ハルとデイヴィッドが馬を少し飛ばしてレッド・ホロウに到着してみると、ホワイト・ウィージルよりもだいぶ手前で、大騒ぎの人だかりに行く手を阻まれた。直ぐに数人が二人の到着に気づき、大声で
「ハルとデイヴィッドが来たぞ!」
と叫ぶと、老若男女レッド・ホロウの元気な連中は二人のために道をあけた。すると、ハルとデイヴィッドにも状況が飲み込めた。
 人だかりの中心で、フォールスタッフがずっしりと胡坐をかいており、その下にどこかの貴族の家来のような身なりの男が、長くなっているのだ。その周りをネッドや大工、左官屋、鍛冶屋、青物屋や道具屋、はたまた酒場の親父やその客などが取り囲み、口々に説明しろ、納得がいかないと喚いているのだ。
 「おい、何事だ?」
その人だかりの中心にたどりつき、まずハルが尋ねた。
「よう、来たなハル、デイヴィッド!早かったじゃねぇか。ジョニーに礼を言わなきゃな。おい、こら!ハルとデイヴィッドが来たからにゃ、しらばっくれるのもこれまでだからな!」
 ネッドが丸いはげ頭をブンブン振りながら、フォールスタッフの下敷きになった哀れな男に怒鳴った。すると、その男は弱々しく手を上げて助けを求めた。
「こ、皇太子殿下…お助けください…」
 ハルは呆れてフォールスタッフに説明を求めた。
「一体どうしたんだ、フォールスタッフ。どう見てもこの人、漬物じゃないだろう。」
「こんな不味そうな漬物、食えねぇな。」
 フォールスタッフはネッドの手を借りながら、のっそりと立ち上がった。すると下敷きになっていた男の体から、風の抜けるような奇妙な音がして、そして地面に這いつくばったままゆっくりと顔を上げた。そこには丁度ハルとデイヴィッドの足が見えていた。さらに顔を上げてハルとデイヴィッドを見上げた。
「わ、私がなぜこのような目に…」
 力なく呟いた男に、またネッドが怒鳴った。
「なぜだなんて、図々しい野郎だな!ハルとデイヴィッドは今朝の捕り物の主役だぞ!あの強盗どもをとっ捕まえてくれたのに、てめぇが逃がしやがったんじゃねぇか!」
 そうだ、そうだと周囲も騒ぐ。そしてフォールスタッフが咳払いをし、飲み屋の小僧からエールを一杯受け取って一瞬で飲み干すと、腹をブルンと振るわせてハルとデイヴィッドに向き直った。
 「二人とも、存外早かったな。俺たちもこいつを引き止めた甲斐があったというものだ。礼は後で良いぞ。王宮の晩餐に呼んでくれても一向に構わない。」
「事情を説明しろ。」
 デイヴィッドが低い声で促すと、フォールスタッフは大仰に頷いてから口を開いた。
 「ああ、してやるともさ、お姫様。いいか、今日の未明ストランドの宿屋に押し入った強盗どもを、お前らがふん縛って牢屋にぶちこんだだろう。ところが、この野郎がなんだかしみったれた書類を持ってきて、牢屋から強盗どもを開放しやがったんだ。」
「つまり、釈放したのか。」
 ハルがつぶやくと、デイヴィッドが地面に長くなっていた男の両腕を背中から引っ張り上げて立ち上がらせた。まだフラフラしている。
「そんな馬鹿な話があるかってんだ!こいつぁ、何かの間違いに決まってら。だから、この大馬鹿野郎をこうやって捕まえて、お前さんたちに通報してやったのさ。」
 ネッドが自信満々にそう説明を締めると、周囲はやんやの歓声となった。ハルは呆れてデイヴィッドの顔を見たが、デイヴィッドはハルの背後を見つめている。ハルもそっと振り返ってみると、見覚えのある背の高い男が丁度背中を向けて、人だかりから離れていった所だった。ジュリアン・ケイニスだ。
 ハルはやっとフラフラを止めた男に視線を戻した。こぎれいなお仕着せを着て、髭もさっぱりと剃ってある。どこかの貴族の館に使えている従僕か、もう少し立場のありそうな男だ。ハルにもデイヴィッドにも、そのお仕着せがどこかで見たような印象があるが、それが何なのかは判然としなかった。しかし、その答えは簡単にもたらされた。男が口を開いたのだ。
 「私をこんなひどい目に遭わせるだなんて、反逆ものですよ。アランデル伯爵家がどれほど、国王陛下のご信頼を得ているか、知らないわけじゃないでしょう。あんたたち、皇太子殿下に胸張ってなどいないで、取り成しを頼んだ方が良いや。」
