ノエル・レオンはケイニスが注いだエールを口に運んでから、おもむろに口を開いた。
「俺がカレーからイングランド本国配置になってすぐの仕事が、ロヌーク夫人の追跡でした。ええ、確かにロヌーク夫人はカンタベリーでアランデル伯爵家に滞在しました。」
 ハルが頷く。
「そこまでは、今朝ケイニスに聞いた。それで、彼女が何者なのかは分ったのか?」
「いいえ。」
 レオンは青い瞳に挑むような光を点して答えた。やっと密偵らしい表情になってきた。
「彼女が何者かは、まだ分っていません。ただ、アランデル伯爵家と、サマーセット伯爵家の間に、大きな問題が生じるように入れ知恵をしています。」
 ハルとデイヴィッドが顔を見合わせる。ケイニスは黙って聞いているので、レオンが続けた。
 「もっと詳細に申せば、ロヌーク夫人の目的は、カンタベリー大司教および、大司教の出身家であるアランデル伯爵家を、完全に国王陛下側の味方とし、対フランス政策において穏健策に導こうとしていると推測されます。同時に、サマーセット伯爵家の発言権をも削ごうとしている。」
 ハルが手に持っていたエールのコップを脇に置いた。
「レオン、今おまえは色々なことを言ったがな。ひとつひとつ確認しよう。確かにカンタベリー大司教は父上の信任が厚い。そして父上の対フランス政策は穏健というよりは、消極的と言う方が適当だ。ロヌーク夫人がフランス人だとすると、アランデル伯爵家と大司教を介して、更にその消極的政策を確かなものにしようとしているというのは、考えられる事だ。しかし ―」
 視線を上げなおし、ハルが低く、そしてゆっくりと言った。
「サマーセット伯爵家はどう関係する?サマーセット伯爵は父上の義理の弟だ。そして国王の政策の絶対的な支持者でもある。」
「しかし、サマーセット伯爵の弟たるウィンチェスター司教様はどうです?」
 レオンは何でもないような調子で言った。
「ウィンチェスター司教と、皇太子殿下 ― あなた自身は、どちらかと言えば対フランス政策は積極的に運びたいとお考えのはずです。」
「ノエル。」
 黙って聞いていたケイニスが静かに言葉を挟んだ。
「我々の言うべきことじゃない。」
「しかし、ここが一番肝心ですよ、皇太子殿下。」
 下町訛りはそのままだが、油断のない眼光でレオンはなおも続けた。
「ウィンチェスター司教は ― 俺たちは直属の部下だからよく分かりますが ― 国王陛下の政策に完全なる支持者ではないでしょう。むしろ、皇太子殿下と共に対フランス積極政策を推し進めたいというのが本音だ。そして、政策的にも、個人感情的にもカンタベリー大司教を敵視している。ロヌーク夫人の目的は、そこです。
 カンタベリー大司教、およびアランデル伯爵家に対して、ウィンチェスター司教とサマーセット伯爵家が反目するように細工をした ― フランスにとっては少なからず利益になるでしょう。なにせあちらも、イングランドと同じくお家事情がバタバタしていますから。」
「そこまでだ。」
 ケイニスが同僚の発言を封じた。ハルとデイヴィッドの顔を順々に見回す顔は相変わらず無表情だが、ウィンチェスター司教直属の密偵が言うべきではないことを、レオンに替わって詫びている。ハルはそれをはぐらかすかのように、すこし微笑んで首を振った。
 「構わないよ、ケイニス。密偵の仕事は、見ること、聞くこと、そして勘を働かせることだ。」
「しかし ―」
 デイヴィッドがエールを一口喉に流し込んでから、発言した。
「レオン、ロヌーク夫人がアランデル伯爵家で、『細工をした』というのは、憶測だろう。それとも、何か情報があるのか。」
「ありますよ。」
 レオンは急に、またもとの気の良い下町っ子のような調子に戻って、ケロリと答えた。
「『入れ知恵』ですよ。正確には、カンタベリー大司教への入れ知恵です。」
「彼女が、大司教と会見したのは、確かなんだな?」
「間違いありません。ロヌーク夫人は、大聖堂に莫大な寄付をしていますし、カンタベリー大司教も実家であるアランデル伯爵家に滞在していましたから。複数の使用人からの情報で裏を取っています。」
 ハルとデイヴィッドは顔を見あわせ、ハルが続きを促した。
「それで?」
「ロヌーク夫人の提案は、こうです。レディ・ジェーン・ボーフォートの養育を、アランデル伯爵家かカンタベリー大司教の庇護の下で行うべきだ ― 強引にでも、彼女の身柄をカンタベリー大司教の保護下に移しなさい ― 」
「何だって?!」
 ハルとデイヴィッドが同時に声を上げた。そして、また同時に叫んだ。
「本当か?!」
「ええ、本当です。」
レオンは挑戦的に笑った。
「クビになった者、そうでない者も、使用人とか警備兵っていうのは、大抵盗み聞きの名手ですね。まぁ、連中のおかげで俺たちの仕事も成り立つってもんですけどね。
