しようとしていた小姓が噴き出した。
「なんだと?」
 小姓が扉を閉めてから、大法官のウィンチェスター司教ヘンリー・ボーフォートが目をギョロリとさせながら訊きかえした。
「レミントンのロリマー家へ運ぶ荷物ですよ。もう受付終了ですからね。馬輌部からも、これ以上何も増やしてくれるなと言われていますから。こうなるともう、ちょっとした軍隊ですよ。」
「何を言っているのだ、お前は。ボーフォート家からの荷物は、もうとっくに手配してある。お前たちがレミントンに行くとききつけて直ぐに手配したからな。ヨーロッパ一の護衛がつくんだ、当然だろう。」
 ハルとデイヴィッドは顔を見合わせた。

 国王ヘンリー四世の異母弟のボーフォート三兄弟にとっても、ポルトガル王妃フィリッパは腹違いの姉である。二国間の同盟関係もあって、普段から情報交換も頻繁だろう。そうなると、ポルトガル国王夫妻と親しいレミントンのロリマー家とも、よしみを結ぶのは当然だ。そういうわけで、ボーフォート家は早々に三兄弟で豪華な贈り物を取りまとめ、いち早くハルとデイヴィッドの輸送部隊(今やそういう位置づけになっている)に託してあった。ウィンチェスター司教がハルとデイヴィッドを呼び出したのは、荷物のことではないらしい。彼は執務机の上を片付け、ひじを着くと組んだ手の上にあごを乗せて言った。
 「せっかく行くのなら、物を運ぶだけというのも面白くあるまい。」
「もともと遊びにいくつもりなのですから。」
 ハルが笑うと、
「イングランドの皇太子に、遊びなんぞあってたまるか。」
ウィンチェスター司教はニコリともせずにそう返した。

 ウィンチェスター司教は、ハルとデイヴィッドがレミントンに出かけるという情報を得るとすぐに、ロリマー家への贈り物を手配するとともに、配下の密偵からポルトガルとイベリア半島情勢に関しての情報を集めさせた。
 イベリア半島にはキリスト教国としてはアラゴン,ナヴァール,カスティーリャ,ポルトガルの四王国があり、南東部にグラナダ王国が最後のムスリム国として残っていた。
 キリスト教国のうち、ナヴァールは現イングランド王妃(ヘンリー四世の後妻。ハルとその兄弟の母親ではない)がナヴァール王国出身であり、ポルトガル現王妃フィリッパがヘンリー四世の同母妹、そして現カスティーリャ国王ファン二世が、ヘンリー四世の甥という関係にあった。
 いずれも現時点でイングランドとの関係に大きな問題はない。しかし、ウィンチェスター司教の手元に届いた密偵からの情報の中には、かすかに司教の懸念になり得る要素もあった。
 カスティーリャ王国のことである。

 事の発端は四十年ほど前に遡る。カスティーリャ王国のアルフォンソ十一世が死去したあと、王位継承争いが勃発した。まずはアルフォンソの嫡男ペドロが王位についたが、1366年庶子のエンリケがフランスの後援を受けて、腹違いの弟ペドロを王位から追った。ペドロはイングランドの皇太子エドワード(エドワード三世の長男,ブラック・プリンス)の援助を得て、翌年王位を奪回。このとき、ブラック・プリンスとともにカスティーリャ遠征に参加した弟のランカスター公爵ジョン・オブ・ゴーントは、二人目の妻として、ペドロの娘コンスタンスを娶っている。
 その後、イングランドはカスティーリャの王位継承争いから手を引き、その間に庶子エンリケが再びペドロから王位を奪った。ペドロはこのとき命を落としている。エンリケはエンリケ二世として王位についたものの、その正当性はたびたび疑問視された。彼は即位から約十年後に死去。その息子のフアンが国王となったが、ペドロの娘を娶っていたイングランドのランカスター公爵が、カスティーリャ王位の正当性に掣肘を加えるという事態に陥った。
 結局この件は、フアンの長男エンリケに、ランカスター公爵とコンスタンスの娘であり、ペドロの孫にあたるカタリナ(キャサリン)を娶わせることで解決した。このエンリケがエンリケ三世となって即位し、その王妃はイングランド国王ヘンリー四世の腹違いの妹という関係になる。
 ところが、去年1406年の暮に、エンリケ三世が二十七歳という若さで急死してしまった。残されたのは、わずか二歳の息子。これがフアン二世として即位し、母親のカタリナが摂政をつとめることになったのだ。つまり、現在のカスティーリャ国王は、イングランド国王ヘンリー四世の甥であり、ハルにとっては従弟にあたる幼児が国王、その摂政がイングランド国王の妹,ハルの叔母ということになる。

 元来腹黒くて陰謀体質のウィンチェスター司教 ― 彼もまたカスティーリャ国王の叔父だ ― は、この状況に満足していた。カスティーリャ王国はしばらく、イングランドにとって利するに違いない。
 ところが、当然カスティーリャ王国内に王母の実家であるイングランドの影響を歓迎しない貴族も多い。特に、四十年前の王位継承争いの発端となった庶子エンリケ二世派の流れをくむグループは、ペドロの孫である王母カタリナが疎ましく、しかも彼女が摂政で国王が幼少であることをよいことに、イングランドと親密に振舞われるのは面白くない。
 ウィンチェスター司教の手元に届いたのは、そういったカスティーリャ王国内の反王母カタリナ,反イングランドの貴族たちの「気分」であった。

 司教はそこまでハルとデイヴィッドに長々と説明したが、二人とも途中で退屈してしまった。特にハルは、椅子に腰掛けて頬杖をついたまま、居眠りを始めている。デイヴィッドはさすがに最後まで辛抱強く聞いていたが、ウィンチェスター司教ほどは、カスティーリャの反イングランドの「気分」には危機感を持たなかった。その理由は、いまのところ外交上これといった干渉をイングランドが行っていないからである。
「王位継承問題にはけりがついていますし、対フランス外交上も今は何もないでしょう。逆に反王母だの、反イングランドだの言って内乱に陥ったら、アラゴンあたりからつまらないちょっかいを出されかねない。その程度のことは四十年前のことで学習しているだろうから、それはないでしょう。」
「油断はならんぞ、デイヴィッド。こっちも今は内乱対応で積極外交は手控えているが、将来はどうなるかわからん。われわれの主題は常にフランスだ。これにいざ取り掛かろうとしたときに、イベリア半島からくだらん邪魔が入るのはつまらん。その原因になりそうな芽は、今のうちに摘んでおくべきだ。」
「司教様は心配性で、しかも陰謀が好き過ぎるのですよ。」
 デイヴィッドも遠慮しない。司教は苦笑しながら背中を背もたれに預けた。
「別にレミントンで騒ぎを起こしてこいとは言っていないだろう。そういう気になる情報もあるから、ロリマー家からも何か情報がないか、聞き出して来いといっているだけだ。」
「もともと、遊びにいくだけの話なのですが。」
「デイヴィッド・ギブスンに遊びなんぞあってたまるか。」
 寝ていたはずのハルが大声で笑い出した。


→ 2.旅の途中で、愉快な旅楽師二人と出会い、愉快な夜を過ごす事

お断り
 この小説には、現在のスペインやポルトガルにあたる国の人物名が登場します。
 たとえば、英語のヘンリーと、スペイン語やポルトガル語でのエンリケは同じ名前で、日本語ではそれぞれのオリジナル発音に従って表記します。
 この小説でも、日本語ですので同じ名前でも日本語表現での慣例に従って表記しています。



1.サー・ジョージ・ロリマー・オブ・レミントンの物語
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  サー・ジョージの贈り物
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