「アランデル伯爵家ぇ?」
 ネッドがびっくりして聞き返した。するとフォールスタッフが動じることなく二杯目のエールを立ち飲みして、コップを放り投げた。
「ほほう、つまりアランデル伯爵家が強盗を逃がしたってのか。穏やかじゃねぇな。どうだい、ハル?」
「そうなのか?」
 ハルは男のお仕着せが、アランデル伯爵家の従者たちのそれであることを思い出し、デイヴィッドと一瞬視線を交わしてから尋ねた。するとアランデル伯爵家の男は少し困ったように首を振った。
 「いえ、伯爵家は今回のことには直接関係ありません。ただ、カンタベリー大司教様が、今日は聖マリア清めの祝日で、ミサも大々的に行われるから、恩赦を発令されたんです。つまり、祝日の最初に逮捕された罪人を解放せよ、っていう恩赦で。カンタベリー大司教様はアランデル伯爵のロンドン邸宅に滞在中でしたから、伯爵家にお仕えする私がその執行代理人に任命されたんです。カンタベリー大司教様の恩赦ですよ!それに異を唱えるとは、その覚悟があるんでしょうね?」
 急に元気になってきた男は、お仕着せの埃をはらい、レッド・ホロウの人々をぐるりと見回した。男も女も、押し黙ってしまったが、納得のいかない不機嫌な顔で伯爵家の男を睨んでいる。ハルもデイヴィッドも黙っているので、男は急にくるりと体の向きを変えた。
 「とにかく。私はお役目が終わりましたので、お屋敷に帰りますからね。私が伯爵家にお仕えしていることは知らなかったようだから、無礼は多めに見ます。皇太子殿下やサー・デイヴィッドのお友達とあれば、伯爵家もお許しになるでしょうから…」
「分かった、早くお屋敷に戻るんだな。」
 ハルがニコニコしながら言った。
「お屋敷に、もしアランデル伯爵夫妻が滞在していたら、夕方までに俺とデイヴィッドがお邪魔すると、お伝えしてくれ。いや、そんなにびっくりするほどのことじゃない。ただの挨拶さ。仰々しい迎えは不要。いいな?」
 ハルは微笑んでいるが、有無を言わせない。アランデル伯爵家の男が新たな面倒を抱え込んでしまったような気分になって、すこし顔を高潮させた。しかしデイヴィッドが人だかりに命じて道を明けさせるので、是非もない。彼は皇太子やその親友の騎士への挨拶もいい加減に、そそくさと逃げ出した。
 「おい、いいのかよハル!デイヴィッド!強盗を逃がすなんて俺たち下々の生活を何だと思っていやがるんだ?」
 ネッドが呆れてハルとデイヴィッドを交互に見ながら抗議した。
「仕方がないだろう?恩赦なんだから。その慈悲に感じ入って、強盗どもも改悛するかもな。」
 ハルはそう言うと、もうデイヴィッドと歩き出している。
「本当にただの恩赦だと思っているのか?」
 フォールスタッフがエールで少し顔を赤くして言ったが、もうハルは随分先を歩き始めている。デイヴィッドがそれを追いながら言い捨てた。
 「ありがたいカンタベリー大司教様からの恩赦。お前らもそのうち、お世話になるかも知れないぞ。」

 ハルもデイヴィッドも、さっきの人だかりの中に、スパイクやマライアの姿が無いことに気づいていた。強盗釈放の経緯は分かった。次はスパイクの伝言、『回文男が現れた』だ。二人は狭い路地に入る前に馬を馬屋に預け、ホワイト・ウィージルに急いだ。その道すがら、ハルがデイヴィッドに尋ねた。
 「ケイニスはなんであそこに居たんだと思う?」
「ケイニスはロヌーク夫人を捜しているんだ。そうすると、スパイクの伝言にかかわりがあるだろう。」
「そうだな。ああ、居た。」
 もう一つ路地を曲がればホワイト・ウィージルだというところに、ケイニスが立って二人が来るのを待っていた。彼はマントのフードをはずし、僅かに挨拶をしながら二人に言った。
「お二人とも、良い所に。お話があります。」
 ハルが足を止めて深く頷いた。
「分かっている。回文男のことだな。」
「回文?」
 ケイニスは、小さくて鋭い瞳に、当惑の色を浮かべた。髭を生やした口元がすこし緩み、ハルとデイヴィッドの顔を見回した。
「回文というのは何です?」
「お前が追っている、ロヌーク夫人を知っている男ではないのか?」
 デイヴィッドが訊きかえすと、ケイニスは明らかに驚いたようだった。もっとも、彼の場合はその表情の動きはごく僅かなのだが。