 ええ、確かです。ウィンチェスター司教の娘レディ・ジェニーは、サマーセット伯爵家の一員として保護されていますが、アランデル伯爵家の一員でもある。何せ、レデイ・アリス・フィッツアランがお産みになった子ですからね。カンタベリー大司教ほどの地位の人が、レディ・ジェニーを保護下に置いたとしても、不思議ではありません。
 ただ、サマーセット伯爵家からは、力尽くで奪い取ろうとしているから、穏やかじゃない。当然、両伯爵家の間に、悪感情が生じるでしょう。」
「それどころか、血の雨が降るぞ。」
 ハルが半ば呆れて言った。デイヴィッドはまだ信じられないという表情で眉を寄せ、レオンに確かめた。
「その入れ知恵について、アランデル伯爵は知っているのか?」
「それはなさそうです。」
 レオンは肩をすくめた。
「ロヌーク夫人のカンタベリー滞在中、伯爵本人は出陣中でしたから。俺が情報を得たのは、最近退役した、大司教の護衛兵からです。その男が言うには、レディ・ジェニーをカンタベリー大司教保護下へ移動する企みは、アランデル伯爵家にも極秘だったようです。
 とにかく、大司教は手のものを使って、レディ・ジェニーの居場所をつきとめ、半ば強引に引き取ろうとしています。そして今朝、レディ・ジェニーの誘拐計画が決行されました。場所はストランド…」
「ああ?!」
 あまりの事に、またハルとデイヴィッドが同時に聞き返した。レオンはなおも平気な顔をしている。
「ええ、今朝。ストランドの宿屋での強盗騒ぎがあったのですが、その正体は大司教による配下を使ったレディ・ジェニー誘拐だったのです。強盗を装いうまく誘拐し、レディ・ジェニーをアランデル伯爵家に送り届けようとしたものの、結局は大失敗だったんです。
 何せ、その宿屋に目指すレディ・ジェニーは滞在していなかったのですから。しかも予想外の邪魔まで入りましたし。」
 ハルとデイヴィッドは口をポカンと開けて、レオンの顔に見入っている。それから、ハルが改めて口を開いた。
「お前が今朝、ウェストミンスター宮殿に来られなかったのは、その騒ぎのせいか。そして一度逮捕された強盗たちが、カンタベリー大司教の恩赦で釈放されたのは、もともとカンタベリー大司教の企てだったからという訳だな?」
「釈放された?ははぁ、そりゃ知らなかった。でも、大司教ならそれくらいできるな。でも殿下、逮捕された強盗たちの一人だけは、誤認逮捕だったとか何とかで未明に釈放されていますよ。それも気になりませんか?」
「そりゃデイヴィッドだ。気にするな。」
 ハルはベッドから降りると、マントを取り上げ、体に巻きつけながら言った。
「大体わかってきた。ロヌーク夫人は、カンタベリー大司教とウィンチェスター司教 ― とりもなおさず、アランデル伯爵家とサマーセット伯爵家を離間させ、イングランドの政策をフランスに好都合になるよう、暗躍したんだな。
 そして、カンタベリー大司教は、サマーセット伯爵家の大事なジェニーを無理やりにでもカンタベリー大司教の庇護下に置き、ウィンチェスター司教に打撃を与えようとしたんだ。」
「要は、人質です。カンタベリー大司教は、これによって、ウィンチェスター司教の言動を押さえ込むつもりですよ。成功すればですけどね。」
「ひどい入れ知恵だ。」
 珍しくケイニスが感想を漏らした。しかしハルはもう、剣をしっかり吊りなおして、飛び出す準備をしていた。
 「よし、のんびりとしていられないぞ。サマーセット伯爵家にかけつけて、ジェニーの居場所が、絶対に漏れないように警告しないと。彼女を大司教に確保されたら、俺も色々やりにくくなる。何せ、叔父上が荒れ狂うからな。」
「レディ・ジェニーはロンドンだ。」
 既に外出の支度を終えたデイヴィッドが言うので、今度はハルが驚いた。
「ロンドンに来ているのか?いつ?どこに居る?」
「今日、サマーセット伯爵の屋敷に来るはずだ。ヘンリーが口を滑らせたんだ。」
「叔父上が…?そんなわけ、ないか。伯爵のところの坊やだな。」
「ああ。」
「じゃぁ、伯爵の屋敷に行って、ジェニーの身辺に気をつけろと忠告しないと。」
 ハルとデイヴィッドは同時に走り出し、ドアから出て行こうとしてぶつかって立ち止まった。デイヴィッドがハルの顔をまじまじと見た。
「分かったぞ、ハル。」
「何が。」
 ハルが聞き返すと、デイヴィッドは表情を変えないままに答えた。
「聞き流してしまった大事なことさ。」
「思い出したか。」
「ああ。厩の会話だ。『強盗は言った』 ―だ。」
 ハルは意味が分らず、聞き返そうとした。しかし、デイヴィッドはもう出て行ってしまっている。ハルがそれを追い、ケイニスとレオンも続いた。


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10.軽妙な男からの重大な報告が、デイヴィッド・ギブスンの疑問を解く事
Origina Novel   Hal & David  オリジナル小説  ハル&デイヴィッド


  複合的な家庭の事情
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