「いえ、そうではありません。私はカンタベリー大司教の動きが気なって、ご相談しようかと思っていたのです。さっきお二人もご覧になったとおり、強盗に恩赦とは少々…。でも、そちらの案件が優先ですね。ロヌーク夫人を知っている男が現れたのですか?」
 ハルとデイヴィッドは顔を見合わせた。どうやらスパイクとマライアの情報は、ケイニスの上を行っていたらしい。ハルは再び歩き始めながら言った。
「そうらしい。多分、ホワイト・ウィージルにヒントがある。お前も一緒に来い。」
 ハルやデイヴィッドよりもさらに背の高いケイニスは二人に続き、物々しい三人が足早にホワイト・ウィージルに向かう。周囲の人々が何事かと彼らの姿を見送った。

 いつもなら飲み食いする人間でさざめいているホワイト・ウィージルは、静かだった。当然だ。連中はまだ、さっきの騒ぎのあったあたりでノサノサしている。
 用心のために、デイヴィッドはドアを開けようとするハルを制し、自分の後ろに立たせてから、素早くドアを開け放った。
 そこには、異様な光景があった。
「王子様とサー・デイヴィッドがいらしたわ!さぁ、覚悟おし!」
 マライアが威勢良く言った。食堂の真ん中で、マライアが箒を持って仁王立ちになり、その前の椅子に若い男がちょこんと座っている。そしてその正面で、スパイクが剣を抜いて若者の鼻先につきつけているところだった。スパイクは振り返り、ハルとデイヴィッドに挨拶し、さらに背後に居るケイニスを用心深く見やった。
「わぁ!お出ましですなぁ、助かった!」
 若者が嬉しそうに言った。夕べマライアとスパイクが言ったとおり、その若者は明るく、しかも凄い下町訛りで楽しそうに言った。フワフワした髪に、青く巨大な瞳でニヤニヤしている。さらに驚いたことに、その若者は最後に入ってきたケイニスを見て、笑い出したのだ。
「よぉう!皇太子殿下と、サー・デイヴィッドと一緒とは有難いね。助けに来てくれると思ったぜ、ジュ!」
 ハルとデイヴィッドは驚いて振り返った。ケイニスは眉をしかめ、聞こえないほど低い声で、何事かをつぶやいたようだった。マライアとスパイクはキョトンとしている。
 ハルとデイヴィッドはしばらくケイニスと若者の顔を見比べ、やがてケイニスのファースト・ネームがジュリアンであることに気づいた。
「ジュって、お前のことか。彼は?」
 ハルが拍子抜けて尋ねると、ケイニスは小さくため息をつきながら答えた。
「ウィンチェスター司教様の配下で、私の同僚です。」
「名前は?」
 デイヴィッドが若者に尋ねた。すると若者は大きな瞳をクルクルさせながら、嬉しそうに答えた。
「レオン!」
 数秒、ホワイト・ウィージルに沈黙が訪れた。ハル、デイヴィッド、スパイク、そしてマライアは同時に頭を回転させ、そして同時に答えを得た。それを察知した若者・レオンが相変わらずニコニコしながら言った。
「右から読んでも、左から読んでも?」
「ノエル・レオン!( NOEL LEON )」

 いつもの面々が、ホワイト・ウィージルに戻ってきたので、ハルとデイヴィッドは、ケイニス,レオンと共に場所を替えた。いつもハルとデイヴィッドが宿泊する階上の「王の間」に移ったのだ。小さな寝室なので成人四人が入るにはやや狭い。ハルとデイヴィッドは二段ベッドのそれぞれに腰掛け、密偵の二人は立っている。マライアが気を利かせて、小さなテーブルにパンとチーズ、エールを置いていってくれた。
 「ここで出すエールはおいしいから、仕事以外でも飲みにきたいよ。」
 レオンは相変わらず楽しそうに喋る。
「ほら、俺はずっとカレーで仕事をしていたろ?ジュ。イングランドのエールが懐かしくてさ、こっちに戻ってから飲むエールの美味いのなんの、って。いっくらフランス系の名前してても、やっぱ自分はイングランド人なんだなぁって、自覚したわけ。
 そりゃ食事全般はカレーの方が良いと言うのは認めなきゃならないけど、どんなに食事が不味くったって、イングランドは我らがイングランドであって、エールの美味さを否定するには説得力が無い。
 だからロンドンに戻れるって聞いた時は、海峡をひとっ跳びで超えられそうなくらい嬉しかったねなぁ。違う言い方をすれば、嬉しすぎてウィンチェスター大聖堂を齧り尽くす事だって、出来るくらいってことさ。ああ、そんな事したら司教様が怒り狂うな。
 あの人も気を利かせて俺をロンドンに戻してくれたのかとちょっと感動していたんだけど、よくよく考えりゃ通常の人員交代の時期だったのかなぁ。次はもっと南に飛ばされるかと思ったら、ロンドンに戻ってこれたろう?どんなに酷い天気の町だって、生まれ故郷は良いもんだ。
 それで思ったんだけど、俺をロンドンにもどすようジュリアンが進言したんじゃないか?だって、長い付き合いだ。俺がロンドンに戻りたがっているのは分っていただろ?ジュ。」
「お前の能天気さには呆れる。」
 ケイニスは無表情だが、心底うんざりしているのはハルとデイヴィッドにも感じ取ることが出来た。それでも、レオンは相変わらず下町訛りでペラペラ喋る。
 「はっ!これだよ。皇太子殿下も、サー・デイヴィッドもこれは知っていたほうが良いと思いますけどね、このジュリアンってのは終始この調子で、本当は地面にひれ伏してだれ彼構わず、馬の足にさえキスしてもいいぐらい嬉しいって時でさえ、この顔、この喋り方なんですよ。もっとも、俺ぐらいこいつとの付き合いが長ければ、仏頂面の下の感情なんて手に取るように分っちゃいますけどね。
 なぁジュ、そんな顔するなよ。ここの女将さんと、自警団の副団長さんに捕まったのは計算づくだぜ。そろそろお前か、皇太子殿下か、サー・デイヴィッドに会いたいって思ってた所なんだから。三人そろったってことは、首尾としちゃ上々だぜ。
 ほら、何年前だったか、サウザンプトンで牛泥棒が背中に自分のおばあちゃんをくくり付けたまま、売春宿でオヤジ八人と一緒に七十六日間籠城して、感動の拍手で生き別れの飼い犬と再会できたことがあったろう?泣いたよなぁ…あの時の出来栄えだって言えば、朴念仁のジュリアンにだって、どれくらいうまく行っているか分るってもんだ。」
 どうやらこのレオンという密偵は、ハルとデイヴィッドが最初に思ったほど、若くはなさそうだった。むしろウィンチェスター司教やケイニスに近い歳だろう。しかし、その表情の動きや、ヒラヒラした喋り方はまるっきり若者のそれで、しかも下町訛りときている。
 ハルとデイヴィッドがこれまで知っていた密偵のイメージとは、かけ離れているのが、この名前が回文になっている男だった。

 「マライアとスパイクに捕まるのは織り込み済みなら、俺たちに報告する事があるってことだな?」
 ハルが隙間を狙って言葉を挟むと、まるで目の前の人形が喋ったみたいな驚きかたでレオンは体を震わせ、大きな瞳をぱちくりさせた。
「俺、そんなこと言ったっけ?」
 レオンはケイニスに尋ねた。ケイニスは相変わらずの仏頂面だが、あきらかにうんざりしている。
「言った。」
「そうか、言ったか。ジュリアンがそう言うなら、間違いない。いや、報告することがあるってことが間違いないんじゃなくて、折込みで捕まったことが間違いないって事。もちろん、報告することがあるのも間違いないんだけど。要するに、何も間違っていないって事。」
 どうも歯車が上手くかみ合わない。そこでデイヴィッドが一呼吸置くために口を開いた。
「つまりケイニス。お前が今朝、司教のところに報告に来たとき、最初は二人で来る、って言っていたよな。未明の突発事発生で結局お前は一人で来たが、本来一緒に来る予定だったのが、このレオンという訳だな。」
「そうです。」
「ロヌーク夫人は、去年の秋モンマスからカンタベリーに向かい、アランデル伯爵家でカンタベリー大司教と接触した。それよりも更に新しい情報を掴んだということか?」
「そこです。」
 デイヴィッドに尋ねられたレオンは、引き締まった顔になって姿勢を正した。やっとまともな報告をする気になったらしい。



 → 10.軽妙な男からの重大な報告が、デイヴィッド・ギブスンの疑問を解く事
 9.下敷き男と、回文男との相次ぐ面会
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  複合的な家庭の事情
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